言い訳使い
「ないよ、さすがにそれは」
俺はランカの考えを笑い飛ばした。そうでもしないとやってられなかった。
ランカは真顔で話を続ける。思考の逃げを許さない。
「何故です? ヒロコさんを助けるとは言ってましたけど、タマさんはイリスちゃんのことには触れませんでした。もし、二人のうちどちらかを助ける試験だったら」
「いいって! もう」
俺は自棄になりつつ階段を下りた。冷たくなった地面を歩き神殿から遠ざかる。もうたくさんだ。あれだけいたヤギはどこいったんだろう。一寸先は闇で、何も見通せなかった。
ランカが追ってきて、立ち止まった俺の背中に額をつけた。
「逃げちゃ駄目だよ」
「逃げてねえよ」
ランカは俺の前に回り込み、腕をつかんだ。痛い。指がくいこみそうなほど強く握られる。
「二人を助けられるのはタロウだけだよ。他の人にはできないもの」
「もし、本当にどっちかしか助けられないとしたら? 簡単だよ。俺にそんなの選べない。幻滅しただろ?」
俺は弱い振りして決断から逃げているだけなのだ。そんなの何の意味もないのに。
「幻滅なんてするわけないじゃない。それにタロウは弱くなんてない。この場に踏みとどまっているだけですごいもん」
「もうやめてくれ。どうせS級なんて俺には荷が重かったんだよ。ランカ」
俺と別れてユミルに行けと言いかけてやめた。ランカのノースリーブから伸びた二の腕に擦り傷ができていた。顔もハテナイにいた頃より日焼けしている。ネイルもしてない。髪は後ろで縛ってまとめただけだ。
「こんな傷、何でもない。私、タロウなら何とかできるって信じてる。一緒に戦おう」
俺はランカの体を抱きしめる。その抱擁はどこか熱を失ったようで、俺は付き合って初めてごめんを言ったのだった。
二
ああ、そうか。
俺は昔のことを思い出していた。
妹は低学年の頃、地元のサッカーチームに所属していた。妹の体は小さかったが、めちゃくちゃに動き回り、ドリブルとかも結構うまかったと思う。
それでも男子ばかりがレギュラーに選ばれ、妹はなかなか評価されなかった。
「しょうがないだろ。お前は女だし。女子のチームに入ればいいんじゃねえの」
「しょうがない? それですむなら司法はいらないよ。私、お兄ちゃんみたいな言い訳使いになりたくない」
俺の言葉は年若のせいにしても軽率だったかもしれない。あいつがそれほどまで悩んでいるとは考えもしなかった。
俺への反発心からか、程なくして妹はレギュラー入りした。それ自体は別に大したことじゃない。あいつは有言実行、俺は言い訳使い。平行線だって話だ。
太陽は律儀に昇る。これまで野営なんてしたことなかったから意識したことなかったけど、結構すごいことだと思う。
俺は、ヤギを捕まえる試練を、二日目で断念しかかっていた。
ランカの手前、追いかける振りをするけど、本気で捕まえる気力は萎えていた。ヤギもそれを見透かしているのか、あまり遠くに行かなくなった。
ランカが姿を消すと、俺は堂々とさぼった。大の字で横たわり、目を閉じる。顔に当たる日差しが痛いけど、我慢した。
ランカはどこまで行ったんだろう。戻ってきたら何て言おう。
言い訳を練っていると、足音が聞こえた。ランカにしては早すぎるし、タマさんが俺にアドバイスをくれるわけない。
俺は寝たまま首を少し持ち上げた。薄目を開けて見ると、サングラス、アロハシャツに、ショートパンツ姿の男が悠々と歩いてくる。
俺の足下に立ち止まり、無言。俺も何も言わない。男の頬には痛々しいガーゼが貼られている。それすらも、無性に気に入らなくて唾を吐きかけたくなった。
「一本いる?」
男が遠慮がちに煙草を勧めてきた。
「くれ」
俺は横柄な態度を貫いたまま煙草を受け取る。寝たまま煙草に火をつけてもらい一吸い。
「……、まっず!」
最初は鼻の奥がスースーして悪くない心地だったが、口の中がへどもどして気持ち悪い。すぐに吐き出した。
「子供にはまだ早かったかもね」
男は俺の脇に腰を下ろした。誰とも喋るつもりはなかったが、逃げるのも癪だ。俺はやっと男の方に顔を向けた。
「よお、元気か、ジョエル。山登り大変だっただろ」
俺の隣にいたジョエルは口元だけでにやけると、二本目煙草に火をつける。一本目は地面に捨てていた。秩序なんかくそくらえ。この土地は公衆に含まれねえと言わんばかりだ。
「元気さ、おかげさまで。借金もチャラになったしね」
「そうか。じゃあとっととどっか行けよ。俺は忙しいんだ」
