やさしい嘘
一階の食堂に、ヌイーダとジョエルを呼び集めた。イリスを一度寝かせたが、一人にするのも不安なので連れて行くことにする。
ヌイーダは寝起きだったらしく、いつも以上に不機嫌で、ずっと下を向いていた。
ジョエルは酒を飲んでいるらしく、目元が赤い。ブラウンのポンチョみたいな服に羽つきのベレー帽を被っている。
二人を呼びだしたのは他でもない。俺が刺客に襲われた件を報告するためだ。
ジョエルは半信半疑で俺の話を聞いた。
「タロウ、刺客に襲われたって本当なのかい? 僕隣の部屋にいたけど、全然気づかなかったよ」
「ジョエルが帰ってきた時に逃げたんだよ。騒ぎになるのを避けたかったんじゃね」
ジョエルに助けられたなんて癪だったけど、仕方ない。ジョエルが帰ってこなかったら確実に殺されていただろう。
「気に入らないね」
暗い部屋の窓際で目を瞑って立っていたヌイーダが口を開いた。
「物盗りにしちゃ毛色が違う。あんた、心当たりないの?」
狙われる動機は思いつく限り結構ある。教団ならやりかねないが、いくらなんでもしつこ過ぎないか。
「そういえば、何か言ってたな……、はこ、なんとか」
その時、俺の足下で積み木遊びしていたイリスが、飛び上がって反応した。
「はこ!」
「そう、はこ……、あいつらの一人が、はこ何とか言ってた気が。でも思い出せない」
イリスは、”はこ”という単語を時々使っている。ヌイーダといる時も使うらしい。特定の名詞を指しているわけじゃないし、動詞でもなくて、よくわからないから適当に話を合わせてきた。子供の言うことだからこれまで深く考えなかったのだ。
「ねえ、もしかしてその子が狙われたんじゃないの」
ヌイーダはイリスの使う、はこと、刺客の言った、はこの符合に気づいたらしい。ジョエルもその可能性に食いつく。
「おい、その子、詳しく聞いてないけどヤバい筋の子なのか。何か普通じゃないと思ってたけど」
疑惑の目を一心に浴び、イリスが困惑している。他人の感情に人一倍敏感なんだ。俺は側にいたイリスを背中に隠す。
「この子は何も悪くないよ。悪いのはあの二人組だ。今度来たら俺がぶっ飛ばしてやる」
俺の虚勢を見透かしたように、ヌイーダが笑う。
「無理よ、あんたじゃ」
「俺は! 弱くなんかない。死線だって潜ってきた」
「相手は多分プロだ。あんたの百倍は潜ってるよ。その変な自信捨てないと、いくらやっても無駄死するだけ。少しは学習しろ、クソガキ」
ヌイーダの言葉の重みがわからないわけじゃない。でも強がってないと心が折れそうだった。
「イリスは明日ヒロコに引き渡すんでしょ。念のためヒロコに頼んでここらの警備の巡回増やしてもらう。あたしにできるのはそのくらいだね。じゃ、おつかれさん」
イリスの頭を軽く撫でて、ヌイーダは立て付けの悪い扉を開け閉めして出ていった。
「なーんか冷めてーの。俺死にかかったのに」
ジョエルが俺の不服を宥めるように笑って見せた。
「警備は君のためだし、イリスの件も含めて王女に伝えてくれるよ。ちゃんと考えてくれてるさ、僕らのボスは」
「だといいけど。後で別途費用請求されても払えねえぞ、俺」
「まあその時はその時。眠れないんだろ、酒飲む?」
少し飲みたい気分だったが、イリスは床でうとうとしていたし、部屋に戻ることにした。
「あー、その、何だ、タロウ」
煮えきらない態度に、まあいつものだろうと当たりをつける。
「金貸してくれってか。ねえよ」
「こんな時にそんなこと言うわけないだろ。僕さあ、君に恩義を感じているわけだよ。この間、城で助けてもらったじゃん。今度何かあったら助けようと思ってる」
殊勝なこと言うじゃねえか。少し頼りないけど、落ち込んでいた時だから胸に沁みた。
「それから、手を怪我したこと、誰にも言わないほうがいいよ」
「何で?」
「嘘だとか疑ってるわけじゃないけど、一瞬で手が治ったとか変な噂が立つと君も困るだろ」
俺の身を案じて言ってくれたんだと思う。ジョエルに悪気はなかったんだろうけど、イリスを見る目がこの日を境に変わるだろうと思うと、悲しかった。
イリスが不思議な力を持っていたとしても、俺はこいつを見捨てない。明日、離ればなれになったとしても今夜だけは必ず守る。
二
イリスの迎えが来たのは、早朝だった。
俺は眠るまいと一晩中、頑張っていたから、戸を叩く音に真っ先に気がついた。
寝ぼけているイリスを部屋に残し、一階玄関に向かった。
