クソゲー試験其の弐 神は死んだ
馬子にも衣装って言葉がある。
俺、この言葉があんまり好きじゃなくてさ、たとえば制服。
制服が似合わないって人は、多分いないだろう。学校の制服を着れば、高校生に早変わり。努力は必要ない。試験を突破せず、制服だけ入手しても結果は同じだ。
意識は上の空で、体が別の何かになる。そのうち意識もそれに釣られて、そのものに変化するかもしれない。それが狙いなのだ。
家族もそれに近い。親子兄妹、それらしい形式が初めからお膳立てされているけれど、本当に家族だったことなんてあるのだろうか。
俺は身近な人間のことも知らなかった。あまりに無度着過ぎたんだ。
(1)
謎のお兄ちゃんと別れた俺は、寂しい田園風景を通り過ぎ、目印となる大聖堂を目指した。
林の向こうに教会らしい建物の屋根が顔をのぞかせると、俺の足は自然と早まる。
程なくして広場に着いた。広場は石で舗装されている。正面に立派な大聖堂が威風堂々と存在を誇示していた。ステンドグラスが侘びしい街に彩りを添えている。
城壁に入ってから初めて人の往来のある場所に、辿り着いたことになる。規模の大きい住宅がやっぱり押し込まれるように建っていた。土地が狭いのが原因なのだろうか。
ある建物の階下でカフェを運営しているのか、西洋人風のおじいさんが二人で茶をしばいている。
広場で見かけるのは老人が多かった。みんな身を屈めて、ゆっくりと通り過ぎる。
男は背広みたいな服、女は裾の長いスカート、頭にスカーフを巻いていた。質素な感じだが、卑屈ではなかった。
彼らは俺と目が合うと笑顔でおじぎしてくれる。俺もおじぎをしたり、こんにちはと挨拶をしてみたが、会話に繋げるきっかけは掴めない。
これからどうすればいいのだろう。
王都と言うからには、王様がいるはずだ。王様のいる場所を訊けばいいんだ。
目的を見いだした俺だったが、聖堂の両開きの扉が突然勢いよく開かれて、中から人があふれてきた時は驚いた。
よくあの小さい建物に入れたなと思うくらいの人が、波のように広場に押し寄せてきた。しかも若い男がほとんどだった。騒然として、これは喧嘩でもおっぱじまるのかと身構えてたくらいだ。
「通してください通してください!」
凛とした声が、血気盛んな男たちを牽制するように放たれる。スーツ姿の黒髪の美男子が道を作ろうと必死になっていた。
そのすぐ後ろから、人並みを割るように一人の美しい女が姿を現した。
白い僧衣で体を覆い、静かに聖堂を出るその女に、俺は見覚えがある気がした。
遠くからでも彼女の長い睫と、豊かにうねる金髪が耳目を引かざるを得なかった。禁欲的な風情が余計に彼女の美貌を引き立てているようだ。
俺は阿呆のように口を開けて、その聖女の姿に釘付けになった。
聖女は広場に降り立つと、眠そうだった目をぱっちりと見開いた。
人の輪の外にいた俺の存在に気づいたらしい。彼女は軽く片方の瞳を閉じて見せた。
黒スーツの色男が聖女の腕を取り、人混みをかきわけ進む。聖女が消えると、広場は静寂を取り戻した。
気づけば広場には俺だけが取り残されており、静けさが身に沁みる。
「あのぉ」
俺の背後にいつの間にか、幼い少年が突っ立っていた。白いブレザーに半ズボンを履いている。いかにも宗教関係者って、顔に書いてある。
「神官さまが、広場で待っていて欲しいとのことです」
俺はわからない振りをしておいた。何かこの小僧さんに、俺の気持ちを悟らせたくなかったんだ。
「それにしても、俺のことよくわかったね」
小僧さんは困り顔を浮かべる。
「この広場で、一番みずぼらしい格好の人に声をかけてこいと言われました」
「あっそ」
確かに俺の格好はひどいもんだったね。土や、血で汚れていたし、海にも落っこちてひどい悪臭を放っていたかもしれない。今更ながら入国審査のカーターが、文句一つ言わなかったことに感謝した。
始終肩身が狭そうな小僧さんを帰すと、俺はカフェの店先で座って待った。ここからなら広場全体が見渡せる。
カフェって言ってもなんか陰気な店なんだ。店名はヌイーダ。
上下黒い服を着た未亡人風の女性が店主である。黙って水を持ってきてくれたが、グラスは曇って清潔な感じじゃない。それでも喉は乾いていたから、勢いよく飲み干した。
