笑う猫の居所
カタカタと、静かに揺れる馬車。
それでも、あまり揺れは感じない。
窓から見える大きなお城が少しずつ遠ざかって行く。
見晴らしの良い青空の下、遠くの方に見える湖とユグトラシルが私を見送っている。
森へと続く道を、カボチャの馬車は進んでいた。
海希「...レイルを助けてくれて、ありがとうございました。きっと、王妃様が居なければ助ける事は出来なかったと思います」
レイルを助ける為に、私は鏡の城へと向かった。
けれど、そこに魔女なんていなかった。
冷たい目をしていた少女と、過去を捨てた少女の記憶。
あそこには、それだけしか残っていなかった。
海希「レイルが来なかったら、きっと私はあのまま出られなかったと思います。むしろ、このまま囚われていたいって思ったくらいで...それが、報いなのかなって」
それに、私は罪のない魔女達の命を奪ってしまった。
知らなかった事とは言え、その罪は重いもの。
海希「...私のせいで、たくさんの魔女が死んでしまった...私は、取り返しのつかない事をしてしまったんです」
セイラ「手をかけたのは、貴女ではありませんよ。それに、貴女の記憶がないこの世界の者は、今更貴女を裁けない。けれど、事実は事実」
どうしてこんな事になってしまったんだろう...
頭が重たくなってくる。
私の住む世界では、確実に私は牢屋行きだ。
やはり、この世界の秩序はかなりおかしい事になっている。
こんな私を野放しにするなんて...
危険な世界で、優し過ぎる世界だ。
セイラ「貴女自身がそれを罪だと思うのなら、それが貴女の中で傷となり、枷になるでしょう」
枷....
いっその事、裁判所で裁かれたいくらいだ。
記憶を消したあの日から、私はずっと夢の中で自分の記憶を見ていた。
どんなに記憶を消しても、罪は消せない。
刺さったナイフが、自分では抜けない状態。
今でも、傷ではなく私にナイフが刺さったままなのだ。
セイラ「元の世界に...向こうの世界に帰るのですか?」
まだ、レイルには言っていない。
そもそも、本当に帰れるかどうかなんて分からない。
海希「そのつもりです。親も心配しているだろうし、それに友達との問題も解決出来ていないから」
今の私からすれば、お父さんもお母さんも家族で、唯やありさも友達だ。
それが別の誰かの記憶だとしても、今の私はその別の誰かなのだ。
もうエマ・ライディングじゃない。
その記憶も、既に無くなっている。
霧に囲まれたお城に置き去りなっていた私の記憶。
それがどんなに酷いものだったとしても、知れて良かったと思う。
昔の自分の事なのに、やはり他人のように感じてしまうけれど。
だからこそ、エマの存在を知れて良かったと思うのだ。
セイラ「...そうですか。ユグドラシルは世界を繋ぐ大樹です。きっと、貴女を向こうの世界へと導いてくれるでしょう」
ゆっくりと馬車が止まり、カチャリと扉が開けらる。
どうやら、王妃様とのお喋りもここまでのようだ。
セイラ「...そうだ、大事な事を一つ忘れていました」
私が立ち上がろうとすると、彼女はあるものを取り出した。
手に持っていたのは、小さな封筒だった。
華のある笑顔を見せながら、それを私に差し出す。
海希「これは?」
彼女から受け取ったのは、白い封筒だった。
封をされた封蝋には、城の刻印がほどこされている。
セイラ「もうすぐ、お城で舞踏会が開かれます。それの招待状です」
思わず、ギョッとしてしまった。
舞踏会なんて、一般市民の私が参加して良いものではない。
ましてや、そんな大それたパーティーに行った事なんてない。
ダンスなんて、踊れる訳がない。
海希「ぶぶぶぶとっ...舞踏会なんて....!!!!そ、そんな、私、ダンスなんて踊れないし、ドレスだって持ってないし!無理ですよ!!!」
舞踏会と言えば、貴族が豪華なドレスを身にまとい、これまた豪華なお酒を飲み、緩やかな音楽に合わせてダンスを楽しむと言うイメージだ。
そのイメージの中に、どう考えても自分が参加している姿が浮かばない。
私が持ってる服なんて、ここに来た時に来ていた普段着か、今着ているメルヘンな服だけだ。
セイラ「ドレスならお城で貸出をしています。それに、ダンスは強制ではありません。飲み物や食事でも満足して貰えるものを用意しているつもりです」
