王女の休日(前編)
一
仕事がない日は暇なので、読書でも日課にしようと考えた。
元の世界にいた頃もベストセラーには時々目を通していが、俺は読書家ってわけじゃなく、流行ものが気になるくらいの半可通だ。
大半の奴は読書をするより他に大事なものがあって、それを追い駆け回す方が忙しいから仕方がないと思う。
その大事なものが俺にとっては読書ではなくゲームだった。妹にとっては何だったっけ。まあ、あいつのことは今はいい。
仕事場に向かう途中に古本屋があることは以前から知っていた。これまで生活することで手いっぱいだったから、足を止めることもなかった。
イリスと、もしまた会えた時のために、絵本みたいなものを買ってやろうと思って店に入ったんだ。離れようと決めたのに未練が残っている。
目に付いた棚に大小様々な背表紙の本が突っ込んであって、整理が行き届いていない。独特の臭いも共通って感じだ。その雑多な感じが古本屋らしいっちゃらしい。
お姫様の絵が描いてあるものを手にとって(比較的その本の保存状態がよかったってのもある)、めくってみた。
読めなかった。
まるで象形文字みたいな複雑な図形の組み合わせだ。俺にとって未知の言語らしかった。
ビッチと出会ってからこれまでコミニュケーションに難儀したことがなかったから、とてつもないカルチャーギャプを感じた。
慌てて他の埃っぽい本も片っ端からめくる。数十冊試したが、英語で書かれているものは理解できた。そもそも俺は何故英語が理解できるのだろう。英語の成績は中の下くらいだったぞ。
俺は絵本を買ってブタゴラスに行き、アンジェラに名前を書いてもらう。
アンジェラと書いてあるようだが、やはり判読はできない。自分の目と頭を疑った。
「お前は本当にアンジェラなのか?」
「失礼ね。どういう意味。字も読めないくせに、生言うんじゃないわよ」
俺の純粋な好奇心は、粉々に打ち砕かれた。俺はただ事実を知りたかっただけなのに。
ジョエルが寮でぐうたらしてたので、恥を偲んで訊いてみた。予想通りおちょくられる。
「えー!? 君知らないのー、おっくれてるー」
人選間違えたかもしれなかったが、腹立たしいのを堪えて話を聞いた。
「これ、ヒエログリフに似ているらしいよ。僕も読めないんだけどさ」
ヒエログリフっていうのは、古代エジプトの象形文字らしい。それが公用語になっているのが不思議だ。
「何でそんな大層な文字が使われてるの」
「さあ? グラナダでは昔からこれが使われていたらしいよ。ハテナイでは英語が普通だけど。まあ何にせよ、FGで翻訳辞書機能を拡張すれば問題ないさ。マテリアショップに行くといい」
つまり俺が聞いているジョエルの言葉も、本来は別言語で、FGを介して翻訳されているってわけか。知らなかった。バベルの塔の一件みたいに罰が当たったらどうしよう。
「何か俺、だんだん、サイボーグになっちまうみたいだ。攻○機動隊みたいな」
ジョエルは、賛同するようにぱっと目を輝かせる。
「君のお国のアニメーションは素晴らしいよね。フランスにはまだああいうのは少ないよ」
こいつもここに来る以前は普通の生活を営んでいたのだろう。フランス人だというのは初めて聞いた。まあ大体今と変わらず、締まりのない生活を送っていそうだが。
「なあ、ジョエルも元の世界に帰りたい?」
ジョエルは楽器を磨いていた手を止めた。
「いや……、どうかな。ここにいても最低限の生活はできるし、普通に生きてたら味わえないスリルも楽しめる。体が動かなくなったらおしまいだから、それはいつも覚悟してる。君は妹さんを探して帰るのが目標だったね」
俺は少し気兼ねしていた。会う奴みんなこの世界に順応していて、帰りたいって奴は少数派なんじゃないかと思い始めていた。
「僕に負い目を感じる必要ないぜ。大体皆、帰りたくても帰れないからここで暮らしてるんだ。帰れるならそれに越したことはない」
「やっぱ帰りたいんじゃん」
「本音を言うとね。あっちに恋人を残しているし、もう一度会って話がしたいな」
珍しく辛気くさい雰囲気になったので、俺は自分の部屋にいそいそと戻った。
考えてもみなかった。もし、妹が帰りたくないって言ったら俺はどうすればいいんだろう。
あいつにとって、元の世界は決して居心地のいい場所じゃなかったはずだ。それを無理矢理引き戻していいのだろうか。
