クソゲーは自分でやらなきゃ意味がない
俺と愛刀との別れは突然だった。
死十朗の馬鹿でかい鋏みたいな武器が、刀を打ち砕いたのだ。
鋏は二メートル大もので、薄い刃の部分は瑠璃色、黒い柄の部分には鳥が折り重なるような絵が描かれていた。一度大きく口を開けば、俺の体なんか簡単に引きちぎられるだろう。
これが死十朗の切り札、雁木。
「念のため言っておくが、これはオリジナルの武器だ。使ったことはないが、恐らくどの武器よりも手になじむ。存分に味わってくれ」
それを耳にした俺は回れ右して、逃亡を計る。せっかく築いた優位が簡単に吹き飛んだ。あれがマテリアでできていない以上、俺の力は通じない。
こんなものか俺の力って。がっかりしそうになる。
だがどこに逃げろというのだろう。ランカの所には帰れないし、タマさんだって助けてくれない。
アテナ先生は他に何か言ってなかったか。
マテリアを原料にエンチャントを加工する。
逃げるついでに刀をまた掴む。先ほどより長さは短い。脇差しみたいだ。威力は落ちるが、小回りは利く。
「そんな武器で大丈夫か?」
背後からの声に答える余裕はない。考えろ。ここさえ切り抜ければ。
「もう追いかけっこは飽きた。こちらから参る」
冷酷な狩人が不幸な獲物に牙を向いた。
俺の左腕が熱くなる。肉が喰いちぎられたような深い傷を負っていた。鋏の刃にはぎざぎざの歯がついているらしかった。
痛みに耐えきれず、立ち止まってしゃがみこむ。そのすぐ頭上を鋏が通り抜け、鰐のような鋏が林立する武器を次々、粉砕していた。
鋏がきしんだ蝶番のような音を立て、ゆっくりと閉じられる。この機を逃さない。脇差しを振りあげ、鋏にぶつける。鋏に傷をつけるどころか、脇差しに大きくヒビが入った。
「だから言っただろう? そんな武器で大丈夫かとな」
教え諭すような調子で死十朗は言った。鋏の大きな影が俺に覆い被さってくる。
ここまで来てゲームオーバーなのか。チートを打破できる力じゃないのかよ、先生。
「まだだ……」
壊れた破片が宙を舞って、光を反射している。壊れかけた脇差しの上にそれをふりかけると、波紋が蘇る。これらの武器は模造品だが、マテリアの塊。束ねれば武器を強化できると考えた。
「器用だな。だがまた壊れるぞ」
鋏自体の動きは早くない。開ききる前にめちゃくちゃに刀を叩きつける。俺の刀だけが無闇に傷ついた。
鋏が開かれるタイミングを計って後ろに跳びのく。マジックテープを貼っておいたおかげで回避だけは早い。
長期戦になる。お互いがそう確信していた。
二
俺の手から、刀の柄が滑り落ちる。左手の感覚がなくなり、指は開いたままの形で固まった。もう腕を上げるのもやっとだ。
死十朗も汗を滴らせ、肩で息をしていた。
いつから戦い始めたんだっけ、俺ら。確か昼前からか。幾度かの中断を経て、夕方にまでかかるとは誰も想像しなかった。
夕日は沈み、体の芯をなぶるような冷えた風が吹き荒れていた。
「いい加減、あきらめたらどうだ」
死十朗のこの勧告は、何度目か忘れた。俺のあきらめの悪さが予想以上で、彼も困り果てているみたいだった。
「嫌だね、S級になるのは俺だ」
「今度はこちらから質問だ。どうしてそこまでS級に拘る」
死十朗は鋏の調子を確認するように何度も閉じたり開いたりしていた。
「クソゲーは自分でやらなきゃ意味がねえ」
「どういう意味だ、それは」
俺は残りわずかになった刀の一振りを掴んだ。重いけどあと少しだ。
アテナ先生はガイダンスの最後にこう言った。
「アテナの代わりに頑張って」
俺が知るあいつなら、アテナのために頑張ってと言うはずだ。納得がいかない。問いただす必要がある。新たな目標が生じた。
「人任せじゃいけないってことさ」
死十朗の顔が苦痛で歪んだ。年は俺より一回り上くらいかと思っていたが、もっと老け込んで見えた。
「イリスのことも、ヒロコのことも俺が救わなきゃ。ここにいる意味がないから」
「羨ましいな」
「え?」
死十朗が鋏をゆっくり持ち上げる。動作からかなり疲弊しているのがわかる。
「ここにいる意味、か。俺にもそれを見分ける目があったなら」
真正面から、俺は開かれつつある鋏を見据える。夕日を照り返した刃はえも言われぬ美しい光を放っていた。
「逃げずにすんだのかもしれない。若い冒険者にそれを教わるとはな。だが試練は試練、手は抜かん」
鋏の動きがふいに止まる。死十朗は二つの柄を力任せに合わせようとしたが、押しても引いてもびくともしない。ようやく彼の額の皺に焦燥が浮かんだ。