食事なら気になる。
お城で出る食べ物とは、一体どのような物だろう。
花より団子の私にしたら、そちらの方が魅力的に感じる。
セイラ「無理にとは言いませんが、是非お越しください。もちろん、猫さんと御一緒に」
レイルが舞踏会。
それこそ、イメージが湧かない。
彼の場合、舞踏会より武闘会の方が喜んで参加しそうだ。
私が馬車から降りると、扉が閉められた。
動き出す馬車は、カタカタと揺れながら来た道を戻っていった。
遠ざかるカボチャの姿が小さくなっていく。
...なんて事だ。
と、改めて思った。
まさか、あの有名な馬車に乗ってしまうとは。
私は、持っていた封筒を見つめながら小さな息を漏らした。
やはり、相手は王妃様だ。
しかも王道。
かなり豪華なコラボをしてしまった。
強張っていた頬を軽く叩きながら解す。
緊張していた気持ちを落ち着かせ、森へと入って行った。
歩き慣れた道。
暗い夜に歩くのはまだ少し怖いが(熊が出てきそうなので)、昼間ならピクニックでも楽しめる場所だ。
たまには、ピーターとドロシーを誘ってみんなでそういうのも良いかもしれない。
海希「...ん?」
まだ、あの猫の根城には到着していない。
いつもなら何気なく通る道だったのだが、木々の間から何かが見える。
既にこの森にも慣れてしまっていたので、視野が広まり、余裕持って歩いていたから気付けた事だ。
なんとなく気になり、そちらの方へと進んで行く。
木々に隠れたように、そこには小さな建物があった。
建物と言っても、そこにあったのは長方形の小屋だ。
周りには車やバイク、テレビやラジカセや時計など、大きなものから小さな物まで、ずらりと並んでいる。
こんな所にこんな場所があったとは....
今まで気付きもしなかった。
ここは、粗大ゴミなどを捨てる場所なのだろうか。
なんて思いながら、近付いてみる。
建物の中から、微かに音が聞こえた。
誰かがいる。
私はただの好奇心で、軽く中を覗いてみた。
元々私は、こんなに好奇心旺盛ではなかったのだが、レイルに似て野生化してしまったのかもしれない。
たくさんの物に埋もれている。
多いのはゲーム機やラジコンカー、ロボットのような玩具。
その真ん中で、カチャカチャと音がする。
見えたのは、見覚えのある猫耳だった。
海希「...レイル?」
私が声を掛けると、中から聞こえていた音が止んだ。
可愛い猫耳がピクッと動き、こちらに向いている。
レイル「アマキ?」
彼が立ち上がると、その姿がはっきり見えた。
私がここに居る事が予想外だったようで、とても驚いている様子だった。
レイル「なんでこんな所にいるんだ?!」
それはこちらの台詞。
こんな所で、一体何をしているのかも疑問だ。
海希「あんたこそ、こんな所で何やってるの?」
私が中に入ろうとすると、レイルはさらに声を張り上げた。
レイル「あぁ、入っちゃ駄目だって!汚いし狭いし、危ないから!」
何かを隠しているのか。
考えれば考えるほど気になってくる。
怪しい。
とても怪し過ぎる。
レイルの言葉を無視して、私は更に奥へと進んだ。
山積みにされた玩具や家電。
その中にレイルが居た。
足元には、電気スタンドにドライバーやニッパーなどの小道具が散乱している。
その中に、シルバー色に光る腕時計があった。
海希「...直してたの?」
よく見れば、電気スタンドに照らされた腕時計が、細かく分解されている。
それに、彼の指先が少し汚れていた。
レイル「...そうなんだけど。こう言うのをいじるのは嫌いじゃないから」
困ったように、ポリポリと頭を掻いている。
バツが悪そうに、二色の瞳が私から視線を逸らす。
海希「もしかして、ここにある物全部直してるの?」
驚いてしまった。
よく見れば、山積みされた物はどれもこれもどこかが欠けていたり、動かなくなっている物だ。
レイル「そんなところかな」
レイルは、あっさりと認めた。
海希「言ってくれれば良かったのに。どうして私に黙ってたの?」
レイル「別に黙ってた訳でもないけど、わざわざ言う必要もないだろ?」
それはそうだ。
レイルにだって、彼の時間がある。
私が把握する必要などない。
海希「まさかレイルが働いてたなんて...驚きだわ」