「ねえ、あんた冒険者?」
暗い店の中から店主が訊ねてきた。
「そうですけど。ああでもまだ俺冒険者じゃないんです。仮免みたいな?」
店主はカウンターに手をついて、俺の方を見向きもしない。訊かれたから答えたんだけどな。この人、痩せてて結構がりがりなんだけど、鼻の形が魅力的だった。高貴な感じがした。あま色の髪はくせっ毛で、それを無造作に後ろに束ねている。雑な性格なのかもしれない。店の中も掃除が行き届いていないようだった。
「冒険者なんてクソよ。さっさと廃業して田舎に帰んな」
店主は吐き捨てるように言って、店の奥にひっこんだ。大概な店だ。
暇つぶしに行き交う人をつぶさに眺める。
段々と、冒険者と都市で暮らす人の区別がつくようになってきた。別に質問したわけじゃないが、これみよがしに鉄の鎧を鳴らして歩いている人や、セーラー服に大剣を背負った少女とか、まあわかりやすいよな。
そして奴が来た。ヒールの音がやけに響くんだ。
「おまたせー、待った?」
黒いTシャツに裾の広がったベージュのワイドパンツを履いた若い女が、俺のいるテーブルに来た。そのまま俺の隣に座る。密着してくる。
「で、話って何?」
女が俺の肩に軽く自分の肩を当てて、訊ねてきた。
「いや、お前が待ってろって言ったんだろ、アテナ」
「え? そうだっけ? あ、ワインお願ーい」
とりあえずビールみたいなノリで注文しやがった、こいつ。
店主が闇から降誕する。その手には青紫色の濁った飲み物が入ったグラス握られている。
「うちは深夜営業が主だからさあ、ほんとしんどいんだわ。アテナちゃん」
しんどいって言い方が本当にしんどそうで、俺はいたたまれなくなった。
「うん、ごめーん、ヌイーダさん。チップはずむし、すぐ帰るから」
リラクマをちらつかされ目の色を変える店主。やっぱりヌイーダって名前なのか。
「お前、服着られたんだね」
俺は隣を見ないようにしながら早口で言った。息が苦しかったのだ。
「? そりゃ着られるよ、失礼なタロウねぇ」
服を着ているアテナさん。やばいめっちゃ可愛い。痴女だと思ってた当初は警戒できていたが、まともな服装に俺の心臓は破裂寸前だった。
「さっきの格好は何? 教会の決まり?」
「うん。本当はアテナの仕事じゃないんだ。頼まれて朝の礼拝は仕切ってるけど」
気鬱そうに語るアテナに俺は何と声かけしていいか迷う。
「アテナの本職は冒険者のサポートなんだけど、神官も教会の庇護下にあるからね」
「夢のほこら、だっけ? あそこも管理してるんだろ?」
本来、夢のほこらは神官が交代で番をするらしいけど、この国は神官の数が少なく苦労しているようだ。
「人が少ないのは、魔物のせいよ。たくさんあった領土も、どんどん人が住めなくなって放棄しなくちゃならなかったの。そのたびに住民をハテナイの城壁の中に入れてるんだ」
俺が考えていた以上に魔物の被害は深刻のようだ。農作物を荒らし、人命を奪うこともある。まるで害獣だ。
それを駆除するのが冒険者の主な勤めということになる。
「あれ? でもハテナイに人が増えたらもっと活気があってもいいんじゃないか? 人少ないけど」
アテナは寂しい通りに目をやった。
「城壁の中にあまり仕事はないわ。ウナギの養殖くらいしか産業がないし、農業も土地が狭いから難しいし。若い人には外国で働いたり、留学することを奨励しているの。渡航費も国が出してね」
過密住宅と老人ばかりの国の謎が解けたが、気持ち的にすっきりしなかった。
「でも帰ってくるんだよな。その人たち」
「うん、でもそれまでこの国が持ちこたえられるかどうか」
アテナはグラスを持ったままうつむく。
こいつは人知れず労苦を抱え込んでるんだ。命を狙われても、やりとげようと頑張ってる。この国の人間じゃないのに。
「俺なんかが何言ってるんだって思うだろうけど」
アテナは不思議そうに俺を見上げた。
「その人たちが安心して帰ってこられるように、協力するよ。って、まだ半人前だけど」
「バカ」
アテナは一気にワインを煽る。
「啖呵切るなら、最後までちゃんとやんなさい。カッコ悪いゾ☆」
今日初めて歯を見せて笑ったアテナ。こいつはやっぱりこうでなくっちゃな。
