宝石の国
俺の体は赤みを帯びた肉の壁に挟まれ圧迫される。壁は透明な粘液に覆われており、酢につけたみたいに肌がぴりぴりした。
体を動かす余地はほとんどないが、壁は周期的に動いており、自然と奥に飲み込まれていく。
「ばっきゃろー……、何で助けにきた」
ババアは、覇気のない声で俺をしかった。
「何でって、あんたが助けに来いって言ったんだろうが」
「逆だよ。助けろって言うのは、あたしを見捨ててイリスを助けに行けってことだよ」
「ツンデレか。わかるわけねえだろ。言葉通り受け取るよ、普通」
「まあ仕方ねえか。来てくれて嬉しいよ。ありがとよ」
タマさんの体は半ば壁に埋まっており、癒着しているようだった。どうやって切り離そうかずっと策を練っていた。
「おやじ殿と会ったか」
「ああ。よくわかんねえけど、変な奴だった」
「あたしはあいつから逃げ回ってたんだよ。おやじ殿の逆鱗に触れちまったせいで、他の奴も巻き込んじまった。注意してたんだけど、試練で体力がなくなってた所を突かれた。あいつらには謝っても謝り切れねえよ」
そこまでのリスクを侵してまで、俺をS級にしたかったのか。タマさんの場合、単なる私利私欲とは結びつかなかったから責めるのは断念した。
「リク君以外の奴らは逃げられたのか」
「ランカはさすがに逃げ足早いし、潜伏すんのもプロだ。イリスを連れててもしばらく平気だろ。ヒロコはあたしがしくじって捕まったけど、宝石にされていないし、命も取られていない」
動こうとしなくてもタマさんのいる所に押し出される。腸のような蠕動があるらしい。
「タロウ、スキルは絶対使うな」
手を伸ばしかけた俺をタマさんは鋭く制止した。
「使わねえとヤバいだろ」
「使うともっとヤバくなる。お前の体まで肉の壁に取り込まれるぞ」
俺は腹立ち紛れに壁を殴りそうになってやめた。タマんさんの厚意を無駄にするわけにはいかない。
「じゃあ何で俺を呼んだ。意味ねえじゃん」
「死に際になったらさ、急に誰かに助けに来て欲しいって思っちゃったんだ。情けねえ、神官になって真理に近づいたと思ったのに自分の命は惜しいんだ」
初めてババアを弱さを目の当たりにし、俺は動揺した。励ますことしかできないのが、悩ましい。
「情けなくなんかないよ、タマさん。それは生きてるってことだから」
タマさんのぷっくりした唇が、少し上向いた。が、それも肉の壁にひっぱられ、同じ形を止めることはできなかった。
「時間がない。お前に伝えなきゃならんことがある」
タマさんは、俺を騙してS級にした理由を明らかにした。
二
壁はそれ自体に熱を持ち、ひどい湿気も相まって、汗がとめどなく流れた。
「なあ、タロウ、お前どうやってVAFに来た」
死十朗にも同じことを訊かれたが、答えられなかった。きっと誰にも打ち明けられないだろうと思っていた。
「どうせ弟子のおっぱいに釣られたんだろ。その顔は図星だな」
ええい、恥を感じてる場合か。俺は無理矢理顎を引いた。
「アテナのハニトラ率は異常だからな。あいつが神官になってから冒険者の数は爆発的に増えた。所詮、男は頭の先からつま先までち○こだ。体がち○こでできているといっても過言ではないな」
俺は顔の赤みを隠したかったが、逃げ場はない。話を急かす。
「俺がVAFに来た理由と今の状況関係ありますかねえ。さっさと話進めろや」
「クロヴィスもお前と似たりよったりだったんだよ。おやじ殿は、妹を助けるためにこっちに来た」
塵芥が星になるほどの膨大な時間を遡った太古から、VAFは存在した。
VAFには人間や、獣人族などの種族の他、魔物がいたが、積極的に人間に危害を加えるほど凶悪なものは少なかった。
中には例外もいて、五百年に一度だけ目覚める宝石の竜は、災害規模の被害をもたらしたという。
