第四章:フランカ七歳Ⅲ
フランカ達アールグレーン家の読み通り、コルテス宰相自らが男爵家に再び現れた。事が事なのか、今回は少女を伴っていた。
フランカと同じ色彩を纏い、似た様な顔立ちをしているところから、彼女こそが本当の生贄侯爵令嬢アルビナなのだろう。
宰相には顔がばれている第一王子セレスティノは、万が一の事を考えて変装して隠れ部屋に居てもらっているため、彼と男爵家の繋がりがバレることはまずないだろう。
というか、むしろ今の今までばれていないところから見ても、宰相家が思ったより優秀ではないことが窺える。
宰相とその孫娘を客間へと案内し、彼らがカウチに座ったところで、向かい側のカウチにハッセとフランカ、そしてフェレシアが座る。彼らを背後から守る様に、ヒューゴとエッラが立てば、コルテス家とアールグレーン家の対立の構図が完成だ。
ヘスス・コルテス宰相の苦虫を噛み潰したかのような表情から、この婚約が彼の意図したことではないということが分かり、アールグレーン家の一同は個々の差はあれど、それぞれに溜飲の下がる思いがした。
「………」
誰もなにも言わないので、その場は静寂に包まれる。
宰相自身は、男爵家から話を切り出してほしいと思っているのだろう。時々悩ましげな溜息をついて片手を額に当てながらチラチラとこちらに視線を向けているが、向かいに座る一家は完全に無視を決め込んでいた。
フランカとしては前に一度会った時と印象が少し違って少し意外にも思っていた。
あの時雷の光でみた彼の口元には、嫌な笑みが浮かんでいたはずだというのに。
「フランカ様、ありがとうございますっ!」
「………」
静寂を破ったのは場違いなほどに明るいアルビナの言葉。
その場に居た全員の反応が遅れたのは、致し方のないことだった。それほどに、アルビナはこの場に置いて異質な存在だった。
侯爵家によって強制的に将来の行末を捻じ曲げられた男爵家は、決して不快感を隠そうとはしていなかったし、そんな空気を纏う人間が五人も揃えば、天下の宰相閣下も冷や汗ぐらいは掻くものだ。
しかし、渦中のど真ん中にいるはずの少女アルビナはまったくそんな不穏な空気を気にすることなく目を輝かせながら初めて訪れた家をしげしげと興味深げに見渡していた。
果たしてこの少女が、空気を感じ取った上でこのような態度を取っている大物なのか、それともここまではっきりした空気も読み取れない馬鹿なのかどっちなのかと、フランカが吟味を始めた直後に、アルビナは声を上げたのだった。
「お礼、ですか?」
しっかり心の中で五拍数えた所で、フランカは眉一つ動かすことなく少女を見つめた。
アルビナは大きく頷く。
「はい!おじい様からお話しは伺っております!わたくしの代わりに『ニエ』となることを了承してくださったと。噂話で聞いていた一族の方々とは思えないほどお優しい皆様で、わたくし、本当に運が良いですわっ」
「………」
これは嫌味か、挑戦か。
フランカは無意識の内に目を細め、その真意を見極めようとした。が、それは杞憂だったようだ。
アルビナの表情は一貫して笑顔に溢れ、頬は紅潮して、両手をフランカの方に持ってきたかと思えばその手を取って上下に大きく揺らし始めたのである。
「ですから、わたくしも感謝を伝えなければと思っておりましたのっ!お礼が遅くなってしまい申し訳ありませんでした!」
―――あ、これはただのバカだ。
フランカは身構えていた自分がアホらしく思えた。
「アルビナ嬢、フランカがビックリしておりますので」
為されるがままに振り回されている孫娘を可哀想に思ったハッセが、やんわりと二人の少女を引き離した。
カウチに座り直す様促された時、一瞬祖父を見上げたが、彼は黙って首を横に振っていた。
どうやらハッセもまた、アルビナがただ純粋に自分の身代わりになってくれたフランカに礼が言いたかっただけなのだと判断したらしい。
