ぼっちになりたいお嬢様とイケメン店員
朝日ケ丘大学高等部正門の斜向かいにある喫茶店の窓から、コーヒー片手に外を見る。——美味。
朝日ケ丘大学の敷地内にある高等部の正門は、和風の赤門。連なる高い壁は高く、わたしとしては刑務所もしくは鬼門や虎の穴にしか見えない。
なにを喜んでんですか、庶民。
赤門を東大さんと勘違いしてんですか、庶民。
その黒襟白ブレザー制服は囚人服ですよ、庶民。
正門で家族と記念写真、庶民的ですなぁ。
新しい友達と親交を深める、はははは。
リア充って呼ぶんですかあなた達みたいな庶民を。
あんな庶民の社交場に足を向けたら庶民sウイルスが感染しちまうな。
「入学式に親と写真ってマジかよ。産まれた時の写真にわたしを産んだ女とセックスした男の手が写っていたけど、見るたびに吐き気がする」
わたしは父親と母親の顔を知らないし、今後も知らないままでいるだろう。
何故なら、赤ちゃんの頭を大きな手で支えている写真を教育係に見せられた時に吐いたからだ。
マジで吐いた。
人参がボロロロロォて出た。
家族がいるのは当たり前なのに、わたしには家族が一緒にいるという状況で生活できる神経を理解できない。不幸に感じてしまう。——吐き気。
「すでに新しい友達を作るとは、ネズミやゴキブリを上回る協調性だな、庶民。わたしが最後に顔の知らない庶民と会話したのは面接官だぞ……チッ」
舌打ちしたのは庶民が羨ましいからではない。
お嬢様なわたしを面接した3人の面接官が我が家に訪れ、何を血迷ったのか『新垣結衣さんは社会不適合者なので当校で預からしていただきます』と言い出したのだ。
間髪入れず面接官をぶん殴ってやった。
挙句、入試テストの結果と面接時の一部始終を教育係に告げ口され、ぶん殴ってもぶん殴っても滑る口は止まらず、わたしは憤激する教育係に無理矢理入学申請書を書かされた。
わたしが庶民を羨ましいと思うことはない。朝日ケ丘大学高等部に入学しないとならない原因を作った面接官に怒りが湧いたから、チッと鳴ったのだ。
もっとも、今、赤門前にいるあの連中に比べれば面接官はマシだ。
友達でしょ? わかってるよね? みたいな群れたい庶民の中では共通し、意思疎通を図るような、あの目。
はっきり言って気持ち悪い。
嫌悪する!
あの目だけはお嬢様的に許容できない。——吐き気。
焦燥する!
結局、友達とは【お下がり】と意味合いは変わらないのだ。
使いやすい物があれば使い古した物を【お下がり】したり捨てるように、より使いやすい人間が現れたら取っ替え引っ替えできる。それが友達だ。
今日の友は明日には他人、何かあった時はよろしくね〜〜のご都合関係。それが友情の絆だ。
「ああ〜〜〜〜また増えた。早く教室に行けよ、庶民」
赤門前は中空にぞろぞろと擬音が浮きそうな感じだ。——嫌悪焦燥。
「はぁ……」
ため息を1つ。
納入する税金は微々なのに神の如き主張。この場所は自分のモノだと我が物顔で勘違いできるドヤ顔庶民。まったく、どんな神経で生きているんだ。
「哀れ、と思われている事に気づきなさい、庶民」
銀色のロケットをポケットから出し、百獣の王ライオンが細工されている蓋を開いて針時計を見る。
7時46分。
早めに教室に行けば意気揚々と登校したと思われるから、喫茶店で時間を潰していたのに。
このままじゃ教室に行くのが遅すぎて注目されるパターンになる。
身分をわきまえない庶民に声をかけられたら無視……は哀れだから、庶民sウイルスが感染しないように息を止めてお嬢様スマイルしながら庶民の社交場を抜けて行くしかなさそうだな。
「おかわりはいかがですか?」
「お願いします」
茶髪のイケメン店員さんにお嬢様スマイル&お嬢様言葉を一つ。
雰囲気だけでなく、声質さえ変えるわたしのお嬢様スキルは教育係の賜物だ。
庶民に声をかけられたら無視したいからお嬢様スマイルで誤魔化すけど、イケメンは別だよね。
わたしの『イケメン>ミジンコ>庶民』という認識は、庶民女子の『イケメン>ミジンコ>生ゴミ=ブサメン』という認識と似ている。
勘違いして欲しくないのは区別しているという認識が似ているだけで、お嬢様なわたしはビッチ庶民とは根本から違う視点でイケメンを見ていますから、あしからず。
イケメン店員さんに注がれるホットコーヒーの湯気が鼻腔をくすぐる。
苦い事間違いなしだ。
砂糖とミルクを大量に所望。と横に手を伸ばすが、一杯目で全部使ったのを思い出す。
「…………」
お嬢様スマイルが保てなくなる。
どうしよう。どうしよう。どうしよう!
