試練終了……?
「あっぶね、時間切れ。時間切れだよ、タロウちゃん」
タマさんがあわてて何か言っている。
「S級になった気持ちはどうだ。って、こらこら、時間切れだって言ってんだろ。これ以上なんかしたらなあ、あたしのバックにいる奴が黙ってないぞ。本当にヤバいんだからな」
エスきゅうってなんだっけ
「これでようやくDrカトーと同等か……、少し下くらいか。急拵えじゃこれが限界かな」
「お取り込み中、済みません」
だれか来てタマさんに話しかけた。前髪の長いきれいな子だ。
「お前蜂の子か」
「はい、リクといいます。ちょっとお訊ねしたいことが」
「おじょうちゃん、すももたべなさい」
「この人なんなんですか。すももなんかどこにもない。それに僕は男だよ」
オレはわきにおされた。
「壊れちまったんだ。かわいいだろ。ヤギに出来なかったのは残念だけど、これはこれで」
頭をなでられた。なんかわからんけどうれしい。
「ふーん、S級になると壊れちゃうのか。僕はなりたくないな。ところでランカさんを知りませんか?」
「こいつに聞けば? 同棲してるみたいだぞ」
ランカ、とても大事な人だ。胸の辺りが温かくなる。帰ってきたって伝えたい。
帰ろう。
部屋の中は酒臭かった。一番入り口に近いドアが半分だけ開いており、人間の腰から下だけがのぞいている。
ランカが便器に顔を突っ込んで寝ていた。背中の入れ墨で本人ってわかった。何で裸なんだろう。
「ランラン、ランラン」
オレはランカの背中を叩いた。ランカはびくっと顔を起こし、オレの顔を見たらさらに悲鳴を上げた。ぎにゃああとか、変な鳥みたいな声だ。
「ひ、ヒロコさん、大変です。来てください」
「なんだ、騒々しい。うう、頭が痛い」
シャツだけ着たヒロコが這いながらトイレに来た。ヒロコもオレを見て変な顔をした。怖がってる。オレは怖くないのに。
「タロウ! 大丈夫? しっかりしてください」
オレはしっかりしてるよ。終わったんだ。言いたかったけど、ランカに揺さぶられて上手く話せない。
「とにかく奥に運ぼう。ここは狭い」
ヒロコの背中に担がれた。オレこんなに体軽かったっけ。
リビングに姿見があった。ヒロコの隣にいる白髪頭の奴は誰だ。骨と皮だけで、ヒロコよりも細い。その癖目玉だけはやけに大きい。オレじゃない。誰だ。オレはここにいるんだぞ。
「うわあああああああ!?」
オレは叫びながら床に転げ落ちた。
「落ち着け! ランカ。こいつを取り押さえるぞ」
「はい!」
二人がオレの上にのしかかってきた。苦しい。やめて。
気を失った。
目を覚ますと、オレはベッドにいた。二人が話している声が聞こえる。
「これが試練の結果だというのか。失敗したのか、それとも……」
「私が、ヤギになっちゃえなんて言ったから、ううっ……」
ランカ、泣いてる。泣いてほしくない。喜んで欲しくて、オレはスモモ持っていった。
「ランラン」
ランカの手を引っ張る。また変な目つきされる。
「スモモ、あげる。指輪もってないから、これあげる。今これしかないから」
オレの手の平に、宝石のように精巧な正三十二面体のスモモがある。色はランカの好きな透明感のあるピンク。ランカの目から涙があふれてくる。止まらない。
「タロウはおかしくなんかなってませんよ。私との約束覚えてるもん。この人はタロウだ。私の好きな……」
オレも泣きたかったけど、涙が出ない。涙はとっくの昔に涸れてしまった。
ランカに抱きしめられていると、空っぽだった部分が埋まっていく気がして、ずっとそうしてたかった。でも思い出したことがあるので伝えなきゃ。
「ランラン」
「私はここにいるよ。どこにもいかないからね」