立場上、ハッセは人の心に機敏に反応する。長年の修行の成果で、人の些細な目の動き口の動き身体の動きだけで、相手が何を考えているのか読み取る事ができるのだという。今はそれらをセレスティノに伝授していると言っていた。
そんな彼が見間違えるはずもない。しかも相手はただの七歳の少女。
つまりハッセもまた、全面的にフランカと同じ感想を抱いたという事になる。
カウチに戻って来たアルビナの頭を優しく撫でながら、コルテス宰相は笑み崩れる。
「すまないな。アルビナはたった一人の孫娘でね、家族に甘やかされてきたせいか、表情や言葉にすぐに出てしまうんだよ。隠せない、と言った方が良いかな。まだまだ幼い子で、天真爛漫で可愛らしい事だろう?そんなところに、テオ王子も惹かれたに違いない」
アールグレーン家の一同に緊張感が走る。
意図せず本題に入る事になったようだ。
「正直、フランカ嬢が婚約者となった事は、我らも預かり知れぬ所で起こった事。どうやら、婚約者を選ぶ当日にテオ王子が無理やりねじ込んだらしい」
困ったように溜息をついている宰相を見ても、同情の余地はない。彼ら一族が、王位継承第一位である、身内の第二王子ばかりにかまけているのは公然の秘密だ。それゆえに起こったことなのだろう。
「ほう、だから我らは婚約者候補ということを当日まで知らなかったのですか。謎が解けました。確かに我らは男爵家ではありますが、婚約者候補に挙がっていたことすら知らされずに居るほど、国の上から軽んじられていたのかと気に病んでおりましたので。そうではないと知って安心しました」
ハッセの嫌味が空気中に散らばった。
部屋が静寂で多い潰される。完全にアールグレーン家が優位に立っている。
その空気を変えるように、ハスス・コルテスが数度咳払いをした。
「まぁ、テオ王子はまだ幼いし、これから色々学ばれていくことだろう。………とにかく、この入れ替わりの話が他の人間にバレても厄介だ。事を大きくされては困るのでな。この件を知っているのはそれぞれの一族の直系のみ」
そこで彼は一度息をつき、その視線をフランカに向けた。
「フランカ嬢とテオ王子には婚約者となってもらう。こちらもそのように手筈を整えよう」
「………だが、フランカが十七になれば、彼女は島に送られる。本人が居なくなってはばれるのも時間の問題では?」
ハッセの言葉は、ただの指摘に過ぎないが、聞く人が聞けば誘導尋問にも聞こえることだろう。
宰相はにやりと笑った。
「なに、難しいことはない。彼女達は入れ替わるのだ。世間的にはアルビナが居なくなったことになっているからな、フランカ嬢がラビリンスに入り次第、彼女の穴埋めとしてアルビナにはアールグレーン家に行ってもらう。ほとぼりが収まって来た頃、アルビナはまたコルテス家に戻ってくるのだ。心を痛めた我らが替わりとして養子に迎えた、という体でだ。周りはアルビナとフランカ嬢が瓜二つなのはすでに知っているからな、家族の心の傷を埋められるのならとこの養子の件についても何も言うまい。そしてアルビナは王子と結婚する。これで一件落着というわけだ」
「………」
ハスス・コルテスのこれから先の計画は、若干七歳のフランカが想像していた物と寸分違わぬものだった。
本当に、こんな家の良い様にされてる自分達が情けなくてアールグレーン家は言葉なく項垂れた。
彼らの沈黙を果たしてどう受け取ったのか、ハススの顔に勝気な表情が戻る。
「お前達は私の指示に従っていればいい。婚約者としての交流は行ってもらうが、後々フランカ嬢とアルビナの違いを指摘されても困るからな、交流は最低限のものでいい。テオ王子の前では大人しいフランカ嬢を装って貰おう。なに、難しいことはない。ただ笑っていれば良いだけだからな」
大人しい自分を演出する事はできるだろう。何も喋らなければ良いだけだ。ただ、笑うということがフランカにとって、何よりも難題だという事を、勿論目の前の現宰相が知る筈もない。従う義理もないし、別に無視していればいいか、と彼女は早々に諦めることにした。
