クソゲーは死にました
人は何故、クソゲーにひかれるのだろうか。
クソゲーとは、プレイヤーに一生ものの精神的ダメージを与えたり、超高難易度、あるいは、そもそも攻略の指針が不明なゲームソフトを指す。
現代では、そういった理不尽なものに出会う機会が極端に少なくなっている。
俺に言わせれば、今のゲームは食べやすく切られた野菜ステイックのようなものだ。
クソゲーには、サービス精神が皆無なのだ。まるで人の魂を絶望の縁に追い込むような鬼畜っぷり。謙譲の美徳がまるで存在しない。
だがそれが今のゲームの軟弱さの逆を行く。頑固と言い換えてもいいのかもしれない。
アーネスト=ヘミングウェイは、かつてこう言った。
「この世は素晴らしい。戦う価値がある」
俺もあえて言わせてもらおう。
「クソゲーは素晴らしい。戦う価値がある」
だが、皆が峻険な山を望んでいるわけではないことも事実だ。自分の価値観をゴリ押しするつもりも毛頭ない。
やはりクソゲーは、クソゲー以外の何者でもないのかもしれない。
仮に、クリアできたとしても、
「こんなげーむにまじになっちゃってどうするの」
嘲りをうけ、
「おとなになるってかなしいことなの……」
現実を突き付けられる。
作り手が、プレイヤーの心象をよくしたいと考えているとは思えない。
俺は聖人ではない。煽られれば、熱くなりゲーム機を粉砕することだってある。
だが、作った奴の意図なんてもうどうでもいいんだ。
挑戦することだけが、俺の生き甲斐だ。
俺は今日もクソゲーに挑む。明日も明後日も。
ああ、クソゲーがしてえ。




