犬とサボタージュ
埃っぽい通りに風が吹いていた。
グエンさんを見送った俺は、肩を伸ばしてストレッチする。
俺の右手には、ユニークスキルが宿っているらしい。神様が授けてくれた俺だけの特殊技能だ。かといって俺だけが特別というわけじゃない。全てプレイヤーはもれなく二つとない才能を与えられるのだ。
俺のユニークスキル、”しぎ”は、まだ詳しい効能がよくわかっていない。
ショータの斬撃を止めたり、アテナを腰砕けにしたりと役立つこともあるが、肝心な時に発動しなかったりと、謎も多い。
ユニークスキルって言っても、俺には自覚がそんなになくて、腕が勝手に動くのは気持ち悪いなくらいにしか思っていない。
仕事に役立ってるとも言えないだろうし、何だかなー。
今度の休みに、ヌイーダさんにスキル鑑定に連れていってもらう予定になっている。使い道のない道具持ってても、宝の持ち腐れだし、取説のついてないゲームみたいだよ。まるでVAFみいたいだ。
店に戻ろうとした俺が向きを変えようとした際、背後にいた女の氷のような視線とかちあう。
「いつまで油売ってんだ! タロウ! 早く片づけしな!」
やべえ、雷が落ちた。
こいつは、アンジェラ。大将、オルテガの娘さんだ。俺の兄弟子に当たる。年齢は、俺の一つ年下らしいんだが、気性が激しくて、ひどい時は手も出る。
目は細くて体つきは子供っぽいし、そばかすがあって、あんまり美人じゃないけど、額の迫り出し方が可愛いんだ。癖のある赤毛を後ろで縛って、ボートネックの七部袖のカットソーに、カーキ色のパンツを履いている。
「あの客、代金払ってくれたの?」
「あ、うん」
今日、もしグエンさんがツケを払ってくれなかったら、俺の給料から引かれることになってたんだ。
「あんた、もっと強く言った方がいいよ。噂が広がったら踏み倒す目的で来る奴もいるかもしれないんだから」
「ごめん。俺、未熟だから金取っていいのか、あんまり自信なくてさ」
アンジェラの目がつり上がる。失言だった。もう遅いけど。
「あんたは腰掛けのつもりかもしれないけどさあ、こっちは真剣なんだよ! 半端な覚悟なら辞めてよ、迷惑だから」
あーあ、肩で息してら。可哀想なくらい呼吸が浅くなっている。
はいはい俺が悪いんだろ、クソが。努めて静かに告げる。
「俺はそんなつもりはねえよ。妹のことと、ここでの修行は別だ。お前がイラつくのはわかるけど、俺はちゃんと」
「信じらんない! 父さんは何でこんな奴」
大将なら、こいつから何聞いても、そうかとか、一言言ったきりで俺をしかったことはない。むしろ叱ってくれた方が良かったんだけどな。俺に対する甘さと受け取られても仕方ない。
「おい、待てよ。悪かったって」
俺はつい、アンジェラの肩を掴もうとした。その手は大胆に距離を取られ、かわされる。
そして甲高い声で糾弾される。
「触んないでよ! あんたのその”右手”大嫌い! 早くどっか行っちゃえ、冒険者」
アンジェラは店に駆け込んだ。
嫌い、か。
こちとら好かれに来てるわけじゃねえんだ。仕事なんだからよ。ざけんな。
客より、あの娘の方が厄介だよ。あー、やる気なくなった。競馬でも行くか。
どうせ今戻っても、あいつと顔を合わせられねえしな。
働くのって、クソめんどくせー。主に人間関係が。
大人ってみんなこうなんだろうか。少し尊敬した。
2
金は、あるにはある。
でもそれは、ヌイーダさんに頼まれた煙草を買うために預かったお金だから、競馬に使うわけにはいかないんだ。
俺の所持金じゃ、水一杯買えない。水は結構貴重だから、店でも有料だ。その辺、日本にいた時のありがたみがわかるんだ。ハテナイにも水道はあるけど、水質は悪いし、断水も多い。
衛生環境の悪化も、結構目に付いた。
