消失
ジョエルの言葉が暫く耳から離れなかった。だって真実だから。
奴は俺が変わったと口にした。同じ日、ヒロコにも同じことを言われたことも重なり、ショックに拍車をかけた。
人間は成長する生き物だ。だから俺は前に進んでいる。そう考えるからやってこれた。
その結果はどうだ。俺の周りから人がどんどん離れていく。これで正しいのか。偉い哲学の先生なら何て答えるだろうか。
成長に伴う痛みだとか、最もらしいことでまるめこまれるに決まってる。
明くる日の朝、寝不足でふらつきながら、ブタゴラスに出向く。
「あれ? あんた今日、出勤日だっけ」
事情を知らないアンジェラを無視し、診察台でパイプをふかす親方の背中に向かって頭を下げた。
「話があります。時間もらえますか」
親方は俺が仕事をやめると聞いても、「そうか」と言ったきり、足の指の爪切りを始めた。親方の丸まった爪が床にまかれる。
「お前に、この仕事は向いてないと思っていた。新しい場所でも頑張れよ。それから」
すんなり承諾されたどころか、退職金まで貰えることになった。断ろうとしたけど、お互い頑固だから話がまとまらない。
「あーもう、うるさい! お客さんいるんだからやるなら外でやってよ」
アンジェラにしかられて、押し問答は中断した。貰えるものは貰っておくことにした。俺はまた大人になる。
俺の退職を聞いてもアンジェラに特別な変化はなかった。不味い賄いを食いながら、少し探りを入れてみる。
「この世界でお前の料理を一番食べた男は俺かもな」
アンジェラの手から皿が滑り落ちた。床に落ちても木の皿だから壊れる心配はない。
「気持ち悪い。だから何よ」
「いや、別に。ありがとな、色々」
短気で、いけ好かない女だったけど、頼りになる兄弟子だった。
「礼を言われるようなことしてないわよ。あーあ、あんたの顔見なくて済むと思うと、せいせいするわ」
「とか言って、俺がいなくなるってわかって本当は寂しいんじゃないのー」
「あ……? ふざけんじゃねえ。コロスゾ」
冗談のつもりで言ったのだが、アンジェラの目は据わり、ナイフを高く振りあげようとしている。
「ですよね、すみません」
アンジェラにツンデレを期待するのが間違っていた。俺はすぐに謝り、ナイフを下ろさせた。
昼飯を食い終わると俺は店を出て、通りをぶらぶら歩いた。野良犬に道を塞ぐ物乞い、もはや当たり前の光景となりつつあるこの街はお世辞にも住みやすい場所とは言えない。魔物に住む場所を追われ、行き場のない人たちがここいらに流れ着く。ハテナイは難民を無制限に受け入れているから人口は増えるばかりだ。
外の世界は俺が思っている以上に、危険な場所かもしれない。びびっても仕方ないけど、不安じゃないと言えば嘘になる。
FGからアラームが鳴る。アラームな何種類かあって、俺は学校のチャイムに設定している。
アラームは外部からの通話要請を告げていた。FGをタッチ操作し、無音通話モードに切り替える。これは唇の動きをFGが読みとって声を発さなくても、通話を可能にするものだ。誰もいない所で一人でしゃべってたらおかしいし、声を出せない状況にも対応できる。
「おっはよーございます! お兄さん」
底抜けに明るい声が、俺の鼓膜に伝わる。声だけでランカちゃんとわかる。
「あー、あー、マイクテステス」
「聞こえてますよ。もしかして仕事中なんすか」
「いや、休憩中。それで? なんかあった?」
「いえいえ、大したことじゃないんすけどー」
ランカちゃんは前置きしてから、厄介なからみ方をしてくる。
「姫様とのデート、楽しかったっすか?」
「うわああお!?」
俺は人目を忘れて、変な声を出してしまう。
「王様とももめて大変だったみたいっすね。その後、駆け落ちみたいに夜の街に消えたそうじゃないですか。やりますねー」
情報に特化している組織に所属しているということは本当らしい。プライバシーが筒抜けになっているようで、気分がいいとは言えない。
「人聞き悪いな。あいつとは何にもないって。ハテナイについてすぐ別れたし」
「その方が身のためですよ。あの人、タロウさんに合わないですもん」
言われるまでもなく釣り合わないのは承知だ。あっちは生粋のプリンセス。こっちは平民みたいなものだし、そういう対象として見たこともない。
「で、人のプライバシーを暴くだけ暴いて君はどうしたいわけ?」
俺の物言いも厳しくなる。話がこれだけなら許さないぞと念を押すみたいになった。
「ああ、そうだ。タロウさんと姫様を襲った二人組の素性が判明しましたよ。それをお伝えしようと思って」
イリスを執拗に狙ってきた二人の殺し屋は、今もハテナイに拘留されている。何でも口が堅いらしく、名前の他、雇い主はわからないという。
「調べたら有名な人たちでした。始末屋を自称してますけど、元々は傭兵みたいですね。数々の戦役を潜り抜け、VAF歴代最強とも目されるヒトコロス教団前総長とも渡り合ったそうですよ」
戦ってみた感想として、ただ者じゃないと踏んでいたが、やはり猛者達だったのだ。
