告知
一
ユーリは切り札であるティラノサウルスを退けられ、我を忘れかけている。
事態は不可解な状況にシフトし、予断を許さなかったが、優勢を疑うことなく次なる手段を講じることに迷いはなかった。
困難に遭遇しても、一つのことに集中することで乗り切ることができた。今回もそうだ。あと一息。
もはや、実験は二の次。私情が大部分を占めている。タロウは左腕を食いちぎられ、虫の息だったし、止めを刺すのは容易だと考えた。
それでも断念せざるをえなかったのは、薬で眠らせたはずのヒロコがモニター室に乱入してきたからだ。
「……、全員、動くな」
入ってきた時は壁によりかかって朦朧としていたヒロコだったが、扉近くにいた細身の女性研究員の首を背後から羽交い締めにし、警告した。
髪を振り乱し、唇を引き結ぶ鬼気迫るヒロコの表情に、荒事に慣れていない所員は一瞬で戦意を奪われた。
「何で……!?」
この場で最も困惑していたのがユーリだ。ヒロコに盛った薬は、体に負担にならないようにと比較的軽いものを選んだ。それでも二、三時間は目を覚まさないと思いこんでいた。
誤算が誤算を呼び、ヒロコの足に小枝のようなペンが突き刺さっているのを見て、ユーリの意気地は簡単にくじけた。
「眠気覚ましにしてもやりすぎじゃないかな……? 痛かったでしょそれ」
「だったら、コーヒーを貰えるか? それも三人分」
ヒロコが地下にいる二人の助命を願うと思ったからこそ、眠らせている間に終わらせようとしたのにご破算となった。
ユーリは今のヒロコに逆らえるほど芯が強くない。
「とりあえず足の怪我をどうにかしなよ」
指摘されたヒロコは痛みを思い出したように、顔をしかめた。
「……、僕は後でいいから。あの馬鹿が死んでしまう」
ヒロコが国益を無視し、赤の他人を優先させることに違和感を覚える。あのタロウという男がそれほど特別な存在なのか。
ユーリは不満を隠そうともせず、モニター下についていたスタンド型マイクに短く告げる。
「実験終了。被験者を回収せよ」
二
久しぶりに快眠できた。イリスがいた時はもちろん、ベッドは堅いし、隣室の人間が喧しいやらで、満足に眠れたのはいつ以来だろうと深刻に考えこんでしまった。
目覚めは最高だった。しかし、その後がよろしくない。
俺はシングルベッドに寝かされ、全身を黒いベルトで固定されていたのだ。
腕と足を隙間なくぎちぎちに拘束され、拳一つ分もできやしない。正確には、ベルトは左腕を通らず、脇から背中に通っている。肘から肩近くにかけてなくなった左腕は白い包帯が巻かれており、短くなった鉛筆みたいだった。
そうか、俺の左腕はもうないんだ。今でも腕を伸ばしたらものを掴めそうな気がする。実際には無理なんだけど、まだ俺の脳は喪失を受け入れる余地がないようだ。不幸中の幸いか、痛みはない。麻酔でも打たれてるのか、体がぼんやりして、
「にしても……、ここはどこなんだろ」
白い壁に囲まれているが、さっきまでいた地下の数十分の一だ。ベッドと、点滴。点滴の容器は空になっており、透明の水滴が、こびりついているだけだ。
長方形の窓ガラスが三つ並んでおり、外の通路が見渡せた。ランカちゃんは無事だろうか。俺みたいに拘束されてたりして。
しかし俺らを助ける理由がこの研究所にあるのだろうか。あるとすれば、ヒロコの意志によるものだろう。やはりあいつは裏切ってなどいなかったのだ。
それでも見方を変えれば、ヒロコは国に不利益をもたらそうとしているのかもしれない。喜びより、申し訳なさが勝る。どんな顔して会えばいいかわからない。
「ずんずん」
俺は体が動かせないから部屋に誰かいても気づかない。それが身長の低い人間なら尚更視野に収めるのが難しくなる。
水色のノースリーブを着た女児が、俺のベッドに上がってくる。伸びかかった前髪が大きな瞳にかかって揺れていた。
「ずんずんずん」
言葉で動きを表現しつつ、俺の真上に覆い被さる。そしてあろうことか、大きな口を開け、小さな歯で俺の首筋を噛んできやがった。
「いてー! やめろ、イリス!」
俺はたまらず悲鳴を上げる。
イリスは形のいい眉を上げて噛むのをやめたが、今度は俺の首の匂いを嗅ぎ始めた。そしてはっ、と顔を上げた。
「……、この臭いは、タロ!」
「新発見みたいに言わないでね。いつからお前は犬みたいに臭いで人を判別するようになったの」
イリスは狭いベッドで飛び跳ねたり、部屋を横切るように側転までした。
「もう完全に野生児だな。おい、ちゃんと飯食ってるんだろうな」
「はい!」
と、元気に返事をすると同時に天井近くまで跳ね、二回転半宙返りしてベッドに着地した。
「おい、背伸びたんじゃないか。計ってもらったか?」
「はがってねえよー」
