謙虚堅実をモットーに生きていきます
俺の右足が地面を踏みしめる。額から滴る汗が、乾いた地面に飲み込まれた。
「今だ!」
俺は、杖によりかかるようにして立っているタマさんに向かって走った。自分でも何をしようとしているのかわからず、がむしゃらに組み付く。
「うっぜえ! やめろ、こら」
杖でみぞおちを突かれ、うずくまった。
太陽が肌を焼く。俺は俺にたどり着いた。全てを忘れかけていたが、それだけが俺をお守りのように勇気づけた。
「おかえり。どうやら自分自身にたどり着いたみたいだな。大したもんだ」
タマさんが俺をほめるのは初めてだ。よくわからないけど感激した。
「どういうことだよ、俺はどうなっちまった」
「どうもしねえよ。お前は別に強くなったわけでも頭がおかしくなったわけでもない。単に一個という分を知ったというわけさ」
「わからねえ。わかるように説明してくれ」
「お前、こう思ってなかったか。S級になる自分は特別だ。ほかの奴らとは違う。特権意識が芽生えかけていただろう」
確かに、俺はランカやヒロコに対して横柄な振る舞いをしたかもしれない。ここまで来たんだからそうするのが当たり前のような気がしていた。高い服を買ったから、自慢したくなる心理に似ている。
「それがどうだ? お前は今、この時にしかいない。過去にも未来に何の影響も及ぼさない。S級だろうが、虫と変わらないじゃないか」
大切なのは今。今ここにいる俺だけが世界に投げ込まれる。自分の意志なんてなんてちっぽけなんだろう。
これがS級の試練か。予想をはるかに上回る苛烈さだ。心が折れてもおかしくなかった。でも終わった。これからは謙虚堅実をモットーに生きていこう。ランカにもヒロコにもやさしくしよう。
タマさんの杖は未だに鋭いドリルを伸ばし続けている。
「タマさん、色々教えてくれてありがとう。もうその杖はいいんじゃないですか。試練は終わったんでしょう」
「あ? 誰が終わったって言った」
タマさんは信じられないことを口にした。
「まだ試練開始から一秒しか経ってねえぞ。後、二十三時間と五十九分五十九秒。何して遊ぶ? 今の一秒はオリエンテーションみたいなものだからな。ククク」
タマさんの声がスローになって、空間を支配する。
「この試練をやってるとよお、誰もがあたしのことが好きになっちゃうんだ。たとえ心が壊れても、あたしに懐いちゃう習性ができちゃうんだ。そうなっても心配いらないぜ。ヤギに変えて一生面倒みてやるから。あたしはファン思いだからよ、安心して壊れちまいな」
タマさんが、アテナの師匠だということを再認識した。人格が破綻している。
もし生き残ったとしても、俺はもう以前の俺ではいられないだろう。でも俺は一人なんだ。
なけなしの勇気を振り絞り、歯を食いしばって、立ち向かった。