クソゲー試験其の壱 妹バブル
俺はついてゆけるだろうか。君のいないこのクソゲーのスピードに。
「いや、そんな顔しないでよ。別に君は未来永劫冒険者になれない。人生オワタとかいう意味じゃないから」
カーターは鼻を膨らませて、得意げに語る。
誰かこの野郎をぶん殴ってくれないかな。よく見りゃ、こいつのストライプのネクタイ趣味悪いんだ。
俺は人を一度嫌いになると、そいつの些細な面も気に食わなくなるみたいだ。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いじゃないけど。
半ば疲労した頭で理解したのは、俺は冒険者として認められていないという事実だった。少なくとも今はまだ。
「冒険者として認められるには、教皇庁と国の認可が必要なんだよ。君の場合、神官の認可、つまり教皇庁の認可は得ているみたいだから、あとはどこかの国で認可をもらえば問題ない。どうだ? 知らなかっただろ」
こいつ、俺をビビらせたかったんだな。ゲス野郎め。
「で、俺はどうしたらいいですか? 犬の真似でもすりゃいいんですかい?」
「威勢がいいのは悪くないが、反抗的になるのはよくないぜ。特に城壁の中ではな」
王都内では取り締まりが厳しいらしいし、どんな所なのか想像もつかない。気安い場所ではないのは確かだ。
「悪いが、俺の口からはこれ以上何も言えない。認可を得る方法を探るのも、試験の一部に含まれるからだ」
俺は試されるのだ。クソゲー試験によって。
ちなみに認可を得ないで、冒険を続けることも一応可能らしいが、お勧めはしないとカーターは教えてくれた。
その場合、国からは簡易観光ビザしか得られないため、最長三日の滞在が限度のこと。それを過ぎれば、次にビザを得られるのは、一ヶ月を待たなくてはいけなくなってしまう。
認可がないと関所を通ることもできないため、他国に行くには多額の賄賂が必要になる。
冒険者の認定を受ければ、公共施設の料金が格安になるなどのサービスを受けられるし、クエストという課題を受けることが可能になるという。
つまり冒険者になることは、VAFを生き抜くために必須条件なのだ。
「アテナの奴、こんなこと教えてくれなかったぞ」
あいつが俺に教えてくれたのは、ぱふぱふの素晴らしさと奥深さだけだった。競馬場に行けば会えると言っていたので、カーターにアテナのことを聞こうとしたら、彼の顔から笑みが引いた。
「そうか、タロウが出会った神官は、”白い魔女”だったな」
「え! あいつはこの国のセ○クスシンボルなんですか?」
「バカ、何言ってるんだ。あんな人でなしはいないって意味だよ。っと、こんな所で話して誰に聞かれるかわかったもんじゃない」
カーターは油断なく目を光らせ、辺りを気にした。
「とにかく観光ビザが切れる三日以内に国の認可をもらうんだ、タロウ君。いいか? 三日だぞ」
「は、はい!」
俺が勢いよく返事をすると、カーターはニンニク臭い息を立派な判子に吹きかけた。
「楽しんでこい。ハテナイはいいところだ。くれぐれも悪いぱふぱふ娘にひっかからないようにな」
俺はカウンターに身を乗り出さん勢いで、聞き返す。
「いるんですか? あの壁の向こうに」
ビザに判を押しながら、カーターが頷く。
「上玉ぞろいだ。悪いことは言わない、一流の冒険者になりたかったら、ぱふぱふ屋には近づくな。それで人生を棒に振った冒険者を、俺は二十三人知っている」
「肝に銘じます」
具体的な数字が俺を慎重にさせる。もとより、ぱふぱふはアテナと決めているから、余計なお世話なんだけどな。
「ああ、不思議な気分だ。タロウ。俺は冒険者にドライに接してきた。それは情が移っちまうと、仕事がやりづらくなるからだ。許してくれるかい?」
「もちろんですとも」
俺たちは過去を水に流し、抱き合った。でもカーターの息はニンニク臭かった。
ソファに戻ると、ショータが寝ぼけ眼で俺を見上げた。
「うにゅ……」
ふわふわと手を伸ばしているので、俺が握ると見た目にそぐわぬ馬鹿力で、ソファに引っ張り込まれた。しかもショータの奴、俺の首に頬ずりしてきやがる。ミルクみたいな匂いに俺の思考が麻痺していく。いかんぞこれは。