働いていない私が言うのもおかしな話だった。
だが、あえて言わせて貰う。
本当に驚きだ。
ニマニマと笑うだけのあの猫が働くなんて。
なんだかイメージが崩れる。
レイル「男爵の所へ通ってた時に、壊れた玩具を持った子供に会ったんだ。いつも男爵が直してくれてたみたいなんだけど、全然会えないって泣いててさ。俺が気紛れで直してやったら、今度は俺の所に持ってくるようになって」
私もはっきりと覚えている。
私が鏡の城で見た映像に、男爵が子供達の玩具を直す場面があった。
レイル「俺なんかより、男爵の方が綺麗に直すんだぜ?まぁ、それで満足するなら俺も暇だったし直してやったんだけど。それがだんだん広まっちゃって、今度はその親が冷蔵庫やテレビまで持って来る始末で。直せる物は直してやったけど、それのお礼にって謝礼をくれて。それが始まりかな?」
海希「レイル、あんたって....」
感動してしまった。
いつも私にくれていたお小遣いは、彼がしっかりと働いて稼いでいたお金だった。
1人でふらふらと出掛けていたのは、たぶんこの為だ。
それを、私は何のお金なのだろうと疑いながら使ってしまっていた。
なんなら、何か悪い事をしているのではと勘ぐっていた。
かなりの罪悪感に満たされる。
やはり、レイルは悪い奴じゃない。
私の知っている可愛い猫。
こんなに手を汚して、私に貢いでくれていたなんて...
私の胸が熱くなった。
レイルの頭に手を置くと、彼は体をビクッと強張らせた。
痛い事なんてしないのに。
そんな事を思いながら、優しく撫ぜた。
よしよしと、猫を撫ぜるように。
レイル「...え?アマキ?」
彼は戸惑っているようだった。
不思議そうに、私を見ている。
いつも殴ってばかりの私が、優しく頭を撫でているのだ。
レイルが警戒するのも、おかしくはない。
海希「レイルがいじってるの、ここで見てて良い?邪魔はしないから」
働いている姿を見てみたい。
彼は少し戸惑っていたが、渋々了承してくれた。
レイル「別に良いけど...面白くもなんともないぜ?」
海希「良いの。見ていたいだけだから」
座り込んだレイルの隣に、私も腰を下ろす。
やりかけだった腕時計と小道具を手にすると、作業を行い始めた。
とても真剣に、目を細めながら見ている。
とても細かい作業を器用にこなしていた。
何をどういじっているのか私には分からなかったが、レイルのその姿がとても格好良く見えた。
私にはあまり見せない真面目な表情。
その横顔に見惚れてしまっていた。
レイル「...なぁ、本当にずっと見てるつもり?」
まだそんなに時間も経っていないのに、レイルが私をちらりと見る。
海希「もしかして、見られてると集中できない?」
そう言うタイプの人だっている。
私も、仕事中にジッと誰かに見られているのは好きじゃない。
レイル「そう言う訳じゃないんだけど...飽きるだろ?」
海希「まだ飽きるまで見ていないわよ」
やはり迷惑だろうか。
迷惑になるのなら、お暇しても良い。
せっかく彼が仕事をしているのだ。
邪魔はしたくない。
レイル「せっかくアマキがいるのにこんな事をしてるのが勿体無くて...やっぱり、何処かへデートでもしよう!」
海希「駄目よ、その時計の持ち主に悪いし。仕事もたくさんたまってそうだしね」
それに、デートはしない。
私はここで、彼の働いている姿を見たいのだ。
レイル「こんなの、明日にでもするって」
海希「駄目だってば。私、明日も見に来るもの」
レイル「じゃぁ明日もデートして、これは明後日にまわす」
なんの為に私はここに来ているのだ。
それでは一向に先に進めない。
やはり私は邪魔になるようだ。
海希「...そうね、仕事が終わればデートしてあげる」
レイル「えぇ〜、こんなの後ででも良いのに」
顰めっ面で口を尖らせるレイル。
なら、この手段でいくしかない。
海希「早く終わらせたら、その分長くデートしてあげるわよ?」
餌をチラつかせてみた。
彼には、これが一番効くことを私は知っている。
レイル「分かった。じゃぁ、早く済ませるから!」
そう言って、素直な彼はまた手を動かし始めた。
なんだか、凄く嬉しい。
こうやってレイルの働いている姿を見られるなんて。
私はレイルの隣に寄り添いながら、その動きをジッと眺めていた。




