番外編 誓い
「せっせせっせせーのよいよいよいよい……」
ショータが城門を去り、二時間が経過した。
野鳥に啄まれていたエチカが体を横に倒し、右肩を地面にこすりつけ始める。
「モウ行クノカ?」
鴉が、嘴を開いた。この鳥は、エチカの頭上に夕べから留まっている。
「うん、愛する人を追いかけないと。恋する女はハードワーカーよ」
答えながら、鳥に肉の切れ端を口元まで運んでもらう。
「豚肉の脂身マジうめえ。やっぱもつべきものは友達だわ」
鳥が嘴を上向ける。
「アノ壁の中ニハ、イヤナモノガイル」
「いやなものって?」
エチカは、外れた間接をもどかしそうにいじる。
「ワカラナイ、タダ大キナモノ」
「マテリア?」
「夜一ツ増エタ。今は三ツニナッタ」
エチカはその一つを知っている。憎き恋敵だ。
「そいつにはデカい借りがある。あたしが潰す」
「ヤメタホウガイイ。アレハエチカノ手ニ負エナイ」
鴉が一斉に羽を広げて飛び立ち、白々しい朝日が目に入る。ようやく右肩の間接が落ち着いた。
「あー、よっし。やっぱ何回やってもなれないね」
痺れるような痛みに慣れるまで、胡座をかいて座っていた。ショータを追うには越えるべき城壁がある。文字通り高い壁だ。
「そろそろ門が開いたかな。ドキドキ」
脳天気な声が背後から聞こえ、エチカは首をもたげる。
弾んだ足取りで現れたのは、十代中頃の少女だ。マウンテンパーカーを着て、ニット帽を被っている。大きな黒縁眼鏡には分厚いレンズがはめられていた。
彼女は、エチカのすぐ脇を通り過ぎようとした。
「おーい。ユイ」
エチカが呼び止めるとぎこちない動きで、立ち止まる少女。
「お、おはようさんどす。エチカはん」
「シカトすんな。てゆーか、その京都弁なに?」
「他意はないのですけれど、あのその」
エチカの激しい追求にたじたじの彼女は、ユイという。エチカと同じ立派なヒトコロス教団の一員である。教団に加入した時期は、エチカよりも早いにもかかわらず、気弱な彼女はまるで後輩のように顎でこき使われていた。
「こんなところで会うなんて珍しいじゃん。あんた、ギャンブルとか興味あったっけ?」
「え、ないよ。私、そういう心臓がドキドキするのはちょっと……」
「ハテナイといえば、ギャンブルっしょ。じゃあ、あんたのコレクションに関すること?」
「ち、違うよ。召集命令があったから」
ユイは声を落とした。エチカの眉間に皺が寄ったのに気づいたためだ。
「総長のメール見てないの? エっちゃん」
「ああん?」
エチカは動かない左腕を右手で持ち上げ、FGを操作した。
「あ、ほんとだ。あの銭ゲバ、今度はこの国を盗るつもりか」
エチカは苦笑する。この場所にいる状況が、まるであの男の手のひらで転がされるようで滑稽だった。
「エっちゃん、本当に何も聞いてないの?」
心配そうにユイが顔を近づける。小動物のように落ち着きがない。
「あたしの前でカトーを総長って呼ぶな」
「あう……、でも」
ユイはますますうつむき加減を強める。
「総長は、”リリス”だ。あたしはカトーを絶対認めない」
エチカの大切な友達が作った組織は、形を変えていく。その変化は醜悪で、受け入れがたいものだった。だが、エチカはその組織にしがみつく。友情が彼女を縛り付けていたのだ。
ショータへの超弩級の愛>友情≧金≧戦
「ユイ、話を聞く前に、左肩の間接はめるの手伝ってくれる? 一人じゃやりにくくって」
「うん、いいよ」
ユイは華奢な見た目とは裏腹に、なかなかの腕力があり容易に仕事はすんだ。
「それにしてもエっちゃん、どうして間接が外れて倒れてたの?」
エチカは目を泳がせる。
「彼に、愛されちゃって」
「そ、そうなんだ」
ユイは顔を赤くして眼鏡を持ち上げた。
「彼ったらご無沙汰なもんだから、獣みたいに激しくしてきてー、さすがのあたしも体がガタガタよ」
「いいなあ、うらまやしー。私も彼氏欲しいなあ」
「できるよ、ユイにも。まあ、ショータほどの男はあたしくらいの女じゃないと釣り合わないけどね」
エチカは太鼓判を押し、豪快に笑った。ユイも小さく愛想笑いをした。
ユイは内心、恋愛に全く興味がない。話を合わせないと、エチカの機嫌が悪くなるので、仕方なくのろけ話に相槌を打ったまでだ。
「でも彼氏さん、冷たいね。エっちゃんを置いていくなんて」
「え?」
エチカは言葉を失い、うなだれた。
「どうしたの? エっちゃん」
「何でもない。ショータは忙しいの。それよりさっきの話の続きして」
「それは小生が答えてしんぜよう」
嗄れた男の声が二人の少女の背後から聞こえた。
声のした方向にはリクガメが這っている。大きな甲羅はエチカの頭より大きい。一歩一歩確かに地面を踏み踏み進んでいた。
「ああ、あんたも来てたんだ」
エチカは落胆したように、カメを見下ろす。
「当然だ。小生はユイの相棒にして、同好の志であるのだからな」
リクガメはエチカと会話をしている。威厳あふれる口振りに、カメの姿が見えなければ、賢人の声と聞き間違えてもおかしくない。
「同好の志なんて、キュンキュンだよぉ。ゲーテさん」
