最終章
最終章
脳があの気味の悪い出来事を忘れようと頑張った結果、まったく忘れかけていた頃に、
そう、そういう頃に限って事は進展していくものだ。
その日もいつもの様に一番最後に眠りにつく一矢が、丁度深い眠りにつくかというその時、台所の方で何か物音が聞こえた。
眠っている時は結構聴力が研ぎ澄まされているものだ。
それ故に空耳が聞こえたりもするのだが、気になりだすとまったく眠れなくなるので念のため一矢は様子を見に行く事にした。
【地球にライトが照らされて】はいるものの隙間から差し込む光はほんの少しで、台所は裏口がある扉付近以外は暗闇に浸かっていた。少し臆した心境からか視界の不安からか、台所に足を踏み入れた瞬間、見えない何かが背中を手で下から上へ撫でたようなひんやりとした感触が突き抜けた。
一矢は思わず身震いし、嫌だなぁと思いつつも裏口の扉と所までたどり着いた。
扉をよく見ると、鍵が開いていた……。
「あれっ、閉め忘れたかな……?」
そういって扉の鍵をゆっ……くりと閉めたとたん、 先ほどとは違い今度は背後から寒気が肩をトントンと叩く様な何かを感じた!
身体ともに慌てふためきながら振り返ると……、 光が差し込まない所に闇に溶け込んでいる人影が立っている!
なんとなく見える背格好から玲香でもみあでもないのが直ぐに解ると一矢は声を発する!
「あんたっ 誰だっ!」
不法侵入の相手にまずは大きな声で威嚇する……。
そしてあわよくば他の2人にこの家の異変を伝える事ができるからだ!
「………………」
何も返答しない相手に対し、ふたたび威勢を張ってみる。
「………警察に通報するぞ!」
一矢はズボンのポケットからスマホを取り出す様な仕草を見せた。
実際、スマホなんてもってはいない! 寝るときに寝間着にスマホを入れてる人なんているわけがなにのだ。
だが一矢はブラフで相手が大人しく出ていくかも知れないという可能性を試した。
「…………電話なんかもってねえだろ」
やっと口を開いたその【男】声は一矢とは初対面ではないようだ。
それは一矢もすぐに気づき、聞いたことはあるが誰だか思い出せないといった所だった。
そしてもう一度駆け引きを始める!
「あんたか……何の用だ!」
大人になるとたまに使う、知ったかぶりである。
そして男はひっかかってしまう。
「全部【お前達】のせえだろっ!」
家族でこの男に迷惑をかけた覚えはなかったが、この怒り口調で誰だったかは思い出した!
純子に雇われて一矢を襲ったが失敗し、逃げていった方の男だ!
逆恨みし襲いに来たのであろう事が解った一矢は説得を試みる。
「君に何があったかは知らないが【私達】はもう関係ないだろう?おとなしく家から出て行ってくれ」
「うるせぇ!もう元に戻れねえんだよぉ!」
興奮した男は右手を前に突き出すと、その手には包丁が握られていて差し込んだ光が反射し、鋭さを一矢の脳に叩き込ませた。
防衛本能が働いた一矢は、その辺にあった棒状の物を手に取った。
それはゴマを擦る時につかう短めの棒であったが、何もないよりはマシだろう。
やる気を出した一矢を見て男は大声を出して自らを奮い立たせる!
「あああぁぁぁっ!」
すると包丁の柄でテーブルを激しく叩くと、花瓶やショッキを手で払いのけ下に落とした。
割れ落ちた破片が男と一矢を分担するかの様に散らばったのを見て、男はリビングの方へ逃げようとする!
「待てっ!」
追いかけようとするが破片が一矢の進路を妨げている。
「どうしたんですか?」
眠い目を擦りながらそういったのは、先ほどの音で起きて部屋から出てきた玲香だった。
丁度リビングにたどり着いた男は玲香を目にするとさらに胸の炎が激しく燃え上がった!
「お前ぇぇぇ!お前の母親がぁぁぁ!」
男の目には恐ろしいほどの殺気がほとばしっている!
そう……この男の本当の目的は玲香だったのだ!
人生を狂わされた純子が居なくなり、復讐の矛先を玲香に向けていたのだ。
実際、玲香を殺してもどうにもならないのは解っているが、そうしないと自分がどうにもならないから……。
高ぶった熱量はどこかで吐き出さなければ溜まっていく一方だからだ。
玲香は寝起きもあり、何が何だか判らなかったが男が凶器を持ってそれをこっちに向けていることは理解できた。
「きゃあああああああああああああああああ」
「うわあああああああああああああああああ」
呼応するかの様に襲う方も襲われる方も同時に叫ぶと、男は包丁を突き立てながら玲香に向かっていく!
