第二章:テオ十一歳Ⅱ
一度でも違和感に気づくと、まるで相乗効果のようにその他にも沢山の疑問が溢れて止まらない。
例えば、歴史の授業中でも。
「―――さて、皆さんもご存じの通り、この世界は神々によって作れました」
『昔々、まだ神々が空と大地を支配していた時代、人々は魔物に怯え、神に恐れ戦いていた。人間達は逃げ惑い、息を殺すように生きるしかなった。
そこに現れたのは六人の男達。彼らは人間達が安心して生きていけるような世界を作るために立ち上がった。長い長い時を生き、日々に退屈していた多くの神々は、彼らの奮闘に興味を抱き、そうして五つの国々が出来上がった。その内の一つが後のラクノッス王国である』
「これらはすべて、今から五百年前に起きたことだと言われています」
教師が語るのは、誰もが聞いたことのあるこの国の始まりの話。
今まで何の疑問も抱かなかったはずなのに、テオはここで初めてその話に違和感を覚えた。
質問をするために手を上げて教師の言葉を遮る。
「テオくん」
この学園では、王子であっても一生徒であることに変わりない。
最初は王子として扱っていた教師らも、テオがただの生徒として接しても機嫌を損ねないことに気づき、普通の生徒と変わりなく接してくるようになった。
「六人の男達が立ち上がったのに、なぜ国は五つしかないのでしょう。もう一人は一体どこに行ったのですか?」
「………それは確かに」
まるで初めて思い当たったかのように反応する教師は、自分が学んできた事を復唱するように少しの間目を閉じて思案した。
だが、すぐに目を開けると苦笑する。
「私が今までみた文献ではどれも六人目の人間には触れていません。あの時代は魔物が居たりと、今では想像できないほどの危険があったと言われています。大方旅の途中で亡くなったのでしょう」
「………わかりました」
授業中ということもあり、テオは一旦は大人し引き下がった。変に悪目立ちをしたくなかったというのもある。
もちろん、納得したわけではない。
教師は話を進めた。
「この国の王族は、最初の王、つまり建国者の直系です。だからこそ、国民から多大なる尊敬を受けているのです」
『しかしその一方で、王族の尊敬とは反対に、国民たちより反感を買う貴族が居た。
それは元々は宰相を排出する優れた一族にして、数年に一度化け物に贄を送るという恐ろしい制度を作る根源ともなった家。宰相時代は侯爵であったその貴族は今、国の海に面するある一角に追いやられ、その地位は貴族でも最下位に位置する。王家の慈悲だけによって生かされているだけの一族。彼らには罪があった。貪欲になったことで、この国に化け物を生んだ罪。
ラクノッス王国には化け物が居る―――。
アールグレーン家こそ、昔々神の意向に逆らい、その結果、化け物を授けられてしまった家だった。化け物は恐ろしく狂暴で、手に負えなくなった彼らはその化け物を王国が所持する一番遠くに位置する島に隔離した。
迷宮と呼ばれる建物と共に。
神から授けられた化け物を死なせないよう、数年に一度、生贄として数名の若い男女を船に乗せ島へと運ぶ。
誰が行くからは神の意志を受け取った神殿に居る巫女より、人々に伝えられる。
その化け物の名は、ラクタウロス。イノシシの上半身と人間の下半身が合わさった姿を持つ、化け物である』
アールグレーン家の話に触れた時、教室に緊張が走った。
それもそのはず。
今触れたアールグレーン家の直系こそ、テオの婚約者フランカなのだから。そしてそれは全員が承知の事実。
最初こそ皆テオが狂ったのかと噂していたが、それと同時に語られたテオのアルビナ嬢への一途なまでの恋心と瓜二つの容姿を持つ少女達の噂によって、うまいこと純愛物語へと姿を変えていた。
しかしそんな緊張感に満ちた空気も、難しい顔をして考え込むテオには関係のないことだった。
この時彼が抱いていたのはもう一つの疑問。
―――実際のアールグレーン家の人々は、物語りで語られるような一族ではない。彼らほど無欲でありながら優秀な人々は珍しい。
授業が終わった後、テオは一目散に図書館に向かった。
もちろん、テーセスもそれに付き合う。
といっても、図書館に着くなり歴史書を漁りだしたテオの纏う雰囲気は異様で、テーセスは遠巻きにそれを眺めるしかなかった。
遠くで、学園の中にある教会の鐘が聞こえてくる。ここの教会の鐘は、普通のモノより少し小さく、あくまでも学園の授業時間を知らせるだけの目的で作られている。
「おーい、授業始まるよー。って、聞こえてないか」
一心不乱に書物を捲る今のテオには、誰が声をかけても無駄なようである。
仕方ないなぁ、とテーセスは立ち上がった。
せめて自分だけでも、この大切な友人のために授業を聞いておいてやろうかと、頭を掻きながら図書館を出た。
その際、今だに書物から顔を離さないテオを振り返って、かの婚約者が声をかけたら状況は変わるのだろうかと思うと、自然と口の端が持ち上がっていた。
テーセスが図書館を出て半時ほど経って、テオはようやく顔を上げた。
そうして、目の前に散乱した本の山に閉口した。自分で行ったこととはいえ、これらを片づけなければいけないかと思うと、頭が痛い。
学園の図書館はそれなりに広さを有している。だからこそ、所有する書物も莫大だ。だというのに、お目当ての歴史書は見つからなかった。
待っているのは気が遠くなるような本の整理。その現実から逃げようと頭を抱えたテオに声をかける人物が居た。
「あ、あの~?」
小さな声で背後から呼びかけられた。
振り返った先には、瓶底を彷彿させる分厚いメガネをかけ、メガネギリギリまでの前髪を持つひょろりとした人物。見た目だけだと性別すら判別不能な容姿をしているが、声を聞く限り男性のようである。
