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ただ儚く君を想う  作者: 桜樹璃音
第2章 文久三年三月十二日
7/14

3




そう言ってリュックを取り上げられ、代わりにばさりと肩に掛けられたのは、濃紺の羽織。久々に包まれる惣次郎の香りに、ぎゅ、と羽織を握りしめた。


反対側の手を引き、歩き出す惣次郎を、小走りに追いかける。



「そうちゃん、前は私が寒いときいつもパーカーとか貸してくれてたよね」


「あー、そうだったね、だって璃桜、いつも薄着なんだもん。大事な妹が風邪ひくのは嫌だし」



……そうちゃんの上着が着たくて、薄着でいたのは黙っておこう。


それよりも、するり、と落とされた言葉に照れる。



「……そうちゃんの、たらし」


「えー? 何もしてないじゃん」



ぶつぶつと言い合っていたら、惣次郎がいきなり立ち止まる。



「っぷ、………そうちゃん!」



いきなり立ち止まるから、惣次郎の首に鼻をぶつけてしまった。丁度、身長も私の方が少し小さいくらいだから、そこに当たるのだ。

…………これ以上鼻が低くなったらどうしてくれるの。憤りも込めて名を呼べば、



「しー」



悪戯っ子のように、唇に指を当て、笑う貴方。

その表情さえも、久しぶりで。本当に、惣次郎に逢えたんだと、実感した。



「そうちゃ、」


「…………裏口から入るよ?」



え、何で。顔に疑問が出たのだろうか、妖艶に弧を描く唇は、さらににやりと曲がる。



「……………俺が女の子を連れているから」


「え?!」



いや、当たり前か。新撰組は、女人禁制だった。

しかも、隊長でもないのに、こんな格好してる子を連れ込んだなんてばれたら、大変そう。



「しーっ! そっと、ね」



手をつなぎ、ゆっくり裏口を開く。八木邸。新撰組屯所のうちの、一つだ。今までも家から近かったから、何回か足を運んだことがある。公開はされていなかったため、入るのはこれが初めて。若干の緊張が体を走り、ごくりと喉が鳴る。



