カッコウの卵は誰のもの
「俺の聞き間違いだと嬉しいんだけど」
夜気を吸い込み、一度気持ちを落ち着けようとした。イリスが、そんなはずない。何度も自分に言い聞かせてランカに顔を戻した。
「聞き間違いでも、嘘でもない。イリスちゃんは城主で、ハテナイもそれを把握してる。もちろん、ヒロコさんも」
ヒロコがこの場にいなくて助かった。もしいたら当たり散らしてしまいそうだ。隠し事にも限度があるだろ。思い当たる節がないわけじゃない。イリスは魔物との関係も近いようだった。
「あんまり驚かないね」
「あー……、一応驚いてるっていうか、頭痛い。夢じゃないよね」
「うん。現実。頬つねってあげようか」
「いいって! くそっ……、何だってこんな」
俺はしなくていい八つ当たりをランカにしてそこらを走り回った。自棄になるにはまだ早い。冷静に。
「なれるか! おい! タマさん、話がある。出てきてくれ」
俺が怒鳴り散らした所で、あの人には屁でもないんだろう。
呼んでもこない猫みたいな人っていうのは大体知ってるから、自分から神殿に足を向ける。
階段を二段飛ばしで上がる。これを機に全部訊きだしてやるんだ。
「あ、あれ……!?」
段を上がれも上がれども、一向に神殿にたどり着かないのはどういうわけだ。まるで高速のエスカレーターといたちごっこしているみたいだった。神殿入り口にある篝火が遠くの灯台の光のように瞬いていた。
「無理ですよ。神殿にはタマさんの許可がないと近づけないみたいです」
必死になって階段を上ったつもりだったが、中腹にも届いていない。息が切れたので段の一つに腰を下ろした。
「イリスのこと、いつから知ってた?」
はれものを扱うようにランカは少し離れた場所にいたが、俺が声をかけると側に寄ってきた。
「魔道研究所から戻ってすぐ、女王蜂からイリスちゃんについて調べろと命令を受けました。色々探っているうちに答えにたどり着いたんです」
恐らく、シャルル王も、ヒロコも、それ以前にイリスの正体に気づいていたんだろう。俺の記憶を消そうとしたのもそれがらみか。
「国はイリスをどうしようとしてたんだ」
「現状は監視でしょうね」
現状維持なら問題ない。でもそうでなかったら? わかりきったことだった。
「でも、これだけは言えます。ヒロコさんは、イリスちゃんを助けるために危険を冒してここまで来たんです。それだけは信じてあげてください」
ひょっとしたら、国のいざこざからイリスを守るためにヒロコはハテナイを無断で飛び出したのかもしれない。それは俺が考えるよりずっと過酷なことで、王女という立場を揺るがす程の一大決心だったんじゃないか。
だからといってあいつを許せるかというと話は別だ。俺にだって面子ってものはある。でも今回の旅に連れ出してくれたことだけは感謝した。何も知らない間に全て終わっていたかもしれないんだから。
「たとえイリスが城主でも、タマさんがあっちに送り返してくれれば大丈夫だ」
「本当にできるんですか、そんなこと」
「だって、ヒロコが、そう言って」
「ヒロコさんが嘘をついたとは思いませんけど、タマさん本人が約束してくれたわけではありませんよね。もしできなかったら」
ヒロコの言をうのみにしていたのは事実だ。タマさんに確認は取れていない。自分の無責任さに冷や汗が出た。
「だったらイリスを連れて逃げる。あの子が何であれ見捨てるわけにはいかない」
ランカは俺の決意を薄っぺらいと笑うでもなく真摯に耳を傾けている。
「国から逃げられると思ってるんですか」
「ハテナイは戦争準備で忙しいはずだ。俺らに構ってる暇ないんじゃないか」
ランカは急に顔を綻ばせ、俺の頭を撫でてきた。
「すごーい、政治のことわかってきたじゃないですか」
「ま、まあな」
ヒロコからの情報を自分に都合の良いように解釈しただけだ。褒められたことじゃない。
「でも残念。ハテナイにはイリスちゃんを追いかける大義があるんです」
俺の甘えた考えを一蹴するようにランカは自論を展開する。
「さて、見方を変えてみましょう。グラナダがハテナイに圧力をかけるにはどうしたらいいですか」
武力は、違うか。
