正直な心臓
泥のような眠りは長く続かなかった。
朝日が目に突き刺さるほどまぶしい。それに裸で密着してると熱くてしかたない。でもランカちゃんの足が俺の足にがっちり絡みついており、外れそうもなかった。
「なあ、仕事行かないといけないんだけど」
「いいじゃないですか、あんな所バックレちゃえば」
職場をdisられておもしろくなかった俺は、すぐさま反論する。
「あんな所でも大事な職場なんだよ。退職金ももらっちゃったし」
「尚更行く必要ないじゃないですかー。もう、悪い子はこうだ」
すけべいなランカちゃん、俺の顔を掴んで、口で口を塞いできた。
この日……、俺は生まれて初めて仕事を無断欠勤した。
ランカちゃんが昼過ぎに帰った後、後悔が重くのしかかる。俺はこんな無責任な人間じゃなかったはずだ。
このままじゃいけない。俺は井戸の水を頭からかぶり、身を清めた。
「アンジェラ怒ってるかな」
もう俺に期待していないだろうが、約束を守らない奴だと思われるのも心外だ。
でも、これが本来の俺かもしれない。性欲に流されて、肝心なことも聞き出せなかった。
「ヒロコを探すしかないか」
「呼んだか?」
振り返ると、秘密を握る張本人、ヒロコ王女がいた。ブラックストライプのノースリーブにブラックのパンツ、お洒落なサンダル、髪はバレッタで纏めている。
「うわー、出た」
「何だ、その反応は。ヌイーダに聞いたぞ。女を連れ込んで、昼過ぎまで寝ていたらしいな。だらしない」
情報筒抜けかよ、クソババア。
それより、ヒロコに叱られると背筋が伸びる。怖い先輩みたいな威圧感があった。
「それはそうと、僕のことを嗅ぎ回っているらしいな」
「何故それを」
してやったりと、ヒロコは胸を張る。
「見くびるな。僕には独自の情報網がある。で、何かわかったか」
俺は王女に弓引く意志のないことと、刺客に襲われたことを伝えた。
「刺客が僕の差し金だとでも教えられたか」
「え……、違うの?」
ヒロコは井戸の側にあった桶を蹴った。
「”奴”の考えそうなことだ。僕がお前ごとき俗物の命を狙うわけがなかろう」
俺って王女様からしたら俗物なんだ。井戸に身投げしたくなった。
「お前を襲ったのは脱獄囚だ。以前お前に手ひどい目に合わせられたので、その報復に来たんだろう。今日はその忠告に来た」
また考えるべきことが増えてきたぞ。俺、人に恨まれることをしたのかな。
「僕のことを信じてくれなくてもいい」
ヒロコは声を落とした。
「でも、この国にいる間はお前を守る。脱獄囚は必ず捕まえる。普段通り過ごしてくれ」
ヒロコは俺の目を見て、安全を請け負うと宣言した。言ってることは矛盾しているようだが、とても心強い。
「絵本のことはすまなかった。混乱しているんだ、僕も。でももう会いに来ないから」
どうしてこいつは俺のことばっかり気にかけてくれるんだろう。嘘をつくのがこんなにも下手なのに。
「ヒロコ……、さん。俺、あんたのことが思い出せないんだ。でもそれはとても、大事なことのような気がして、お願いだから、教えてくれないか」
「思い出さなくていい!」
ヒロコは烈火の勢いで、俺を遮る。でもその剣幕は逆効果だ。引き寄せられるように、俺は彼女に一歩近づく。
「俺のために、隠してくれてるんだね。そうなんだね?」
ヒロコは目をそらした。あんなに堂々としていたのに見る影もない。
「ランカ=リーに何を吹き込まれたか知らないが、お前は自分を過大評価し過ぎだよ。秘密なんてものはない」
「もういいんだ。俺を信頼してくれよ。頼むから」
気づくと俺は頭を下げ、ヒロコの肩を掴んでいた。必死だったから、よくないことだとわかっていてもそうせざえるを得なかった。
「信頼しているさ。だからこそ言えないんだ」
「してるって言わないだろ。それ。人の上に立つ奴が嘘ついていいと思ってんのか」
「責任を伴えば問題ない」
「詭弁だ。そんなもん!」
俺たちは一歩も譲らない。でも不思議だ。ランカちゃんには気兼ねして言えなかったことが、こいつには素直にぶつけられる。
「もうこの際、俺のことはどうでもいいわけよ。お前がしんどい顔して現れるたび、胸が苦しくなんだよ。話して楽になっちゃえって」
ヒロコの表情が強ばったと思うと、平手打ちをもろにくらった。頬が痺れる。あれ、何で殴られたんだ。
「ふ、不潔だ……、このスケベ!」
真っ赤な顔でキャンキャン吠えたと思ったら、急に俺の視界から姿が消えた。中庭から通りに出たらしい。今までで一番素早い動きだ。
今回逃がしたら、もう二度と会えない気がする。俺も慌てて後を追う。
左右に伸びる道にヒロコの後ろ姿ははなかった。足早いな、あの女。
「こっちこっち」
背後の石塀に、仮面をつけた修道女がいた。その腕に目を閉じ、首をだらりと垂らしたヒロコが抱えられている。
「おい、こら。その女を離せ」
「まあ、妬けますわ。返して欲しかったらついてらっしゃい」
修道女はヒロコを抱き抱えたまま、屋根づたいに移動を始めた。
地上を走りながら、俺はジョエルに連絡しようとした。しかしこんな時に限って捕まらない。ランカちゃんも同様だ。彼女に頼るのも、彼氏として面子が立たないが、相手は俺の手に負える相手じゃない。
「でも女の子を見捨てて逃げるなんてダサい真似できっかよ」
死ぬかもしれないのに、走ってるうちに俺は言いしれぬ高揚を感じていた。味わった事のない清々しい気分だ。