「璃桜、行くよ。……あ、まずい、早く!」


「え、な、まって! ……きゃ?!」



扉を開くやいなや、突然抱えあげられる。

猛然と走り出す惣次郎から振り落とされないように必死でしがみついた。


ひょい、とその肩から後ろを向けば、



「こらぁぁぁぁぁぁぁ!! てめぇ、女連れ込んでんじゃねぇぞ!!」



正しく、鬼のようにものすごい怒号をあげながら、誰かが私たちを追ってきた。



「あー、よりにもよってあの人、なんで裏口にいるかなぁ、璃桜、見ちゃダメ。隠れてて」



こそり、耳元でささやかれる言葉に、ぱっと顔を惣次郎の肩に伏せた。



ばたばたばたばたばたばた。

足音の二重奏に終わりが来たのは、数秒後。惣次郎が部屋の1つに飛び込み、その辺にあった棒切れで部屋の戸を開かなくした。



「ふー、璃桜もう平気だよ」


「あの人、いいの…?」



今だ続く、外からの怒号に、首が縮こまる。惣次郎は慣れているようで、何のこともなくにこりと笑った。



「いいって大丈夫。それよりも、この恰好見られる方がまずいから。はい、着替えて」



そう言って差し出されたのは、惣次郎が着ているものと同じような着物と、袴。



「俺のだから、少し大きい、かな?」



そう言ってじっと見つめられた。着替えを手にしたまま、惣次郎が出ていくのを待つ。


数秒。

……いや、待って、貴方は何を待っているの。



「ん? 着替えないの」


「いや、だって、そこにいられたら着替えられないじゃない」



恥ずかしくて俯き加減でいえば、ふはっと噴出される。



「今更。お風呂も一緒に入ってたのに」


「だだだだって、今はもう、……その、」



もごもごと反論すれば、優しく頭を撫でられた。



「わかったよ、外にいるから。終わったら、呼んで」


「うん」



惣次郎は、慎重に戸の押さえを外し、目にもとまらぬ速さで襖を開け閉めして、外に出て行った。外には、あの怒号の主がいたようで、がみがみとお小言を受けている。



「ごめん、そうちゃん」



出来るだけ早く着替えよう。


袴に着替えながら思う。私、歴史習っていてよかった。資料館とかで、コスプレしていたおかげで、袴も着れるもの。ちゃっちゃと着替えて、惣次郎を呼ぼうと口を開けた。

その時、目に映ったのは平成からついてきた、無地のベージュカラーのリュック。


中身、無事かな……。

一応確認しておこうと、ファスナーを開ける。

iPhone、化粧品、髪ゴム、鏡、お財布、タオル、ティッシュ。

出かけたときに準備した中身に、一つだけ違うものが混じっている。



「…………簪…?」



この簪は、死んだ母親の手に握られていたもの。

それ以来、形見として部屋で大事にしまっておいたものなのに、入れてもいないのに、どうして、一緒に幕末に来ているのだろう。

簪を手にしたまま、考え込んでいると。


――――――スパーン!



「きゃ、」



襖がものすごい音を立てて、開いた。

驚いて目を向ければ、そこにいたのは、苦笑する惣次郎と。




「…………………璃、桜?」




泣きそうに掠れた、低い声で私を呼ぶ、背の高い人。



「え、そうちゃん、この人、」


誰?

そう聞こうとした刹那。

強い力で、抱きしめられた。



「璃桜…………、逢いたかった…………………っ!」



え、何、この状況。なんで、抱きしめられているの。


そう思う頭とは裏腹に。

心は何故か、この人を、この温もりを、知っていると確信していた。


何なの。この時代に来てから、感覚が頭と心でかみ合わない。



「…………あ、あの…、」


「土方さん、璃桜困ってますから。離してあげてくださいよ」



惣次郎から声を掛けられ、はっと体を離したその人。



「………すまねぇ」



そう言った顔を見上げれば、どくりと鼓動が鳴った。


切れ長の、色気を孕んだ瞳。端正な顔は、すべてのパーツがきれいに収まっていて。艶やかな黒髪は、後ろで一つに束ねている。着物の合わせから覗く、筋肉質の胸板。醸し出される、男の香りに、くらりとした。



「この簪……、本当に璃桜なんだな」


「え?」



簪?

