旅の終わり
止んだと思った雨は、しつこく俺の身に降り注いだ。
糠のように降る雨の中、俺は歩く。
肉の壁から神殿に戻った際、ランカからメッセージが届いたためだ。
ランカはイリスと一緒にヤギ小屋に身を潜めていた。もっと遠くに逃げていると思っていた俺は、拍子抜けした。だが未だに見つかっていないということは好判断だったのかもしれない。
「イリスちゃんが、パパとママがいないと逃げないって言い張ってさ」
ランカは憔悴しきり、髪はぺったんこになっていた。
「あいつは一体なんなの? 神官?」
「いや、俺と同じお兄ちゃんさ」
イリスは小ヤギを抱いて藁の上に座っている。俺が来ても目に入らないようだった。
「ランカ、リク君のこと」
「うん、わかってるよ。まずヒロコさんが捕まって、私たちを逃がすためにリクが……、つっ……、ごめん、ちょっと」
ランカはこみ上げるものを押さえきれずに、外へ向かった。かける言葉が見つからない。リク君のことを持ち出すには早すぎた。
「聞いてくれ、イリス」
俺は無理にイリスを立ち上がらせる。ヤギは小さく不満げな声を立てて側を離れた。
「タロ、ママはどこ?」
「わかんねえ。でも必ず助け出す」
イリスは期待をを打ち消すように首を振った。
「無理だよ、タマのおばばも簡単にやられた。イリスはなんの役にも立たなかった。鍛えてもらったのに」
イリスも自責の念に押しつぶされかかっている。だが、悔しさなら俺も負けてない。
「俺たちの旅はここで終わりだ」
イリスは俺の終了宣言に、仰天したように目を剥いた。
「まことに勝手ながら、俺の目的はさっき完遂しちまった。人探しが終わっちまったら俺、やることなくなったわ」
「それ、イリスとママと何の関係ある?」
「ないね、全く」
イリスはヤギ小屋の壁を蹴って穴を開けた。自分が見捨てられると思ったのだろう。
「一応、お前のことはランカに頼むけど、あとは好きに生きろ。学校は行かなくてもいいけど、勉強はしとけ。あとは……」
「タロ、死ぬ気だな」
イリスは俺の考えを察知している。軽い遺言のつもりだったが、子供でもわかるんだな雰囲気で。
「バーカ。俺を誰だと思ってる。S級様だぞ。チートで余裕だっつーの」
「強がるな。おばばの敵討ちだ。イリスも戦う。Aくらい力あるっておばば言ってたし」
「へえ、やるな。でも王女を助けに竜と戦うのは男のロマンなんだ。たまには格好つけさせてくれよ」
イリスはますます表情を曇らせた。恐らく、クロヴィスにタマさんがやられた所を間近で見たイリスは、俺と奴との力量差を見抜いて心配しているんだろう。
「本音言うとな、お前らを巻き込みたくないんだ。それくらいひどい戦いになる。我慢してくれ」
イリスの頭を一撫でしても、効果はなかった。負け戦に笑って送り出せっていうのも酷な話だ。それでもやがてイリスはヤギを引き連れ、小屋を出ていった。
「パパは言い訳使いだけど、強くなったって信じてる。絶対勝て」
去り際、心強い応援の言葉をもらった。
イリスに妹の記憶があるとは思わないが、頑固な所は似ている。もっと側にいて成長を確かめたかった。
外にいたランカと合流した。
「俺、ここで抜けるから」
「はあ、そうですか、え?」
一度了承しかけたランカが、真っ赤になった目で俺を見返した。
「妹はもう死んでる。俺の目的は達した。ユミルに行く理由はなくなったんだ」
「タロウが何を言いたいのかわからない」
「ランカにお願いしたい。イリスのこと、頼めないか」
暴風のような平手打ちが俺の脳を揺さぶった。決戦を前にして、意識が飛びそうになる。
「わかった。イリスちゃんのことは任せて。蜂が全力で守る」
遺恨も何もなかったようにランカは俺の頼みを聞き届けてくれた。勝手ばっかり言って本当に申し訳ない。駄目もとで他のことも頼んでみた。
「その髪型似合ってる。キスしていい?」
「今更遅い。無理。私たちもう破局してんじゃん」
そうだったっけ。未練がない方が考えようによってはいいかもしれない。
ランカが無理に笑顔を作り、俺の手をさすった。握り返すことはしなかった。
「食い扶持に、困ったらさ、私のとこに来なよ」
「考えとく」
「ごはんくらいなら食べさせてあげるから。私にできるのはそのくらいしかないからさ」
ランカはイリスの手を引き、神殿とは逆方向に素早く移動した。思えばランカにも何もしてあげられなかった。もらうばっかりで与えることはできなかったのだ。甲斐性なしってこういうのを言うのかもな。
俺は二人のことを頭から締め出し、矢倉の確認作業に入った。反射炉でエンチャントを作るには時間がかかりすぎる。今ある手札で勝負するしかなさそうだ。
ヤギが俺の周りを取り囲んでいた。イリスと一緒に行ったと思ったが、残ったらしい。
FGにメッセージが届いた。クロヴィスからだ。
「取り引きしよう」