勇者の部屋
気が付くと、そこは窓一つないコンクリートの部屋だった。
天井に小さな電球が一つ。部屋の端と真ん中に古い木のテーブル。
その上に、旧式のラジオ。
服装は汚れた布切れのようなもの。一応シャツとズボンの体を成しているが、それは雑巾に相違ないだろう。
自分の手をよく見ると、まるでマニキュアのように爪が鮮やかな赤色で塗りつぶされていた。
しかし一番気になるのは、首に付いたこの機械だった。
自分の目で確認することが出来ないため、どんな色をして、どんな形をしているかは正確に判断できなかった。
だが、触った感じ人工物であり、金属であり、機械らしい感触がしたため、僕の中でこれは機械だということにした。
ザザッと端のテーブルに置いてあるラジオからノイズの音がしたと思えば、変声機を使った声が聞こえた。
『やあ、おはよう。勇気ある者よ。異世界へようこそ』
『こコは見た通り外の様子がわかラナい部屋だ。後ろを見てモらうト、一つだけ扉があるコとがわカルだろウ』
振り向くと、確かに鉄の扉があった。
駆け寄って取っ手を引っ張ったり押したりするも、その扉はびくともしなかったが。
『あア、そウそう。その扉はこちラで解錠しなイかぎり開カナいから無駄だヨ』
じゃあどうしろって言うんだ。
僕はそう心の中で叫んで機械を睨みつける。
『これカら君に試練を受けテもラう。あア、ついデに言ってオくと、これハ全部録音だから補足説明トかは出来ナいよ。君"たち"で吟味してヨく考えルンだね』
そう言い終わると同時に、がたん、と天井から音がした。
何もない天井に綺麗に四角く穴が空き、一人の男が落ちてきた。
「がっ! いってぇ!」
男が落下時の苦痛に暫く悶え、脚を押さえていた。
もう一度天井を見上げると、そこにはもう何も無かった。
大丈夫? と男に呼びかけると、暫くしてから大丈夫だと言った。
僕よりも少し背が高く肉付きが良いだろうか。力がありそうだ。
頭は野球をしている学生のように刈り上げている。
僕が手を差し伸べると、彼はその手を掴んで立ち上がってくれた。
良かった、他に人が居た、と僕は口にする。
だけど、現状は何も変わっていないだろう、と彼もまた口にした。
僕達は互いに自己紹介をした。
彼の名前はオガタ。二十歳だそうだ。
格好は僕と同じ。彼の首についている物を見て、それが機械だとはっきり判断できた。
金属で、幾つもの黒いコードが絡み合っており、その中心のライトは淡く点滅していたからだ。
一点だけ僕と違う部分があるとすれば、彼の手の爪は鮮やかな青色に塗りつぶされていたという部分。
どうやら状況は同じようだった。
僕と同様にここに来た経緯がわからない。
そして彼は「試練を受けてもらう」というところまで説明され、先程まで居た部屋からこの部屋に落とされたそうだ。
『さテ、そろそロお互いの状況が飲ミ込めた頃合いかナ』
ノイズと共に、その機械の先の声は話を続けた。
『じャあ試練の内容を説明シよう』
僕と男は息を呑んだ。
既に二人共これが録音の音声だということを理解しているため、何も反論などは言わなかった。
試練の内容はこうだった。
1.この試練をクリアすれば、夢の様な未来が待っている。
2.試練は競争ではない。二人共クリア出来ることもあれば、二人共失敗することもある。
3.この試練の失敗の度合いはいくらか有り、基本的には失敗してもチャンスが設けられるが、最悪の場合死亡する。
4.机の裏側にガムテープで箱が張り付いている。その中身は二つのボタン。
5.二つのボタンのどちらかは当たり。当たりを引けば、試練は成功。
6.ハズレを引いてしまうと試練は失敗。
7.試練の進捗が見受けられない場合、どちらか一人にクリアの為のヒントが与えられる。
8.首に付いている機械は無理に外そうとすると爆発する。
内容は以上だよ、と機械の中の声は言った。
オガタは納得いかないような表情をしていたが、録音の音声に何を言っても無駄だということはどうやら理解しているらしく冷静だった。
『あ、そうソう、一番大事なこトヲ忘れてタよ』
そういって男か女かもわからない声は最後にこう付け足した。
『ここマでの説明で、一つだけ"嘘"をツいた。その嘘が何かをヨく考えて、試練に挑んでネ』
ノイズ混じりのその音声は、ぷつっと途切れてそれ以降音を発さなかった。