「城主の原型だな。こいつは五百年周期だったから今よりましだ。冒険者はその周期に合わせてこっちに呼び集められてたんだよ」
冒険者はVAFの住人に持っていない力を持っていた。スキルと呼ばれる特殊能力は、唯一、宝石の竜を倒すことができたのだった。
「中でも箱船の神子という冒険者は、宝石の竜を倒すためにどうしても必要だった。何故かわかるか」
箱船の神子は、イリスで、城主で、魔物で、冒険者で、一体何が本当なのだろう。
「単に強いからってわけじゃないんですよね」
「宝石の竜は魔物を生み出すことができた。それも死んだ人間をベースにした魔物だ。その魔物を浄化し、送り返す力を持っていたんだよ、神子は」
神子が格別の扱いを受けていたことは想像に難くない。RPG風に言うなら勇者みたいなものか。
「しかし、悲しいかな。神子には他に重要な役割があった。宝石の竜をその身に封じ込めることだ」
宝石の竜は肉体が死んでも、魂だけで移動し別の肉体に乗り移ることができた。完全な意味で、竜を滅ぼすことは誰にもできなかったのである。神子だけが、その身に竜を封じて五百年の安寧を守ることができた。
「人身御供だよな。でもどうすることもできなかったんだ。クロヴィスが来るまでは」
クロヴィスは、妹の後を追ってこの世界に来た。妹は箱船の神子。クロヴィスは優秀な魔術師。二人は息の合った連携で、宝石の竜を追いつめた。しかし、
「おやじ殿は竜に止めをさすのをためらった。宝石の竜を倒せば妹が犠牲になると知っていたからだ。そして禁忌を侵したのさ」
クロヴィスは、神子の代わりに自分の体に宝石の竜を封じ込めた。しかし、竜を休眠させる荒技は神子にしか許されない所行だった。
竜に意識を乗っ取られたクロヴィスは、神子を殺害し、VAFの半分以上を焼いたという。今でも古い書物には、その当時の記述が克明に記録されているらしい。
「我に返ったおやじ殿は、力を押さえるために分身を地に下ろした。それで一端収まったはいいが、今度は妹を殺した後悔に耐えられなくなった」
神官は冒険者を呼び出す能力を持っている。クロヴィスはそこに目をつけ、自分の分身たちを神官にすることにした。箱船の神子と再び相まみえるために。
これまで五百年周期にそれも少数精鋭だったのに、ペースを全く考えずに片っ端から勧誘したそうだ。クロヴィスにとっては、ガチャを回すような感覚だったのかもしれない。
「だが、あたしが生まれた頃には冒険者の中から、箱船の神子はもう出現しないって結論が出ていた。そして次の段階、城主が生み出された」
城主は魔物をベースにして生まれるものだと俺は思っていた。おおかたの人間も同じ考えのようだったが、事実は違った。
「宝石の竜は死んだ人間を魔物化できるとさっき言ったな。おやじ殿も同じ力を手に入れていた。冒険者を魔物化することを始めた」
そもそもマテリアは、宝石の竜の皮膚の一部だそうだ。それをエンチャントに加工し、戦う冒険者は、竜に近づいてもおかしくなかったのだ。ユーリ所長はマテリア硬化症という架空の病を出してきたが、あながち間違いでもないかもしれない。
「ただし、誰でも魔物化させたわけではない。優秀な者に限られた。たとえばお前の妹のような」
恐らく強力なエンチャントを使ううち、城主化の条件が整うのだろう。俺は死儀があるから今のところ免れている。
「俺の妹は、城主にされたってことですか」
「そうなるな。ハテナイで暴れたのはお前の妹だ」
タマさんは俺がもっと驚くだろうと思ってたろうけど、薄々感づいていた。竜王なんてそうそうある肩書きじゃない。でも、死んだことを確認しても実感が湧かない。それに、城主とイリスが同一個体ということは、妹とイリスは同一人物ということになりはしないか。
