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戦士令嬢と迷宮の花  作者: あかり
フランカ
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第五章:フランカ七歳Ⅳ


 客人たちが出て行ったその背後で、扉が小さく音を立てて閉まった。


 玄関先は無言に包まれ、誰も彼もが口を開く事すら億劫になるほど疲れ切ったが故の有様なのだと、その空気から窺い知る事ができる。


 ちなみに、遠くに見えていた使用人の姿はもうない。こうなることを予期して、早々に場を去ったようだ。


 賢明な判断だ。


 誰も口を開かないまま、彼らはとりあえず場所を移動しようかと、方向転換する。

 先の言葉から、身内の贔屓故か、コルテス宰相は孫娘をただ天真爛漫な娘なのだと思っているようだ。


 しかし他者からすれば、アルビナは、嫌味にしか聞こえない言葉の数々を考えなしにまったく悪意なく言ってのける娘にしか見えない。

 そしてそれは、何よりも恐ろしくたちの悪いモノでしかない。


 少し考えれば、男爵家が侯爵家に逆らえない事も、贄の身代わりなど前代未聞だということも、人一人が自分のせいで命を落とすという事の重大さも分かりそうなものなのだが。


 自分の代わりに死ぬ娘にあんなに明るくお礼が言えるものか。


 脳内が花畑にもほどがある。


「………あんな子の代わりなのかと思うと、報われないのですが」


 先ほどまで宰相達と居た客間ではなく、家族で団欒する談話室に向かい、それぞれの椅子やカウチに腰を落ち着けた所で、フランカが無表情の中に疲労を覗かせながら呟いた。


 常になく落ち込んだ様子の彼女に、大人達はなんと言っていいのか分からなかった。

 気を利かせたメイドの一人が全員分のお茶を運んできてくれた。


 アールグレーン家は歴史こそ長いが地位は低い。

 けれど家に仕える人間は決して少なくはなかった。そしてその全員が信頼の置ける優秀な者達ばかりである。

 空気を読み、気遣いは逸品、なによりも男爵家に強い忠誠を誓っている。

 とある理由からどこにも行けなくなった彼らを男爵家が引き取り、居場所を与え、世話をしていった結果なので、それも当然といえる。


 メイドと共に、隠れていたはずのセレスティノもやって来た。


 彼の居た隠れ部屋は客間のすぐ傍で、話しの内容がすべて聞かれていたはずだ。ハッセが意図して行ったことだというのは一目瞭然。しかしそれも、二回も説明するのが面倒という非常に不純な理由から。


 談話室の正面に備え付けられている暖炉から向かって右側には、ハッセが好む硬めの一人用カウチがあり、その反対側には主にヒューゴとエッラが座る二人用の椅子が置いてある。その間に優に四人は座れるであろう長めのカウチが置いてあり、それは基本的にフランカとフェレシアの定位置だった。


 そしてそこは、セレスティノの座る場所でもあった。


 当たり前のようにフランカの隣に腰を下ろして、セレスティノは困ったような笑顔で彼女の頭に手を乗せた。


「お疲れ様。大変だったね」


 十七歳になったばかりのセレスティノだが、他の大人に比べてまだ空気を読まずに発言できる年齢という特権があった。部屋に入った時、アールグレーン家の大人達が一斉に似たような困り顔を自分に向けてくるものだから、事の深刻さを忘れ少し噴出しそうになってしまったのは彼の心の内だけの話。


 慌てて己を律し、するりと悩める少女の隣に腰を降ろし、皆の期待に応えるように声をかけたのである。


 自分でも、アルビナという少女の愚かとしか思えない発言の数々には閉口気味なのだ。当事者である、彼女のおかげで人生のすべてを投げ売るしかなくなったフランカの心境など想像して余りある。


「………ま、別にいいんですけどね」


 だがしかし、フランカから返って来た言葉は予想だにせずあっけんからんとしたものだった。先ほどまでの悲観的な空気は綺麗さっぱりなくなっている。


 その代わり身の速さに、彼女の頭に手を乗せたままのセレスティノも、目をぱちくりとさせ呆気に取られるしかなかった。


 しかしそれは他の人間も同様だ。


 顔を上げた少女が、他の人間達が何故そんな顔をしているのか怪訝そうな表情をするものだから、重たかった部屋の空気が一気に散乱した。


「だって別に、アルビナ嬢がどんな人物か分かったところで、わたしの運命が変わるかといえばそうではないでしょう?」

「ま、まぁのぉ」

 呆気に取られたハッセとは、中々に珍しい。


 その顔をしっかりと見つめながらフランカは言い募る。

「元々入れ替わりの件について、おじい様達全員が反対していた。けれど、それを受け入れたのは他でもないわたしです。一度自分で『是』と答えたからには、他の誰のせいするつもりもありません」


