とある日の舞踏会2
履きなれないヒールの為、躓かないよううまく歩きながら、人集りへと向かった。
食器の割れる音や、何かがぶつかり合う甲高い音。
とりあえず、騒々しいのは確かだった。
人と人の間に入り込み、やっとの事で輪の1番前に到達する事に成功し、目の前の惨劇を目の当たりにした。
丸テーブルがひっくり返り、床にずれ落ちたテーブルクロスがワインのシミで広がっている。
割れた食器が無残にも散らばり、豪華な料理があちこちに散乱。
そんな光景に唖然としている私の鼻の先に、何かぎ猛スピードで駆け抜けていった。
一瞬過ぎて目がついていかなかったが、真っ直ぐに壁に突き刺さったそれを見て、私は目を見開いた。
あまりの勢いに、突き刺さったシルバーナイフが衝撃で微かに揺れている。
ピーター「あれ?なんだ、エマじゃないか」
キッと彼を睨んだ。
その手には、何本もの食事用のナイフが手にされている。
そのナイフを武器のように扱う男はこいつしかいない。
緑のネクタイが、ピーターにはよく似合っていた。
エマ「ちょっと!何しているのよ!?」
もう少しで、ジャックナイフ化したシルバーナイフに鼻を削がれるところだった。
私の怒りは、上昇していくばかりだ。
レイル「なんだよ、エマも来ていたのか?」
声の方へ視線を移すと、そこにはレイルとドロシーがいる。
やっぱり、彼がいた。
両手に握ったフォークで、ドロシーのナイフの攻撃をもの凄いスピードで払いのけている。
その動きは私には見えない。
けれど、小さな火花が散っているように見えた。
そんな最中にも関わらず、ピーターはナイフを投げ、ドロシーはすかさず近くのテーブルを足でひっくり返し、それを盾にした。
何本ものナイフやフォークが突き刺さる。
まるで、ダーツゲームのようだ。
エマ「やめなさいよ!ここを何処だと思っているの!?」
ピーター「勘違いしないでよ、俺は彼女を止めているんだ」
と、困ったような表情を浮かべつつも、彼は手慣れたようにカトラリーの類のものを投げていく。
もちろん、彼は的ではなく私を見ながらだ。
エマ「ドロシーの心臓を止めるつもり!!?とにかく今すぐやめて!それにレイルも!!!」
レイル「俺のせいじゃないっての!こいつが暴れるんだ!」
ドロシー「この野良猫野郎!だいたいてめぇが悪いんだろ!一々苛つきやがって!」
どうやら、ドロシーは豹変しているようだった。
彼女の品の無い言葉遣いは、着ている薄ピンクの可愛らしいドレスには似合わない。
レイル「人のせいにしてんじゃねぇよ、地雷女!!!お前らが無理やり連れて来たのがそもそもだろが!!!」
ドロシー「やかましい!!偉そうな口叩くのは、あたいに勝ってからにしな!!!」
レイル「上等だ!!てめぇとはケリをつけようと思ってたとこだしな!!!ちょうど良い機会だ!!!」
と、2人は大人しくなるどころかヒートアップしている。
激しい攻防戦は、人知を超えた動きだ。
残念ながら、そんな機会はここに用意されていない。
立派なお城で開かれた舞踏会。
あの2人の顔に泥を塗る気か。
色々と問題がある2人を見つめ、意を決した。
痛くなる頭を押さえながら、思い切って2人に近付いた。
エマ「ドロシー!」
彼女の名前を呼ぶと、ドロシーはグルリと首を回し、私に目を向けた。
ドロシー「なんだい、エマ!?いくらあんたでも、あたいを止める事なんて出来な...」
その一瞬をつき、彼女の額に人差し指を当てる。
指先から伝わる彼女の記憶。
それを、一気に抜き取っていく。
ドロシー「あ....れ...?」
吊り上がった目が、徐々に柔らかくなっていく。
冷たい瞳の色が温もりを取り戻していくのを確認し、私は指をドロシーから離した。
頬を赤くし、ゆらりと体を傾かせる。
そんな彼女を、ピーターが絶妙なタイミングで支えた。
ピーター「助かったよ、エマ!流石だね!」
エマ「助かったよ、じゃないでしょ!!」
