また会う日まで
列車が緊急停車してから二十分が経過しようとしている。原因は大規模な山崩れと地盤沈下だ。車両の中は悪態をつく人間の呼吸で慌ただしい。
ミュンソンマリージ社は、大陸随一の鉄道会社で、ヒトコロス教団の幹部が出資者に連ねるなど黒い噂はあるものの、グラナダからユミルに向かう人々にとって不可欠の交通手段を提供していた。
「何時間待てばいいんだよ!」
ミュンソン社の紺色の制服を来たアライグマのような姿の車掌に、パーカーの少女が怒号と共に詰め寄っている。
「まだ二十分しか経っておりません、お客様」
「まだ? まだだと? あんたにとってはまだでも、こっちには死活問題なんだ。今すぐ列車を動かせ」
「鉄道の運行はお客様の安全が最優先です。線路の点検が済むまではもうしばらくお待ち願えませんでしょうか」
「そんなこと聞きたいんじゃねえんだよぉ、こっちは。動くか動かないかを教えてくれればいいんだ」
五分おきに絡まれ、車掌は窓から飛び降りたくなるほど疲弊していた。それを救ったのは、近くのボックス席にいた少女だった。
「その辺にしときな」
つばひろの帽子に大きめのサングラスをして、髪をゆるく垂らしていた。人相はわからないが、難癖をつける少女の連れらしかった。きっぷのよさから一同のまとめ役と目されていた。
「物事には道理ってものがあるんだよ。車掌さんの言ってることは正しい。一度止まっちまったものをまた動かすのは大変なんだ」
感極まったのかパーカーの少女は床に身を投げ出した。
「おみそれしやした。さすが姐さん。あたしが間違ってました」
「わかったら座ってお弁当を食べなさい。食べないと持たないよ。フー」
説教を終えたランカは、慣れないウイッグを手で払う。隣には、チューリップハットを被ったイリスが夢中でお弁当を貪っている。
リクの死を知らされたフーは、座席に座って膝を抱えているか、車掌に当たり散らすか騒々しいことこのうえない。心の整理がつかないのだろう。かくいうランカも食欲が全くわかず、お弁当に箸をつけることはなかった。
「あ、あたしの弁当がない」
フーは座席をくまなく捜索していたが、イリスの膝の上に目当てのものを見つけ瞠目した。
「そ、それはあたしが取っておいたイブール豚とそぼろ弁当……、さっきからおかしいと思ってたんだ。こいつやけに飯を食うガキだって。姐さん、こいつ、あたしの弁当盗み食いしてます。やってくれましたわ!」
ランカも言われて気づいたが、イリスは自分の弁当を平らげ、なおかつフーの弁当に手をつけている。
「イリスちゃん、フーに弁当を返しなさい」
イリスはランカの勧告を無視し、弁当にがっついている。その行動はフーの怒りに火をつけた。
「なめやがって! このクソガキ! ヤキ入れてやらあ!」
車内で二人が暴れたらますます列車の運行を妨げることになる。ランカは実力を行使し、フーを気絶させた。
ランカはすりこぎ棒ほどの太さの針を手のひらで叩いた。
「無痛針。暗殺用にはもっと細いものを使うんだけどね。イリスちゃんもこうなりたい?」
イリスは両手で弁当を捧げ持ちランカに差し出した。自分より強い者に従うらしい。野生動物のようでわかりやすかった。
「どうして人の弁当食べちゃったのかな。怒らないから教えてくれる?」
イリスは縮こまって震えている。脅かしすぎたかなとランカは反省した。神経が逆立っているのはランカも同じだったようだ。
「……、おおきく」
「うん?」
ランカは、イリスの貝のように小さい唇に耳を近づける。
「大きくなりたい。イリス大きくなって強くならないとだめだ。宝石の男に勝てない。パパとママを助けられない」
ランカはイリスの信念に感服したものの、行動の是非を問うことを忘れなかった。
「理由はわかった。でも、人のものを黙って取ったら駄目だよ。あれはフーが食べるはずだったもの。フーが生きるためのもの。それを邪魔していいのかな」
「だめだ……、ごめん」
「そうだね。あとでフーにも謝ろうね」
イリスはうなだれ、自分の行為の意味を理解した。きっと同じことを繰り返すことはないだろう。
口には出さなかったが、ランカはイリスをうらやんだ。彼との強い絆が、未来への強い意志を生んでいる。
ランカは最後まで彼を信じることができなかった。だから逃げ出すようにイリスを連れユミルに向かっている。
一緒に死ぬこともできたのに、それは望まれていないという理由で断念した。頼めば叶ったかもしれない。だがランカは背を向けた。必要とされていないことに絶望したのだ。イリスのようにタロウを信じたわけでもない。見殺しにしたのも同じだ。
イリスが、未開封の弁当をおずおずとランカに差し出した。
「ラマも食べろ。でかくなれないぞ」
ランカはサングラスを外し、目元をこすった。
「ラマじゃないよ……。ランカだよ。私も、待ってていいのかな。あの人のこと」
ランカの食べた弁当は塩味が効いていた。
列車の開け放たれた窓の外には、雄大な海原が口を開けている。
イリスは自分のいる世界がごく狭いものだと知った。列車が動き出す。必ず必ず、また会える。
第二部 あの桜はまだ燃えているか、に続きます。よろしければお付き合い下さい。
ここまで読んでいただきありがとうございました。