第1話 栃木県民、死す
貸アパートの一室。
薄暗くゴミの散らかった室内は、家主の生活水準をよく現していた。そして偶然にも、その散らかりようは家主の心情をも映しているようであった。
「許さない.......絶対に許さない......」
男の目の前にはパソコンに繋がれたモニターがあり、煌々と1つのウェブサイトを映し出している。モニターの光りで、怒気を帯びた男の顔が浮かび上がるが、それを気にする者は誰もいない。
─都道府県、魅力度ランキング
地方在住民が毎年必ずチェックする都道府県の魅力度ランキングだ。ある者は故郷の順位昇降に一喜一憂し、ある者は毎年最下位の茨城県を笑いものにする。そんな地方在住民の溜飲を下げるイベントがこの魅力度ランキングだった。
当然、この男もその一人。いや、その一人になるはずだった。というのも、今年は事情が少し異なっているからだ。
─魅力度ランク 栃木県が最下位に 昨年43位から低下
「ふぎぎぎぎぎぎ.....っっっっっ!!!!」
記事のタイトルを見るだけで瞬間沸騰し、思考が飛ぶ。まるで宇宙を光速航行しているかのように、汚い室内など目に入らず、視界が走り出す。
「なんでだあああああああああっっっっ!!!なんで栃木県が茨城県に負けるんだよっっっっ!!!!!くうううううそおおおおおおお!!!!おいいいいいいい茨城なんて納豆しかねえだろうがよおおおおおお!!!!どこが負けてるんだよクソがああああああっっっっっっっっ!!!!おいいいいいいいいおおいいいいいいい!!!!記者あああああああ説明しろボンクラがあああああっっっっ!!!!!!!!!!」
こんな安アパートだ。壁ドンされてもおかしくはないくらいの絶叫の後、後先考えずに汚い室内をのたうち回る。ガラガラと物が崩れ落ち、頭に硬いものが落下してきた。
「いってええええええっっ!!!ああああーーーーなんだよクソッッ!!!茨城の仕業か!!!!」
つつと垂れる液体。どうやら頭を切ってしまったらしい。流血したことで少し冷静になってきた。
─ーーくん、栃木県出身だったの?
─そうだけど.....
─私たち別れた方がいいかも
─ま、待てよ、お前だって茨城県民じゃんか
─そんな言い方最低!!さようならっ!!!
茨城の女性にフラれた黒歴史。古い記憶がフラッシュバックすると、次々に苦い記憶たちが蘇ってくる。
─こいつ餃子くっせーーーーwww(埼玉)
─海どころか空港すらないってヤバくない?(千葉)
─おやまゆうえんち〜ってCMあったよねw(東京)
─栃木県って、何もかも中途半端で可哀想(群馬)
─海がないからドブ川で泳いでるって本当?(神奈川)
過去に出会った女性たちの辛辣なセリフが走馬灯のように流れる。最後のセリフは今まで生きてきた中で酷いセリフの4番バッターだ。
「くそっ!!!!くそっっっ!!!!」
そんなツラい出来事も、茨城県という魅力度ランキング万年最下位県が居たからなんとか耐えられた。しかし今やその絶対安全バリアは存在しない。
─魅力度ランク 栃木県が最下位に 昨年43位から低下
何度見ても結果は変わらない、胸を抉るタイトル。
大宇宙の法則が崩れたのだ。冷静になったところで、プライドが汚され、アイデンティティが崩壊した事実は変わらない。
そしてプライドはときに命よりも重い。そうでなければ世の中に自殺者など出るはずもない。人間は物乞いをするより死を選ぶ。屈辱的な生よりも、誇りある死を選ぶ生き物だ。
男は筆をとり、つらつらと最期の文章を書きしたためた。
この調査結果は、たとえ栃木県民ではなかったとしても誠に受け入れがたく遺憾である。品評に足る根拠はどこにもなく、最下位を笑い者にしたいだけの品性下劣極まりない番付表である。この謂れなき侮辱にたいして、日本国民の1人として断固抗議するものである。
遺書を書き終えるとフ、フフゥゥゥーーー....と怒りに震える吐息が出た。天井からロープを垂らし首に通すと、遺書を見下ろす。
「他の栃木県民が俺の遺体を見つけて、アレを読んでくれるだろう。そして遺書がニュースになり、きっとランキングも見直されるはず。」
死は怖いが、栃木県の死よりつらいものはない。故郷のため、この最終手段はやむを得ない。俺の命で栃木県が助かるなら安いものだ。あとは頼んだ、さらば栃木県民たちよ。
覚悟を決めて足を外すと、目の前が暗くなった。
*****
「伊勢寿丸様、ご、ご無事ですか!!」
ひどい頭痛がする上に、肩から足まで右半身が全体的に痛い。痛みに顔を歪めていると、若者が俺の顔を覗き込んだ。
若者というか若武者だ。
「何をしとるか勝忠!!早く馬にお乗せせぬか!」
勝忠と呼ばれた若武者の背後から軽装の壮年男性が覗いた。
馬だって....?