どうしてこの人がこの簪を知っているのだろうか。



「璃桜、俺のこと、覚えてねぇのか」


「…………」


「覚えてねぇのか……」


「あ、えと、……ごめんなさい」



何だかとても申し訳なくなって謝ると、惣次郎が耐え切れないように笑いだす。



「あははははは!土方さん、覚えられてないー。ぷくく」


「おい、総司。うっせぇよ」


「だって、ねぇ? この土方歳三を忘れるなんて、璃桜もやるなー」



土方、歳三。

新撰組、鬼の副長の異名をもつ、その人。


その名に、目を見開く。



「あなた、土方、歳三………?」


「ああ、そうだが」


「ねぇ、土方さん? 璃桜、行くところないんですけど、ここにいさせてくれますよね?」



にこにこと笑いながら尋ねる惣次郎。



「でもな、おい、ここはもうお遊びできる場所じゃねんだ」


「そうでしたねー、壬生浪士組ですもんねー」



あ、名前もう貰ったんだ。おそらく、小言の最中に聞いたのだろう。

襖から覗く太陽の位置から察するに、そろそろ夕方だもんね。



「だからな、女を置いておくわけには、」


「璃桜は、俺の、妹なんだけどな」


「でも、」


「璃桜は、土方さんの、はつ、」


「うわぁぁぁぁ! 黙れ総司!!」



何を言いかけたんだろう。大方、土方歳三の弱みだろうか。

にこりと笑う、惣次郎の笑みが、若干、悪魔のほほ笑みに見えてしまったことは秘密だ。



「じゃあ、置いてくれますよね?」



数分後。

黙り込んだ土方さんが、はぁぁ、と大きなため息をついた。



「っ、……………しかたねぇな。おい、璃桜」


「は、はい?」



吃驚した、突然名前呼ばないでほしい。どきどきする心臓に手を当てて、呼吸を整える。



「…………おめぇ、剣技は使えるか」


「はい?」


「は?」



綺麗に、惣次郎とハモってしまった。



「何、言ってるんです、土方さん。璃桜に刀持たせる気ですか。そんなの俺が許しませんよ。断固、却下ですよ」


「私、惣次郎を見つけるために、ずっと剣道やってきたんです。女子で日本一も、取りました。だから、少しは使えると思います」



2人で同時に話した内容に、目を白黒させた土方さんはほっておいて、お互い目を見開く。





「駄目だよ! 璃桜は絶対刀なんて持ったら駄目! 璃桜は俺が守るから、絶対、駄目!!」


「そうちゃん、私一生懸命頑張ってきたんだよ! そうちゃんに逢うために毎日おじいちゃんの稽古受けて、おじいちゃんが死んでからも欠かさず稽古してきたんだよ!」



言い合いを続ける私たちに、あきれたように土方さんは言葉を落とす。



「………再開して早々、兄妹喧嘩か、おい。餓鬼か、てめぇら」


「でも!」



まだ言い募ろうとする惣次郎を遮って、土方さんは言う。



「いいか、総司。璃桜を無事に、ここに置くためには、男になってもらうしかねぇんだよ。実際、剣道やってきたって言ってるし、丁度いいじゃねぇか」


「女中にすればいいじゃない」


「阿呆。女中だと、女だってばらさなきゃなんねぇだろうが。このオオカミどもの巣窟で、そんなことしてみろ、あっという間に手籠めにされちまうぜ」



最後の方の恐ろしい言葉は、聞こえなかったことにしよう。

ということは、あれか。

私、男として生活するってこと?

理由を聞いて、不本意ながらも了承の声が惣次郎から聞こえた。



「………むー、じゃあ、俺の小姓で」


「はん! 駄目に決まってんだろ。俺の方が格上だ。役職順だボケが」


「えええ?! 土方さんの小姓?! ダメダメダメ!! 璃桜、襲われちゃう!!」


「は? 何言ってんだ馬鹿、こんな餓鬼襲うわけないだろ」



餓鬼、って言われた。私、これでも19歳なんだけどな。惣次郎と同い年なんだけどな。


と言うか。さっきから気になっていたことがある。



「あのぅ、」


「あ?」


「何、璃桜」



若干つかみ合いに発展していた二人が、同時にこちらを向いた。



「…………惣次郎のこと、そうじ、って呼んでますよね? 何で?」



至極簡単に、土方さんが答える。



「ああ、こいつは、総司だ」


「あ、ごめん璃桜、言ってなかったよね」



え、待ってよ。



「そうじ、って………、」



嫌だ、嘘。そんなの、あるはずないじゃない。

ここにきて、新撰組について勉強していた自分も、自分の知識も、呪いたくなる。



「うん、俺、ここに来てから名前変わったんだよ。今の名前は、」



止めて、聞きたくない。聞いてしまったら、もう、平穏に暮らせる微かな望みさえなくなってしまう。


私の願い虚しく、惣次郎が、口を開く。

落とされた、言葉は。




「………………沖田、総司だよ」




今、最も聞きたくなかった、その名だった。

嫌だ、そんなの嫌だよ。

そうちゃんが、私の双子の兄が、沖田総司?



ぐらりと、今日最大の眩暈が私を襲う。



「そんなの、嘘………………」


「え、璃桜?!」


「おい、どうした?!!」




焦る二人がぼやけていく。



「…………っ、」




受け止めきれない真実に覆いかぶさられ、闇に吸い込まれていった。




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