嘘、という言葉が妙に頭の中に残る。
オガタはまずテーブルの裏を確認した。
そこにはアルミの箱があり、中には二つのボタンがあった。
一つは赤いボタン、一つは青いボタンであった。
「これで、一つは真実だとわかったな」
オガタはそう言う。
そうだ。まずは何が嘘なのかを判断しなきゃいけないんだ。
オガタとも意見が一致した。
ボタンを押す前に、提示された内容の中から嘘を見つける必要がある。
「まずひとつ目。試練のクリアで夢の様な未来が待っていると言っていたな」
オガタが場を取り仕切った。といっても僕と二人きりのため、年上である彼が責任を感じたということなのだろう。
「そうだね。でもこれは、嘘だとしても本当だとしても、試練の内容には影響しないんじゃないかな」
なるほど、とオガタは言った。
僕も自分自身の発言に少々感嘆した。
真偽を問うても試練に関係のないものが混ざっている。
これを消していけば、真実に近づくことが出来るのではないかと思った。
「じゃあ、最後に言った『首輪を無理に外すと爆発する』も試練には関係ないな」
その通りだ。試練は当たりのボタンを押した時点でクリア。この首輪は僕達に付けられた枷のようなものなのだろう。
そして、僕達は残った5つに改めて番号を振って吟味する。
1.試練は競争ではない。二人共成功することもあれば、二人共失敗することもある。
2.この試練の失敗の度合いはいくらか有り、基本的には失敗してもチャンスが設けられるが、最悪の場合死亡する。
3.二つのボタンのどちらかは当たり。当たりを引けば、試練は成功。
4.ハズレを引いてしまうと試練は失敗。
5.試練の進捗が見受けられない場合、どちらか一人にクリアの為のヒントが与えられる。
「5番の「ヒント」はどうだ? これは時間が解決してくれるものだ。ヒントを得られるかどうかだけでルールには影響がない」
その考え方だと4番の「ハズレを引くと失敗」も同じだね、と僕は続ける。
「失敗する、というのが嘘なら、ハズレを引いても失敗にはならないってことだ。この嘘は"奴"にとってメリットが無い」
2番の内容に関しては少し意見が食い違ったが、最終的にはこれが嘘だった場合、「チャンスは絶対に設けられない」という結論に至った。
これもルールそのものには影響しない。嘘候補から外すには少し決定が早過ぎるかもしれないが、そもそも「失敗の度合いがいくらかある」が、「下手をすれば死ぬ」のであればそもそも範囲が広すぎて嘘にしづらいのではないかということで候補から外した。
そう考えると、とオガタは顎に手を当てる。
「1番か3番が嘘ってことか」
僕達の出した結論はこうだった。
○A案
「試練は競争ではない。二人共成功することもあれば、二人共失敗することもある」が嘘だった場合。
そもそもこれは競争であり、どちらか一方しか試練に合格できない。
どちらかのボタンを押すと片方が試練成功となり、片方が試練失敗となるパターンだろう。
しかしこれを嘘と断定するのは危険。
争わせるためにこの選択肢を用意させたのかもしれないからだ。
○B案
「二つのボタンのどちらかは当たり。当たりを引けば、試練は成功」が嘘だった場合。
ルールの根幹が揺るがされる。
この「ボタン」自体がフェイクで、どちらかを押した時点で試練失敗の可能性。
そうなるとこのボタンは押せなくなる。
あのラジオの中にもしかしたら何かあるかもしれない。
しかし、ヒントが与えられる場合間違いなくあのラジオから発せられる。
そう考えると、今は身動きが出来なかった。
この二つの案が出た。
僕達二人は同意見、B案の方が確率が高いというものだった。
何故なら、僕らを意味もなく争わせてそれを傍観しようという可能性が高いからだ。
僕達自身が「A案」を信じた場合、たとえ嘘じゃなかったとしても僕達は争い、二人共成功するはずが二人共失敗することになる可能性だってあるのだ。
だから、しっかりと相談をしてB案で行くと決めた。
そうなると、まずはヒントを待つ必要がある。
僕達は二人で出来る暇潰しを出し合い、時間稼ぎをした。
しりとり、手遊び、あっちむいてほい。
どれも男二人でやるには少々アホ臭いものであったが、それでも時間は稼げた。
やがて、ラジオから声がした。