グラナダの軍隊はヒトコロス教団も含めてニーベルンデン方面に集中して展開しているらしい。それがハテナイに取って返すことは今のところ考えづらい。
「エネルギーと、経済だろ」
ランカは俺の答えに強く頷く。
「そうです。ハテナイは慢性的な電力不足と、グラナダからの輸入品に依存してますからね。理不尽とわかっていても首根っこを押さえられたらどうしようもありません」
ここまでは以前ヒロコに聞いた話と寸分違わない。それがイリスとどう関わってくるのか。
「加えてハテナイはイスカの蜂から契約を反故にされてますから。援軍も期待できません」
「それ、初耳だ」
戦争に巻き込まれたくないから縁を切ったのならわかる。しかしそれだとランカがここにいる理由はなんだ。やっぱりイリスを……
「この絶体絶命の状況で、切り札となるカードはなんでしょう。タロウさん、シャルル王になったつもりで答えてください」
急に頭がすーすーしてきたぞ。あのいけすかないおやじが考えそうなことは。
「イリスを戦争に使おうっていうのか」
「言質を取ったわけではありませんけど、恐らく間違いないかと。シャルル王は今、ヒロコさんの件も含めて議会に相当叩かれてます。ここで悪手を打てば王政も、国もなくなってしまいますから必死なんです」
たとえ、何万人の命が助かるとしても、イリスを兵器として使うことを容認できない。ヒロコも俺と同じ考えに行き着いたのかもしれない。
「あの王様のことですから、グラナダのついでにニーベルンデンも取ろうなんてことを考えてもおかしくありません。そうなったらそうなったで女王蜂の方針も変わりそうですけど」
「ランカは、イリスをハテナイに連れて来るように依頼を受けたのか?」
俺の質問にランカは露骨に目をそらした。俺との色恋だけでここにいるとはどうしても思えなかった。
「はい。それがベストだと昨日まで考えてましたから。城主の危険性を知らない国ではないですし、何らかのリスクを避ける方策があるんだと思います。ヒロコさんとイリスちゃんを連れ帰り、私は報酬をもらってタロウさんとユミルに行く。多少寄り道しましたけど、当初の予定とは大きく変わりません。でもタマさんの話を聞いて少し気になることが」
「どんな?」
少しは自分で考えた方がいいのかもしれないが、俺は結論を急いだ。あるいは考えたくないことが一致していることに不安を覚えたのかもしれない。
「タマさんは、イリスちゃんをどうするつもりなんでしょう」
「どうって。イリスを向こうの世界に」
「先ほどの話と堂々巡りになってしまいますが、確証が得られない以上、別の可能性も疑ってみなくてはなりません。魔物を……、それも城主を無害化して、送り返すなんて真似ができるんでしょうか。私は聞いたことがありません」
ふと違和感を覚え、俺はランカの話を一端止めた。
「ちょっと待て、イリスはFGをしてるぞ。俺らと同じ冒険者なんじゃないのか」
ランカもそれは気になっていたらしく、同意を示してくれた。
「それはそうなんですが、研究所の見解では以前ハテナイに出現した城主とイリスちゃんのマテリア波長が九十七パーセント一致したそうです」
「えーと、DNAが一致したみたいな感じか」
城主が魔物でイリスは冒険者で、城主で、ややこしい。不等式思い出すな。でも現実である以上、不等式じゃ困るんだ。
「城主がイリスに生まれ変わったんだよ、きっと」
楽観視しすぎていると、思われても仕方ない。でも言わずにいられなかった。
「そうだといいですね。イリスちゃん、可愛いし」
イリスはただ可愛いだけの子供ではない。ヒロコがああなったのはイリスのせいだとタマさんは言っていたし、魔物とも会話する。やはりイリスは世界の敵なのか。
「タロウさん、嫌なこと言っていいですか」
「お、おう」
まだあるのかよ。俺の顔はひきつった。どれだけむち打てば気が済むのか。でもわかってる。ランカだって言いたくて言ってるわけじゃないのだ。俺のためを思って言ってくれている。
「タマさんは、タロウさんにイリスちゃんを殺させるつもりかもしれませんよ」
今度こそ俺は責任を放棄して逃げ出しそうになった。俺がやろうとしていることは本当に正しいのか。時間が押し迫る中、俺は否応なく現実と戦うことになる。