玲香という塊は、まるで睨まれた蛙の様に【恐怖硬直】にかかっていてまったく動けない…………!
ドォンッ!
男はそのまま壁に突き当たると、包丁に人を刺した確かな感触を感じた……。
「はっ……あははははっ!ざまあみろっ」
下を向いたまま男は高笑いを上げる……。
男の手が包丁から伝い流れてくる真紅の血液で染まっていく…………。
それはまるで作戦成功を祝ってくれているかの様に………………。
焦点がまったくあっていない男の視線の中で隅っこに何かうごめくものが見える。
「…………どうして…………」
そう呟いたのは玲香だった!
声を聴き顔を見上げた男は一驚する!
男が突き刺したのは助けに入った一矢だったのだ!
体重を乗せ突き刺した包丁は確実に致命傷であろう腹部にしっかりと刺さっており、おびただしい程の血液がとめどなくあふれ出ている。
「何でだぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
相手が違った事に錯乱した男は包丁から手を離し、後ずさりながら頭を抱える……。
一矢は消え入るような小さな声で力をふりしぼり、玲香に話しかける。
「ここに居る人達の…………人生を狂わせたのは…………僕なんだ……………… 今まで……………………済まなかったね………………やっと……………………償うことが出来る………………………………みあを…………………………………………頼………………………………」
事切れた一矢の肉塊はゆっくりとその場に崩れ落ちる。
心の満足感からか、心残りの悲哀感からか、一矢の目には透き通る涙が流れていた。
「一矢さんっ!」
倒れ込んだ【それ】に近寄ると悲しみが込み上げるとともに、他に違う【何か】の感情がある事に気づいた。
すると…………更に事態は最悪な方向へ転落していってしまう…………
「おねえちゃん?どうしたのぉ?」
玲香の悲鳴で起きてしまったみあが一番来てはいけない所で来てしまったのだ!
しかし、何かの感情に満たされつつある玲香には声が届かなかった……。
泣き崩れただらしない顔を血まみれの両手で拭うと立ち上がる!
「ゆるせないっ!何もしていない人の人生をぶち壊してぇっ!」
力一杯そう叫んだ玲香の手には一矢を刺した包丁が…………。
「やめろぉぉ!!!」
男が叫ぶも玲香は振り上げた包丁を心臓めがけて………………………………………………………………振り下ろした……………。
男は吐血しながらゴポゴポと何かを言っているが、言葉にならなかった。
玲香は全身の力が一気に抜け包丁を手放すと、両足を開き座り込んで俯く…………。
「なんでこんなことに…………」
「おねえ……ちゃん?」
玲香はみあの存在にやっと気づいた。
「おとうさん、寝ちゃったの?」
「みあちゃん…………おとうさんはね…………死んじゃったの…………」
「じゃあ、あしたになったおきるかな?」
「死んだ人はね…………もう…………ずっとおきないの…………」
「………………………………」
「みんなが幸せだった時に……やりなおしたい…………」
玲香が弱音を呟くと、髪の毛で表情が読み取れないみあが答える…………。
「おねえちゃん…………やりなおしたいの?」
そういうとみあが近寄ってきた。
抱きしめようとした玲香はみあの顔を見ると…………にこにこ笑っている。
「じゃあ、みあが………ふりだしにもどしてあげる」
気が付くと玲香の腹部には包丁が刺さっていた…………。
「み……あ………ちゃん」
「このあいだ、悪いことした猫ちゃんもみあがふりだしにもどしてあげたんだよぉ」
「げ、玄関の…………みあちゃんが…………」
「あれ?まだもどってないの?」
更に包丁を突き刺す…………。
「もどれもどれもどれもどれもどれもどれもどれもどれもどれもどれもどれもどれもどれもどれもどれもどれもどれもどれもどれもどれもどれもどれもどれもどれもどれもどれもどれもどれもどれもどれもどれもどれもどれもどれもどれもどもどれもどれもどれもどれもどれもどもどれもどれもどれもどれもどれもど」
まるでおもちゃで遊んでいるかの様に何度も何度も……………………玲香が完全に動かなくなるまで……………………刺し続ける。
復讐からは…………復讐しか生まれない………それが玲香の結論だった。
負の連鎖が巻き起こした悲しい事件は最悪の結果で幕を閉じることとなった。
最後に残された者が笑顔だった事は不幸中の幸いだったのかもしれない…………。