「おい、ショータ! やめろって。寝ぼけてるのか?」
改めて触れるとショータの体はものすごくやわらかくて、もちみたいであった。
俺は計らずも火照ってきて、こいつは男なんだと言い聞かせて、目を閉じる。不惑を信じ、明日を待つ。
結局、明け方まで眠ることはできなかった。
2
男同士で抱き合って眠って、どうしようって言うんだ。
期待されるようなことは何もないよ。何も。でも柔らかかったな。
俺とショータは目覚めると、どちらともなく体を離し、テラスでブレークファーストに行ずる。
朝の空気を吸うだけで、身も心も清められた。空は透き通り群青色が映える。良い陽気になりそうだ。
「夕べはどうしてあんなにくっついてきたんですか? タロウさん」
ショータは身をよじり、上目遣いで俺を見る。
俺は新鮮な驚きに打たれ、視線がかち合わないように、遠くに目をやった。
屍のように横たわるエチカに、野鳥が群がっていた。
俺は幾分平静さを取り戻した。
「お前が俺をソファに押し倒した。それだけだ。妙な気を起こすんじゃない」
「妙な気なんて、起こしてませんから!」
こいつは俺にどうして欲しいんだろう。もしかして襲って欲しかったのかな。あんまり誘惑しないで欲しい。
って、……ないないない。ショータはアテナを愛してるって言ってたし、落ち着け俺! あの素晴らしいぱふぱふを思い出せ!
カーターがパンと、スープを持ってきてくれた。カフェも併設しているらしい。
スープはかなり薄味だった。豆粒くらいの大きさのトウモロコシが入っていた。パンは固くて歯が折れそうになる。
ショータが小さい口を懸命に動かしているのが、何とも愛らしい。
「あげませんよ」
「いらねえよ」
「じっと見ないでください。食べづらいです」
「いいだろ、減るもんじゃねえし」
ずっとここでイチャついていたかったけど、そろそろ門が開くとカーターが伝えにきた。
「それと、朝食代、二人で10リラな」
「えー、金とんのー?」
「たりめーだ。払えねえならここでもう一日働いてもらう」
俺は無一文なので、ショータに借りた。
カーターと簡単な挨拶をし、俺たちは小屋を後にした。
「あ、タロウさん。僕はここでお別れです」
巨大な門の前でショータが何気なしに言った。
俺は自分の耳が信じられず、彼に詰め寄る。
「何でだよ! お前は新ヒロインじゃないのか! 俺は一人でどうすればいいんだ。弄ぶだけ弄んで、飽きたらポイってわけか?」
「人聞きの悪いこと言うなぁ、とりあえず落ち着きましょう。はい、深呼吸」
「すーはーすーはー」
ここだけの話、ぐっすり眠ったら急にホームシックになっちゃった、俺。その上、ショータに去られては生きていける気がしない。深呼吸くらいじゃ気休めにもならなかった。
「なあ、俺どうしたらいいのよ。異国で一人きりになる気持ち考えろよ。アテナを呼んでよ、うわああああああ!」
俺は、年端もいかぬ少年の前で、号泣する。精神が錯乱しているんだ。
「エロ奴隷にでも、鞄持ちにでもなるから、側に置いてよ、捨てないでええええ!」
「落ち着いてください!」
ショータに一喝を浴び、俺は我に返る。
「一体どうしちゃったんですか? タロウさん。格好付けるのはアテナさんの前だけなんですか?」
「だって、だって……」
「今のタロウさんを見たら、アテナさんは失望すると思います。僕だってそうです」
失望されても側に置いてもらえるかなって一瞬思ったけど、それはやっぱり違うんだろう。あの森での苦い状況が繰り返されるだけだ。
「俺、弱っちいんだ。アテナの前では無理してたけど、魔物怖いし、実は人見知りするし、外国はおろか県内からも出たことない。ただの高校生なんだよ」
「いいじゃないですか。誰も気にしてませんよ、そんなこと」
そりゃ熟練したこいつからしたら、俺はただのチキン野郎にしか映らないんだろう。けど冷たくないか。
「僕もね、人に話しかけるの苦手で、学校に居場所なかったんです。だからVAFで友達ができた時、本当にうれしかったな」
思い出をなぞるようにショータは一端、口を閉じた。
高い灰色の壁の前に俺たちは立っている。何とかここまで来た。俺一人だったら、途中でのたれ死んでいただろう。アテナや、ショータのおかげだ。
