第12話 宇都宮評定1
※壬生城の位置が西すぎたため過去話の挿絵を修正しております。小説の内容には変更はありません。
宇都宮城。
一度は陥落した城、その年に帰城できるとは夢にも思ってなかった者が多く、この地を故郷とする者たちには笑顔があった。
しかし帰城を果たした兵たちは喜びを噛み締める暇もなく、壬生兵の死体の埋葬から始まり、城門の修復、結城軍の歓待に忙殺され、慌ただしい日々が続いていた。
その一方で城主の俺はといえば、銀次に人夫の調達に走らせ、信芳に実験小屋を整備させるだけしかやることがなく、つまり暇を持て余していた。
「話し相手になってくれるのは助かるが、兄の手伝いはしなくて良いのか?」
「はい。兄上から若様の傍におれと命じられております」
なぜか俺の居室に信芳の妹、お雪が居座っている。部屋に知り合いの美人が居座っているというのがどうにも落ち着かない。
「命じられてるとは言ってもな....下男も居るから別にことたりてるのだが.....」
「そう仰られましても....それに城内を女が彷徨くのは良くないだろうと兄上が申しておりました」
困った表情になるお雪。
下女や家臣の家族なんかも城内には居るから過剰な反応な気もするが、一理ないではない。信芳とお雪の身分については俺がしっかり確保してやらなければならないだろう。ましてや城内の警備を強化しろと言った手前、部屋から出て行けと言うのも余りにも酷い。
「それについては、分かった。なんとかしておく。そうだな.....じゃあ.....」
俺はお雪にこの先着手するであろう構想について話し始めた。
*****
「───つまり、轆轤のような物ですね?」
「そうだ。広義には轆轤も旋盤の1つだ。旋盤にも色々な種類があるが.....。いずれにしても早めにコレを作っておきたい」
「あの、若様、理由をお伺いしても良いでしょうか?」
「何故だと思う?」
お雪が困った顔になる。化学をいじらせ、科学者の道を歩ませているのだから、初めから他人に答えを求める癖は改めさせた方がいい。仮説と検証は何より大切だ。
「手作業で彫り物をするより簡単で、効率が上がるからでしょうか?」
「だいたい正解だ。しかし最大の目的は作業の汎用化だ。物作りは工程を分解していけば単純作業の束になる。旋盤があればいくつかの単純作業が、より誰にでもできるようになる。誰にでもできる仕事は暇なヤツにやらせればいい。限りある資源を如何にして効率よく活用するかが工業の本質なんだ」
「うーん.....はい」
反応が良くないな。あまり理解できないのかもしれない。突き詰めると、品質管理や規格化のような近代的な話も混ざってきてしまう。
「そうだな。あそこの留め具、和釘は知っているだろう?」
分かりやすく説明しなおそうと、俺は部屋の隅を指差してそう言った。
「あれは鍛治職人が1本ずつ鉄を打って作っている。それがどう言うことかわかるか?」
「.......家屋の数は、鍛治職人の数に応じるということでしょうか?」
やはり頭が良い。さすが栃木県の女だ。現世だったら宇都宮女子高校から宇都宮大学へ進学しそうなインテリ女子に間違いない。
「そうだ。では鍛治職人ではない者が和釘を作れるようになったらどうなる?」
「今よりも家屋の数が増やせますね」
「専門的な作業を汎用化するというのは即ちそういうことだ。これは領民の暮らしも良くすることにも繋がるし、突き詰めると戦でも有利になる」
お雪の顔が、合点がいったような晴れやかな笑顔になった。領民のためになるというフレーズが心に刺さったのであろう。
しかしそれも少しの間。すぐに表情が翳る。
「和釘についてはあまり存じておりませんが、鍛治職人でしか作れない理由があるのではないでしょうか?」
地頭が良いのに、思考のベクトルは宜しくない。美人であるのに、いつも幸薄そうな表情をしているのはそれが原因か。悩みが多い性格なんだろう。