こちらからすれば、迷惑極まりない所業だ。
ニコニコと爽やかな笑顔を振りまく彼は、全く悪びれる事もない。
そして、それはレイルも同じだった。
レイル「って言うか、ドロシーに何したんだよ?」
両手に持ったフォークを手放し、私の方へと近付いて来る。
お前こそ、一体何をしているんだと言いたくなった。
エマ「レイル!またドロシーを怖がらせたんでしょ!!」
私は眉を上げた。
こんなところで暴れるなんて、恥曝しも良いところだ。
レイル「勝手にあいつが豹変したんだ。俺に怒るな」
呆れて言葉も出なかった。
こいつには、何を言っても駄目らしい。
分かっていた事だったけれど、ここまでだったとは。
もう、溜息しか出ない。
ピーター「とりあえず、ドロシーを部屋で休ませて来るよ。彼女、飲めないお酒を無理に飲んでいたからね」
ピーターに寄り掛かっているドロシーは、酷く酔っているようだった。
目がトロンとしており、焦点が合っていない。
1人で立っている事さえ難しいようだ。
エマ「お願い。ドロシーの事、よろしくね」
私達に背を向け、ピーターはヒラヒラと手を振った。
ドロシーの肩を支えながら、ゆっくりと歩いていく。
そんな私は、惨劇の現場となった場所の後片付けをするメイド達に謝った。
床に散らばる皿の破片を拾いながら、大丈夫ですよと、優しく笑ってくれてはいたが。
彼女達の仕事を増やしてしまった。
私だったら、舌打ちをしていたと思う。
それに、このお城のお皿には価値がある。
お皿だけではなく、このグラスもフォークもナイフもスプーンも。
一体、いくらの損害が出たのか気になるところだ。
レイル「おい、待てよエマ」
その場を離れようとして、レイルに後ろから腕を掴まれてしまった。
まだ何か用なのかと、私は渋々彼に振り返る。
エマ「なに?」
レイル「どこ行くんだよ?」
エマ「どこって...」
いつの間にか、周りにいた人集りが消えていた。
視界が良くなった辺りを見回せば、そこら辺に自分と同じ種族の人間がいる。
周りに張り合うようにして着ている、パティー用の豪華なドレスやスーツ。
少し鼻の高そうな態度や、品のある立ち振る舞い。
見ればすぐに分かる事だった。
レイル「せっかくだから、一緒に飲もうぜ」
そう言いながら、彼は私の腕を掴んだまま歩き出す。
持っていたグラスを落としそうになり、彼の背中を見上げた。
エマ「ちょっと...!!」
本当に身勝手な猫。
私の返事を必要としていない。
だいたい、あれだけ騒いでおいて、どうしてこんなに平気そうなのか不思議だ。
レイルは、お酒が入ったグラスをテーブルから一つ取ると、ニンマリと笑いながら私に振り返る。
レイル「んっ!乾杯だ!」
勝手に私のグラスにチンっとぶつけると、一息に口に流し込んでいた。
...そんな彼に流される私も私なんだが。
エマ「って言うか、レイルってこう言う場所は嫌いじゃなかったの?」
どうして彼がここにいるのか。
お酒を少し口にしながら、レイルを見つめる。
レイル「ピーター達に無理やり連れて来られたんだ。俺は行かねぇって言ったのに...って言うか、エマだって行かないって言ってたろ?来るなら俺に言えよ」
確かに言った。
ピーターとドロシーに、一緒に舞踏会に行かないかと誘われ、私は丁寧に断った。
私がここに居るのは、別の用事があったからだ。
ダンスや料理を楽しみに来た訳じゃない。
けれど、その理由もなくなり、帰宅するつもりだった。
エマ「用事があったのよ。それが終わったから帰るつもりだったの。別に遊びに来た訳じゃないわ」
足元に目を伏せながら冷たく言った。
このピンヒールだって、歩き辛くて堪らない。
ドレスだって動き辛く、早く脱ぎ捨てたいくらいだ。
レイル「へぇ、じゃぁエマは1人で来た訳だ。エスコートもしてくれない男もいないなんて、寂しい奴」
ケラケラと笑うレイルに、私はムッとした。