照れたように頭をかく。言葉遣いが多少変だけど、意志疎通ができるようになっている。成長をひしひしと感じた。唯一気になったのは、元々白かった肌がさらに白くなっていたこと。外に出ていないのか。
「ひどい扱いは受けてないみたいだな。なあ、ヒロコ、わかるだろ? あいつ、呼んできてくれないか」
「タロ、腕、ない」
イリスはベッドの上にしゃがみこみ、俺の包帯に顔を近づけた。不安がらせないように、俺は無理に笑って見せた。
「びっくりしたか? 恐竜にくれてやった。やばいぞ、恐竜は。お前にも見せたかったなー」
実際は、生きるか死ぬかの瀬戸際だったけれど、脅かしても仕方がない。気を負わせるのが関の山だ。俺も気持ちの整理がついてないから、上手く話せる自信がなかったのだ。
「ねえ、なおそうか」
「は?」
イリスは緩んだネジを直すみたいな軽い口調で言ったが、言葉の意味を理解していないのだろう。もしくは俺の聞き間違いか。少し期待してしまった自分が恥ずかしい。
「なおそ」
「治るか! あのなあ、一度なくなった腕は生えてきたりしないの。俺はこれから鋼の義肢をつけて錬金術師になる。ほっといてくれ」
子供相手にムキになって俺は顔をそむけた。だって急に心細くなってきたんだ。これから右手一本で生きていけるだろうかって。でも一度弱音を吐いたらもう立ち直れなさそうだから、誤魔化すしかなかった。
「なおる! なおるっ!」
駄々をこねるみたいに俺の真上で転がり回る。体重軽いけど、踏まれると痛い。
「気の済むまでやってくれ、俺は寝る」
目を閉じると、イリスも静かになった。世界は闇に閉ざされ、投与されていた薬の影響か、睡魔に襲われる。
夢にビッチが出てきたが、俺は腕がなくて、乳が揉めないという悲しい結末を迎えた。
再び目を開けると、イリスはいなくなっており、どこからどこまでが夢かわからなくなってきた。
実は俺は精神病院かなんかの患者で、VAFは妄想の産物かもしれないと思い始めていた。
だって、食いちぎられたはずの腕が元通りになっていたのだ。そもそもティラノサウルスに襲われるとか現実じゃありえんし。
「ゆめじゃないぞお」
イリスがベッドの下からにゅっと顔だけ出した。
「あ、よかった。今はお前だけが俺の世界の全てだから。危うく心が壊れそうになったわ」
だが、このイリスも俺の想像した何かという可能性はある。だって腕が生えるとか信じられない。
「イリスつかれた。ねます」
一仕事終えたみたいなすっきりした顔で、イリスはベッドの下に潜り込んじゃった。
また一人になって色々考え込んでしまう。
ここは精神病棟なのか、それともVAFなのか。今度イリス以外の誰かが来たら問いただす必要がある。
悶々としていた俺の鼻の上にごく薄の羽毛みたいなものが乗った。白い鳥の羽みたいだ。ここは窓もないし、鳥なんているわけないのに、イリスにくっついていたのかな。
前触れもなくトランペットのファンファーレが演奏された。どこかで聞き覚えのある音楽だ。人の心を鼓舞するような勇ましい響きに、俺の体に力が戻る。
間を置かず、謎のナレーションが興味深い情報を教えてくれる。
『タロウのユニークスキルがレベルアップ! ステータス画面で確認してみよう!』
してみようって促されても、左腕はFGごとなくなっている。どう確認しろというのだ。
「あ、そうか」
左腕の部分にはベルトが巻かれていない。ということは巻かれた時点で、腕はなかったのか。それこそまさかだ。
左腕を恐る恐る上げて光りに当てる。
左手首には黒い腕時計型タブレット、FGが巻かれている。重みも感じる。とてつもなく頑丈で、アンジェラとの喧嘩で負けそうになった時にはこれで奴の拳を防いだものだ。
「ってことは、ここはまだVAFの中か」
落胆やら安堵やら俺の心が忙しなく動いている間、イリス以外の人間が部屋入ってきていた。
全身を覆う銀色に光るごわごわした防護服を着て、ベッドから少し離れて立っている。
「誰だ?」
全然心当たりがなかったので俺は首を持ち上げて訊ねていた。小柄だったが、女ではないような気がした。
謎の人物は黙ってベッド下にしゃがみ込むと、イリスのもやしみたいにひ弱な足を掴んで引きずり出した。
「うおらー! 逃げようとしてもそうはいかないぞ!」
声変わり前の少年の声でイリスを叱りつける。慣れた手つきでイリスをぞんざいに扱っている。
イリスは仰向けで寝ころんだまま寝息を立てていた。
防護服の方が息を荒くして匙を投げた。
「クソ! こいつはいつもこうなんだ。隙間に入り込んで寝てやがる。通気口にいたこともあった」
「へー、俺といた頃はそんなことしなかったけど。で、君、誰?」
防護服は、イリスを小さなカートに乗せながら、俺の方に振り返る。
「僕は所長だ。問診に来た」