それはそれとして、どっかの爆弾魔もほめてたけど、前総長という奴はかなり有名らしい。カトーや、エチカ、ユイの上に立つくらいだからよっぽど悪漢だったんだろう。どうしてるのか気にはなったけど、今は大して重要じゃない。
「ということは、教団の人間じゃなかったんだ」
「はい。往時はともかく、最近は隠居して暴れることはなかったらしいんですけど、何でわざわざ出てきたんすかね」
ランカちゃんの目的が薄々わかった。探りを入れてきている。恐らく、イリスのことを知りたがっている。
「きっとヒロコを狙ったんだよ。要人の暗殺なんてよくありそうな話じゃないか」
芝居は得意じゃないけど、白を切る。そうした方がよさそうだと感じた。
「それはありそうですね。姫様は次期王位継承者。かなり有能だそうですから、早くに目を摘もうと考えたら筋は通ります……、そういうことにしておきましょう」
全然納得していないし、引き下がるつもりもないらしい。ミスったか。俺がイリスの情報を隠したいことがバレている。
「ねえ、お兄さん、あの子はどこに行ったんすか」
「へ?」
「ほら、お兄さんが発電施設から連れて帰って、世話をしていたあの小さな女の子のことですよ」
俺は身震いしていた。この子はどこまで知っているんだ。考えたくないけど盗聴でもされているんじゃないだろうかと不安になる。
「……、ごめんなさい」
ランカちゃんは沈痛な声で俺に謝罪した。
「こんな根ほり葉ほり、私のこと嫌いになるなって言うのが無理な話ですよね。でも仕事だから耳に入ってきちゃうんです。できる限り上の方に情報が上がらないようにしてきたんすけど」
「どうして?」
「だって、お兄さんが困るから。お兄さんに嫌われたら、私生きていけません」
この流れでいじらしいことを言うのはずるい。俺を懐柔するつもりか。悪いけど女にはこりてるんでね、そう易々と丸め込まれたりはしない。
「お兄さん、あの子、ハテナイのどこにもいませんよ。私の権限で探れる範囲を超えてます」
「え、それはどういう……教えてくれ」
すぐさま俺の思考はイリスのことで一杯になる。
「うちが情報に特化した組織なのは有名ですが、その気になれば、一人の人間の痕跡を消すのは簡単なんす。つまり」
「蜂がイリスに何かしたってことか」
何故、蜂がイリスを狙うのか。あの二人組の一人はイリスを箱船の神子と呼んでいた。間違いなくイリスの命を狙っていたのだ。もし、イリスに命をねらわれる理由があったとしたら。
「まだ憶測の段階ですが、一応、お伝えしようと思って。順番が逆になってしまいました」
「あ、ああ……」
俺は倒れそうになり、壁に手をつき、自分のふがいなさを責めた。何がヒロコに任せるだ。面倒から解放されたかっただけじゃないか。
取り返しのつかないことに荷担していたという罪悪感が、俺に降り懸かる。
「大丈夫ですか?」
ランカちゃんに心配されても、息苦しさは治まらない。
「うん……、教えてくれてありがとう。俺の方でも探してみるわ」
地獄耳のランカちゃんに見つけられなかったイリスを俺が探すのは不可能に近い。手がかりもない。まさかこんなことになるなんて。
「ま、待ってください。私にもお手伝いさせてください」
喜んで協力を要請するわけにはいかないだろう。ランカちゃんはジョエルの言うとおりスパイみたいなものだし、まだ完全に信用するのは危険だ。
「疑ってますよね。私のこと。でも今回の件は、組織と恐らく国が絡んでます。お兄さん一人でどうにかできるレベルを超えてるんです。蛇の道は蛇、私がいればお役に立てるかと。そのために連絡したんです」
ランカちゃんは、自分の組織に弓を引くつもりなのか。真偽はわからないし、罠の可能性もある。しかし、そもそもランカちゃんが組織に従順ならこんな話を持ってきやしないだろう。話に乗るべきだと判断した。くさい言い方をすれば、絆を信じてみたくなったのだ。
「うん、君がいると頼もしい。でもヤバくなったら抜けてくれ。これは俺の問題だから」
ランカちゃんは小さくやったと、つぶやいた。喜んでいるのがわかったけど、本心なのかどうかまだ疑っていた。
「善は急げです。姫様から話を聞いてきてください」
「ヒロコに? 何で」
「あの子が国境を超えた形跡がないんす。つまりまだ国のどこかに監禁されているんだと思います」
「さっきどこにもいないって」
「ですから、超強力なセキュリティーで隠蔽しているんですよ。ハテナイと蜂はズブズブの関係で、情報顧問をしているんです。国が噛んでるなら、姫様が知らないはずがありません」
ヒロコがイリスを危険に陥れるとは考えにくい。ことによると、俺よりイリスに入れあげていたみたいだし。
「昨日、あいつ謹慎してるって言ってた」
「それって好都合ですよ。捕まえやすいじゃないですか。さらいましょう!」
まるで人質にでもするつもりなんじゃないか。物騒だが、俺も腹が据わってきて、国と事を構える可能性も考え始めていた。
とりあえず、通話しながらヒロコの元に急いだ。




