転機
ハテナイ公認ぱふぱふ店、ブタゴラスが俺の職場だ。
ほこりっぽい路地の片隅で、細々と営業している。
何だかんだで、ここで三ヶ月働いてるんだよな、俺。
このピンクのいかがわしい看板の下を通るのも恥ずかしくなくなった。
店の前で感慨に耽っていると、入り口の木製の扉が勢いよく開いた。兄弟子のアンジェラであろうということがわかっていたので、挨拶をする。
「よお、どうしたそんなに急いで。トイレか」
出鼻からアンジェラは赤毛を振り乱し、平手打ちをしようとしたが、俺は難なく身をかわした。
「こら! よけんな」
「やなこった」
からかうのも慣れてきて、アンジェラを軽くあしらうようになってきた。まあ、無駄な体力を使いたくないし、子犬みたいに思うことにしてるよ。
アンジェラは息を切らし、負け惜しみを言い出した。
「はあ、はあ、これで勝ったと思うな。兄弟子を馬鹿にしくさって」
「やだなあ、尊敬してますよ。これからも仲良くしましょう」
握手をしようと手を差し出した俺のノーガードの頬をアンジェラの拳が、めり込んだ。口の中で歯がこすれる感覚が気持ち悪い。
「やった! ざまあみろ」
喝采を叫ぶアンジェラの品のない面構えが癪に障る。
「てーな……、グーでやる奴があるかよ。下手に出てりゃつけあがりやがって」
「先に喧嘩売ったのあんたでしょ! もっかいするぞ」
「言ったな、この野郎」
売り言葉に買い言葉はいつものことだけど、その上寝不足だと頭が回らなくていけないね。大した理由もなく女に手を上げるなんて最低だろ。常日頃からそう考えていた俺だったが、この時は本気でこの女をいてこましてやりたいと思ってしまった。
「それはそうと、あんたにお客が来てるわよ」
アンジェラの態度が急にビジネスライクに戻ったので、俺も少し冷静になった。あのままだったらマジで殴っていたかもしれない。すぐ反省する気持ちが湧いてきた。
「そ、そうだったんか。アンジェラ、あの……、ご」
「あーあ、またヒロ様来てくれないかなー。ねえ、あんた顔見知りなんでしょ。でも無理かあ、底辺のあんたなんかじゃ」
冷静になりかけた頭にまた血が上りそうになったが、理性で押さえつける。アンジェラはこういう無神経な奴なんだ。取り合うと切りがない。
「ま、まあ今度会ったら頼んでみるよ」
「期待しないで待っとくわ。じゃ、あたし買い出しあるから。物の値段は上がる一方だし、嫌になっちゃう。あと店の中で変なことしたら承知しないから」
気になる釘の差し方をして、アンジェラは店を離れた。
あいつといると、妙に疲れる。そりが合わないんだろうな。
一応ノックしてから店に入る。部屋は、左右のカーテンで仕切られており、女性の客はアンジェラが、男性の客は俺と大将が担当している。といっても、女性客はほとんど来たためしがないため、アンジェラも主に男性客の相手をしているんだ。あの通りの気性だから、変な客が来ても大丈夫だろうけど、あいつも色々ストレスを抱えているのかもしれないな。
左側の施術場に人がいないことを確認してから、右側のカーテンをめくった。
ベッドにうつ伏せになっていたのは、白いタンクトップ姿の若い女性だった。
カーテンを素早く元に戻す。
「……失礼しました」
アンジェラの野郎、女性客ならてめえの仕事だろうが、俺に丸投げしてんじゃねえよ。あー、気まずい。怒られたりしたらどうしよう。
所在なさげにカーテンの前で立ち尽くす俺だったが、次の瞬間、お客の方から逆に声をかけられ、焦る。
「あれ? お兄さん? いたんすか」
俺は恐る恐るカーテンをめくった。ベッドで頭をもたげていたのは、顔見知りだった。何度かお世話になった少女、ランカちゃんであった。
「やあ、この店、よくわかったね。入り組んでるから迷う人多いんだ」
ランカちゃんは、うつ伏せのまま返事をしてくれない。再び気まずい時間がやってくる。俺何かしたっけ。前回、あんまり良い別れ方してなかったことだけは鮮明に覚えている。
「お兄さんって、誰にでも良い顔しようとしますよね」
……って言われたんだった。
あああ、へたこいた。わかっているから否定のしようもない。ランカちゃんは何も悪くない。嫌われたのは俺の器の小ささが原因だ。気を取り直して仕事に取りかかる。
「また肩凝った? せっかく来て貰ったからサービスしようかな」
努めて明るい声で接客するも無視され、さらにへこむ。こりゃヤバい。アンジェラ、早く戻ってこい。
「……、ごめんなさい」
しばらくして、消え入りそうな声で彼女はそう言ったんだ。思わず聞き返してしまう。
「え?」
「この間のことだけじゃないですけど、私、お兄さんにひどいこと結構言ってるなあって反省してるんです。だから今日は謝りに来ました」
神妙に謝罪され、思考が固まる。俺悪くない?