ブラックコーヒーなんて飲めないし!
ギリギリコーヒー牛乳だし!
なんで注文したって言われても、なんだかんだでコーヒー好きだし、この喫茶店にはコーヒーしか無いってイケメンも言ってたし!
背伸びしたいから喫茶店に入ったんじゃないからね!
あっモーニングはトーストとハムエッグだったよ。——美味。
「こちらをお使いください」
イケメン、よくやった!
「ありがとうございます」
お礼のお嬢様スマイルを1つ。
イケメン店員さんがテーブルに置いたシュガーとミルクをお嬢様的な手付きで取る。
シュガー、ミルク、シュガー、ミルク、シュガー、ミルク、シュガー、ミルク、シュガー、ミルク…………
……………
………
……
全て投入。一口。
美味い。
んっ? わたしが背伸びしていると思ったのかな?
イケメン店員さんが微笑ましく見ている気がするぞ。
「どうかされました?」
「コーヒー、美味しいですか?」
「わるくないです。もう少し炒ってから挽いていただけたら、わたくし好みですが」
「勉強します」
やはりイケメン。庶民みたいに『このチビガキ、シュガーやミルクを大量にぶっ込んで何言ってんだ……』て顔をしない。
飲み物をコーヒーしか提供してないって事はこだわりのコーヒーだろうに……。
イケメンポイント2あげましょう! ——好感。
「入学式、ですね」
「そうですね」
イケメン店員さんは窓の外、朝日ケ丘大学高等部の赤門前を見ている。
うん。その視線、その新入生を憂う視線、イケメンです。イケメンポイント1追加。MAX100まで97点、頑張ってください。——常連確定。
「お客様も新入生ですか?」
「はい。正門から人が減るのを待っています」
お嬢様スマイルの後にコーヒーを一口。——美味。
「人が減るのを待っている、ですか?」
「わたくし、人と関わるのが好きではありません。あの方達に、入学式から気分を害さしたら申し訳ありませんから」
「害したら、ですか?」
「わたくしのように人と関わり合いになりたくない人間は、相手へ不快感を与えぬように笑顔で誤魔化します。ですが、あの方達は、ある日にふと気づくのです。あの笑顔は自分達と距離を置きたいという笑顔。自分達を見下した笑顔。庶民sウイルスが感染するから離れろ、という笑顔。あのお嬢様は、入学式の日も距離を置き、自分達を見下していたんだ、と」
お嬢様スマイルを一つ。
「距離を置きたい、見下している、ですか」
「そうです。資産が世界トップ1の男とどこかの女の生殖行為から産まれ……と、言葉が汚くなりました、申し訳ありません」
イケメン店員さんはお嬢様なわたしに気を使う視線を向けている。
普通は、冗談と受け取るんだけどなあ。思わず、謝ってしまった。
わたしはお嬢様なのに運転手付きのリムジンで登校してないし、ボディガードもいない。——必要性皆無。
見た目は15歳というには幼く、小柄すぎる体格にお嬢様らしからぬ黒襟白ブレザーの庶民制服を着ているから、傍目からではお嬢様に見えない。——将来巨乳。
教育係に仕込まれた外面だけが、わたしのステータスなのだ。——感謝。
「お客様が、コーヒーの味をわかる理由がわかりました」
「こんな話を信じるのですか?」
「人と関わるのが好きではないのに僕とは話ています。きっと、頻繁に関わる同級生ではないので話せるのでしょう。そんな相手に嘘を付く理由はありません」
このイケメン!
その笑顔に癒されちまったぜヒャッハァ!
そういえば、わたしも無意識に喋っていたな。
イケメンスマイル、イケメントーク、恐るべし!
「気を使わせたなら申し訳ありません。家庭の愚痴や学校生活への不安ではありませんから、お気づかいなく」
「はい。お客様が、コーヒーを楽しみにまた来ていただけたら幸いです」
「美味しいコーヒーはどこにでもあるモノではありません。また来ます」
「はい。お待ちしております」
わたしは入口近くのカウンターへ行くと鞄の中にある帯付きから一万円札を抜いて、イケメン店員さんに渡す。
わたしは財布を持っていない。
何故なら、一万円札は使い捨てだから。
イケメン店員さんからお釣りを受け取ると、精算機横にある【コーヒー豆農園ラビット募金】と書かれた募金箱にお釣りの7000円を入れる。
お店を後にすると、カランカランと扉に付属された鈴が鳴り、静かに閉まる。
わたしの、ぼっちになりたいお嬢様の学校生活が始まる。——憂鬱。