「気軽に、友達を作りに行くと考えましょうよ。きっと誰かが貴方を必要としています」
「俺にもできるかな、友達」
「ええ、既にここに一人いますから」
だから、その友達を失うのが身を切られる苦しみだってわかんないのかね。もどかしい。
「それにタロウさん、もう一生、僕と会えないと思っていませんか?」
「違うのか?」
ショータは柔らかく微笑んだ。
「しばらく僕も王都に滞在しますから、見かけたら声をかけてくださいね」
俺は勢い余ってショータ押し倒した。
「ふざけんなちくしょう。ズッ友だからな、俺たち」
2
王都の門は固く閉ざされたままだ。門扉は、横幅約十メートル、高さはだいたい二十メートルくらい。灰色の城壁に目立たないように設置してあって、目印もない。注意しないと通り過ぎそうだった。
それにしてもこの壁、どういう材質でできているのだろう。コンクリートのようだが、所詮俺は素人なので思い至らない。
拳を打ちつけてみたけれど、鉄を殴ったような固い感触が返ってきただけだった。表面は滑らかで、登ることは不可能だ。
「なあ、ショータ。俺、現実に帰ったら妹に言いたいことがあるんだ」
「妹さんいらっしゃるんですね。きっと心配だろうな」
ショータは我が事のように胸の痛めたのか、声を落とす。
俺には三つ違いの妹がいる。家を空けていることで、あいつが心配しているかっていうと、多分していない気がする。
「私、お兄ちゃんを卒業するね」
妹は小学校を卒業したその日の晩に、俺に別離を告げた。
「お前は俺のお兄ちゃんだったのか?」
「違う違う。私がお兄ちゃんの妹から卒業するって意味」
「兄からの卒業証書はいるか?」
「うん。A4の紙で五枚以内にまとめてちょうだい。絶対だよ」
妹はそう言い残すと自室に引き籠もり、中学には一度も登校しなかった。
両親はかなり気が動転していたように思う。
妹は俺とは違い優秀で、私立の中学に通う予定だった。
苛烈な受験闘争を勝ち抜いた直後だったから、その反動が起きたのだと周りは思っていただろう。
だが、俺はあいつが引きこもりになった原因を知っている。俺が卒業証書を渡さないせいだ。
「なあ、部屋で何やってんの?」
あいつの食事の面倒は俺がみていたから、少しは会話があった。ドア越しにね。
「……、ゲーム」
いつも風っぴきみたいなくぐもった声で、妹は返事をした。それだけで、俺は幾分安心できた。
「どんなゲームだよ。お前、受験だったからゲームなんて持ってなかっただろ。ポケモンか? 対戦すっか?」
「オンラインゲーム」
妹はパソコンを所持していたから、納得がいった。電子の海で溺れ、その魔力にとりつかれてしまったのだろう。だが、どんなゲームにも終わりがやってくる。その時にこいつはどうするんだろう。
「俺もやってみようかな。タイトル教えてくれよ」
「Venas Athena frontier」
「え? 何だって?」
妹はやたらと巻き舌を多用し、俺を幻惑した。何度か聞きかえし、ようやくゲーム名をメモできた。
「どういうゲームなん?」
「ドラクエみたいなRPG風だけど、簡単に言うとクソゲーかな。私なんかヨガしかやることないよ」
「そりゃ燃えるね。教えてくれてありがとよ」
そう、VAFの存在を俺に教えてくれたのは妹だった。俺はネットゲーム初心者で早々と詰んだけれど、妹はサクサク先に進んでいたみたいだ。
「おい、スライムLV30が倒せねえぞ。バグじゃねえのか」
「逃げれば?」
「コマンドする前に死んでるよ。ネットで調べても、出てこない。教えて、妹さま。おこづかいあげるから」
妹は攻略情報を決して明かさなかった。それは俺がクソゲーを独力で攻略するのが好きだと知っていたからなのだ。普段、どんなに苦しくても攻略本は邪道とみなしている俺だからな。
夏休みに入った頃だったか、あいつは珍しく興奮した様子で話しかけてきた。
「私、ギルドマスターになったよ、お兄ちゃん」
「そりゃよかったな。お前、統率なんてできるんか?」
妹がむっとして黙り込んだ気配が、ドア一枚を通して伝わってきた。
「みんなガチ勢だし。強くなくちゃつとまらないんだから。お兄ちゃんは入れないし」