俺が突き放してもなお、野郎はにやけ面のまま佇んでいた。
そうかと思えば、ジョエルはどっと倒れ、俺の隣に大の字になった。
「修行かい。少年漫画みたいなことやらされてるそうじゃないの」
ジョエルが細かな事情を知っているとは思えないが、ランカから聞いたのかもしれない。やましいことをしてるわけじゃないから知られても大差ない。
「まあね。俺の性に合わないけど。もっとチート臭い方法とれってんだ」
「そうかな。らしくないこと言うね」
らしくないってつい最近、同じ口から聞いたような気がするがまあいいか。考えが変わる事は誰しもあるものだ。
「僕が知ってるタロウなら、寝る間も惜しんでヤギを追いかけそうだけど」
「こんなクソみたいな課題、やってられるかよ。神官はクソだし、ハテナイもクソだ。こんな国滅びちゃえばいいんだ」
俺がありったけの愚痴をつぎ込むと、ジョエルは身を起こした。皆、俺を嫌いになれ。卑屈な祈りだけが今の俺の原動力になっていた。
「あのさ、タロウ。一ついいかい」
「な、何だよ」
俺の声が上擦る。ジョエルに弱みを突かれるのを内心恐れていた。
「実は僕、お尋ねものなんだよね」
サングラスを鼻まで下げ、やにさがった顔はやけに小物くさい。図体はでかいが、こいつが大それたことをする姿が想像できなかった。
「寸借詐欺か、何かだろ。盗人だもんな」
「おお! よくわかったね。まあ、その通りなんだが。ある女の子の大切な物を奪って逃げた」
どっかの三代目怪盗みたいな話だな。フィクションとして聞いとこう。
「その女の子は僕のボスの娘で、時々教育係のようなことをさせられていた。彼女、歌がとても上手くてね。どんな楽譜だろうと、すぐに暗記し、アレンジもおてのもの。歌だけに留まらず、楽器の演奏にも長けて、僕はお払い箱、になるはずだった」
ジョエルは記憶を噛みしめるように言葉を区切る。それだけ軽くない話という前置きのように感じられた。
「ある時、彼女は言ったんだ。自分の才能が憎い。これさえなければ、家業に縛られることなくどこにでも行けるのにってね。僕は、君の才能は何人たりとも到達できない峰のようなものだ。そこから飛び降りたら怪我じゃすまないと諭したんだが」
その少女は説得に耳を貸すことなく、両親と衝突した。ジョエルもとばっちりを受けて左遷されたらしい。
「まあ、僕に出世欲がないのは周知の通りだから、給料が下がるくらいで大したことはないとたかをくくってた。でもな、気をつけた方がいいぜ、タロウ。あのくらいの年頃の子は何するかわからん。僕に駆け落ちしてくれと持ちかけてきた」
このくたびれた感じの男にそんな甲斐性あるわけがない。話は俺の予想通りの結末を辿ることになりそうだった。
「僕は自分の居場所を失うのが怖くて、それだけは勘弁してくれと頭を下げた。大ギルドの長の一人娘をさらったとなればただじゃすまない。逃げきれるわけがないと懸命に説得したよ」
だが、少女の執念はジョエルの想像を越えていた。
「餞別に、これを渡された」
ジョエルは恥ずかしそうに、膝の上のカナリアを撫でた。
「これに、その子の声が封じ込めてある」
カナリアの喉の所が手前にスライドして、中から一センチ大のディスクが出てきた。
「これを持って逃げ続けろと言われたんだ。断ればカナリアを壊して全てを台無しにしてやると脅しをかけてきた。僕だって彼女の歌声が失われるのは惜しい。こうして根無し草のジョエルの出来上がりってわけさ」
ジョエルは煙草を取りだそうとポケットを漁っていた。ヤギは煙を嫌い、目の届かない所に行ってしまった。ランカはまだ帰ってこない。
その声を失った少女はどうなったんだろう。自分の決断を後悔しているのだろうか。ジョエルは後悔しているように見える。
「なかなか興味深い千一夜物語だったよ。今夜は安眠できそうだ」
「そりゃよかった。話した甲斐があるね」
くくっと、カラスみたいな卑しい笑いだった。人生の重みを感じさせない男の姿と、さっきの話はやっぱり噛み合わない。作り話か。
ランカが坂を登ってくる姿が、小さく見えた。俺とジョエルは慌てて煙草を始末し何気ない風を装う。
「僕は逃げ続けることになっちまったけどさ。君は違うだろ? まだ間に合うからあきらめんなよ」
ジョエルはそう言い残し、現れた時と同じように忽然といなくなった。
拾った煙草を口の端でくわえてみる。人生の重みが足りない点では俺も同類だった。