第七章:フランカ七歳Ⅵ
「おい、お前、俺の話を聞いているのか!」
午後の訓練の一環として素振りをしているフランカに声をかけてくる少年が居た。偉そうな口調が少し腹立たしいので、無視をして素振りを続けていれば、その声はどんどん近くなってくる。
「おい!俺を無視するとはいい度きょうっ」
今度は先ほどより近くで聞こえた文句に、感情を殺していたフランカも流石に苛立ちを覚えたらしい。
上下に振っていただけの木刀を横に払い、その切っ先を声の主の額に当てて無理やり黙らせることにした。
「ひっ!」
声の主―――テオ王子は真っ青な顔で口の動きと身体の動き、どちらも止めた。むしろ止められた。
他の人間が見れば王子に木刀を向けているだけで処罰に値する行動なのだが、テオがお忍びで来ているものだから、咎める者は周りには居ない。
実は少し遠くに彼の世話役兼護衛の青年が一人いるのだが、彼はテオの成長を心から望んでいる数少ない良心なので、テオのアールグレーン家の訪問を影からサポートしていたりする。
木刀を容赦なく向けたまま、フランカは無表情で言葉を紡ぐ。
「わたしは言ったはずです。屋敷に来てもらう分には全くかまいませんし、わたし達の方に拒否権はない。けれど、わたしの鍛錬の邪魔だけはするなと」
「だ、だがっ」
「だが、も、おい、もありません。聞きたくなければわたしを処罰にでも、婚約破棄にでもすればよろしい」
「っ!」
「………」
無言で睨み合う。
「そ、それは嫌だと何度も言ったはずだ!」
「じゃあ、わたしの邪魔はしないでください」
向けていた木刀を降ろせば、腰が抜けたのかテオが力なく地面に座り込んだ。
この程度で腰を抜かすとは情けない、の意も込めて鼻で笑えば、顔を赤くしたテオが悔しそうに口を引き結ぶ。
あの出来事以降、彼女達の立場は逆転していた。
鍛錬に戻るので決して邪魔をするな、という令嬢らしからぬつれなさで、フランカはさっさと中断していた素振りを再開した。
あの出来事からすでに二か月ほど経過していた。
その間、フランカとテオは甘さ皆無の交流を続けているのだが、そういえば結局彼女がどうしてこんな鍛錬をしているのかはっきりした理由は知らないな、とテオは手持ち無沙汰な様子で彼女の素振りを眺めていた。
貴族の子息令嬢は、十歳になると国の運営する学園へと進学する。
そこで八年間、彼らは民の上に立つべき人間として教育されるのだ。学園に入れば、一つ年下のフランカが入ってくるまでの一年間、自分達の交流は格段に少なくなることだろう。
今も全然会話が成り立たないというのに、一年も会えなければ彼女は自分の事を忘れるのではないかと考えれば最後、意味のわからない焦燥感に駆られてしまう。
自分など目に入らない様子で一心に前だけを見つめ素振りを繰り返すフランカの凛とした佇まいに、思わず目を奪われてしまっていた。そんな自分に気がつき、勢いよく首を振り目を閉じると、フランカの存在を打ち消す様に初恋の君であるアルビナの笑顔を思い浮かべる。
そうすれば、自然と笑みが零れた。
―――よし、大丈夫だ。
何が大丈夫なのかと問われれば答えはないのだが、生憎誰も突っ込みを入れる者は居なかった。
記憶の中のアルビナの笑顔に笑み崩れていれば、いつものように兄がやってくる。
テオはまるで子犬のような表情を尊敬する兄に向けた。彼がこの屋敷にお忍びで頻繁に出入りする理由の一つに、兄との交流が含まれていた。むしろ、それが目的だった。
「また邪魔して怒られてたのかい?」
「な、なぜそれを」
「さっき窓から見えたんだ」
「兄上はいつもお忙しそうですね」
例え屋敷に来たとしても数時間しか滞在できないテオが、忙しいセレスティノと過ごす時間は限られてくる。
少しの寂しさを滲ませながら小さく笑う弟を見て何を思ったのか、顎に手を当てて弟を見つめていたセレスティノは、不意に素振りをするフランカを見やった。
そして一つ提案した。