「ええよ、別に。どうせスライムに勝てないし」
「どうせアテナのおっぱいばっかり見てるんでしょ」
妹の痛恨の一撃に、息が止まりそうになる。
「お兄ちゃん好きそうだよね。ああいうおっぱいの大きいやらしー女」
わざとらしく聞こえないように、咳払いをするはめになった。
「おっぱいは大きさじゃないんだぞ。そればかりに目を奪われる男は未熟と言わざるをないな。俺はそんな男じゃない」
否定に否定を重ね、いつしか俺は巨乳好きを公言できない状態に追い込まれた。妹の前で見栄を張りたくなったっていうのもある。
「卒業証書、あれだめ」
俺はゲームの話ついでに、卒業証書を作って妹に読ませていたのだが、OKが出ることはなかった。
「○妹条約第二百六十三条、あれなに? 妹は海産物に含まれるって。ワカメに欲情するの? お兄ちゃん」
「しない。そして妹に欲情する兄はいない。訂正する」
その時わかった。こいつは俺を責めていたのだ。
そして、証書が完成する前に妹は泡のように消えてしまった。
ある日、夕飯を持っていっても返事がない。普段は返事くらいはするのだ。
数日前から妹は落ち込んでいた。なんでも、信頼していた仲間から裏切られたらしい。所詮ゲーム内の話だろうと、俺は深刻に捉えていなかったのだが、嫌な予感がした。
ドアノブに手をかけると鍵はかかっていなかった。部屋の窓は締め切られ、ライトグリーンのカーテンがかかっている。フローリングの床にはチリ一つ落ちていない。数時間前まで人がいたとは思えない。清廉すぎる。まるで消毒された後のような居心地の悪い部屋だった。
味気ないスチール製の机の上に、ノートパソコンが開きっぱなしのまま置いてある。画面に映し出されるVAFのロゴがきらめく。
妹はその日から行方不明になり、両親は捜索願いを出した。俺はあいつを探さなかった。探そうともしなかった。何となくあいつが見つからない気がした。死んでるとか生きてるとかそういうんじゃなくて、あいつは卒業したんだと思う。
兄からも、妹からも。
それが良かったのか俺にはわからない。あいつが最後までやっていたVAFで答えが見つかるとか、都合のいいことも考えちゃいない。
俺がVAFを執拗にプレイしていたのは、アテナのエロCG目当てでも、妹のためでもない。このクソゲーを意地でも攻略したかっただけなんだよ。こんな兄、卒業されて当然だろう?
俺は今を乗り切るのに必死で、あいつがこっちにいても助けてやれるかどうか。そういえばゲームはあいつの方が先輩だ。教わる立場になるわけだ。
兄と妹の立場を越えて。
それでも俺は気がつけば頭の中で、卒業証書の添削をしていたりするんだな。もう染み着いちゃってだめなんだ。
俺の方が妹から卒業できていないのかもしれないね。
3
「ん……、あれ?」
門の表面をよく調べると、梟の小さなレリーフが目に留まった。土ぼこりに埋まっていたが、これは取っての役に立つようだ。俺が右手の人差し指を入れ、軽く押しただけで、門が内側に折れるようにして、開いた。力はほとんど必要なかった。
「おい! ショータ、開いたぞ」
ショータは、野ざらしのエチカと仲むつまじく会話をしていた。エチカはショータに抱き起こされ、小さく頷いている。
あの二人の関係もかなり不思議だ。エチカは多分ショータに惚れているんだろう。でもショータはそうでもない。気持ちのすれ違いか。俺とアテナみたいだな。
「すみません! 先に行っててもらえますか」
「ああ。いいって。ごゆっくりどうぞ」
「そんなじゃないですから」
苦笑するショータと、赤リンゴのような顔色のエチカを目に焼き付けると、俺は門の内側に滑り込んだ。
「リア充爆発しろ」
門は音もなく閉まり、城壁と一体化する。
「え、あ……」
城壁をいくら押せども、開かない。門があったことすら、もはや怪しい。
「おい、ショータ!」
俺は不安に駆られ、大声で叫ぶ。だがすぐ思い直し、口を閉じる。
そうだ。これは俺のクソゲー試験。一人で乗り切らなくてどうする。
「ありがとな。ショータ」
俺は引き返したい気持ちを叱咤し、前を向く。
今いる場所は路地の行き止まりらしかった。青々とした葉をつけた木の枝が、すぐ真上にある。