「へー、ご苦労なこった。ならベルトを外してくれ。どうにかなりそうだ」
所長は俺の頼みを無視し、イリスの乗ったカートを部屋の角に押しやった。
「おい、そいつを無碍に扱うなよ。ただじゃおかないぞ」
「別に君の所有物ってわけじゃないだろ。この娘は国の所有物だ。つまりハゲの命を受けた僕のものでもある」
「ハゲ?」
「王のシャルルさ。あいつさ、頭髪薄くなってきたから髪剃ってんの。しかもこっそり僕に毛生え薬を作って欲しいって頼み込んできた。面倒だから昆布はっとけって言ったら、部下に命じて探させてたらしいよ」
「あははは、おもしろいな、所長さん」
「だろ?」
防護服はおかしそうに口元に手をやった。俺は腹がよじれるほど笑った後、落ち着いた気分になった。
「話逸らすなよ、所長さん。ハゲの話はまたにしようや」
「あ、やっぱそうくる。手強いなあ、さすがあの動物園を壊しただけはある」
地下でやりとりした相手は、目の前の所長だということは薄々わかっていたけど、想像以上に若い印象を受ける。俺より年下かもしれない。それなのに国の重要施設の責任者というのは信じがたい。
「俺は何も暴れたくてここに来たんじゃないのよ。何度もそう言ってるでしょ。そこにいるイリスと話がしたくて」
所長は腕を組み、もぞもぞと体をくねらせた。
「知ってる。ヒロコ姉ちゃんもそう言ってた。でも簡単にはそうできない事情もあったということを理解して欲しい」
一体どんな複雑な事情があったというのだ。俺の与り知らないことならどんなことでも知りたい。
「イリスが箱船の神子だからか」
核心をついたと思ったが、所長は大仰に肩をすくめただけだった。
「悪いけど、僕はおとぎ話の類に興味なし。もっと即物的な理由だよ。ここにいる被験体、イリスだっけ。この娘の命に関わる話さ」
覚悟はしているつもりだったけど、聞くのはためらわれた。でも先送りにできる問題じゃない。
「頼む。教えてくれ、イリスは重い病気なのか」
俺はいてもたってもいられず、話を急かした。もし体が動いたら所長の胸ぐらを揺さぶっていただろう。
「マテリア硬化症、と呼ばれている病がある。冒険者特有の病だ。知ってる?」
「いや……」
「まあ、君は来たばかりだし、知っている人間もそう多くないから気にしないでいいよ」
「俺のことはいい。イリスはどうなるんだよ」
「すぐにどうなるってわけじゃないよ。いくつかの経過を経て症状は進行するみたいだから。それが明日か、二十年後かはわからないけどね」
近親の余命宣告を聞いているみたいだ。俺は耳をふさぎたい気分に襲われた。
「原因ははっきりしている。冒険者の扱うマテリアが人体に浸潤することで起きる。脳神経を破壊し、じょじょに体の自由を奪う。やがて呼吸もままならなくなる」
俺はマテリアを直接目にしたことないが、ランカちゃんなら何かわかるだろうか。
「……、治るのか?」
「嘘ついても意味ないから言うけど、根治した例はないね。治療薬もない。お手上げ」
所長が両手を上げる。
「ふざけんなよ、医者なんだろ」
「残念、僕は医者じゃないよ。マテリア工学の専門家ではあるけれど。だからこそできることもある。この研究所でイリスを助けるための研究をしていた。これで納得してもらえた?」
当然、腑に落ちなくて質問をぶつける。
「この病気は伝染するのか?」
「前例はないけど可能性はあるから、こうして僕は予防しなくちゃいけないわけさ。人を遠ざけるも当然の判断でしょ」
俺の腕のことを聞こうとしたけど、所長はカートを押して部屋を出ていこうとしていた。入り口はわかりずらいけど、対角線上に壁が開いて奥に通じていた。
「タロウだっけ。色々行き違いはあったけど、君はスパイでもないみたいだし、検査が済んだら帰っていいよ。ここで見たことは他言無用でお願いする」
「イリスは……」
「うん?」
「ずっとここで過ごすのか」
「そう、治るまで。できる限りを力を尽くすから信じて待って欲しい」
ヒロコも同じことを言っていた。俺はこれでいいのか。他人任せで本当にいいのか。
「これでいいの?」
所長ことユーリは、タロウの部屋から出てすぐの所にいたヒロコに伺いを立てた。
ユーリと同じ防護服のヒロコの顔には焦燥の色が浮かんでいる。カートで無防備に眠るイリスに目を落とした。
「ああ……、タロウにはしばらく伏せておきたい」
「マテリア硬化症なんて病気はないんだよね。まあ途中経過であることは間違いないから嘘ではないんだけど。何せ最終的には」
「口を慎め、ユーリ。まだこの子がそうと決まったわけではない」
厳しくユーリを遮ると、ヒロコは疲れたような足取りで、ゆっくりとカートの近くに歩み寄った。
「こんな幼子が、城主になるなど誰が信じられる? 悪い夢だと思いたいよ」