「それは正しい。溶かした鉄を型に流して固めれば事は成るが、鉄を液体にするだけの炉がないことが原因だな」
「それでは.....」
「そこで諦めるのは科学ではない。逆に言えば、無いものは作れば良い。まずは反射炉───」
いや反射炉を扱うにはコークスが要るか。つまり石炭が必要だ。栃木県では石炭は採掘できないし、反射炉は使えないな。ああ、色々大変だ。
「いや、強力な吹子を備えた、鉄を液体にできるくらいの高温を出せる木炭高炉を作るぞ」
「は、はい!」
お雪の表情が明るくなった。
俺たちは前に進むしかない。俺とお雪はその後も足踏み旋盤や木炭高炉の図面を描きながら、議論を交わしていった。
*****
「此度の宇都宮本城奪還、誠にご苦労であった」
「「「ははっっっっっ!!」」」
俺が口上を述べると評定の間にズラリと並んだ家臣たち一同が、いっせいに平伏した。
「特に芳賀高定、七井勝忠。俺をよく壬生から守ってくれた。さらに益子宗安、益子勢が奮わなければ飛山城を抜かれていただろう。糟谷又左衛門、宇都宮城では第一功と聞く。この伊勢寿丸から改めて礼を言う」
「誠にもったいなきお言葉」
「家臣として当然でございまする」
俺がベラベラ喋る様子など、高定と勝忠は見慣れた風景とばかりに即答した。一方で、益子宗安や糟谷又左衛門を始め駆けつけた諸将たちは、宿老の高定が取り仕切るものだと思い込んでいたため、不意を突かれて口を開けたまま固まっていた。
「若様。この糟谷又左衛門、第一功など頂く資格はございませぬ。某の力が及ばぬゆえ、五月女坂にて大殿様をお守りすることができませんでした!!」
硬直が先に解けたのは糟谷だった。恐らく心のどこかでずっとこの機会を待っていたからであろう。声を張り上げ詫びる糟谷を見据え、俺は口を開いた。
「糟谷。済んだことはもう良い。飛山城にも真っ先に駆けつけたと聞く。そなたの忠臣ぶり、父上もあの世で喜んでおろう。これからの働きを期待している」
「うぐっ......」
感極まって震える糟谷。それを見た他の者も、このやりとりが茶番ではないことを察し始めた。目の前の童が、主君にたる人物なのではないかと次第に感じていった。
「さて、時はすでに11月だ。今年はこれ以上の戦は不要と考えている。年が明け、雪が解けたのちに壬生の残党が残る鹿沼城の仕置きと、那須の成敗と考えているが意見はあるか?」
「それが宜しいかと存じます」
真っ先に答えたのはやはり高定。恐らく高定の頭の中には、結城が南から侵攻してくることも念頭にあるのだろう。考えが保守的だ。
「高定、俺は結城の侵攻はないと考えている。約定の支払いがまだであるし、もう数年は様子を見て、宇都宮家が弱体化するのを手ぐすね引いて待つであろうよ。なんなら古河公方の他家を抑えてでもな。それでも俺の案で良いと思うか?」
「はい。それを差し引いても妙案かと存じまする。鹿沼、那須の冬は厳しいものです。あえて冬に攻め込み消耗する必要はございますまい」
「そうか。他の者はどうか?」
周囲を見渡すと、同意の顔が多い。しかし、糟谷と益子の顔がいくらか冴えない。
「益子から宗安が上申いたします。那須は寡兵ながらなかなかに手強い相手と感じますが、どの一党を充てるおつもりでしょうか」
「良い意見だ。さすが紀党の益子よ。俺は糟谷の手勢で充分と考えている」
俺の答えに評定の場が凍りついた。
家臣たちは土台無理な話と感じているのだろう。
それはそうだ、今年、俺の父、宇都宮尚綱が3000の手勢をもってしても300の那須軍に大敗したのだから。糟谷の手勢はせいぜい500。数の上ではお話にならない。
「その話をする前に、紹介したい者たちがいる」
俺は手を上げ、末席に並んでいたある者たちを呼び寄せた。
関東見取図