大丈夫じゃない
イリスの頼もしい背中を見送った俺は、ランカを置いてきた場所に足を向けた。
「あれ、いない」
大きな岩を目印にしていたので間違えるはずもない。方角も合ってる。
愛想尽かされたかな。一抹の不安がよぎった所で急に視界が塞がれた。
「いひひ、だーれだ!」
ランカが後ろから俺の目を塞いできたのだ。まだメルヘンランドの住民のままらしいな。
「ガーッ!」
「きゃっ……」
タロウのおたけび。ランカは我に返った。
「大っきな声出さないでよ、びっくりするじゃん」
「飯だ、飯。腹が減っては戦はできぬ」
俺のかつてないやる気を見て取ったのか、今日の晩飯は豪華だ。何と、うなぎの蒲焼き。この世界にきて初めて食べるけど、前の世界と味は違うのだろうか。楽しみだ。
「天然もの。しかもしかも、ハテナイ特約店のタレ付きですよー」
ウナギは村でおすそわけしてもらったもので、タレはランカが以前店で買ったものらしい。ハテナイはウナギの産地として有名だったのを忘れていた。
噴火中の火山のようにもうもうと煙が上がる。
串を刺して焼いてる最中にも、食欲を誘うような匂いが立ちこめていた。
味は俺が知ってるウナギと大差ないようだった。柔らかくて油分が多い。食べ終わると口の周りがべたべたになった。タレは甘味が強かった。
食事中、ランカはちょっとしたトレビアを披露した。
「実はハテナイでウナギを広めたのはヒロコさんのお母さんなんだよ」
「うえ、マジか。さすが権力者」
ヒロコのお母さんは元冒険者で、王室に嫁いだやり手だ。ヒロコの容姿から、もしかしたら日本人だったのかもしれないという想像が働いた。
「イリスちゃん、元気だった?」
ランカは遠くで俺たちの再会を見守っていたらしい。細かい配慮に感謝した。
「ああ、うん。なんかしごかれてそうだけど元気だったよ」
「そっかー……私の考え過ぎだったかもね。惑わすようなこと言ってごめん」
ランカは折りたたみ椅子を俺の椅子の脇にぴったりとつけた。密着して座ると熱っぽくて汗が出る。
ランカが俺の顔を至近距離で見つめてきた。毛穴まで観察されているようで居心地が悪い。
「おおい、ちょっと近いよ。恥ずかしいから」
「タロウが悪いんだよ。さっき中途半端に終わらせるから」
昼間は自棄になっていたから、ランカを雑に扱ってしまった。配慮が足りなかったと反省する。
「悪かったよ。乱暴だったよな。もうあんなことはしない」
「しなくていいの?」
再び続きをするように、催促される。俺にはヒロコを救う大事な使命があるんだけどな。浮ついているようで、これまで色事は避けていた。でも今夜くらい許されるだろう。
と、甘えた考えを一蹴するように、鋭い咳払いが俺たちの蜜月を壊した。
ランカはそれでも肩をぶつけてきたが、俺は椅子から立ち上がって神殿の方に歩きだした。
神殿の階段を上りきった踊り場に、タマさんがいた。俺は階段の下から呼びかける。
「こんばんはー」
「おう」
タマさんは空を見上げたまま鷹揚に挨拶を返した。表情は窺い知れないが、厳しい雰囲気をまとっている。
「イリスが世話になってるみたいですね。迷惑かけてませんか」
「迷惑な命なんて一つもねえよ。それより女とちちくりあってて大丈夫か? 明日が一応期限だぞ」
やはりお見通しか。この人の遠慮のなさも少しは慣れて返す余裕が出てきた。
「大丈夫じゃないです。というか、みんな大丈夫じゃないんですよね」
「どういうこった」
俺は今日あったこと、おぼろげに掴んだような知見を述べる。
「俺の友達は借金あって、俺のものを盗んだし、恋人は薬物に抵抗ないし。大丈夫な奴なんて一人もいなかったんです」
だからなんだと言わんばかりにタマさんは黙っている。あるいは聞く耳を持たないか。どちらにしろ俺は構わないと思った。
「でも、一番大丈夫じゃないと思ってた奴が一番がんばってる。それ見たら、俺もこのままじゃいけないなって」
決意表明には遅すぎたのかもしれない。でもイリスに先を越されてなるものかという意地みたいなものを言葉にしておきたかった。
「イリスもお前と似たようなこと言ってたよ。昨日までは泣き言ばかり言ってたガキが、さっきいっぱしになって帰ってきてな」
俺がイリスに影響を受けたようにイリスも俺から影響を受けていたのか。だとしたら誇らしい。
「 人は独りでに助かったりしない。誰かの助けが必要なこともある。それでも差し伸べられた手を払いのける奴もいる。ヒロコはどうだろうな」
俺を迷わせることを言ってのけると、タマさんの気配が急に感じられなくなった。神殿の中に引き上げたんだろう。
冷えてきた。俺もランカの所に戻る。