石造りの家が、狭い土地にギュウギュウに押し込められるように建てられていた。家の窓には鎧戸が下り、人の気配は感じられなかった。
道幅は人とすれ違うのがやっとの広さで、舗装されていない。幸い土は乾いており、今の俺でも歩くのに問題ない。
低い石垣にそってゆっくり歩いていくと、小さい畑のある家が目に留まった。その家の煙突から、細い煙が立ち上っている。
俺は少し安堵し、息を吐く。
静かだ。恐ろしいくらい静かだ。都市ってこんな感じなのか。思っていたのとかなり違う。人と会わないし、まるで田舎に来たような感じだ。
あの煙突のある家に行ってみようか。
俺は逡巡する。人見知りでなくとも、いきなり知らない人の家の門戸を叩くのには抵抗を感じるはずだ。
このクソゲー、どこまでゲーム臭くないんだ。田舎に泊まろうっていう試験なのか。
覚悟を決めた俺の耳に、何者かの声が突如響いた。
「お前は、お兄ちゃんか?」
どこの誰がどういう意図でそう訊ねたのか、俺は聞き返そうともせず、身構えた。
「ちなみに私はお兄ちゃんだ。お前もそうだろう? タロウ=オオツダ」
声の主は石垣に片足を載せた格好で、俺を名指しした。
その男は長身で、なおかつかなりの痩身だった。目測で百八十は越えている。紫陽花のような青みがかった髪を肩まで伸ばし、不健康そうな青白い肌をしていた。
びっちりとした細身のパンツに、先のとがった黒い靴を履いている。そして、トップスが問題なのだが、Sister loverと書かれたピンク色のTシャツを着ていたのだった。そして、指には宝石のついた指輪がじゃらじゃら。ダイヤとかアメジストとか、一見しただけではわからないけど、多分本物なんじゃないかな。
「あの、もしかして、この辺の住民の方ですか?」
こんな質問するだけ無駄なのだが、間を持たせるために仕方なく訊いた。
男は指輪をはめた人差し指を立て、俺に向ける。
「私にとってこの世界そのものが庭なんだから当然じゃないか。今鬼ごっこしている最中だ」
何なんだこいつ。絶対ヤバい。またなんとか教団の方かもしれない。俺だってこいつが、ここいらの人間じゃないってわかってるって。
俺は愛想笑いを浮かべた。ここを乗り切らないと試験どころじゃなくなる。
「お兄ちゃんさん。ちょっとお尋ねしますが、もっと人気のある場所を知りませんか?」
男はニヤニヤと侮るような笑みを浮かべる。
「そのまま右手に折れれば、広場につくぜ。大聖堂が目印になるからすぐわかるだろう」
あら。態度は気に食わないが、以外と親切だ。喧嘩ふっかけられたら、どうしようかと思った。人を見た目で判断しちゃ駄目だな。
「ありがとうございます。それじゃ俺は失礼します」
男の脇を通ろうとすると、長い足が俺の進路を阻んだ。
「さっきの質問の答えがまだだぞ。お前はお兄ちゃんか?」
しつこいな。俺は段々腹が立ってきたものの、なんとか堪える。
「ええ。一応、妹がいますから」
男は肩を揺すって笑いだした。
「何かおかしいこと言いましたかね?」
「いやいや、すまない。そうか、お前は妹がいるから兄なのか」
「普通そうでしょう? 妹もいないのに兄は名乗れない」
「妹がいても兄を名乗れない奴もいるぞ?」
「はは、おもしろいですね。妹にひどいことでもしたのかな」
「心当たりがあるんだな」
「ははは」
「ハハハ」
「ははは」
「ハハハハ」
「ははははは」
「ハハハハハハ」
「ないですね。失礼します」
俺は男の足をまたいで、歩きだした。
広場に行けば、何かわかるだろう。善は急げだ。
「お前の妹は生きているよ」
足を止めるな。前を向け。
「ここからだいぶ離れた場所にいる。話ができる状態じゃないがね」
俺の足は止まった。ショータに軟膏を塗ってもらってましになったものの、まだ走ったりはできない。
恐る恐る振り返ると、お兄ちゃんはいなくなっていた。
民家の煙はいつのまにか絶えている。
あの男は、俺の名前も、妹のことも知っていた。問いたださず、俺は耳を塞ぐことを優先した。
だって恐ろしかったから。
妹を救わなくちゃなんて思うだけで、もう潰れてしまいそうなんだ。
俺は最低の兄だ。