玄関ホールにいたのは、見知らぬ黒髪ロングの女だ。白いシャツに、デニムスカート。すらりとして俺より背が高い。黒いフレームの眼鏡をかけ、知的で洗練された印象を与えた。
「迎えに来ると言っただろ。準備はできたか?」
凛としてどこか高貴さすら漂わせるその女に、恥ずかしながら気をされ言葉がでなかった。
「ままー!」
振り返ると、階段上からイリスが叫んでいた。足を踏み外したら大変だ。俺はイリスを確保しようとしたが、先を越された。眼鏡の女が二段飛ばしで階段を駆け上がりイリスを抱き上げたのだ。イリスはヒロコの格別の愛情が伝わってはしゃいでいる。
「イリス! 元気にしていたか? 少し重くなったなあ。今日から僕と一緒に暮らそうな」
母性溢れる仕草は普段の冷徹なあいつとは似ても似つかない。同一人物か疑わしくて下手に訊ねる。
「ヒロコ……様で、いらっしゃいますか」
心外だという顔でヒロコが俺を見下ろす。
「誰だと思っていたんだ。もしや約束を忘れたわけじゃあるまいな」
「そんなんじゃねえよ。そんな格好で来るから」
「どういう意味だ」
「だから、その。眼鏡してるし、化粧も」
言葉を選んでいると、イリスは俺たちが喧嘩していると思ったらしい。ヒロコの頬にキスしていた。
「あはは、やったな、こいつ。おかえしだ」
「きゃー!」
足をばたばたさせて喜ぶイリスを見ていると、どんな難しい奴でも気を許しちゃうんだ。俺も階段を上がってヒロコと並ぶ。
「じゃあ俺も」
「貴様は駄目だ」
ヒロコは俺に背中を向け、イリスを隠してしまう。
「何で」
「イリスが汚れる」
「……、お前さあ。もっと物の言い方っていうものを覚えた方がいいよ。人の上に立つんだろ」
「余計なお世話だ。これでも気を使っている」
悪い奴じゃないんだけど、歯に着ぬ言動はいくら敵を作っても足りないだろう。その点、誰にでも愛想がよかったビッチを見習って欲しい。気位は時に短所になるってわかってないわけじゃないだろうけど、この国が行く末が心配だ。
「もっと遅くに来ると思ってから準備何もしてないんだけど」
「心配ない。イリスと朝食を一緒に食べようと思ってな。パンを買ってきた」
こいつにしちゃ気が利くな。眠気が一瞬で吹き飛んだ。ヒロコが持ってきたパンは王都で一番の人気店の奴だ。袋でわかった。二番街にある店の前でいつも人だかりができていて、一度食べたいと思っていたが値も張るし、これまで断念してきたのだ。
はやる気持ちを押さえ、俺たちは食堂に移動し、ヌイーダ、ついでに二日酔いのジョエルも呼んで一緒に朝食を取った。
長テーブルにめいめい腰を下ろし、食事を取る。パンにウインナーを挟んでイリスに手渡すと一口で頬張ろうとしたので、皆が驚きと微笑ましい気持ちになった。
「ねえ、ヒロコ、少し相談あるからあたしの部屋に来てくれる?」
ヌイーダは朝から赤ワインを口にしていたが、その表情は緩むことはなかった。昨夜のことをヒロコに話すつもりのようだ。
朝食後、散会すると同時に俺は大声を上げた。
「あー! そうだ」
全員の視線が俺に集中する。
「うるさい奴だな。元気があるなら外でも走ってきたらどうだ」
不快そうにヒロコが口を開いた。俺は構わずまくしたてる。
「実は昨日、泥棒が入ったんだよ。金庫とか無事かな。ねえ? ヌイーダさん」
ヌイーダは案の定、俺の話に耳ざとく反応した。
「何余計な心配してんの。あれを開けた奴には死ぬ呪いがかかるから平気よ」
「でも一応確認した方がいいですよ」
俺との話を即座に切り上げ、ヌイーダは食堂を出た。守銭奴め、予想通り動きやがる。
俺はイリスを抱き抱え、ヒロコの手を握った。うわ、細い……っていうか、女だから当たり前か。
当然、王女様は烈火の如くお怒りになる。
「おい! どういうつもりだ。僕に触れたら」
「イリスの前であんまり物騒なこと言うなよ。ちょっと散歩しよう。今日でお別れだから、もう少しだけ側にいたいんだ。頼む」
ふりほどこうとしていたヒロコの手の力が緩む。俺のわがままを聞き入れてくれた。意外と度量があるんだ。まあイリスに関することだけだろうけど。
三人で寮を出る。今日も暑くなりそうだ。夏が近いんだろう。
一人取り残されたジョエルはというと、あくびをして二度寝するため自室に引き上げた。
そして、一本の黒い糸が窓の隙間から入り込んでいることに気づいた者は誰一人としていなかった。長さ一メートルはあろうかという糸は部屋が無人になった途端、外に向って引き寄せられた。
まるで何者かが外から糸を引いているようだった。