俺は持っていた刀を捨てた。もう必要ないとわかったからだ。
「その鋏、本当にすごいよ。これだけ手を加えてやっと使えなくなったんだから」
「策士め。何をした」
死十朗は笑いをかみ殺したような顔で俺にそう訊ねた。俺はさっきから続けていたちょっかいについて説明した。
「少しずつ、反射炉で作った腐ったエンチャントを張り付けた。最初は変化がなかったから無駄かもと思ったけど、少しずつ動きが鈍ってたから効き目があったんだ。そしてもう俺でも壊せるほど弱ってる。壊すよ、悪いけど」
エンチャントを張り付けるイメージがつかめなかったから、初めはマジックテープで何度も試した。その努力がついに実ったのだ。喜びよりも申し訳なさの方が強い。ケチをつけられたら、絶対謝ってしまいそうだ。
死十朗は目を閉じ、上手く殺せと言わんばかりに鋏を向けてきた。
俺は右手の拳を固め、終幕を告げる。
「死儀」
三
「俺は武家の生まれでな。一応は侍だった。肥後藩を聞いたことはないか。さすがにもう残ってはいないだろうが」
死十朗の雁木に小さなヒビが生じ、次第に枝が伸びるように美しい刃を冒していった。先端から大きな破片がぽろぽろとこぼれ落ちていった。
武器を壊すというより、美術品を壊すのに似ている。指に吸いつく刃の感触は並々と張った清水みたいに心地いい。
後ろめたさが全身を毒のように駆けめぐる。それでも俺は鋏から手を離そうとはしなかった。
「俺にはなまじ武芸の才があったのが災いした。武功を立てたいといつも願っていた。とはいえ、既に太平の世。刀は飾りに過ぎない。人を斬りたいなどというのは狂気の沙汰よ」
「そうなのか? 切り捨て御免とか言うだろ」
「重大な事実誤認だ。さしたる理由もないのに殺人が許される社会があると思うか? お前の頭の方を疑うよ」
俺の頭は確かに遅れているが、武器を携帯している社会というのは想像しづらい。銃社会ともまた違うしな。
「それに稽古に打ち込んでも稽古は稽古だ。家督をついで算盤をはじいてもしっくりこん。武士とは何か。毎日悶々としていたよ」
現代の大学生とあまり変わらない告白に若干拍子抜けする。だが、自分が周りと違うと気づいていながら、それに合わせるのは中々辛い事のように思えた。
「屋敷には猫の額ほどの池がある。梅雨時には側の紫陽花が紙風船のようにきれいに咲くのだ。ある日その池を眺めていると、鯉が喋った」
「暇なら、違う世界を覗いてみないか」
「応と、すぐさま俺は答えた」
決断はやっ。よっぽど飢えてたんだな。
「鯉の口を借りて喋ったのは、神官タマだった。そうして俺はこの世界にやってきた。勧誘方法は様々らしいが、お前の場合どうだった? タロウ」
俺が押し黙ると、死十朗は事情を察したように頷いた。
言えないッ……、おっぱいに釣られたなんて口が裂けても言えない。今まで強がってたが、俺がVAFにのめり込んだきっかけはアテナだった。見えそうで見えないおっぱいに挑発され、悶々とした夜は数知れない。
「見たこともない異人や、生物、街。俺は自分の器を思い知り、元の場所に帰りたくなった。だが時既に遅し。帰る術は残されていなかった」
三百年前からVAFが存在することも驚きだったが、帰る術はやはりないのか。軽い絶望が、意識を揺さぶる。
「神官を問いつめたところ、試練に耐えれば教えると言われた。つまりさっきは嘘をついた。俺にも体面があるからな」
正直なこの人に、俺は好感を抱いた。本当に強い人というのは正直で誠実なのかもしれない。
「自分でやらなきゃ意味がない、か。お前は自分のやるべきことが見えている。それが勝敗を分けた」
「相性の問題だと思うけど」
「些細なことだ、戦術など。現に俺は負けた。武士とは刀だと思い違いをしていた。浅はかな奴さ、俺は」
鋏の亀裂が、死十朗のたくましい腕にまで広がった。何で。
「次はいよいよ最終試練になるだろう。おせっかいついでに一つ忠告しておく。神官との勝負に勝とうと思うな。神官の神威は、常軌を逸していた。まともにぶつかれば必ず負ける」
「お、おい、あんた、体が」
死十朗の体は陶器になってしまったように脆かった。武器よりもより早く、形を失う。
「楽しかったぞ、未来の冒険者。三百年待った甲斐があった」
風鈴の音が耳の奥で鳴っていた。丘には俺だけがぽつんと残されており、汗が頬を伝うのも構わずに、暫く立っていた。
「クソゲーは自分でやらないと意味がねえ」
俺はそう自分に言い聞かせて強くなったつもりでいた。その割釈然としないものが残り、声にならない叫びを上げていた。