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ひらり、ひらり。
桜が、散る。
しゃらり、しゃらり。
簪が、鳴る。
その奥にかすかに見える琥珀色の貴方は。
一体、何に怯えているの。
艶やかに。
透き通って。
一体、どうして涙を流すの。
「…………り、お?」
どうして、
…………私の名を呼ぶの――――?
「…………んん…」
私の名を呼ぶのは、誰?
その問いを最後に、ひらひらと桜の舞う、長い夢から覚醒した。
ゆるゆると戻ってくる己の五感が、春の陽気にあふれる太陽を感じさせる。
眩しい。
ちらちらと瞼の奥に舞う光の粒に意識を刺激されて、導かれるように目を開いた。
「…………っ」
刹那。
そこに見えたのは。
「…………………り、お………?」
ぼろぼろと涙を零しながら、私を呼ぶ、貴方だった。
「…………………そ、うちゃん………?」
嘘。
そんなわけないじゃない。
だって、彼はもう10年以上行方不明で。
「う、うそ…………、そうちゃんが、ここにいるはずない………」
「……っ!! 璃桜…………本物だよね?!」
そう、私を揺さぶる貴方は。
小学生特有の柔らかさは見る影もなく、精悍な男の人になっていた。
けれど、最後に見た時から変わらない、茶色がかった、ふわふわの髪。長くて、綺麗な睫毛。良く笑いよく話す、薄い唇。直ぐに朱に染まる、艶やかな頬。
そして、私の頬に当てている掌の暖かさ。
何も、変わっていなくて。
「……………そうちゃん!!!!!」
目の前で涙を零しているのが、惣次郎だと確信した。
名を呼べば、その刹那、耐えきれなくなって、涙腺が決壊した。信じられなくて、惣次郎が目の前にいることを確かめるかのように、目一杯力を込めてその胸板に縋り付く。着ている物から香る匂いも、寸分違わず、惣次郎のものだった。
「そうちゃ、……そうちゃん……」
名前を、呼ぶ。
何度も何度も繰り返し。
そうでもしていないと、私の前からもう一度、ふっと消えてしまいそうだったから。
――――
「……………璃桜、ちょっと、訊いてもいい?」
惣次郎が優しく背を撫でてくれていたからか、漸く涙が止まり、少しずつ落ち着いてきた。
しゃがみ込んだ私に合わせるように、そっと惣次郎もしゃがんでくれた。
それに伴って、今までは惣次郎の服しか映っていなかった瞳に、周りの景色が映る。
「…………ここ、どこだかわかる?」
「え? 京都の、壬生寺の前でしょう?」
「うん、そうなんだけど」
歯切れの悪い彼に疑問を覚え、そっとあたりを見回してみた。
あれ……?
妙な違和感が、感覚を支配する。
まず、桜が、咲いていて。そう言えば、さっきから、何故だかぽかぽかと暖かい陽気が璃桜を包んでいる。
何かが、可笑しい。
季節だけが、私を置いて行ってしまったような。しいて言えば、時差ぼけのようなそんな感覚。
「あれ? そうちゃん、何、この服…………」
ふと、見上げた惣次郎の服は、何故だか濃紺の着物に、灰色の袴姿。どうしてだか、腰に刀がついている。しかも、二本差。
完璧な武士の模倣に、奇妙な感覚が増していく。
「そうちゃん、銃刀法違反だよ? コスプレ?」
そう聞きながらも、嫌な予想が頭を占めていく。もしかしてと、周りを歩く人々を見れば、みんな和装だった。
「………どうして……」
「…ああ、やっぱり。璃桜、分ってないよな」
少しだけ眉を落として、すまなそうに笑う貴方の言った言葉が、理解できなかった。
だって。
「………………今は、文久3年3月12日。ここは、昔の、京だ」
そんな、馬鹿げたこと、あるはずないんだから。
「そうちゃん、どうしてそんな、嘘つくの」
「嘘じゃ、ないんだ。信じられなくても、本当にここは、文久3年の京なんだよ」
「う、嘘、」
そう思う心の傍らでは、周りの状況を分析して、それが真実だと告げる冷静な自分もいて。
どれくらい、黙ったまま時間が経過しただろうか。
「…………っ、」
認めざるを、得なかった。私は、時を超えて、幕末のもっとも動乱が激しい京に、きてしまったということを。
「………なんで、」
そうちゃんと、やっと逢えたのに。やっと、幸せが自分にも回ってきたって、そう思ったのに。
―――――――――訳が分からない世界に、放り出されるの。
言いかけた言葉は、口を出ず、地面に吸い込まれた。
「………そうちゃん、」
惣次郎が、ふわり私を抱きしめたから。
「璃桜、大丈夫。不安も悲しみも、一緒に抱えるよ。今度こそ俺が、守って見せるから」
だから、笑ってよ。そう言って、貴方は私の額を自分のにこつんと、くっつけた。
その暖かさに、じわり、と涙が滲む。
そうだよ、そうちゃんに逢えたじゃない。神様は、少なくとも私の願いをしっかり叶えてくれた。
だったら、考えるのは、放棄して、この再会を喜ぼう。
今はただ、歓喜の気持ちだけに染まりたい。
そう、強く思ったから。
「そうちゃん、」
「ん?」
名を呼べば、空気一枚挟んだ距離で、何も変わらない薄茶の澄んだ瞳と見つめあう。
「……逢えて、嬉しい」
不安や恐れを、すべて閉じ込めてそう伝えれば、ははっと本当に嬉しそうに笑ってくれた。
「俺もだよ、璃桜。ずっとずっと、心配していた。一人にして、ごめんな?」
その言葉に、止まっていたはずの涙があふれ出す。
「……そ、ちゃん、…………」
「はは。璃桜は相変わらず泣き虫だなぁ」
そう言いながら涙を拭ってくれた。
「……何で、置いてったの、…………」
「離れたくて離れたんじゃないよ。あれは、不可抗力」
「………すごく、さみしかったんだよ?」
「本当に一人にしてごめん、璃桜。だから、俺のところにおいでよ。みんな、騒々しいけれどいい人ばかりだから、璃桜もきっと皆のことが好きになる」
「う、うん……、そうちゃんは、どうしてここに来たの。あの日、何があったの」
少し落ち着けば、分らないこと、訊きたいことが口から溢れてくる。
「うーん。どこから話そうか……」
「全部」
「待った、璃桜、座って話そう。長くなるよ」
「それでも、全部聞きたい」
私が貴方と離れてからの話、教えて。
そう呟くように言えば、了承の返事が、にこりと笑った笑みと共に返ってきた。
「あれはたしか、俺と璃桜が9歳の時だったよね……」