迷いを打ち消す灯火
床の上に投げ出され、私はそこには倒れ込んでしまった。
すぐに立ち上がり、目の前の鏡を力強く叩いた。
海希「レイル!!!レイル!!!?」
何度も名前を呼ぶが、応答はない。
どうやら、私だけが別の場所に移されたようだ。
この鏡の向こう側に、レイルがいるのかどうかさえ疑わしい。
海希「どうしよう...」
とは言っても、選択肢はなかった。
私は、ただひたすら歩く。
歩いても歩いても、長く続く鏡の迷路。
何処を見ても、私の姿が映っている。
見上げても、白い空が広がっているだけ。
行き止まりに当たるたびに、少しずつ不安が募っていった。
気付けば、また1人きり。
私は、1人なってしまっていた。
1人になるのは嫌いではなかった筈だった。
なのに、誰かに一緒にいて欲しいと強く思ってしまう。
押し寄せる不安に、私の足が自然に止まり、その場で肩を落とした。
心細くなり、また嫌な事を考えてしまう。
考えれば考える程、泣きたくなった。
いつから私は、こんなに泣き虫になってしまったんだろう。
海希「レイル....」
どうやら、彼の名前を呟いてしまうのも私の癖になってしまったようだ。
暗闇の中から助けてくれた猫。
今は、彼のツインの銃を持っていない。
レイルが突然ここに助けに現れる事は、もうないだろう。
もう、会えないかもしれない。
そう思うと、更に気持ちが暗くなる。
もっと優しくしてあげれば良かった。
素直にありがとうと言えば良かったのに。
いくつもの後悔が、容赦なく私の胸を突く。
その場に蹲り、作った拳をギュッと握った。
私を好きだと言ってくれる彼は、とても素直で強引で、そしてとても短気だ。
良い所よりも、悪い所の方が目についてしまうくらい厄介なのだ。
それでも、彼は側に居てくれる。
エマとは小さい頃からの仲。
稲川海希とは飼い主とペット、いや、家族だ。
今の私はどちらの私なんだろう。
どちらでもないのかもしれない。
でも、唯一変わらないのはやはり彼の存在で。
私をこの世界と向こうの世界とを繋ぐ、唯一の存在。
レイルとは、今の私にとって何なのだろう。
なんだか、よく分からない関係になっているのは確かだ。
一緒に眠るのが当たり前で、容赦なく恋人だと言い張り、出掛ける時は常に手を握ってくる。
油断すればベタベタと引っ付かれ、これではまるっきり恋人同士だ。
そこまで許してしまう私も私なのだが、いつも甘い猫撫で声と上目遣いの潤んだ瞳でやられてしまう。
海希「...それって結局、タチの悪い男に騙されてる感じよね...」
小悪魔だ。
こんな小悪魔に騙されるなんて...
どう考えても、私の完敗だ。
こんな小悪魔的な男に弱かったなんて、とてもショックだ。
でも、不思議な事に嫌な気にはならない。
むしろ、彼が側にいてくれて安心してしまっている私がいる。
ここまで私を迎えに来てくれた彼に、私は温かい気持ちになれた。
とても不思議な気持ち。
なんだか、とても落ち着く。
海希「....?」
ふと、ポケットの膨らみに違和感を感じた。
手を入れ、その違和感を確かめる。
出てきたのは、ロイゼの弱点(旅の御守り)と存在すら忘れていたドロシーのマッチ。
そう言えば、このマッチはロイゼと昼食をとった時に使ったきりだった。
箱の中には、まだマッチ棒がいくつか残っている。
海希「......」
手の平に乗ったその箱を見つめ、彼女の優しい声を思い出す。
迷った時は、火を灯してみて...