 フランカの背筋は、いつもの如く真っ直ぐに伸びて、その視線はあいもかわらぬ力強さを帯びていた。


 セレスティノの手は、自然とその頭から離れていた。彼女があまりに神々しく見えて、触れているのが畏れ多く感じてしまったから。


「ということは、今更アルビナ嬢に会って会話をし、彼女がいくら頭がお花畑なご令嬢だったとしても、わたしのするべきことは一緒。学び、強くなる。それだけです」


 一瞬にして、部屋の空気すべてを若干七歳の娘がすべて掻っ攫っていった。


 宰相は、可愛らしい孫娘で甘やかされて育てられたからこそあの性格なのだと言っていたが、それならばフランカとてこの家にいる全員に可愛がられてきた。


 彼女の性格と将来の定めから天真爛漫とまではいえないけれど、それでもどこに出しても恥ずかしくないと胸を張って誇れる娘として育っている。


 表情こそ乏しく、愛嬌がないと言われることもあるかもしれない。けれどだからといって捻くれているわけではなく。自分をしっかり持ち前へ進む、あんな宰相の孫娘と比べることすら烏滸がましいほどに、強く真っ直ぐな娘。


 元々土俵も覚悟も何もかもが違い過ぎるのだ。


 アールグレーン家の大人達は自然とその口元を綻ばせていた。

「それでこそ、誇り高きアールグレーン家の長子である」


「………でも、もうアルビナ嬢には会いたくないです」

 フランカのなけなしのお願いに皆一様に笑った。







 

 誰も彼もがフランカの成長に喜びを感じている傍らで、セレスティノはその笑顔の裏側に静かな憤りと怒りを感じていた。己の芯が冷えるような冷たい炎を前に、彼は逆らう事なく身を預ける。


 誇り高きアールグレーン家。


 王に見捨てられ、一瞬にして自分の存在価値が消え去ったに等しいセレスティノを受け入れてくれた。時に家族として時に厳しい師として守り育ててくれた、この世界で一番尊敬する一族。


 嘗て栄光と繁栄を約束されていたはずの彼らを表舞台から抹消し、その地位を踏みにじった一族がいたことを、セレスティノは知っている。その一族は、今も尚彼の愛する人達を傷つけ続けているのだ。


 ―――必ずや、アールグレーン家の名誉回復を。コルテス家に、復讐を。

 第一王子もまた、自分にしか成し遂げられない想いを、今一度胸の奥深くに刻み込んでいた。



✿ ― ✿ ― ✿ 



 正式に第三王子の婚約者になってから、フランカの日々は再び変化を迎えていた。そしてそれは、彼女の望まない方向へ、だ。


 午前中の有意義な訓練を終え、昼食を取り、一息ついてから午後の訓練に取り掛かろうと思っていた矢先、突然談話室の扉が大きな音を立てて押し開かれた。


 長閑な昼下がりに似つかわしくないけたたましさに、誰にも気づかれない程度にフランカは眉を顰めてそちらに視線を遣った。


 そこには、相も変わらず偉そうな態度の少年が一人。


 今度は反対側の眉を顰めた。

「おい、来てやったぞ!」

「………」

「よろこべっ!」

「………ワーイ」

「なんだその返事は」

 婚約者となったテオが、何故か屋敷に一週間に一回という回数で尋ねてくるようになって早数週間。


 もはやフランカは何が正解か分からなくなっていた。


 宰相に言われた通り、あまり興味を持たれないよう。

 けれど、関係も悪くならないよう、来る度につまらないお茶会に付き合った。テオが一方的に自慢話やらどれだけ彼がアルビナとの初恋を大事にしているかなどの話をするから、失礼に当たらない程度に相槌を打ってきた。