「ランランに会いたいってリク君が来てる」
オレの背中にあるランカの手の力が一瞬強まる。
「後でいいですよ。今はタロウの側にいたいから」
でも結構、急を要するようだった。オレは一人で大丈夫だと言わなくちゃ。
「会ってきたらどうだ。タロウは僕が見てるから」
ヒロコがオレの気持ちを代わりに言ってくれた。ありがとうを言おうとしたらにらまれた。こわい。
「……、すぐ戻ってきます。タロウ、なんかあったらすぐ呼ぶんだよ」
オレを力一杯抱きしめて、ランカは部屋から出ていった。
オレとヒロコはベッドの上で正座して向かい合う。
「王女さま、おひげがすてきですね」
「僕にひげなんて生えてない。狂ってるふりはもうやめたらどうだ」
オレは狂ってなんかない。ヒロコは何を言ってるのだろう。
「僕を救うんじゃなかったのか! 何だ、その体たらくは。こんなにやせて、今にも死にそうじゃないか」
ヒロコにオレの気持ちなんかわかりっこない。狂ってる振りしないと本当に正気を失いそうだった。いつの間にか狂ってる振りなのか本当に狂ってるのか自分でも判別出来なくなっていた。
ヒロコは背中を向けて黙った。泣いてたのかもしれない。強くなったのに、ヒロコを泣きやませることもできない。またスモモでもあげたらどうかな。ヒロコには別のものにしよう。
「王女さま」
「……」
「こっち見て、王女さま」
「うるさい」
「いいものあげる」
「いらない」
「あげる。いいもの」
「うるさい! ……、えっ……」
俺はエメラルドグリーンのバラの花束を捧げた。ガラスに似た結晶でできた造花だ。バラの花弁一つ一つ織るのに時間はかかったけど今の俺ならわけない。
ヒロコは驚きのあまり声も出せないらしい。
「時間一杯あったからこういうのばっかりやってたんだ。リクエストあったら何でも作るよ」
「……、すごいな。触ってもいいか」
「ヒロコは冒険者じゃないから体に毒かもしれない。それにすごく薄く作ってるから。待って、もっと頑丈に作る」
「いい! 無理しなくて。体に負担がかかるんだろう。今は休むんだ」
ヒロコに寝かせられた。確かに息が切れてきた。バラを花瓶に入れて台所に置いてもらった。
「タロウ、異性に花を贈るのはどういう時か知っているか?」
一発やりたいときだにょ。王女さまに言ったら気絶しちゃうから別の答えを用意をする。
「感謝の気持ちを表すため。おまえ等がいてくれて本当によかった。帰る場所があるって本当にいいよな。byタロウ」
ヒロコは俺の腹に拳を叩きつけてきた。胃の中にほとんどものはなかったけど、少しえづいた。
「……、僕はその他の女と変わらんわけだ。S級さまは王族より偉いのだな」
「んなこと……、言ってない」
やべえ、いらんこと言わなきゃよかった。今の興奮したヒロコに容易に殺されるくらい、オレの肉体は弱っているのだった。
「ランランの様子見てくる」
オレはたまらず外に脱出した。王女は怒りっぽい。あのままでいたら絶対死んでた。
外ではランカが地面に正座して、リク君がそれを見下ろす構図ができている。
「ランラン」
オレもランカの隣で正座する。膝がぽきっと軽妙な音を立てた。
「タロウ! 出てきたらだめじゃない。休んでて」
「心配になった。揉めてる?」
ランカはオレの体ばかり心配してるけど、自分の心配をした方がいい。リク君は怒ってる。俺たちを一方的に見下ろして、冷たく笑った。
「あんたも落ちぶれたよな、そんなポンコツと一緒になるからだよ」
リク君の心ない言葉に、ランカは顔を上げ、にらみ返した。
「この人は壊れてなんかいない。たとえ壊れてたとしても、私はこの人とずっと一緒にいる。口出ししないで」