ユイがカメの脇にしゃがみこむ。
「謙遜するな。小生と同じ収集癖という共通項があるではないか。ユイの場合、幾分特殊だが」
教団メンバーは通常、二人一組で行動している。ユイと、カメのゲーテはコンビを組んでいるものの、普段は別行動だ。有事の際にしか集合しない特殊なコンビである。
「てか、結構ヤバ目の案件なの? 何ならあたしが斬り込んであげてもいいよ」
もち有料で♡
「どの口が言うのだ、エチカ。小生たちがここまで出ばって来たのは、貴様とその相棒が原因なのだぞ」
「はあん? どうして?」
「教団の資金を持ち逃げした事実は認めるな?」
非合法活動をしてきたせいで、エチカは正規の依頼が受けられない。拠り所は教団だけなのだが、エチカは現在の教団の在り方を認めていない。そのため単独で動いている。
「でも、新型の機雷を作るためにお金が必要だったんだよ。あれで特許取れば、借金も返せると思って」
「それについては総長もお喜びだ。教皇に良い手土産ができた」
「なに、それ……、勝手な」
「勝手をしたのはエチカだろう? 総長に土下座でもすれば、許してもらえるかもな」
そんなことはできっこないと、カメは知っていて煽るのである。エチカは拳を握りしめた。
「貴様はどうしたいのだ? エチカよ。正規の冒険者ともつるまず、教団の方針には逆らう。あげく借金の自転車操業で、負け犬の尻を追いかけるなど考えられん。くだらん人生だ。貴様も、ショータとかいう餓鬼も」
エチカの隻眼が鮮やかな怒りに燃える。
「……、聞き捨てならない。ゲーテ、あたしのことはともかく、ショータを悪く言うのは許さない。撤回しろ」
「吠えるなよ、餓鬼」
カメは手足と首を甲羅に引っ込め、高速で回転した。生じた衝撃波は強烈なエネルギーを兼ね、エチカの体をはね飛ばした。エチカの小柄な体は鞠のように転がり、城壁に叩きつけられて止まった。
「ゲ、ゲーテさん、やりすぎじゃないかな」
間近にいたユイは衝撃波を跳躍し、難を逃れている。
「構わん。聞き分けのない餓鬼には体罰もやむなし。これは教団の伝統だよ」
ユイは居たたまれなくなり、エチカの側まで走っていった。
エチカは額から血を流していたものの意識はあり、自力で身を起こしていた。
「エっちゃん、平気? やっぱり総長に謝って戻ってきたほうがいいよ」
エチカの強情さをユイも知っているので、もう言葉は用をなしていないと思った。
ところが、
「あたしは何をすればいいの? ユイ」
「エっちゃん?」
血が流れると、エチカは逆に冷静になる。冷静に現実を捉えつつあった。どのみち自分の食い扶持は稼がなければ生きられないのだ。ゲーテの言動はいけすかないが、優先順位という観点からは、それていない。
「勘違いすんなよ、カトーを総長と認めたわけじゃない。盗んだ金の分、働いて返すだけなんだから。這い蹲ってもやる」
「その意気やよし。貴様は小生やユイと違い、代えのきく兵士だ。鉄砲玉と言い換えるべきかな。せめて、その役割は果たすべきだろう」
カメが悠然と這いながら憎らしい口を叩く。
ユイに手を借り、立ち上がる。目眩はするものの、五体は満足に動いた。
「さ! 詳しい話は後にして、王都に入りましょう。私お腹ぺこぺこだよ」
ユイが気分を一新させようと、朗らかに提案した。
「貴様はバカか、ユイ。おたずね者の我々が正面から、はいそうですかと入れてもらえるわけがなかろう」
「あうっ!?」
正論であったものの、ユイは涙ぐむ。ゲーテの言葉はいつも直戴過ぎるのだ。
「じゃあどうやって入るつもり?」
エチカが疑問をぶつけると、ゲーテは首を重そうに振った。
「それは小生が考えるべき事案ではない」
忌むべき亀は、首と手足を甲羅に収納し、死んだように動かなくなった。
「こういう時、賄賂が有効だと思う」
ユイが可愛い顔を近づけると、エチカはその頬をつねった。
「もったいないもったいない。入国審査の奴を人質にして突入するべし」
少女たちが侃々諤々の議論をしていると、恰幅のいい紳士が突如、背後から二人の肩を抱いた。
「そ、総長……」
ユイが驚きを露わにつぶやく。
カトーは、血色のいいつやつやした顔で微笑んでいた。燕尾服に山高帽子を被っている。
カトーとは逆に、エチカは顔をしかめたままだ。まさか前線に、この男が現れるとは予想していなかった。
「やあやあ、エチカ君。無事で何より。心配したんだよお。怪我とかしてない? んん?」
カトーはなれなれしくエチカを抱きしめ揺さぶった。首を引っこ抜かれる恐れもあった。
「あ。ども、ご心配かけました」
エチカは反射的に謝った。情けないことに、この男に逆らうには力が足りないのだ。
「いいんですよ、トモダチ。君にはまだまだ働いてもらわなくちゃなあ。借りはねえ、返してもらうよ」
カトーのねっとりとした視線を、エチカは真正面から受け止めた。
「もちろん」
教団に一度でも足を踏み入れたものは逃れられない。だが逃げるつもりはない。エチカは必ずこの男を打倒する。それが意地だろうが、未練だろうが構わない。
戦う理由は自分で決める。