 心の中では、セレスティノや父、祖父と過ごしたほうがまだ有意義だ、なんて文句を垂れ流しながら、黙ってテオの気の済むまで付き合っていたのが良くなかったのか。


 すっかり気を良くしたテオは、訪問の頻度を増やしていった。


 今ではもう片言でしかテオとの会話が成り立たないほど、フランカは疲れていた。主に精神面で。


 彼が屋敷に居る。つまり、フランカが訓練が出来ないということ。

 ただでさえあまりない時間がどんどん削られていく。


 その事実がフランカを追い詰めていった。


 ハッセやヒューゴがそれとなくテオに、来る頻度を少なくしてはどうかと促してはいるが、我が儘王子の前ではまったく形無しである。


 お構いなしにずんずんとフランカの座っている椅子に近づいてくると、向かい側にどすんと座った。

 彼は、ここが自分の家ではないということすら頭にないらしい。


 ふと、隣で自分の紅茶の世話をしてくれていたメイドの手元が不自然に小さく震えている事に気がつき、すぐさまその因果関係に思い当たった。

 見れば、テオを見る彼女の顔が徐々に青くなっているのがわかる。


 対するテオは、彼女の様子に気が付く事はない。


 フランカは一度だけひっそりと目を細めると、持っていたカップを小脇に置いてメイドを見上げた。

「………ユーリー。あなた、父様に呼ばれていましたよね?ここはもう良いので行ってください。他の誰かを遣わしてくれますか」

「は、はい」 


 頭の回転の速い自分の小さな主に感謝をしながら、ユーリーと呼ばれたメイドはすぐに部屋を退出しようと、持っていた台車の方向を回転させる。


 いつもなら、テオは男爵家のメイドの行動に口出しすることはない。否、空気のように存在する彼らにそこまで注意を向けたことはなかった。


 だが、今回に限っては間が悪かった。


 自分と入れ替わるように退出しようとするメイドが気に入らなかったのか、王子が不機嫌そうに眉を顰めた。

「なんだ、王子であるおれより、男爵家次期当主の方を優先するのか。お前、ここに居ろ」


「王子、彼女の主人は父です。申し訳ありませんが」

 やんわりと苦言を申すフランカを一瞥して、テオは言葉を続ける。

「だが、お前の父の主人は王家だ。おれは王家の人間、つまり、おれはあいつの主人だ。おいお前、喉が渇いているんだ、今すぐ茶を淹れろ」

 まったくもって滅茶苦茶な台詞である。


 ユーリーは既に身体ごと扉の方を向いていたため、その表情は分からないが、フランカがちらりと横目で見た限り、台車を握る手は震えていた。その震えを隠そうと手が白くなるほど台車の取手を握りしめていることが見て取れる。


 可哀想に、彼女は怯えていた。


 目の前の王子に。そしてフランカはその理由をきちんと理解している。しかし、皮肉な事に原因である王子自身は気が付かないようだ。


 ここは男爵家で、相手は王子。



 反論ができる者は居ない、はずだった。


「茶ならわたしが入れましょう」


 フランカはそう言って立ち上がると、ユーリーの隣に立ち、耳元でここを去る様に囁いた。どうするべきか思いあぐねていた様子のユーリーだったが、フランカに一礼すると、足早に部屋を出ていく。


「っ、おい!」

 声を上げるテオの前に、わざと音を立て、自分で入れた茶を置いた。

「王家の人間とはいえ、今あなたはわたしの屋敷に居ます。この屋敷の使用人達は男爵家に仕えているのです。あなたの好き勝手になどさせません」


 見上げた令嬢は無表情で、その瞳はぞっとするほど冷え切っていた。


 少しでも怖気づいてしまった自分を振り払おうと、テオは再び口を開く。

「お前!王子のおれにこんな事してただで済むと思うなよっ!こんやくしゃだからって!」

「別に好きで婚約者になったわけではありませんが、なにか?」


 いつものフランカなら、こんなこと言わない。

 むしろ、面倒だからとさっさとこの場を去るという方が彼女らしい選択肢だ。


 けれど、度重なるテオの訪問で思うように訓練が出来ずにいた事実は、思っていた以上に彼女にストレスを与えていたようで、


「お前、王子であるおれに、こんな」

「先ほどから馬鹿の一つ覚えのように『王子だから』『王子だから』と。それ以外に言えることはないんですか。あなたが王子なのは、偶然王の元に生まれたからなだけで、別にあなた自身が偉いわけではないでしょう。まぁ、逆に言えばそれ以外に言える事がないとも言えますがね」


 王子を遮り一思いにそう言い切った。


「っ」

 思わぬ指摘にテオはヒュッと短い息を吸い込んだ。紡ぐ言葉が見当たらない。


 今までの大人しい印象とは打って変わって恐ろしさすら感じさせる少女を目の前に、彼は口をただ開け閉めするしか出来なかった。


 初恋の少女にそっくりの彼女は、けれどあの少女とは正反対の態度を見せてくる。


「お、お前、こんなこと言ってっ」

「『ただで済むと思うなよ』ですか?それも聞き飽きた台詞ですね。それに、このようなこと、無礼なのは承知の上での言葉です。どうぞ、『王子様』らしく王や宰相に言いつけて婚約破棄にでもなんでもなさってください」


 お帰りはあちらですよ。と、フランカは扉を示した。


 真っ青な顔を一変させて、真っ赤になったテオは、何も言わず転がる様に部屋を出て行ってしまった。


 それを見届けて、ほぉっと息をつき、フランカはカウチに座り直した。

 ―――あぁ、すっきりした。


 彼女に後悔はない。


 これできっと婚約破棄になる。宰相の思惑通りに事は運ばなくなったし、王家と侯爵家の弱みも握れなくなったが、まぁそこは大人達がどうにかするだろう。


 これでようやくまた、思う存分訓練出来る日が戻ってくる。


 

 それからしばらく、王子が屋敷にやってくることはなかった。



 しかし、婚約破棄を言い渡されることもなかった。






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