『やあ、勇気あル者よ。どうヤら試練に手こずっているみタいだネ。それじゃアヒントを与えヨう』
『このラジオの裏側ニ、少々細工がしテあっテね。小さなオーディオプレイヤーと、片耳のイヤホンが入っテいるンだ』
『そのオーディオプレイヤーにクリアの為のヒントがアる。最初カらスピーカーは分解して外してあル。音量は最小で設定シてあって、一度再生したらデータは抹消サレる』
つまり。
『つマり、このヒントを聞くこトが出来るノは一人だけダ。それジャあ、頑張ってネ。勇気あル者よ』
そこでノイズと共に音が切れた。
僕とオガタは同時にゆっくりとラジオに歩み寄る。
裏側を見ると、細工されているのがひと目で分かった。
ドライバーも必要なく、手で掴んで捻れば外せるであろう「ダミーのカバー」。
オガタがラジオの裏側のカバーを外し、その中からオーディオプレイヤーと片耳のイヤホンを取り出した。
「どうだ、お前が聞くか?」
彼はそう勧めてくれた。
僕はその時点で、もうヒントを直に聞く必要は無いと判断した。
彼を信用したのだ。
「いや、さっきのあっちむいてほいでは僕が惨敗だったからね、オガタが聞いてくれ」
冗談交じりに最もらしい理由をつけてヒントの視聴権をオガタに譲った。
譲り合っていても仕方がないと判断した彼は、分かったと言ってイヤホンをプレイヤーに挿し、耳に付けて再生ボタンを押す。
集中するためか、目を瞑って静かにしている。
が、彼の額から、だんだんと脂汗が垂れてきた。
どんなヒントの内容だろうか。
……やがて、彼はヒントを聞き終わった。
念のためヒントを聞き終わった彼からオーディオプレイヤーを受け取り確認してみるが、やはりデータは抹消されているようだった。
内容はどうだった? と彼に問う。
「……B案だ」
彼はそれだけ呟いた。
B案が正しいのか……ということは、そもそもこのボタンは押してはいけない、ということだ。
「いや、B案なんだが、違うんだ」
違う? どういうことだろうか。彼に問う。
「俺たちはミスリードをしていた。奴のヒントを掻い摘んで言うとこうだ。『ボタンを押すだけで試練クリアなんてそんな生易しい訳が無いだろう。このボタンを押した後に、まだまだ試練は残っているんだ。それを全部達成した時が、「試練の成功」だ』ということらしい」
生易しくない。これはただの「選択」の場面なのだろう。
正しいボタンを押しても、次の試練が待ち受けている。
しかも、とオガタが付け足す。
「次の試練からは、失敗すれば間違いなく死ぬ」
僕は絶句した。
彼の脂汗の理由はこれだったのか。
僕は改めてボタンを見やる。どちらかは押さなければならないのだ。
――――暫く、沈黙の時間が流れた。
「ねえ、オガタ、そろそろ決めないと」
最初にそう口にしたのは僕だった。
どれくらいの時間が経っていたのかは分からないが、体感では5分経過していたと思う。
オガタは寒いのか、恐怖なのか、少し震えていて彼からは一歩も動き出しそうになかった。
胡座をかいて両手を合わせて規則的に動かし、ただその指先を見て落ち着こうとしていたのだ。
「そ、そうだな、いい加減に決めないと」
彼はゆっくり立ち上がり、僕とともにテーブルの上に置いたボタンの前へと歩み寄った。
僕とオガタは向かい合うようにテーブルの前に立つ。
オガタの側に、赤いボタン。僕の側に青いボタンがある。
どちらがどちらをというわけではない。自然とこの立ち位置になった。
「なあ」
彼はボタンを見ながら僕に話しかける。
「やっぱ、死ぬのって怖いよな?」
そりゃそうだよ、死ぬのは怖いさ。そう僕は彼に言う。
こんな発言をするのは無理も無い。このボタンを押した後の試練は、常に死と隣合わせなのだから。
「俺もさ、死ぬのめちゃくちゃ怖えんだ」
テーブルに手をついて震えながら彼は言う。
そして――――
「だから、恨まないでくれよッ!」
彼は思い切り、"赤いボタン"を押した。
――――刹那。
ごきゅ、ぶちゅ、めりめり、ばき、という、柔らかい音と硬い音が重なり合って聞こえる。
音は、オガタの方向から聞こえていた。
そして、最後にベキッという大きな音を立てて、彼の頭が落ちた。
首から血が吹き出し、その血は僕の顔と服にも大量に掛かった。
やがて、彼の身体がばたりと倒れる。
――――え?