その首にかけてある名札のような物から、彼が司書であることが窺える。
丁度いい、とテオは彼に問いかけてみる。
「申し訳ない。俺はある書物を探しているんだが、自分の力では見つけられなくて困っていたんだ」
「っ!」
今まで接したことのない王子という人種をまるで猛獣のようにでも思っているのか、テオに声を掛けられるたその司書は、大きく肩を飛び上らせた。
「え、あ、あ、」
「………別に、取って食おうなんてことはしない」
あまりの怯えように自分の方が悪い事をしているような気すらしてきた。
テオは一度溜息をついて、もっと優しい声音で尋ねることにした。目的の資料がどうしても欲しいのだ。
「実は、この国の建立時の資料を探しているんだ。どうしても、六人目の詳細が乗っているものがほしい。本当に小さなことでもいい。もし死んでしまったのなら、死んだと記録に乗っている文献でもいい」
テオが目的を告げれば、何が起きたのか、先ほどまで異常なほど怯えていた様子だった司書の彼が一瞬でその震えを止めた。
「それを知って、どうしようというのです?」
光の反射なのか、瓶底眼鏡が一瞬不気味に光る。
彼の声は、先ほどまでの上擦ったものではなく、聞いている人間にどこか緊張感さえ味合わせるほど、どこか鋭利な刃物のような鋭さを帯びていた。
気が付けば、テオは背筋を正して司書と向き合う形になっていた。
怯えていたその姿から想像できないほど、彼はすらりと背が高かった。同級生の中でも比較的成長が緩やかなテオは、まだ彼の胸の辺りにも達していなかった。
見下ろしてくる司書の纏う空気は冷たい。
「………少し、疑問をおぼえたんです」
無意識の内に、テオはその口調を変えていた。
「六人で始めた旅は、五つの国を作ることで終わっている。ということは、一人余るということですよね?なのに、幾ら調べても何故どの文献にも六人目の事が書かれていない。逆に、不信感すら感じるほどだ。死んだのなら、そうたった一行でも説明があればいいと思いませんか」
「まるで、何かを隠しているように?」
テオは直感で、目の前の彼は何か知っているのだと確信した。
「はい」
二人を、緊張という名の一本の線が繋ぐ。
しかし、その線を唐突に叩き切ったのは司書の方だった。
テオを見下ろしたせいでずれ下がってきていた瓶底眼鏡を、人差し指で元の場所に押し上げると、先ほどまでの鋭い空気を一瞬でかき消し、にっこりと笑ったかと思えば、散らばる本を腕に抱え始めた。
「わたしは何も知りません。王子のお手伝いが出来ずに心苦しい限りです」
「それは嘘だ」
考えるよりも先に、直感で感じた事柄が口について出た。
「貴方は人々が知りえない何かを知っているのでしょう。何故、教えてもらえないのです!?」
テオは憤りを感じていた。違和感は膨らむ一方だし、距離が縮まったと思っていたアールグレーン家は、疑問を覚えれば覚えるほど遠くに感じていく。事実を知り、違和感を消せばきっともっと近づけるのに。
彼女に、もっと。
「………聞いていた王子とまったくと言っていいほど違う印象を受けますね」
似たような台詞を前にも聞いた気がする。
「かの家に出入りしていただけのことはあります。成長したのでしょうね。やはり、彼らは優秀で素晴らしい人々だ」
司書はテオに話しかけているようで、その瞳は彼を通り過ぎてどこか遠くを見ているようだった。かの家、というのがアールグレーン家を指しているというのは明白だ。
「アールグレーン家の方々をご存知なのですか。貴方は、彼らを称賛しているようにも聞こえますが」
そのような人間はまず見たことが無かった。国の人々に後ろ指を指されて生きている一族であるはずなのだから。
「えぇ、もちろん。かの一族は尊敬に値する一族です。この国で、誰よりも国を想い国のために自分達を犠牲にしている尊い方々です」
「やはり、何かご存知なんですね。教えてください。オレは事実を知りたいんです。そしてアールグレーン家にもっと近づきたい。あの方々は、皆が思っているような人々ではない。そうオレの勘が告げているんです」
テオは王子なのだから、真実を教えろ、と一言命令すればいいだけの話だ。
しかし、それをせずに、王子というプライドすらもかなぐり捨てて必死に言い募るテオを見ていた司書の気持ちが少しだけ動いた。
「わたしに聞くより、もっと良い人が居るでしょう?王子は知っているはずです。誰よりもこの国の、アールグレーン家の事を知っている人物を。かの人が貴方に教えるようなことになれば、わたしは喜んでわたしの知るすべてを貴方に教えましょう。―――まぁ、かの人が是といえば、の話ですけどね」
司書はそう言い残すと、いつの間にあんなに乱雑に置いてあった本をすべて自分の腕に収めていたのか、テオを残して身を翻す。彼は去り際に、「わたしの名は、オリピスと申します。機会があれば、また」という言葉だけを残していった。
オリピスが言っていたかの人。それは、アールグレーン家の当主、ハッセ・アールグレーンに他ならない。
アールグレーン家の中で、テオが唯一苦手とする人物だ。
テオはその後、苦肉の策として兄のセレスティノに事の詳細を手紙に綴り送った。
返ってきた言葉は実にシンプルで、
『君が知ろうとしているのは、君が今まで信じてきた沢山の事実を根底から覆すことになる。知らないなら、知らないで良い事もあるんだよ。何故知りたいのか、知ってどうするのか。それをきちんと答えられない限り、事実を知る資格は君にはないよ』
兄からの手紙を手に、テオは項垂れた。