やはりどこの世界にも、貧富の格差はあって、土地を所有している富裕層とか貴族の家は、俺が以前行った役場の周辺に密集している。ギャンブル目当ての旅行者が泊まるホテルもあの辺りにあって、俺、面接行ったけど落とされた。
俺が働くブタゴラスのある辺りは街の中心地とスラムの中間ぐらいにある。観光客がぎりぎり入っても命は取られないラインだ。スラムは治安が悪いらしいから、俺もめったに近づかない。
ブタゴラスから三軒離れた場所に、煙草屋があっていつもそこでおつかいをする。
店に入ってすぐの所にカウンターがあり、そこには黒い顔をした太った年増の女性がいる。彼女の後ろにタイル張りの床、棚があってそこに雑貨とかの商品が置いてある。
「いつもの」
俺がカウンターに紙幣を置くと心得たもので、いつもの煙草を取ってくれるのだ。
「ないよ」
俺はしまったと思った。ヌイーダさんの買う銘柄は外国の輸入物だ。最近値段が高騰してて、また値上がりしたのかもしれない。
「品切れ。入荷の予定はないね」
よく見りゃ、棚がスカスカだ。やだな、最近、色々な物の値段が高くなっているし、品数も少ない。市場に行っても、魚なんかほとんど売ってない。
「どっか売ってる所知りませんか?」
「どこも大差ないと思うよ。品物自体が入らないんだ。お手上げさ」
俺は渋々、店を出た。
アンジェラの機嫌はまだ直ってないだろう。やっぱり競馬に行こうか。その前に街の中心地で煙草を探そうと思う。煙草ないと、ヌイーダさんは露骨に機嫌悪くなるからな。
通りはあまり清潔じゃなくて、ゴミとかも落ちてる。雨水の溜まった壷に、ぶちの野良犬が首を突っ込んでいた。俺をゆっくりと見上げる。
しっぽを立てて、そろそろと近づいてくる。
おいおい、こっち来るなよ。肋の浮き出たやせた野良犬が、まっすぐ俺に向かってくる。
逃げなきゃ、やばい。
本能的にきびすを返し、俺は走り出した。でもこれって余計に事態を悪化させたことにならないか? 犬は吠えながら追ってくるんですけど。
犬っころぐらい叩き殺せ! 冒険者ならそのくらい朝飯前だろ? と、アンジェラなら皮肉を込めて言うだろう。
でもさ、俺、LV1だし、あの犬、狂犬病を持ってる可能性が大だ。
途上国には多いって聞くし、異世界にあっても不思議じゃない。ハテナイの医療レベルは低い。アンジェラは、投薬も外科手術も聞いたことないって言うし、ぱふぱふも医療行為に含まれるくらいだからな。血清なんかあるわけない。噛まれたら、
「死にたくねええええええええ!」
俺は必死で走った。石に躓きそうになったり、人にぶつかったりしながら、犬から逃げた。
情けねえ。このクソゲー、油断したら簡単に命を落とすみたいだ。
気づくと、景色が一変していた。
今にも潰れそうな木造家屋が立ち並ぶ陰気な場所に来ていた。細い路地に人気はないが、視線を感じる。
「ここ、もしかして……」
犬に追いかけられて必死だったが、スラムに迷い込んだのかもしれない。参ったな、切妻屋根からのぞく狭い空を見上げる。
「き……、お」
突然、人の声らしきものがわずかにした。身がすくむ。やべえ、強盗か。金渡せば命助かるかな。
「お、にい、さん」
あれ?
この声って、まさか……
FGに耳を近づける。砂嵐のようなノイズ音に混じり、女の子の声が辛うじて拾える。俺は小声で交信を試みた。
「もしもし?」
別のプレイヤーが俺に通話しようとしているようだ。
FGのスピーカーモードがONになっていたから、音が漏れている。分子振動にすれば、まるでテレパシーのように人に会話を聞かれることはない。FGを操作し、モードを切り替える。これで不要な音波の影響は受けないはずだ。
「そこから五十歩行った十字路を、左折して、二つ目の角を曲がった所のアパートの三階、二五五室、イスカの蜂」
一方的に交信が切られる。どうせ帰り道はわかんねえしな。俺を袋叩きにするつもりならここでやるだろうし。
膝を叩く。
行ってみるか。