第19話 那須家の家中
那須烏山城。
かつて南北で分裂していた那須家。滅びた南那須家の居城であった山城だが、その見事な堅牢さから那須家当主はこの城を居城とし続けていた。事実、史実では宇都宮家、佐竹家の侵攻を何度も食い止めた名城である。
その烏山城から見える月明かり。照らされた山間の木々は何とも風流で、京の詩人がそこに居れば嘯風弄月とばかりに一句詠んだに違いない。
しかしここは田舎っぺが住まう栃木県。聞こえてきたのは上品な詩ではなく、下品極まりない罵声であった。
「くそっ!!あのボケナスどもが!!!雁首揃えて当主のワシに逆らいおって!!!」
今にも剣を抜きそうな剣幕で居室内をうろうろしているのは那須家当主・那須高資。片手に握られている書状は家臣からのものだった。
───早う隠居し、資胤様に家督をお譲りなされ
「言うにこと欠いて!!!言うにこと欠いて!!!ボケナスがあああ!!!!宇都宮の大軍を相手に震えていた木偶どもが、那須七騎などとよく名乗れるわ!!!」
伊勢寿丸の奸計で早々にお家騒動を収束させた宇都宮家とは異なり、那須家中は権力闘争の真っ只中であった。
お家騒動などこの時代にはよくある話。しかし那須家のそれは周りと見比べてもかなり際立ったものであった。
那須衆を構成する那須七騎は、大田原、大関、福原、千本、伊王野、蘆野。大田原は大関、福原を傀儡にして当主交代を要求、蘆野は佐竹と通じて那須家とは絶縁状態。千本に至ってはいま激昂している那須高資を史実で暗殺するなど、まさにやりたい放題であった。
高資に背面していないのは、もはや伊王野くらいなものだ。
「もうだめだ!!!伊王野しか信用できん!!伊王野しか勝たん!!いおうのおおお、、、何とかしてくれえええ!!!」
那須領にひとたび外敵が侵攻すれば一致団結するのだが、基本はバラバラ、どうにもならない状態であった。
「高資様!!危急の知らせにございますれば夜分に失礼いたします!!」
「なんだああ?!ワシは今むしの居所が悪い!!滅多なことでは許さんぞ!!!」
「は、はい。宇都宮軍は糟谷又左衛門が、当家烏山城に向けて進発したという報せがございました。その手勢は数百余名と聞いております」
「なぁぁにぃぃぃ?!宇都宮の雑魚どもが懲りずにまた侵攻だと?!それに数百などと舐めておるのか?!那須を落としたいなら万の軍勢を連れてこい!!おい、すぐに大田原、大関、福原、千本、伊王野に報せを飛ばして烏山城に兵を集めさせよ!!」
「ははっ!!!」
*****
「高資様。伊王野資宗、ただいま馳せ参じました」
軍議の間に足を踏み入れた伊王野は、一斉にこちらを見る那須衆の表情から、何やら只事ではない様子を感じとった。二の句を告げず、滑るように下座に座し一礼する。
「貴殿が最後だぞ、伊王野殿」
「恐れ入ります。那須衆で最も遠い居城なればお赦しくだされ」
「まあそう責めるな。合戦前から仲間内で揉めてどうする」
当主高資が嗜めるも、最年長かつ最大派閥の大田原資清は止まらない。
「毎年こうも死戦続きでは老体に堪えますな。那須家は気運が落ちているのでございましょう。ならば果てさて、その根っこはどこにあるのやら。城なのか城主なのか」
「この程度で疲れるようではお前こそ大田原の当主から降りた方が良いだろう、資清よ。戦に耐えられぬ将など要らぬわ。動ける者に代われ」
「ははは、しかしそれは高資様の感想でございますな?」
「なんだと?!」
大田原資清は、鶏のように頭を前後に揺らしながら喋り始めた。
「ここにおる大田原、大関、福原が客観的に申しておるのですぞ。那須家は当主を交代すべきであると。次期当主は資胤様こそが相応しいとな。3対1、多数派でございますな?どちらの言が正しいか童でも分かるというもの」
「なにおお!!!貴様っっっ!!!」
伊王野は軍議の雰囲気が悪い理由をようやく理解した。また家督争いのネタで揉めているのだ。しかしこうも面と向かって突きつけるとは、しかも戦の前に。これは相当荒れそうだと伊王野は思った。
「伊王野!!!千本!!!お前らはどうなんだ!!」
高資は分の悪い賭けに出た。伊王野と千本がうんと言えば、数の上では3対3。大田原に文句を言われる筋合いはない。
「伊王野は那須家の家臣ではございませぬ。それは皆々様方も同じでございましょう。あくまで盟友との立場で申し上げるのであれば、高資様にはこの事態を早期に収集して頂きたいと願っております。これは大田原様への反論ではございませぬ。大田原様も良くお考えの上、那須家を思って申し上げているのだと存じております」
くそっ!!貴様はワシの味方ではなかったのか?!と高資は心の中で毒づいた。勇猛な那須衆の中でも恐らく最強。思い返せば記憶に新しい五月女坂の戦い、たった数騎で宇都宮の軍勢3000に飛び込み、大将首を獲ってきた伊王野資宗。この猛将に対する信頼が、ガラガラと音とたてて崩れていく。
「千本は───
その場の那須衆は、千本資俊に視線を向けた。
「このまま平行線であるのが一番不味いと考えておる。此度の宇都宮侵攻、これの戦功によって進退を決められたら如何だろうか。我らを率いる頭領は強者でなければならん」
「ぐっ.....」
那須高資は唸った。正論すぎて反論が思い当たらない。この内容はどうだ。那須本家に大田原、大関、福原を凌ぐ首級が挙げられるだろうか。なかなかに難しいように感じる。
「そんな邪念を入れて戦に勝てるか!!功を焦った者どもが、策もなしに突撃しては散っていく姿が目に浮かぶわ!!!」
千本資俊は考え込んだ。確かに宇都宮を先日破れたのは伏兵で尚綱を討てたからこそ。平等な機会で競わせるとなると....。
「では夜討ちではどうですかな?功を比べるには良いかと思いますが。ひと当てして引くもよし、深入りして将を討つもよし、それぞれが好き勝手にできまする。どうせ家中バラバラなら、敵にバレぬ夜が良いでしょう」
「おお、千本殿。それは誠に妙案ですな」
「伊王野は敵を討つまで。夜襲でも構いませぬ」
「ぐぐぐ.......」
「高資殿?夜襲の戦功次第で家督の行方を決める、それで宜しいですかな?」
「分かった!!!」
高資は半ばやけくそだった。しかしまだ挽回の可能性はある。どうせまた伊王野が第一功だろう、戦功を出し揃える前に伊王野をこちらに引き込んでしまえば良い。
高資は伊王野を見た。それは、武人然とした佇まいから感じる頼もしさと、いおうのぉぉぉ....なぜワシについてこぬのだぁぁ....という恨めしさの視線だった。
そんな気持ちの悪い評定が終わり、ついに戦が始まりの時を迎える。
関東見取図