何が起きたか理解できなかった。
彼が赤いボタンを押したら、彼の頭が落ちた。
頭が落ちたということは――――死んだ。
何故、オガタはボタンを押した?
全てに納得が行かない。納得が、いかない。
ザザッというノイズと共に、ラジオから声が聞こえる。
『嘘つき嘘つき嘘つきオガタ♪ オガタは上手に嘘をつく♪ 嘘つき嘘つき嘘つきオガタ♪ オガタは上手に嘘をつく♪』
ラジオから聞こえるのは、愉快な歌声。唯只管その歌を歌い続ける。
――――どれくらい経過しただろうか。やがてそのラジオの歌声は止まり、喋り出す。
『ぶっブー! 試練失敗~! 失敗しチゃったね~』
愉快だ愉快だと言いたげなくらい楽しそうな声だった。
嘘つきオガタ。その台詞が、脳裏を過ぎった。
『オガタは嘘を付きまシた。キミに伝えたヒントはオーディオプレイヤーの内容とハ全くちがいま~ス』
ゲラゲラと笑うラジオの声。
『サー、ヒントを直に聞いてイないキミに、本当のヒントを教えてアげよ~』
そう言って、ラジオの中の声はヒントの内容について語り出した。
ヒントの内容はこうだった。
1.このヒントは試練成功の方法のひとつを告げるもの。
2.ボタンの色と"勇気ある者"の色は連動している。
3.どちらかのボタンを押すと、首の機械が首を切り裂いて連動した色の人間を殺す。
4.ボタンを押して相手を殺したら試練成功。
5.このヒントから10分以内にボタンを押さなければ試練は二人共失敗。
僕は崩れ落ちた。
オガタが規則的に手を揺らしていたのは、落ち着くためじゃない。
時間を数えるためだ。
他に方法はあったはずなのに、彼一人だけ「答え」を知ってしまった。
それがプレッシャーとなって回答を早めたのだ。
そして5つ目の項目も厄介。失敗と告げているだけでどうなるのかは伝えられていない。
最悪死ぬという内容を事前に言われているだけあって、二人共死ぬ可能性も頭によぎったはず。
だから、どう転んでも彼は間違いなく自分の命惜しさに赤いボタンを押しただろう。
――――待て。赤いボタンを?
僕は自分の爪を見た。
赤は、僕に連動した色の筈だ。
何故、赤いボタンで青い爪のオガタが死んだんだ?
――――ギイィ
重い音を立てて、鉄の扉が開いた。
奥へ行けということだろうか。
僕は立ち上がり、オガタの身体を跨いで扉の向こうへと進む。
そこにあったのは、1畳程度の部屋と、大きな姿見だけであった。
『試練は失敗~。残りのボタンを押シてね』
後ろの部屋から聞こえる声を聞き流しながら、僕は姿見で自分の姿を見ていた。
オガタの血で赤くなった正面。裸足で身体も汚れている。
予想通りの格好だった。
――――しかし、違和感がひとつ。
何かがおかしいと感じていた。
僕はもっとよく姿見を凝視する。
ボサボサの髪型、血で汚れた服、土や埃で汚れたのであろう顔と手足。
首に付けられた機械の中心で淡く点滅する、青い光。
青い……光……。
僕ははっとなった。
振り返って元居た部屋に戻る。
頭の無いオガタの身体。
もうぴくりとも動かないが、その首からは未だにどくどくと血が溢れ出ている。
血なんかはどうでもいい。
うつ伏せになっているオガタの身体を仰向けにし、首の機械を見た。
――――その機械の中心では、 赤 い 光 が 点 滅 し て い た 。
『嘘つき嘘つき嘘つきオガタ♪ オガタは上手に嘘をつく♪ 嘘つき嘘つき嘘つきオガタ♪ オガタは上手に嘘をつく♪』
僕が取り残された部屋では、ラジオからの愉快な歌声と笑い声だけが、響いていた。