でも今はわからないから、探しに行く。ランカちゃんに例の件を頼むことを決めていた。
二
明くる日、街の中央広場でランカちゃんと待ち合わせした。
散々ごねた後だったし、虫が良すぎると思われても仕方ない。
でも土地を変えるにはいい機会なのかもしれない。今回を逃したらいつになるか。ずっとハテナイに留まるつもりもない。
「どうせここで待っててもあいつが帰って来るわけじゃないしな」
「誰が帰って来るって?」
白い鳩の群が、広場から一斉に飛び立った。すかさず、俺は首だけで振り返る。
ランカちゃんが、俺から少し離れた所に立っていた。
「こんにちは、お兄さん」
「お、おお」
ランカちゃんはノースリーブのシャツにブルーのスカート、手にはハンドバックを持っている。
「何か冴えない顔してますねえ」
「元からだよ。それより例の話だけど」
ランカちゃんに一歩近づく。勢い余って、思った以上に接近してしまう。靴一つ分の距離も開いていない。
「えー、何かがっついてません? こわ」
「いや、違くて。えーと」
俺は行き場のない気持ちを紛らわせようと両手を広げて、ぶらぶらさせた。
この子と少し付き合ったけど、アテナとは違った意味で難しい。天の邪鬼っていうか、論理的なヒロコの方が幾分話しやすいくらいだ。
「もー、そんなに私と離れたくないんですか。しょうがない人ですね」
困った振りをしているが、嬉しそうな語尾の上げ方だ。つまり満更でもないといった風な。
……、微妙に誤解を与えている気がしないではない。だが、訂正すると余計にこじれる予感がする。
「そ、そう。一緒にユミルに行きたくてさ。頼めるかな」
ランカちゃんは輝くばかりの笑顔で俺の懐に飛び込んできた。それはもう押し倒そうという勢いだ。あれ? 最近この子油臭くない。いい匂いする。
「やったー! 絶対ですからね。やめるとかなしですよ」
「うん。よろしく」
これ幸いとばかりに抱きしめようとした俺の手をランカちゃんはすり抜けた。下心を見透かされたようで恥ずかしい。
「じゃ、タロウさん。また連絡しますから」
「……ああ」
ランカちゃんがスカートを翻し、颯爽と去る背中を見送る。不自然な状態だった腕を下げ、果たしてこれでよかったのだろうかと自問していた。
三
いや、迷っちゃ駄目だ。俺もランカちゃんも逃げるためにここから去るのではないのだ。ちゃんとした目的がある。問題はない。そう俺は自分に言い聞かせた。
仕事が休みだったので、ジョエルに楽器でも教えてもらおうかと思ったけどこんな日に限って野郎は不在だった。
舌打ちして、予定が狂ったのを恨む。
まあでも遊んでいる場合でもないか。
国から出るにしても準備がいるだろうし、ヌイーダさんに相談なしっていうのは義理が立たないだろう。
最悪許可が下りなくても、俺は出ていくつもりだ。さてどうなるか。
「別に構わないけど」
ヌイーダさんは、俺の話を顔も見ずに即決した。
「え?」
「話それだけ? あたし忙しいんだ。ブタゴラスには早めに辞めることを伝えなさいよ。転居の手続きはこっちから追って知らせる。じゃ、そういうことで」
エスニック調のヌイーダさんの部屋から、わずか数分で追い出され、俺は困惑した。もう少し押し問答的なやりとりがあると覚悟していたのだ。
だが、スムーズに物事が運ぶのは悪いことではない。心情的にしっくりいかないけどまあいいや。
踏みしめるたびにきしむ寮の階段も少し名残惜しく感じる。ここに来てはや数ヶ月経つんだ。
守銭奴のババア、この寮を改築しないのだろうか。小金溜めて何してやがるんだ。少しは俺たちにも還元しろ。食事が貧弱すぎんぞ。大体ブタゴラスで食事済ませてるからいいけど。
二階の曇りガラスの向こうにある木の下でイリスはよく遊んでいた。一度、木登りしてこの窓まで上がってきたらしい。俺はその時いなかったけど、ガラスにひっかいたような跡が残っている。
ベッドはかてえ。壁は薄い。ジョエルの唄う歌は意外と鬱なものが多い(カートコバーンに憧れてるらしい)。
たった数ヶ月しか住んでないけど、思い出は尽きない。変だな、一刻も早く脱出してやると心に決めてたはずなのに、後ろ髪引かれてる自分がいる。
ランカちゃんのことを笑えない。相手が置かれている場所に立って初めて共感って奴は生まれるらしい。
自分の部屋に行く道すがら、ランカちゃんと今後のことを相談する必要性を感じた。さっき約束しそびれたから、いつ会えるかFGでメールを書いた。部屋の扉を開ける時に送信は完了した。