「いつまで上司のつもりでいるんだよ。まあいいや。やっぱり答えは変わらない?」
ランカはオレの腕を掴んでうつむいた。どういうことか訊こうとしたけど、リク君が先回りして説明してくれた。
「ランカさんが蜂をやめるってきかないんだ。戻るならよし、戻らないなら殺せと女王蜂からお達しが出たのにさ。なあ、あんたからも説得してくれない?」
オレは促されるまま、ランランを揺すった。
「ランラン、帰った方がいいよ。オレ平気だから」
「やだ。今のタロウを置いていけない」
ううむ、困ったぞ。そもそも何で帰らないと殺されてしまうんだろう。
「独断で仕事を請け負って結局投げ出してるし。本来ならとっくにユミルについてるはずなのに僕らを巻き込まないで欲しいよ。組織は一人のために非ず。入った時に教わったはずなのにね」
リク君はランカを見限ったかのように装っているが、未練があるから感情的になるんじゃないのか。
「そもそも僕はあんたが上だなんて一度も思ったことなかったよ。ガチの戦闘なら僕の方が強いし。フーはあんたに懐いてたかもしれないけど、そういうことだから」
ランカは放心したように肩を落としている。信頼していた人と心が通わなくて辛いんだ。
「どうするの? 戻らないならあんたは死んだってことにしといて見逃してあげてもいいよ。どうせ腰抜けなんだろ。男の側で震えてるのがお似合いだよ」
「そのへんにしとけ、小僧」
オレは体を起こしてリクを威嚇した。
「外野の癖に話に入ってくんなよ。廃人」
どうにもオレは嘗められてる気がしてならない。
オレは首を左右に振るった。白かった髪は試練前のように艶のある黒い色を取り戻した。
「どうやったの?」
ランカがこわごわ訊ねた。
「宙にあるマテリアを髪にコーティングして、黒く見えるようにしただけ。見栄えはいいだろ?」
二人は要領を飲み込めてないらしい。実際、白髪が改善したわけではないが、はったりは大事だ。
「さっきから気になってたんだけどあんた本当にS級?」
「おうよ。神官を殺しそうになったんだぜ」
二人はますますオレのことを疑いの目で見る。一応マジなんだけど。タマさんが出てこないのは、神殿の中でイリスに治療してもらってるからだ。オレはあの人を本気で殺そうとしたが、結局出来ずに終わった。良かったような名残惜しいような。
「じゃあ、僕の相手してよ。僕が勝ったらランカさんは連れて帰る」
「にょ」
オレの膝が折れ、座り込んだ。腹が減って立てない。
「なんか調子狂うなぁ。でもS級に相手してもらう誉れなかなかないからね。本気でいくよ」
リクはしょっていたバックのファスナーを開けている。強い相手と戦うほど燃えるタイプか、それともオレを侮っているのか。多分後者だな。
「ランラン」
「タロウ。もういいから。私が悪いんです。ユミルに行きます。タロウだって本当はそっちの方がいいんでしょう」
忘れてた。俺たち喧嘩別れ寸前だった。もう一世紀前の出来事のような気がするよ。
「オレ、ランランのこと好きだよ。ユミルに行った方がいいとは思うけど、もう少しだけ側にいたい。駄目かな」
組織にいたら、わがままは許されない。ランカはそれを受け入れてもやりたいことがあったから我慢していた。でも、それ以上に大事なものがオレになったとしたら、その気持ちに応えたくなってしまった。
「バカ……、本当にもうバカなんだから。勝算はあるの?」
「リク君のランクはいくつ」
「この間Bに上がったって言ってた」
「じゃあだいじょうぶだあ」
彼が死ぬことはないだろう。それでも加減しないと危ない。うっかりすると殺してしまう。S級の肩書きはそれくらい重いのだ。