「今日はもう勉強は終わったんだけどね、これからフランカと一緒に鍛錬に加わるんだ。君もやる?」
「は、はい!!」
✿ ― ✿ ― ✿
自分よりも年下の女であるフランカが出来ているのだから、という甘い決意で挑んだ結果、テオは早々に根を上げ、芝生とお友達状態になってしまっていた。
そんな彼を置き去りに、フランカとセレスティノは黙々と自分達の通常の鍛錬を続ける。
もうすでに八歳になろうかというフランカは通常、千五百回の素振りに加え十周の走り込み、そして腕立てと腹筋、反復横跳びをそれぞれ五十回行うのが基本だった。
むしろそこから野営術などの更なる訓練に入るのだが、今日はテオが居るので基本鍛錬で終える。
「く、くっそ」
「王子が慣れていないのはしょうがないです。わたしもここまで来るのに三年ほどかかりましたから」
上がった息の治まらないテオの横に立ったフランカは、涼しい顔をしてそう言った。
むしろ彼女としては珍しくテオを庇うような言葉を言ったつもりなのだが、フランカを見返してやりたいテオからしたらそれすらも面白くないわけで。
「これからはおれも混ざる!お前に負けてたまるかっ」
完全に負け犬の遠吠えにしか聞こえない台詞だが、目標がある事は良いことなので、フランカもセレスティノも別段反論することもなかった。
決して、言葉を交わすのが面倒だと思ったわけではない。きっと、多分。
宰相家が牛耳る王宮に置いて、その直系の母を持つ王位継承第一位であるアルスは絶対的存在だった。
そんなわけで、第一王子であるセレスティノと同じように、第三王子であるテオもまた、王宮の人々から関心を向けられてはいない。
けれど、お忍びという名目がある以上、そんなに長い間城を開けておくわけにもいかないので、早々にアールグレーンの屋敷を去らなければいけなかった。
ちなみに、テオが来ると、決まってアールグレーン家の家族達は姿を消す。
それぞれ思う所があって、接触を最小限に留めているのだ。王族と関わるのは、婚約者であり、幼いフランカのみで十分だと、そう言って。
第三王子を見送って、フランカは隣でニコニコと手を振るセレスセレスを見上げる。
「セレス兄様、どんな考えがあってあの王子を懐に引き入れたのです?彼にわたし達の事を知らせるのは、危険ではありませんか」
そうなれば、セレスティノと男爵家の関係や、王家と男爵家の因果関係がばれるのも時間の問題。それらの闇深さは、テオが知るには荷が重すぎる。
無表情の中に、テオに対する気遣いをもって瞳を揺らす少女の頭に手を置いて、第一王子はいつもの笑顔を向けた。
「あの子は、第三王子だけれど、私の可愛い弟だ。手遅れになる前に、出してあげたかったんだ、あの箱庭からね。これは賭けだけれど、きっとあの子なら大丈夫だよ。私を純粋に兄としたってくれる、あの子なら」
「でも」
尚も言い募ろうとしたフランカにふんわりと笑いかけ、セレスティノは言葉を続けた。
「それとも、『兄様』の勘は信用できないかな?」
そう言われてしまえば、フランカには他に何も言う事はなかった。
自ら宣言した通り、テオはそれからというもの、常にフランカの鍛錬に参加するようになった。
我が儘王子にここまでの根性があった事にフランカが純粋に驚くほど、テオは懸命に二人に食らいついてきた。
世話係の彼から聞く話によれば、王宮でも人目に付かないところで鍛錬を続けているらしい。
やはり女であり歳の一つ違うフランカとは身体の造りが違っていたようだ。半年も経てば、素振り千回の後の走り込みについていけるところまで成長していた。
しかしそれが面白くなくて、最近は鍛錬と称してフランカはテオに模擬試合を挑んでは彼を完膚なきまでに叩きのめしていた。彼の顔が悔しさに歪むたびに、胸の奥に巣食うなにかが晴れる気がしていた。
彼とは覚悟が違う。だから、絶対に負けたくない。
テオとのフランカの距離が物理的に近づいていく度に、彼女の心は人知れず彼から離れていった。




