第16話 お年玉
1550年1月。
家臣たちが次々に登城しては新年の挨拶に訪れる。寒い中、移動も大変だろうに。何故そこまでして挨拶に勤しむのか現代人には理解に苦しむ。スマホでメール1本打てば済んでいた現代人にはなんとも理解し難い文化だ。
「若様、昨年は大変お世話になりました。この身を拾って頂いただけでなく、母の看病に加えて、肥溜めを漁る機会を与えてくださるなど、誠に感謝の念に絶えません」
平伏もせずに背筋をピンと延ばしてそう言う信芳。肥溜めうんぬんのくだりに、抗議の意思がありありと伝わってくる。
「悪かったよ。だが火薬さえ作れれば戦場で死ぬ人間が激減するんだ、いまは我慢してくれ。というかそもそも人を使うことを覚えろ。なんでも自分でやろうとするのが悪いぞ」
「そうは言いますが....」
「兄上、新年からやめてください。日の本で最先端の仕事をしているんですから、肥溜めくらいなんですか」
「ぐう........」
妹には弱いらしい。相手に弱みを見せるなど宜しくないぞ。また文句を言ってきたら妹に間に入ってもらおう。
「兄上様、本年もよろしくお願いいたします」
「こちらこそ宜しく頼む。お雪は幾つになったんだ?」
「16になりました」
16歳か。この時代だとそろそろ適齢期なんだろうな。あまりよく考えずに宇都宮一門にしてみたが、縁談とかも俺が持ってこないといけないのだろうか。
うーん、これは困ったぞ。一番苦手な分野だ。
*****
その後も続々と家臣たちが挨拶に来たて少し気が滅入ってきた頃、益子安宗が現れた。
「若様、明けましておめでとうございまする」
「ああ、安宗か。明けましておめでとう」
安宗とはあまり話せていなかったが彼も宇都宮家の重臣の1人だ。よく話しておかなければなと、取り留めのない話を続けると、ふと安宗の顔が陰った。
「何か気になることがあるのか?」
俺がそう質すと、益子は声量を抑えて吐露し始めた。
「いやなに。来年の東西攻略の件がどうにも気になりましてな。さして抵抗が少ないと思われる壬生を益子が攻め、抵抗が激しいと思われる那須を糟谷が攻めるというのが......どうにも腑に落ちず」
「その件か。策は授けるゆえ気にするな。しかしこちらも準備があるからな。なかなか思うように進んでおらんが、まあ何とかなろう」
「例の工業区とやらのことですかな?色々とお造りだそうで」
「そうだ。あれは宇都宮家の極秘の秘だが、安宗は宇都宮家の重臣。ぜひ見て貰いたい。後で一緒に行こうではないか」
「おお、それは楽しみですな!」
なんで俺が家臣にゴマすりしているのか分からんが、ヘソを曲げられても困るし、新年なのだから気分良く帰ってもらいたい。
その後、俺は三十路に近いおっさんを連れて工業区をデートした。次々と出来あがる和釘を見ると安宗は大層驚いていた様子だった。
今はまだこんなもんだが、もっと色々と作って驚かせたいな。
*****
真岡領。
結城家への謝礼の品を準備せねばならず、芳賀高定と、七井勝忠は正月の登城を見送り、荷造りに追われていた。
「いやはやしかし大量の物資ですな」
勝忠の眼前にはずらりと並んだ荷馬の列があった。
これら全てが、過日の援軍に対する結城家への謝礼の品だと聞くと、勝忠は開いた口が塞がらなくなった。
「いささか多過ぎやしませんかね」
高定がやってきて答える。
「多いな。多すぎる。その上、急であったしここまで掻き集めるのにはとにかく苦労したわ。お陰で真岡の蓄えは空っぽよ。若様の宇都宮城からすぐに物資を手配せねば」
「若様が何故にここまで譲歩したのか理解ができませぬ。この金品がいずれ宇都宮家の脅威になりやしませんかね?」
「さてな。しかし手は打ってある」
高定はそう言いながら荷馬の背を撫で、南方を遠くみた。その目は結城領のさらに南方、小田領を見ていた。
「手とは?」
「結城の仇敵、小田と佐竹に、金品受け渡しの段取りを流したのだ」
「んん....?兄上、それは宜しくないのでは?」
勝忠は謀略には向いておらんな。これが若様であったなら、聞いた途端にゲラゲラと笑っていたであろうよと、高定は思った。
「まあ分からんでも良い。お前の役目は荷運びの護衛だ。鬼怒川を舟で下り、結城領で待つ水谷に引き渡すだけだ。くれぐれも真岡領内でしくじったり、結城の挑発に乗るではないぞ」
「分かり申した。荷運びの護衛など、この勝忠には容易いことです」
大丈夫だろうか、高定の胸に一抹の不安が過ぎる。
いずれにせよ、荷を受け渡した後のことなど宇都宮家の知ったことではない。せいぜい、小田と佐竹と、欲にまみれた醜い争いをするが良かろう。なんなら兵を損耗しつつ、金品を三等分してくれるのが最良か。
「くくくく.....若様のお耳に入れるのが楽しみでならんな。くっ....ははははは!!」
晴れわたる冬の空、高定の怪しい笑い声が響いていた。
関東見取図
本編では書く予定にないのですが、この金品2000貫の物資を巡って、結城と小田と佐竹が泥試合をして消耗する話とか書きたいなぁ.....と思いました。