「それにしても意外と早く会えたよな。もう一生会えないと思ってた」
返事がないので脇を見ると、アテナは頬を朱に染め、うつらうつらしていた。
「うにゃ……、酔っちゃったみたい」
聖職者が真っ昼間に酒飲んでるのもどうなのかな。捕まったりして。
「ねーえ、タロウ、今日はやけにやさしいね。どうしたの?」
「別に何でもねえよ。一人でやけ酒飲んでるお前が不憫になってね」
「もう、前から言おうと思ってたけどぉ、どうしてタロウ君はアテナに敬語使わないんですかあ? アテナはこう見えてお姉さんだゾ☆」
からみ酒か。めんどくせえ。
「敬われたいの?」
「はあい。一応普段はあ、みんなにアテナさまって呼ばれてまっす☆」
せっかくビッチ神官の評価を見直すところだったのに、残念だ。所詮ビッチは性根までビッチらしい。
「お前、男に大人気だね。さっきも教会ですごかったじゃないか」
「あの人たちは、遠方からわざわざアテナの講演を聞きにきてくれたお客しゃんです」
「へー、まさかお金取るとか?」
「しませんよぉ。そんなはしたないまねぇ、でもどうしても寄付したいっていう方からは神の御名において頂きますよ」
「見返りに、ぱふぱふしてやってんじゃないだろうな?」
アテナはしてやったりという風に、口の端を曲げた。
「あれぇ、タロウ君。もうシタくなっちゃったの?」
「別に……、したくない」
「嘘ぉ。あの時のタロウ、赤ちゃんみたいで可愛かったんですけど」
ほんのりとアルコールの臭いのする唇が、俺の耳を軽く噛んだ。
はいストップ。
あまりの破廉恥に俺の理性が耐えきれそうにないので、アテナには黙ってもらった。どんだけ童貞を弄べば気が済むんじゃい!
「んもう、恥ずかしがることないじゃない。アテナとタロウの仲でしょう?」
「どんな仲だよ。それより聞きたいことがあるんだ」
「んふふ、なあに? 指輪のサイズ?」
「そんなもん、どうだっていいよ。王様はどこに行けば会える? お城にいるのか?」
アテナは酔いが醒めたのか急に真面目腐った顔になり、俺から体を離した。
「お城? ないよ。ハテナイには」
「え、だって、王都なんだろ」
「住む所に困る人もいるのに、一部の人だけ特別扱いはできないの。お城なんてもったいない!」
もったいないで、仕分けされた権威の象徴。王様って言っても、あまり力はないのかもな。
「俺、冒険者の認定受けなきゃいけないから、王様に会いたいんだ。アテナだったら取り次げるんじゃないか。頼めない?」
俺がアテナに頼み込んでいると、通りからまっすぐカフェに歩いてくる人がいた。黒スーツのそいつはアテナの前に立ち止まり、ハスキーな声でこう言った。
「なに油売ってるんですか? 神官殿」
黒髪をポニーテールにしたモデルのようにスマートな男が冷たくアテナを見下ろした。
アテナは酔っぱらった振りを続け、上体を揺らしとぼけている。
イケメンはため息をついて、アテナの前に屈んだ。
「後の予定がつかえているのです。疾く、お動きになられてくださいませんか?」
言葉遣いは丁寧だが、このイケメン、憤懣やる方ないって感じがする。真っ赤な顔で唇を噛んでるんだ。
「んー、ヒロさまがキスしてくれたら、動くかも☆」
アテナが流し目しつつ、無理難題を述べると、イケメンは素早い身のこなしで彼女の顎を持ち上げ、唇を奪った・・・・・・・、ように見えた。
俺は情けないことに決定的な瞬間に目を背けていたのだ。
「これでいいですね? さあ」
「はーい」
アテナは手のひらを返したように素直になり、イケメンと連れだってテーブルを離れる。
「あ、おい……」
イケメンが面倒そうに振り返る。そして今初めて俺に気づいたように、胡散臭そうな視線を送ってきた。
「君は移民か? 受け入れ申請は役所の方に頼む。僕は今忙しいから」
つれない対応をするとアテナの腕を引いて、イケメンは広場を抜けていってしまった。アテナは満更でもなさそうに腕を絡めている。俺を一瞥することはなかった。
「あんた、まだいたの?」
店主が後ろで煙たそうに何か言ってるが、俺は対応できない。
「どうでもいいけど店じまいしたいから、代金払ってとっとと出ていって。あーねむー」
俺は店主に背中を蹴られて広場に倒れ込み、慟哭する。
神は、死んだ。