「私も、人の顔色ばかり伺って生きてきました。だから、お兄さんを見てると、鏡で自分を見ているような気がして苛立ったんだと思います」
同族嫌悪って奴かな。何気に謝られている気がしないでもないが、突っ込むのは野暮か。
「そっか、俺たち似たもの同士だったんだ。謝ることないよ。気にしてないから」
彼女への信頼は、このくらいで揺らいだりしない。多分これからも。
「あんまり気にされてないのも困るんすけど」
ランカちゃんは顔を上げたけれど、その目は泣きはらしたように真っ赤で、俺を驚かせるには十分過ぎた。
さらに追い討ちをかけるように跳ね起きたランカちゃんが、俺に抱きついてきた。
彼女の背中に手を回そうか悩む。今日は油臭くなくて、植物せっけんみたいな良い匂いがしている。色々な所が柔らかい。彼女の背中には、三匹の蜂のタトゥーが彫ってあるのを見つけ、すこしビビる。ギルドのものだろうけど、日本で暮らしていた俺からしたら物騒な感じがする。日本の入れ墨とかじゃなくて、幾分ポップなのが救いかも。
タトゥーくらいなんだ。ランカちゃんは良い奴だ。困っている俺に何度も手を差し出してくれた。今度は俺が助ける番だ。
力を込めないようにそっと背中を抱く。イリスをあやす時みたいに大事なものを包み込むように。
無心で祈るってこういうことなんだろうか。ランカちゃんに声をかけられるまで五分以上が経過していることに気がつかなかった。
「あのー、もういいすか? 暑いんですけど」
うざったそうに彼女は俺を押し退ける。何やってんだ俺は。でも抱きついてきたの向こうの方だし。
「人肌って落ち着きますね。すっきりしました。やっぱりここに来てよかったです」
付き物が落ちたようにすっきりした顔で笑う彼女に安堵する。少しは役に立てたかな。
「あ、そうだ。今日はお兄さんにおみやげっすよ」
彼女は肩掛け鞄から、メダルを取り出した。それは何者かによって盗み出され、質屋に流れた代物だった。イリスのこととかゴタゴタしてて忘れていた。
「ありがとう! 買い戻してくれたんだ。高かったのに」
「いえ、お金の当てができたので」
その割、表情に陰りが見える。理由はそれとなくわかる。重労働っぽいもんな。あのギルド、人使い荒そうだし。
「実は、転勤が決まりました」
ランカちゃんは、メダルを手でもてあそんでいる。
「前々から転勤願いを出していたんすけど、数日前に受理されたんす」
「へー、そうなんだ……、遠いの?」
「北西の大都市ユミルっす」
俺の当面の目的地と重なったのは偶然か。
「恥ずかしい話、いざ向かうとなったら怖いんす。どうしよう」
未知の恐怖に耐えきれなくなったように、ランカちゃんは震えた。
「大丈夫じゃないか? だって仲間もいるんだろ」
無責任なこと言ってるってわかってた。仲間に相談できるならこんな所に来るわけないもんな。
案の定、彼女は俺に助けを求めてきた。
「もしよかったら……、私と一緒についてきてくれませんか」
「それは、無理だよ」
保留するのも一つの処世術かもしれない。でも、どうせ答えは決まっているので即答した。
落胆に目を伏せる姿を見てられない。こういうことは安請けあいする方が残酷じゃないか。
「何でですか? 前からユミル行きたいって言ってたのに。お兄さん、いつまでこんな汚い店でこきつかわれてるつもりなんすか。妹さん、探すんでしょ?」
彼女の言葉は耳に痛い。重々わかってるんだ。これ以上は勘弁してくれ。
「これは千載一遇のチャンスなんす! 教団を追い払った実績のあるお兄さんなら、絶対ギルドに迎えてもらえます。うちの情報網を使えば絶対妹さんは見つかります。後悔させません」
熱を込めて必死に説得する彼女の声はあまりに耳に入ってこなくて、イリスは、ちゃんと飯食ったかなとか考えていた。