ひとまず良し、と俺は顔を上げ、部屋の一点に釘付けになった。
女が俺のベッドで寝ている。うつ伏せで枕に顔を伏せているから顔はわからない。
ジョエルの部屋と間違えたかと焦るが、床の木目に血の黒い跡や、イリスの描いた船の落書きが残っている。俺の部屋で間違いない。
女はストレートの黒髪、白のパンツ(下着ではない。ズボン)。靴は履いたままだ。おおよその見当はついたが、確認してみよう。
「え、えいっ!」
とはいえ、触れるのに勇気がいった。前にこいつに触って投げ飛ばされた経験が俺に慎重を強いたのだ。
ひっくり返すと俺の想像通り、小振りで端正な顔が現れる。すやすやと、鼻から息が漏れるのがおもしろい。こいつの顔をよく観察すると、アジア系だ。叔父のシャルル王は白人なのに、前から変だなって思ってたけど、母親の血が濃いのかもしれない。
「んー……」
王女さまが目を開きそうだったので、俺はベッド側から離れ、扉の前に戻る。今まさに帰ってきたという風を装った。
「あ、帰ってたのか」
ヒロコ様は寝ぼけまなこ目をこすりながら、半身を起こしたが、すぐにベッドに倒れた。黒髪が扇のように広がる。
「王女さまに合うベッドじゃないでしょうよ」
「うん。堅いし、臭い」
あっさり言ってくれるじゃねえか。でもまた枕に顔を埋めてるの何でだよ。
「寝るなら家で寝ろよ。俺の部屋は休憩所じゃねえんだから」
「家に居づらい」
「王様と喧嘩でもしたのか? でもあの人と一緒に暮らしてるんだっけ?」
ヒロコは、うつ伏せのまま首を横に振る。ようやく俺はこいつの異変に気づき始めた。
「仕事はどうした? これまで忙しそうにしてたじゃん」
ヒロコは素早く顔を横に向けた。目が白目を向いている。
「家事でもしてろってさ」
「は?」
「もう仕事しなくていいって。婿でもとれって、叔父上が」
気のせいか涙声に聞こえるぞ。普段のヒロコじゃない。
「そ、それは忙しいお前に休んで欲しいからそう言っただけじゃ」
「いいんだ。どうせ僕なんか何の役にも立たないし」
この底なしのネガティブさはどうだ。
どうしちまったんだ。こいつは。本当にあのヒロコなのか。張りつめた糸が切れたように覇気がない。心配になった俺は駆け寄って状態を確かめる。
「お、おい。マジで大丈夫か。ヌイーダさん呼ぶか」
「放っておいてくれ。一人にしてくれ」
弱々しいながら頑としてここを動くつもりはないことを主張する。
俺の部屋に無断で入ったくせにふてぶてしい奴だ?これがジョエルだったら蹴り出すんだが、それもできない。
「お前が王様と揉めてんのって、俺のせいか」
「……、違う」
こいつ、嘘が下手だな。枕を握る手の力が強くなった。仕事柄、他人の筋肉の動きに敏感になってしまった。
イリスのことを隠して刺客と大立ち回りを演じ、死者まで出してしまった。俺の落ち度と言っても言いすぎじゃないだろう。
「それな、王様に詫び入れといてくれ。許されないかもしれないけど。それに俺、ここ出ていくから」
「だから違うと……、えっ?」
ヒロコは片目だけで俺を見上げる。
「きちんと予定が立ってから言おうと思ったけど、この際だから言っとくよ。ユミルに行くんだ」
ヒロコは機嫌を損ねたように枕に顔を埋めた。それからなじるように、からんでくる。
「ふ、ふーん、逃げるんだな」
「人聞き悪いこと言うな。元からユミルに行こうと思ってたんだ。当初の予定通りなんだよ」
「イリスのことはどうする気だ? 責任を果たさずにお前はここを離れられるのか」
責任と聞いて、胸が締め付けられる。
「だ、だって仕方ねえだろ。あいつにしてやれることなんて何も……それにお前が任せろって」
「ふん、僕なんかの話を間に受けて情けない奴だ。所詮そこまでの男だったというわけか。僕がお前を買いかぶっていただけなのかもな」
皮肉にも元気が感じられない。それはヒロコも自分の無力に打ちのめされているせいでもあるだろう。
こいつを怒る資格は俺にはない。自然、言葉も柔らかいものになっていた。
「気の済むまでずっと居ていいから、飯でも食ってけ。ヌイーダさんに言ってくる」
今のヒロコといると、俺自身を見ているようでしんどい。とりあえず部屋を出た。
俺はここから逃げ出すわけじゃない。でもこのもやもやしてる気持ちを言い当てられたようで苦しくなったのだ。