自分が居なくなった後で困るのは宰相家なのならば、精々困らせてやればいい。
フランカがこんな事を考えている間にも、ハススの話は続く。
「王子もあと二年もすれば学院で学ばれる身。それから卒業するまでの七年の間はきっと会う事もないだろう。これから十年うまくやってくれれば、後はこちらでどうにでもする。アルビナは生贄という大義名分があるからな、学園に行く事が出来ないし、フランカ嬢にも学園に行く必要はない。変な所から、二人の違いがばれても後々面倒になるだけだ。お前達は領地に戻っていればいい」
「御意」
馬鹿馬鹿しいにもほどがある筋書に、どうやらハッセも聞く事を放棄したようだ。相槌が一気に雑になった。
エッラは半眼だったし、ヒューゴとフェレシアに至っては目を伏せて仰々しく聞き入っているようにも見えるが、その実もう聞くつもりはなく器用に居眠りをしているだけということを、実の娘で孫娘でもあるフランカは気づいていた。
ある程度の取り決めが行われた後、ハッセの当たり触りのない緩やかな退出の催促により、ようやく宰相とその孫娘は席を立った。
ヒューゴとその母は先ほどまで寝ていた事などまったく感じさせない柔らかな雰囲気でその場に溶け込んでいる。娘のフランカから見ても天晴な所作である。
玄関までやって来たところで、前を歩くハススが振り返った。
「それから―――」
まだあるのかと、少々げんなりしながら宰相の次の言葉を待っていると、またしてもアルビナが、「あっ」と声を上げ、今度は忘れていた何かを思い出したような表情で割って入るように口を開いた。
口元には指先を合わせた両手が当てられている。フランカとしては珍しく、何故か意味もなくイラッとしてしまった。
「そうでしたわっ!テオ様は、わたくしが初恋だと仰っていたそうですね。なのに、わたくしが『ニエ』だから結婚できないと、だからフランカ様を婚約者に選んだのだと。フランカ様には、重ね重ねご迷惑をお掛けします」
まったく邪気のないキラキラした笑みを向けられて、フランカの凝り固まっているはずの口元の筋肉がわずかに引きつった。すごくすごく嫌な予感がしたのだ。
そんな彼女にお構いなしに、アルビナはまるで歌うように言葉を続ける。
「ですが、どうぞテオ様には優しくして差し上げて下さいませね。あの方はわたくしをただ一人の恋だと心決めただけの事。悪いのはテオ様を虜にしてしまったわたくしなのですから。フランカ様が与えられた責務を果たす際には、わたくしがきちんと責任を取って、フランカ様の分まで幸せになりますので、どうぞご安心ください」
ようやく帰ってくれるのかと緩み始めていた空気が、ピキッと音もなく罅割れた。むしろ、アールグレーン家一同が隠すことなくその罅割れた空気を演出してみせたため、その割れ方は盛大だった。
遠くで静かに床を履いていた使用人の一人が「ヒッ」と声を上げたほどである。
巻き込まれてしまっただけの彼女に、フランカは無言で詫びを入れた。
だがしかし、
「なんと、優しいアルビナ。テオ王子だけでなくフランカ嬢の事まで考えてくれていたとは」
なるほど。国の宰相であろうほどの人物は、それすらも気づかないようだ。
「もちろんですわ。わたくしは、皆様の分まで幸せにならなくてはと六歳の時に『ニエ』の話と入れ替わりの話を聞いてから決心しましたの」
「………聞いたか、フランカ嬢。お主は何も心配することなく、十七の時を迎えればよいぞ」
「はい」
もう早く帰ってほしい、フランカはうんざりしていた。
「宰相殿も忙しい身。これ以上ここにいては、ご不都合もありましょう。さぁ、屋敷前で馬車が待っております」
フランカの気持ちを察してくれたのは、やはり身内。
ハッセが促すことで、ようやく宰相とアルビナをアールグレーン家の屋敷から追い出すことに成功したのだった。