エマ「あんただって、人の事言えないでしょ」
レイル「俺は良いんだ。そう言う堅苦しいのはパス。だいたい、面倒だろ。それに、猫は単独行動が好きなんだ」
猫としてはそうかもしれないが、男としてはいかがなものか。
それに、面倒だと思っているのは私だって同じ。
なのに、こいつは何様のつもりなのか。
エマ「エスコートさせてくれるような子もいないくせに。強がらなくて良いのよ」
レイル「俺に喧嘩を吹っかけてくるな。俺はエマと会えて喜んでんだぜ?」
彼の突然の言葉に、目を丸くした。
左右の違う二色の虹彩がキラキラと光り、宝石のように見えた。
レイル「まさか、お前と会えるなんて思ってなかったからさ。たまにはこう言うのも悪くないな」
アルコールのせいなのか、レイルの頬が少し赤い。
彼の目が、嬉しそうに細くなる。
エマ「なによ、それ。もしかして、私の事口説いてたりして」
レイルは目を丸くし、パチパチと瞼を瞬かせていた。
が、すぐに調子を取り戻したようで、ニヤニヤと怪しい笑みを浮かべながら、私に顔を近づけて来る。
レイル「俺が口説いたら、エマは落ちてくれるのか?」
茶化したつもりだったのに。
なのに、彼は楽しそうに笑う。
耳と尻尾を揺らして、上機嫌そうなのが分かる。
まだアルコールが回っていない私は、完全に言い負かされいる。
それが悔しくて、なんて言い返してやろうかと考えていると、レイルの背中越しに見えた男の姿に目がいった。
銀髪の長髪を綺麗に束ね、紺のスーツを身にまとう男。
彼も私と同じ貴族であり、変わり者の男だ。
いや、私達以上の変わり者だ。
エマ「エリック!」
彼も私に気付いたようで、こちらに向かって笑顔で歩いてくる。
久々の彼の姿に、私の表情が綻んだ。
エリック「どこぞの綺麗な嬢ちゃんかと思えばエマじゃないか。それに猫の坊主も久しいな〜。元気にしていたか?」
エリックは父の幼馴染みだった。
自由奔放な性格の持ち主で、立派な家元を出て旅をしている。
たまに帰って来る時があるが、その時はいつも屋敷に顔を出してくれていた。
旅先のお土産だと変な物を持って帰って来る時があるが、彼は穏やかな性格で、私には小さい頃から良くしてくれている。
私の家に毎日のようにやって来るレイルと出会すのは、難しい事ではなかった。
レイル「なんだ、おっさんかよ。あんたってこの時期になるといつも帰って来るんだな」
エリック「帰って来ちゃ悪いのかい?それにしても、ドレスが良く似合っているな、エマ。いつも以上に綺麗だよ」
優しく目を細めるエリックは、紳士的にドレスを褒めてくれた。
ありがとう、と御礼言うと、今度はレイルに目を向ける。
エリック「...で、あんなに小さかった猫の坊主が大人の男になっちゃって。エマも良い男を見つけたもんだな、おじさんも嬉しいよ」
レイル「って言うか、その坊主ってやめろ!」
エマ「一体なんの話をしているのよ、あなたは!?」
レイルの声と私の声が綺麗に重なってしまった。
それを見て、エリックは機嫌が良さそう笑う。
エリック「おっと、息ぴったりだね〜。これならレオナードも許してくれるだろうよ。良かったなエマ、坊主ならおじさんからもお墨付きだぞ」
レイル「だから!坊主って言うな!」
エマ「そんなものはいい迷惑だわ!」
また、レイルの声と綺麗に重なってしまった。
このオヤジはなんの話をしているのか。
それに、レイルもレイルだ。
気にする所は、そこじゃない。
エリック「まぁ、そう怒るなよ。あっ、でも2人でここの部屋に消えるのはいただけないぞ?エマはあいつの大事な一人娘だ。その辺りの嬢ちゃんとは訳が違うんだから....坊主なら分かってるよな?」
レイル「いい加減にしろよ!さっきから坊主って...」
エマ「そんな話は必要ないわ!」
今度は、レイルの言葉を遮った。
彼の訳の分からない教育理念は聞きたくない。
そして、レイルもしつこ過ぎる。
