繋ぐもの
海希「消え...ちゃった...」
呆然としながらその場で立ち尽くしていた。
今まで見ていたものが、まるで夢だったかのような感覚。
深い穴に落ちたり、変な部屋で走り回ったり、不思議な迷路に迷い込んだりと、とてもアクティブなアトラクションを体験してしまった。
なのに、残ったものは何もない。
扉から入る小さな光が、私を現実へと引き戻してくれる。
私達は、ずっとここに居たのだ。
最初から最後まで、彼女に幻覚を見せられていた。
レイル「なんか後味悪すぎ。でも、これでやっと帰れる」
レイルは私の手を掴む。
いつものように、ギュッと握られる。
帰る....
その瞬間、私の胸にズキっと痛みが走った。
その痛みで、ついレイルの手を振り払った。
レイル「アマキ?」
私の顔を不思議そうに覗き込む彼から顔を背ける。
彼の視線が、とても辛い。
帰れる訳がない。
レイルは知らない。
レイルだけではない。
この世界の人達は、みんな知らないのだ。
海希「...帰れない」
帰る場所なんて、とっくの昔からなくなっている。
あってはならないのだ。
それが、エマが選択した答えだからだ。
レイル「なんで?足でも痛めたのか?」
そんな単純な事ではない。
私の気持ちがどんどん沈んでいく。
レイルの優しさが、痛いくらいに胸に突き刺さる。
レイル「それなら、俺がおぶってくから問題ないって!そうだ、能力を使えば早く帰れるし...」
海希「そうじゃないの!」
忘れた気になっていた。
アリスが、ありもしない映像を私に見せていただけならと、今だって思う。
でも、あれは過去にあった出来事。
幻覚でも何でもない。
私には、分かる。
海希「そうじゃなくて...私は、ここに居ちゃいけないの」
この世界に。
そして、向こうの世界にも私の居場所はない。
私は、稲川海希ではないからだ。
レイル「何言ってんだよ?訳分かんない事言ってないで、とっとと帰るぞ」
乱暴に手を掴まれてしまう。
私がただの我儘を言って困らせているとでも思っているのだろうか。
そんな扱いをされて、私の口調は荒くなる。
海希「私、海希じゃないの!」
抵抗しながら、レイルに訴える。
そんな私に御構い無しに、彼はズルズルと私を引っ張りながら、出口の方へと歩いて行く。
海希「全部忘れちゃってるけど、私は海希じゃない!本当はここの世界の人間で....!!!!」
ズルズルと引きずられながら、外へと出た。
目の前が急に明るくなり、目を細める。
私がやって来た時とは違って、霧は晴れている。
綺麗な湖が、そこに広がっていた。
海希「エマって言うの!レオナードさんの娘で、能力はたぶん記憶操作!だから、レイルとかみんなも忘れてる!」
レイル「エマ?誰だよ、それ。アマキ、なんか頭おかしくなったんじゃねぇの?」
どうして伝わらないのだろう。
その名前の存在すら忘れられている。
拳銃を構え、レイルが発砲した。
目の前には、見慣れた魔法陣がクルクルと回っている。
海希「おかしくない!いや、おかしいんだけど、でもそれは本当なの!私が魔女を集めてレオナードさんが作った林檎を食べて、それで....」
それで....
