彼女への告白
彼女の帰りは、いつになく遅い時間帯だった。
今朝ここを出て行った時は、早く帰って来るね、と優しく頭を撫でてくれたのに。
やっと帰宅した彼女は、とても暗い面持ちだった。
肩を落としながら部屋に入ってくると、海希は求めるようにしてまっすぐにレイルに歩み寄って来る。
海希「ただいま、コロ。遅くなってごめんね」
レイル「にゃっ!!?」
急に抱き上げられ、レイルの小さな体が彼女の胸の中に収まる。
顔に押し当てられる柔らかい感触に、青年は声を荒げた。
レイル「ば、馬鹿っ!!!急に何すんだ!!?」
慌てて這い出ようとするが、ギュッと抱き締められてしまっていた。
どれだけもがいても、彼女の固められた腕の中から逃げられない。
しかし、しばらくすると海希の方から腕の力を緩めてくれた。
困惑するレイルに、優しい笑みを浮かべる。
海希「...ごめんね、苦しかったよね」
ゆっくりと床に降ろして貰うと、レイルはすぐさま彼女から距離を取った。
まだ胸の高鳴りが収まらない。
台所に立つ彼女の背中を見つめながら、レイルは戸惑っていた。
こいつ、どんだけ俺が好きなんだよ...
今の自分は、その熱い愛情に応える事が出来なかった。
何しろ、とても急だった。
まさか、帰ってきていきなり抱擁されるとは。
自分を落ち着かせる為に、レイルは自らの毛繕いに励む事にした。
艶かしい色香で誘ってきたり、おかえりの抱擁を求めてきたりと、かなり大胆な行動だと言える。
まるで恋人同士...
自分はちゃんとした返事をしていないのに、彼女の積極的なアプローチにレイルは押されていた。
そんな猫を気にする事もなく、海希は料理の準備をしていた。
冷蔵庫からいくつかの材料を取り出し、手早くこなしていく。
あっという間に出来上がってしまったご馳走。
テーブルの上に並べ、彼女もその前に座る。
しかし、そこから微動だにしない。
出来上がった料理を思い詰めるように見つめ、重たい溜息を漏す。
海希「はぁ.....」
それがずっと続いていた。
テーブルに並べられた美味しそうなご馳走を、ずっと眺めているのだ。
レイル「なにかあったのか?」
落ち着きを取り戻したレイルは、ちらりと海希に視線を移した。
やはり、彼女の様子は変だ。
ゴロンと床の上に寝転った海希と目が合う。
その表情は、暗い雲が掛かったように重い。
海希「猫は良いわね...難しい事なんて、考えなくて済むもんね」
その言葉に、レイルは眉を寄せた。
レイル「俺だって色々考えてるんだ。このままじゃいけないって事も。やっぱり俺は、向こうに帰らなきゃいけないって思うし....」
逃げたまま、この世界で海希と過ごしていても思い出してしまう。
今まで自分がいた世界の事を。
正直に言えば、ここはとても心地よく感じる。
だからこそ、帰らなければと思ってしまうのだった。
海希「こんなに簡単に壊れるんだね...本当馬鹿みたい...」
壊れてしまう。
男爵の人生の終わりは、あまりにも酷いものだった。
誰にも気付かれず、そして自分も気付いてあげられなかった。
そんなレイルも、今となってはただの逃亡者だ。
ダッセェよな、俺。
こんなんじゃ、あんただってすぐに俺の事嫌いになるぜ?
目を細め、横になる海希を見つめる。
何故か、初めて会った時から相手に惚れられている。
この家にも暖かく迎え入れてくれた。
しかし、レイルは逃亡犯。
まだ戻れずに、ここにいる事に罪悪感が込み上げた。
甘い場所に逃げ込み、そんな場所でも生きていけないと感じているのにまだここにいる。
思い切って割り切れば逆に良い。
しかし、ウジウジと考えてしまっている。
レイル「あんたがいれば....」
とても悲しそうに、天井を見上げている海希。
何かに悩んでいる。
自分を助けてくれた、知らない人間。
レイル「...そんな顔するなよ」
悲しい顔はして欲しくない。
こっちまで悲しくなってしまう。
どうか、笑っていて欲しい。
馬鹿みたいに、たくさん話し掛けて欲しいと思った。
出会ったばかりの筈だったのに、自分も気が付かないうちに、こんなにも距離は縮まっていた。
いや、最初からこの距離だったのかもしれない。
ずっと側にいた彼女の事に気が付かなかっただけ。
だから、初めて会った時もそう嫌な気持ちにならなかった。
寝転がる海希に、ゆっくりと近付いていく。
彼女の匂いは、とてもいい匂いで。
心が落ちつく、優しい香り。
この理由も、未だに説明出来ないでいる。
誘われるように、彼女の細い指先を優しく舐める。
海希「あっ....」
海希の声。
彼女の側にいるのが、とても心地良い。
このまま、ずっと側に居たいと思ってしまう。
どうして、こんなに惹き込まれてしまうんだろう。
彼女の腕をまたぎ、顔に近付いた。
そこに座り込むと、レイルはその唇にそっとキスをした。
目を丸くする海希。
でもこれが、レイルの答えだった。
海希「ははっ、慰めてくれているの?」
とても柔らかい。
頭を撫でられ、気持ち良くなる。
レイル「俺も、あんたが好きだ」
引き寄せられ、彼女に身を委ねた。
瞼を閉じれば、行き慣れたあの草原が広がった。
誰も居なかった筈の自分の隣に、ほのかな温もりを感じる。
とても懐かしい匂い。
すぐ側に、彼女の匂いがする気がした。
海希「ありがとう...あんたって、優しいのね」
優しいのはあんたの方だ。
俺、ずっとアマキの側にいるから...
自分の中にあったわだかまりが、ゆっくりと解けていく。
遠い場所にいたようで、近くに感じていた存在。
とても安らかな気分になれた。
彼女の胸の中で丸くなると、しっかりと抱き寄せてくれる。
とても暖かい。
向こうの世界でなら、彼女を笑顔にさせてあげられる。
どんな事からでも、自分が守ってあげられる。
その為には、あの世界に帰るしかない。
いつの間にか、レイルの姿が猫ではなくなっていた。
隣で寝ている海希に、そっと手を伸ばす。
あの草原の中でレイルは、気持ち良さそうに横になっていた。
やっと見つけられた
よく分からない気持ちに、レイルの頬が自然に綻んだのだった。




