第11話 黒幕の影
宇都宮本城奪還すの報は、俺の元にすぐに届いた。
高定からの書状には七井勝忠が迎えにあがるため、準備をしておいて欲しいと記してあった。
「よし。これで万事が上手くいったと言えるな。しかし真岡の地をこれほど早く離れねばならんとは、ようやく慣れてきた頃だというのに.....」
真岡城から田園を見下ろせば、遠くの水田には稲穂が実り、そろそろ第二期目の稲刈りの時期といった様子だった。できれば正条植えを指導したかったのだが、タイミングが悪かった。
宇都宮に発たねばならないのは非常に残念だ。
「まあ正条植えくらい、口で言っても理解はできるだろう。クレバーパイプを指導できたくらいで満足しておくか」
クレバーパイプによる自然薯栽培も本来の時期とは全く異なるものになってしまったから成果の確認は丸1年後になるだろう。
今年は失敗する前提なので作付け面積は少ない。しかし来年から倍々で拡大していけばすぐに一大産業になるはずだ。後は高定に任せよう。きっと上手くやってくれるはずだ。
「若様、お呼びでしょうか」
俺の居室に化学推進を手伝わせている信芳が顔を出した。横には信芳の妹、お雪を伴っている。
このお雪は俺が拾ってきたのではない。薬品の精錬にもっと人手がいるからと信芳自身が推挙してきたのだ。信芳に似て色白で線が細く、まあ畑仕事なんかをやらせるよりは本人的にも良いだろうと思って見ていたら、このお雪もなかなか見事な手際の良さだった。
有能な人材はいくらでも欲しい。この兄妹は本当に良い拾い物だ。
「ああ、来たか。宇都宮城に戻れることになってな。お前らも来てくれるか?」
「宇都宮に拠点を移すということでしょうか?」
「そうだ。他にも色々と作らねばならんが、真岡は離れすぎだ。俺の居城に近い方がやりやすい。だがお前たちにも生活があろう。無理強いはしたくないが.....なるべく来てもらいたい」
「若様、母も連れて行って宜しいでしょうか」
「勿論だ」
「承知しました。それでは設備を解体して運べるようにしておきます」
「頼んだぞ」
メタノールは基礎の基礎。今後の薬品調合を考えるなら次は硫酸だろうか?硫酸は非常に有用な薬品だからな。近代的な調合をしようと思ったら必ず必須になる。しかし硫酸を作るなら硫化鉱物が要る。
「硫化鉱物か.....ああっ?!」
金掘り銀次の存在を忘れていた。手下に指導しておけと命じておいたから銀次本人はそろそろ暇になっているだろう。
「銀次も連れて行かないとな.....。ああ、引っ越しとは忙しいもんだ」
*****
数日後、俺はようやく宇都宮城に入城した。
迎えに来た七井勝忠は俺を飽きさせまいととにかくよく喋った。殆どが彼の武勇伝だったが、宇都宮城攻略で使用したメタノールの効果はなかなかだったようで、その話だけは面白かった。
「つまり疲れているということなんだが.....休めないのか?」
「あやつには噺衆の才が無いようですな.....。勝忠めには良く言っておきます。申し訳ありませぬ。しかし若様、火急の要件がございます」
念願の宇都宮城を散策する暇もなく高定に捕まった俺は、城内の屋敷の一室で報告を受けることになった。
「宇都宮城攻略の中で壬生綱房、並びに壬生徳雪斎を捕らえましたが」
「うむ、良くやった」
「今朝方、座敷牢の中で何者かに殺害されているのを発見しました」
「は、はい?!」
壬生綱房と壬生徳雪斎が殺された?意味が分からないし、史実では....えっと、綱房は既に死んでいたが、徳雪斎は宇都宮家に戻ったはずだ。
「宇都宮城の警備はそんなに脆いのか?」
「若様から送られた めたのーる で、城門を焼いており.....まだ復旧作業中でございますれば.....そこから入られたのかと」
俺のせいか?いやちゃんと警備しろよ。
そんな俺の考えなど意に介さず、高定は報告を続けた。
「懸命に調べておりますが、下手人は未だ分かりません。捕らえた後の綱房は、話が違うだの、裏切られただのと喚いていたと聞いております。その時は世迷言かと思い、いずれにしても若様の登城後に改めようとしていた矢先.....」
「壬生の謀反に、後ろ盾があったということか.....?」
「その可能性がございます。某もその線はあるかと思っておりました」
「候補は?」
「結城か、那須か、佐竹か。上杉か、武田か、北条か.....多数ございますれば、絞り込むのはなかなか.....」
(佐竹と北条はないだろう。なにせ史実で芳賀高定が支持・援軍を取り付けたのが、佐竹と北条なのだから。那須はタイミングだけ見れば十分有り得るが、五月女坂で宇都宮に大勝した矢先に壬生が宇都宮を獲るなど、那須側のメリットが見いだせない。結城は今回援軍しているので考えにくいが、有り得ない話ではないが.....)
可能性が多すぎて混乱してくる。俺は頭を目を瞑り、更に深い思考の海に入る。
(いや待てよ、史実視点は重要だ。壬生が宇都宮城を占拠した8年間、何処かと同盟を結んでいたか?それは無かった気がする。すると途端に今回の黒幕の目的が全く分からなくなるな。目的は宇都宮家の停滞だけ?そんなことって有り得るのか?見返りのない同盟など、壬生が応じるだろうか)
「若様」
高定の呼びかけに、急に意識が戻された。
「此度の不始末、誠に申し訳ございませぬが、分からぬものを考えても仕方がありませぬ。まずは城内の警備を整え、軍備を整えるのが肝要かと」
「.......そうだな。そうしてくれ」
一礼して立ち上がり、下がろうとする高定。
「高定。綱房と徳雪斎は切るつもりだった。だから気にするな。ご苦労であった」
「ははっ!」
綱房は1555年に高定に謀殺されているからまだしも、徳雪斎は晩年まで俺に仕えるはずだった。しかし一度裏切った者を傍に置いておける度量は俺にはない。いっそ死んでくれて良かったのかもしれない。
そう言えば織田信長とかは造反したヤツを許してたっけな。アレは一門衆だけか?何にせよ、凄まじい胆力だ。器が違いすぎる。
「壬生の黒幕か.....」
思いもよらなかった展開に俺は眩暈がした。壬生の後ろ盾なんて後世の歴史には伝わっていない。知っていることを利用しての快進撃をしたは良いものの、知らないことに直面した恐怖でじわりと汗が滲む。
何か良からぬが起こりそうな予感がして、俺の気分は暫く晴れなかった。
関東見取図
これにて第一幕が終わりとなります。
第二幕以降はゆっくり投稿していきます。
こんな感じで、周辺領主に馬鹿にされながらも頑張る話を書いていくつもりですので、どうぞよろしくお願いします。