目の前にいる彼の記憶を奪った。
私を助けに来てくれたレイルの記憶を。
誰でもないこの私が。
そして逃げたのだ。
この世界を捨て、別の世界で他人の記憶借りながら。
今まで、お父さんやお母さん。
友達をも騙していた。
考えたただけでも吐きそうになる。
海希「私のせい...レオナードさんが死んだのも、レイルが指名手配になったのも私のせい!みんなの記憶を奪って逃げた!お父さんもお母さんも友達もみんな騙してたのに、私は普通に暮らしてた!」
自分が嫌になる。
記憶がないからと言って、のうのうと暮らしていた。
偽りの記憶だとも気が付かず、ずっと騙していた。
自分が許せなかった。
帰れる筈がない。
私こそが裁かれるべきだ。
レイルなんかより、指名手配されるのは私の方だ。
レイル「アマキはアマキだろ?」
彼の口調が少し荒い。
なんだか苛立っているようだった。
レイル「エマって名前だろうがなんだろうが、俺が好きなのはあんただ。俺には関係ない」
海希「関係あるでしょ!?私のせいでレイルは指名手配されたのよ?!なんでそんな....」
レイル「なら、俺に怒って欲しいのかよ?!!」
ビクッと体が飛び上がった。
私の手を握るレイルの手に力が入る。
レイル「あんたがここの世界の住人だったなら、ここに居るべきだ!それに、俺が勝手に林檎を食べたんだ!あんたが責任を感じる事はないだろ?!」
怒っていた。
二色の瞳がまっすぐに私を見ている。
レイルに怒られるのは、これで2度目だ。
レイル「昔のあんたと俺がどんな関係だったか知らないけど、俺はまたアマキに会えた!林檎を食べた事も後悔してない!じゃなきゃ、俺はあんたと会う事も出来なかった!」
とても親しそうだった。
きっと、エマはレイルの事が好きだったのだと思う。
素直じゃない彼女は、最後までそれを言えなかった。
エマは、レイルに迎えに来てもらう事を望んでいただろうか。
それさえも、もう分からない。
私は、もうエマでもない。
海希「...友達だったと思う。とても仲良くしていたから」
レイル「なら、それに気付いてやれなかった俺自身にムカついてくる」
悲しそうに目を伏せる。
彼にそう思わせてしまっているのは私だ。
また、胸が締め付けられる。
レイル「ずっと不思議だった。屋敷に遊びに行く度に、誰に会いに来たのか分からなくなる。あそこは男爵しか住んでないのに、どうしても他の誰かに会いに来ているような気がして...」
海希「それは...」
レイルは、いつもエマに会いに屋敷を訪ねていた。
きっと、それが体に染み付いていたのだろう。
私が、夢の中で何度も男爵に会っていたようにだ。
レイル「ようやくそれが分かった。俺、きっとあんたに会いたかったんだ...ずっと」
グイッと引き寄せられ、腕を背中に回される。
優しく抱きしめられ、私は言葉が出なかった。
抵抗する気にもなれず、私はレイルの胸の中で大人しくしていた。
レイル「俺って、こんなに誰かに懐いたりしないんだぜ?初めてアマキに会った時、怪我もしてたし凄く警戒してたけど、あんたと居るうちに凄く懐かしい気持ちになってた」
ゆっくりと離れるレイルは、私に優しく微笑む。
レイル「凄く安心するって言うか...上手く言えないけどさ。でも、たぶん俺、昔のあんたの事も好きだったんだと思う」
キスまでしていたのを私は見た。
はっきりとは言っていなかったが、きっとレイルは、エマに対し好意を抱いていたのは分かる。
レイル「アマキの居場所ならちゃんとある。俺がちゃんとアマキを導く。だから....俺と帰ろう」
握られた手は、やはり離してくれそうにない。
むしろ、ギュッと握り締めてくる。
本当に馬鹿な男だ。
どうして彼は、こんな私をここまで好きになったのだろう。
涙が出てきそうになる。
厄介な男に捕まってしまったものだと、しみじみ思った。
私は、静かに頷いた。
もう、頷くしなかないと思ったからだ。
彼にはかなわない。
私は、とても罪深い人間なのに...
レイルに手を引かれ、私は魔法陣を潜り抜ける。
その先にあった光景は、あのバスがある森の中だった。
帰って来たのだ。
またここへ、帰って来てしまった。
私の罪が消えた訳ではない。
納得もしていないし、心だって晴れない。
けれど、私の手から感じる彼の温もりが、気持ちを優しく和らげてくれた。