「冒険者が城主化し、また冒険者に戻る現象を超転移と呼ぼうか。おやじ殿は箱船の神子がその方法でしか出現しないと気づいた。でもこれまで成功条件がわからなかった。ショータみたいな強力な冒険者が城主を倒しまくっていたせいもあるがな」
ショータは、クロヴィスの野望を知っていたのだろうか。俺を巻き込まないために黙っていたのかもしれない。
「だが、お前が電力施設で城主の亡骸に触れたことで、超転移が起こった。そうしてイリスが誕生したってわけさ」
「妹の遺体はどうして発電所にあったんですか」
「詳しいことはわからないが、Drカトーが一枚噛んでいると聞いている。あいつはクロヴィスの走狗みたいなものだからな。甘い汁が吸えるのもそのせいだ」
前総長だった妹がカトーと繋がりがあることも、宗教を後ろ盾にしていたことも合点がいった。クロヴィス教にしても、ヒトコロス教団にしても本質も全く隠そうとしない所も共通する。
Drカトーは直接妹に手を下したとは限らないが、妹の遺体をもてあそんだことは忘れない。
城主のエネルギーを電力に還元することで成り立つ社会か。どの世界も似たりよったりの政策を取ってるのは失望に値した。
「でもやっぱりイリスはイリスで、妹でも、過去の箱船の神子でもないですよね。クロヴィスはどうするつもりなんですか」
「ここからはあたしの推測だが、おやじ殿は、タロウたちの住む宇宙に攻め込むつもりかもしれない」
やはりここは別の宇宙なんだ。確かに天体の動きとか全く違う。今更異世界転移感が出てきた。
「おやじ殿の意識を宝石の竜が乗っ取りつつある。宝石の竜はあちらの世界から冒険者がこなければ敵なしなんだ。それなら供給源を絶とうと考えても不思議じゃない」
恨み骨髄に達するじゃないけど、相当の鬱憤をため込んでいることだろう。そのために箱船の神子が必要なわけか。
「あたしは、おやじ殿のやろうとしていることについていけなくて、だいぶ前にここに隠れ住むことになった。お前の妹をS級にしたのはあたしだし、責任を感じてる。その上こんなことを頼むのは気が引けるけど」
神殿にいるヤギは冒険者のなれのはて。彼らを魔物にしたくなくて、さりとて突き放すこともできずにタマさんは側に置いていたと今ならわかる。妹にも上手く丸めこまれてしまったに違いない。その優柔不断さと寂しさに親近感が湧いた俺は、この人を許してしまった。
「俺にも責任の一端はありますからね。どうせ宇宙を守れるのは俺だけってオチでしょ。修行もセットでテンプレじゃん。はかったな、ババア」
「いやー、正直タロウちゃんがここまでになると思ってなかった。世界の命運はお前にかかってる。存分に暴れてこい」
これでババアが俺を騙した動機は判明した。
そうとわかればまずババアを助け出さないと、俺はババアの腕を掴んで引っ張ろうと試みる。
「最期に一ついいか、タロウ」
「あんたに最期なんか来ねえよ。不死身なんだろうが」
タマさんの体を飲み込む力がふいに強くなる。肉の壁にあらがうように、力を込める。まだ諦めるには早い。
「結局、人が死ぬ時は一人なんだよ。おやじ殿もあたしたち神官もそれを認められないから間違えたんだ」
本当にそうだろうか。この手の温もりも無意味だって言われているような気がしたから。
たとえそうだったしても、俺はタマさんのこと忘れない。この腕の感触を、しごきを、悪態を。
「そういえば、タロウちゃんに職業名乗らせんの忘れてたわ」
「師弟そろってそういうとこ適当だよな。もういいよ別に大して変わんねえだろ」
「駄目だよ、ちゃんとしないと。タロウちゃん、最終決戦なんだよ」
「わかったよ、ありがたく頂戴しとく」
俺が疲労を感じ、腕の力をわずかに緩めた瞬間、タマさんはすさまじい力で俺を突き飛ばした。最期の力を振り絞ったんだと思う。
「竜忌士。頼む、おやじ殿を止めて」
気づけば、俺は水浸しの神殿の一角に座り込んでいた。雨は止んでいた。降っていてくれた方がよかった。