エリック「相変わらずエマは元気が良いな〜!おじさん、久々に2人に会えて安心したよ」
楽しいそうに、ケラケラと笑っている。
何が楽しいのか分からないけれど、彼の元気そうな姿を見れて、私も嬉しく思った。
長らくエリックには会えてない。
それに、彼が父に会いに来てくれたら、きっとあの父も少しは元気になってくれる筈。
エマ「あとで家に寄ってね。きっと、お父さんも喜ぶだろうから...」
??「あれは、もしかしてエリック・ハールメンか?」
私が言葉を言い切る前に、耳に入ってきた声。
声を掛けられた訳じゃなく、近くないその距離から、ヒソヒソと声を潜めたもの。
??「まだライディング家と連んでいたなんて...」
??「似た者同士、馬が合うんだろう。私達とは違う」
??「一緒にされちゃかなわないわ。あんまり関わらない方が身の為よ」
ヒソヒソと。
大広間に流れる美しいバイオリンの音の方が大きい筈なのに、その旋律なんかよりも先に私の耳に届いた。
自分の話題をされていると、どうしてこうも耳が敏感に反応してしまうんだろう。
グラスを握る手に力が入った。
エリック「やめとけ、レイル」
呆れたような声に、俯いていた顔を上げた。
耳をピンっと立てたレイルの肩を掴むエリック。
彼らの姿を見て、私は驚いた。
レイル「離せよ。俺ならどいつが言ったか分かる」
そう言う彼の尻尾の毛は少し逆立っていた。
その目はパーティーを楽しむ人の中に向けられている。
冷たい怒りを露わにするレイルにエリックは笑った。
エリック「やめとけやめとけ。絡んだって面白くないだろうし、坊主が損するだけだって」
レイル「良いから行かせろよ...!」
エマ「ちょっと、レイル!」
レイルの瞳孔の形が変わる。
スーツの上着の内側に手を入れたのを見て、すかさず私も止めに入った。
彼は、銃を持っている。
普通の銃ではなく、人を殺すような物ではないが、それでも騒ぎになるのは間違いない。
また、悪目立ちしてしまう。
けれど、その必要はなかった。
今にも飛び掛かって行きそうなレイルの肩を、エリックは更に強く押し留めた。
エリック「そんな事は坊主のやる事じゃないだろ?そう怒るなって」
周りになんと言われようと、彼は気にするような人ではない。
それくらいに大らかで自由気儘な男だ。
悪く言えば、彼にはプライドがない。
家を出た時に、そんなものは捨ててしまったらしい。
エリック「俺達の為に怒ってくれてありがとよ。やっぱ坊主って良い奴だな〜。エマもそう思うだろ?」
エマ「えっ?」
急に話を振られてしまい、戸惑ってしまった。
そんな私の返事なんて待たず、エリックは話を続けてしまう。
エリック「そんな事より、せっかくの舞踏会なんだから踊って来いって。男女2人が揃ってるんだ、踊らずして何しに来たんだか」
レイル「はっ!?何言ってんだよ、俺は踊れないんだ!そんな事より、坊主って呼ぶのやめろ!」
こいつはまだ気にしていたのか。
だからエリックに坊主扱いされるんだ。
と、私は視線で彼にそう訴えた。
エリック「良いから踊って来いって。ダンスは楽しいぞ?気分も良くなるしな〜」
エリックの視線が私に注がれる。
その目は、早く踊って来いと言っているのが分かる。
レイル「だから、俺は踊れないんだって!」
エリック「すぐにでも踊れるようになるさ。お前は器用だから、慣れるって」
レイル「嫌だ!あんなのには興味が...」
しょうがないな...
レイルの言葉を遮るように、彼の手首を掴んだ。
このままいても仕方がない。
彼を引っ張りながら、真っ直ぐにホールの真ん中付近へと歩き出す。
エマ「レイル、行きましょう」
レイル「おい、エマ!?」
背中からレイルが何か言っていたが、私は聞こえない振りを続けた。
エリック「楽しんで来いよ〜」
ヒラヒラと手を振るエリックに見送られ、私達2人は人の中へと消えたのだった。