見れば傍にはやや小さめの馬が曳かれていた。興奮しているように何度も鼻を振っている。
「早くしろ!屋敷に戻りお方様の手当をせねば!!」
「お、おう!さ、伊勢寿丸様、お手を!」
「手.......?」
展開についていけず、勝忠のゴツゴツした手を呆然と見つめてしまう。そうだ、彼は七井勝忠という、父の家臣だった....ような気もする。
「ええい、御免!!」
「うわっ!!」
勝忠が俺を抱え上げ、無理矢理に馬に乗せた。切迫している状況で否応なしということなのだろうが、頭の整理が追いつかない状態で身体を宙に浮かされ、頭の中はますます混乱する。
「いくぞ!!夜明け前に真岡城に着かねば....。おい、お前は先に走って薬師を待機させておけ!!」
「ははっ!!」
「勝忠!!もう若様を落とすなよ!!」
「おうよ!おのれ壬生の綱房め....この雪辱、必ず晴らしてくれるわ!!」
馬の揺れが激しくなっていく。俺は馬の首にしがみついて歯を食いしばった。
俺はアパートで自殺したはずなんだが、なんだこれは....。甲冑姿。まるで戦国時代のようだが、これが転生というヤツなんだろうか。それにアレは、芳賀高定、栃木が誇る名将じゃないか。
先導するもう1人の武者が芳賀高定だ。現世の記憶ではもちろん面識はないが、この体の記憶がアレが芳賀高定だと言っている。
忠臣・芳賀高定は主君・宇都宮尚綱が討たれた後、長い期間をかけて諸勢力をまとめあげ、ついに宇都宮城を奪還。その後、北関東同盟を作るのに注力し、戦国時代末期まで続く弱小同盟を築いた外交家だ。全国的にはマイナー武将だが、栃木県の英雄と言っていい。
す、すげえ、、あの芳賀高定に会えるなんて!!栃木魂が震えるぜ!というと、俺は宇都宮広綱か??
父が敵に討たれた挙句に味方の裏切りで本城を奪われ、芳賀高定の真岡城に落ち延びようとしている悲運の5歳児。これは宇都宮広綱に他ならない。四肢に意識を巡らせればやはり身体は少年のそれだ。
人生やり直しスタートか。戦国時代ひろしながしと言えど、こんな波乱な人生スタートの若君は少ないだろう。その上、西方を強敵たちに阻まれた関東は下野という僻地スタートは、ベリーハードに間違いない。
まあいいや....なんとかなるだろ。芳賀高定もいるし、俺、宇都宮広綱は切腹も討ち死にもしてないし、前の人生よりはマシかもしれないな。
闇の中を駆ける馬に必死にしがみつきながらそんなことを考えていたが、いつの間にか眠りに落ちていた。
関東見取図
ゆっくり書いていきたいと思います。
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