遠征とその後
3月のある日、娘の部活の合同錬成への出欠の確認のメールが回ってきました。娘の部活の顧問は剣道の経験がありません。そのため、数年前に顧問をしていて娘の学校の卒業生でもある先生が外部顧問をしていただいています。その先生は今ほかの学校で剣道部を顧問をなさっていますが、その学校は諸事情あって合同錬成に参加できないとのこと。その枠を外部顧問をしている娘の学校にどうですか、というお話でした。
突然の合同錬成で、バスの手配はなし。50キロほど離れた会場校まで保護者の送迎が条件になりました。日頃何を勧めてもやる気のない娘が、
「出来れば行きたいなぁ」といえば、送迎してやろうと思うのは親心です。まぁ、練成会の結果は散々でしたけれど。
予定よりもかなり早く練成会が終わりました。迎えを予定したいた子もいましたが、保護者の方に連絡を取り、その子と一緒に帰ることを伝えました。来るときには時間におくれちゃいけないと思って高速を走って来たけどねぇ。帰りはのんびりドライブを楽しみながら帰る事にしました。人様のお子さん預かっているんだし、万が一の時一般道の事故の方が大ごとにならないかなぁとか。いやそれよりも、久々に浅間サンラインを走ってみたかったのです。
浅間山麓広域農道、通称浅間サンライン。その名前の通り、浅間山の山麓の畑の中を通る道路です。場所によっては、下に上信越道を見下りその向こうには八ヶ岳の姿がのぞめます。その景色を久々にみたかったのです。
小諸の町からインターに向けて車を進め、インターよりもさらに上を通る道に入ります。来るときにお世話になったナビに何回も
「ルートを再検索します」と言わせて喜んでいる私に、娘が
「お母さん、なんでナビを使ってるの」と聞きます。
「久々に通る道だからねぇ、迷ったときにはまたお世話になろうかと思ってねぇ」と答えました。
後部座席でキャッキャはしゃいでる娘たちの会話に時々交ざりなが車を小諸・東部町と進めていきます。旧真田町から地蔵峠を下って長野市にに入ります。
この時、耳管の働きが弱く花粉症で鼻が詰まっていた私は気圧が抜けなくなりました。イヤーな予感がして、子供たちに飴をなめさせ自分も口の中に飴を入れました。子供達は耳が通ったようですが、私は耳が通りません。
家について、痛みが出なかったので安心して晩酌をしたのがいけなかった。そこからが地獄の始まりです。中耳炎の痛さと言ったら、死ぬほど痛い。いつもだったら消炎鎮痛剤を飲めば痛みが引くのに、飲酒のせいか全く効く気配がない。小さい頃から何回も経験していますから、お医者さんに鼓膜を破ってもらえば痛みが楽になることを知っています。ですがねぇ、土曜日の夜ですからねぇ。診察してくれる耳鼻科もないし、近くの救急病院数件に電話で問い合わせしてみても、耳鼻科の診察ってどこもないんですよねぇ。痛さで眠れない夜を過ごしました。
1日おいて月曜日。さて、どこの耳鼻科に行こうか。20年のほどお世話になっていた近くの耳鼻科の先生は年齢を理由に閉院してしまいました。次にお世話になった耳鼻科の先生は休診日だし。小学校の時に初めて中耳炎になった時に診てもらった先生のもとに。自分の年齢を考えてみると、先生はもう80近いお年じゃないだろうか。そんなご高齢の先生を頼って大勢の患者さんが押し寄せ来ていました。結局、14時前に受付をして、診察が終わったのが18時半過ぎ。
人口減少が話題になる昨今。私が学生の頃から看護師さん不足が問題になり、産婦人科医不足が問題になり、小児科医の救急病院が不足し、身近なかかりつけ医が見つからなくなってくる時代になるのかと、ふと思ったのでした。