襲撃者再び
ヒロコの胸に抱かれ、イリスの別離の悲しみはじょじょに和らぎつつあるようだった。未だに背中を痙攣させているが、暴れ出さないため格段に歩きやすくなった。
緑園の空気は心身を落ち着かせる効果がある。イリスの教育にも良い結果をもたらすだろう。これからもここで遊ばせる予定だ。
母親の務めを果たそうとしている自分を、不思議に思わないではない。身を固める心構えどころか、自分以外の生命に責任を持つ覚悟など知る由もなかった。そんな自分がこれからイリスと生活できるのか。
コンナニモチヌラレタテデナニガデキル
「っ……!?」
ヒロコは予期せぬめまいを感じ、ふらついた所を部下に支えられた。
「殿下、お気を確かに」
疲れによる立ちくらみのようだった。
不安が顔に出ていてたのか部下に心配される始末だ。人の上に立つものは動揺を見せてはならない。叔父もひょうひょうとした顔の裏で重責を担っているのだ。自分が浮ついている場合ではない。
「大事ない。それよりグラナダからの連絡は?」
「それが……」
グラナダに向けてハテナイを発った財務大臣コズウェルが行方不明だ。グラナダに確認を急いでいるが、まだ到着していないと言う。
「彼は仕事を途中で投げ出す人間ではない。刺客に襲われたか……」
グラナダとの関係は悪化の一途を辿っているが、電力の復旧にはグラナダの協力が不可欠だ。虫がいいと思われても、足下を見られて、どんな条件を押しつけられても飲むという方針が決まっている。
あるいは、今回の一連の件は全てグラナダの計略のうちなのだろうか。電力が止まる直前、ヒトコロス教団の一員がおり、ヒロコはその男を殺害している。たとえ、関係なかったとしても、情報を引き出さずに殺したのは自分のミスだ。責任を感じて、ここ数日は眠れていない。
ヒロコは一度頭を振ってから顔を上げた。
平日、人気が多いとは言えない公園にも当然、人がいる。
それを踏まえても、ヒロコ達の前に現れた二人の女性は異質だった。
元は藍色をしていたと思われる修道服は、所々、黒ずんでいる。返り血であるとヒロコが理解する前に部下が叫ぶ。
「殿下、お下がりください!」
それが彼の最期の言葉となった。やすやすと素手で頭部を握りつぶされ、ヒロコはまともに鮮血をかぶった。
同時に、もう一人の部下は首をかきむしったと思うと、裁断されたように独りでに首が落ちた。
ヒロコは予期せぬ凶行を前に、唇を震わせることしかできなかった。
「あー、ねえ、これでいいの?」
素手で頭部を握りつぶした大柄の女がもう一人に話しかけている。手から滴っている血を雑に払う。
白い肌に、ピアスの修道女が神経質な声でわめく。
「いつまでかかってますの! さっさと子供を捕らえなさい」
「はーい、はい。せっかちだなあもう」
ヒロコに手を伸ばそうとした大女だったが、目当てのものが見あたらず、困惑した。
イリスは、ヒロコの腕から下りて歩きだしていた。水たまりを歩くように、血だまりをぱしゃぱしゃと、無邪気に進んでいく。
そして動かなくなった部下たちの腕を持ち上げたり、崩れた傷口を指でほじって、血が出ると目を輝かせた。まるで玩具で遊んでいるような様子に全員が息をのんだ。イリスは死という概念が理解できないのか、楽しそうに死体をいじり、周りのことなど全く目に入らないようであった。
「慈悲だ。一発で終わらせてやる」
無防備なイリスのこめかみに肉体を粉砕する殴打が加わる。小さな体は抵抗することなく浮き、地面を跳ね、茂みに消えた。
「イ、イリス……!?」
ようやく身動きが取れるようになったヒロコは、眼鏡を捨て茂みに恐る恐る近づく。絶望的な状況に足が震える。
茂みの奥で、イリスは泣いていた。額から血を流していたが、大の男の頭部を握りつぶした相手の一撃をまとも食らいながらも命に別状はないようだった。
「あ、ああ……っ」
ヒロコは感情の揺れ動きに耐えられず、イリスの前で座り込んでしまう。
ヒロコ以上に狼狽したのは、殴った本人、ミーシャである。手を抜いたつもりは微塵もない。五体をふきとばすつもりで全力を出したのだ。
「あれー、あれあれー!」
間違いなくジゼルの叱責が飛ぶと覚悟していたが、その兆候はない。ジゼルは唇のピアスを触っている。
「ミーシャちゃん、念のため訊きますけど手を抜いたわけではありませんわね」
「当たり前だ。あたしは子供だろうが容赦しねえよ」
外道には外道なりの哲学がありミーシャはプロだ。汚れ仕事は山ほど経験済みだし、ジゼルもそれを知っている。だとするとあの子供の生命力が尋常ではないという結論に達するのだが、ジゼルの勘がそれだけではないと告げている。
「貴様等……」
茂みをまたぎヒロコが二人の前に現れた。構えた黒い銃口が油断なく二人に向いている。
「何者だ。何故我々を狙う」
ジゼルはぼりぼりと首をかいた。
「貴女はお呼びじゃありませんのよ、プリンセス。我々の目的は、あの子供だけなのですから」
「何?」
一瞬、気を散らしたヒロコにミーシャのボディーブローが決まる。加減をしたものの、ヒロコはその場で気を失う。
「あねえ、どうする?」
「そうですねえ……さすが箱船の神子。一筋縄でいきませんか」
あの子供を物理的に破壊するのが難しいとわかると、別の手段を考えなければならない。とはいえ、時間をかけ過ぎれば王立軍やハテナイに巣くう蜂が出ててきて、面倒になる。
「そういえばさあ」
ミーシャが泣きじゃくるイリスを遠巻きに眺めながら、思い出したように言う。
「昨日、あたしに殴りかかってきた奴がいねえ」
今、気にすることかとジゼルは苛立ったが、不測の事態には正攻法だけでは対処できないことも多々ある。そういう時、ミーシャの言うことに耳を傾けることにしている。
「貴女、あの少年が気になると言ってましたね」
「まあ、気になるっていうか、弱っちいし、大したことないんだけど、妙な感じがした。力を抜かれるみたいな」
抽象的で、自信がなさそうだったが、案外直感というものは侮れない。達人の域になればなおのことだ。
「”墓荒らしのユイ”や、”居眠りキリコ”、A級賞金首を破ったルーキーがいると噂には聞いていましたが、単なる噂だと思ってましたわ。それが昨日のぼっちゃんだとしたら……」
悪魔的な閃きでジゼルは方針を決定した。自分たちで壊せないなら壊してもらえばいいのだ。