確かに、彼女はそう言っていた。
今私がいるのは、鏡の迷宮。
そしてレイルとはぐれ、私は迷っている。
もちろん、気持ち的にもだ。
箱からマッチ棒を取り出した。
そして何気なく箱に擦り、その先に火を灯す。
なんの変哲もない、ただのマッチ。
じわじわと燃え、小さな火が揺れている。
それを、ジッと眺めていた。
ゆらゆらと揺れるオレンジ色の温かい光。
なんだか、視界がふわふわとしてくる。
そして、その光の中に見えた映像。
微かな灯火の中に、何かが見える。
海希「.....?!」
目を凝らしてよく見てみる。
灯りの中に、微かに人影のようなものが見えた。
影が2つ。
それは、レオナードとマリアの姿だった。
2人は寄り添いあい、明るい笑顔を私に向けている。
そしてその火と共に、すぐにふわりと消えてしまった。
私は目を疑った。
幻覚の中で幻覚を見てしまったと思い、もう一度別のマッチに火を灯す。
やはり、それは同じだった。
オレンジ色の灯火に浮かぶ姿は、唯やありさ。
通っていた大学。
広い中庭。
毎日3人で座っていたベンチ。
次々にマッチを擦っていく。
お父さん、お母さん。
住み慣れた私の部屋。
更には、笑顔の明るいドロシー。
緑のコスチュームが目立つ、空を舞うピーター。
お屋敷の庭。
緑溢れる森の中。
どれこれも、私の思い出ばかり。
私はその映像を追い掛けるように、最後の一本に火を灯す。
そこに浮かんだ1匹の猫。
猫の姿が少年の姿になり、そして青年の姿になる。
その青年がオッドアイの目を細め、優しく笑っていた。
私の知っているレイルだ。
海希「消えないで....!!!」
儚く揺れる火は、次第に小さくなっていく。
口から咄嗟に出た言葉。
火が、彼の姿が、消えてしまう。
海希「1人にしないで...」
レイル....
記憶はなくなっているが、ずっと一緒にいてくれた人。
しつこい程に側にいてくれた。
いつだって、私を導いてくれる。
私を支えてくれた猫。
幻でも良い。
側にいて欲しいと、強く願った。
海希「!」
オレンジ色の光が、ふわりと浮かぶ。
マッチ棒から離れて、優しく舞い上がる。
宙を漂っていく姿は、まるで光る蛍のようだった。
ふわふわと何処かへ飛んでいく光を、私は迷わず追い掛けた。
早くもなく、遅くもないスピード。
まるで、私の歩調に合わせてくれているかのように、小さな光は私を誘う。
私は、たくさんある中の一枚の鏡の前で立ち止まった。
その光が、鏡に吸い込まれるように通り抜けて行く。
私も恐る恐る手で触れてみるが、やはりただの鏡。
通り抜ける事は、私には出来ない。
どうしようと悩んでいると、鏡の真ん中から亀裂が入る。
パキパキっと音を立て、亀裂が徐々に広がっていく。
映っていた私の姿にいくつもの線が刻まれていた。
勢い良く割れてしまった鏡の壁。
最後には、その欠片がパラパラと剥がれ落ち、その先にはレイルの姿があった。
海希「レイル!!!」
レイル「アマ.....」
彼が言うより早く、私は駆け出していた。
気が付いた時には、彼に勢い良く抱き付いていた。
両腕でギュッと抱き締め、レイルの肩に顔を埋める。
彼の体温が、私を安心させてくれた。
海希「良かった!もう会えないかと思った...!!!」
幻ではない。
間違いなく、本物のレイルだ。
こんなにもレイルに安心するなんて、私もだいぶと精神的にやられていたのかもしれない。
いや、レイルだからこそ安心するのだ。
その理由は、自分でも分からない。
海希「...レイル?」
いつまで経っても、彼からのアクションがない。
不思議に思い、顔を上げてみる。
彼は目を見開き、固まっていた。
耳と尻尾が、ピンっとまっすぐに立っている。
レイル「......っ」
海希「なに?」
返事が無い。
勢い良く飛び付いたせいで、どこかを強く打ってしまったのだろうか。
レイル「...今のは反則だって」
海希「は?」
やっと喋ったかと思えば、意味の分からない事を言っている。
やはり頭を打ってしまったのかもしれない。
レイル「こっちに来てからアマキから誘ってくれなかったから...なんか、凄く嬉しい」
と、レイルは頬を赤らめながら言った。
私の頬が引き攣り、咄嗟に彼から離れた。
心配した私が馬鹿だった。
だいたい、誘うとはなんだ。
やはり、慣れない事はするものではない。
レイル「そんな事されたらマジでやばいって!歯止めが利かなくなるだろ?あっ、ここの鏡、そう言うプレイで使えそうだな...」
海希「あんたは何を考えてんのよ!!!」
レイルの言葉を途中で遮り、私は声を張り上げた。
緊張感がまるでない。
レイルワールド全開だ。
こんな所でも、無駄に調子が良い。
レイル「そりゃ、あんたとの楽しい時間を考えてるんだよ。まぁ、それは今度試してみるとして...」
余計な事は考えるな。
と、私が口を開く前にレイルが話を続けてしまう。
レイル「俺、考えたんだけどさ」
海希「何を?」
また変な事を言い出すのではと、疑いの眼差しを向ける。
これ以上、ピンクな話は聞きたくない。
レイル「迷路って、壁の隙間を縫うように通路があるだろ?前か後ろか、右か左か。迷路に参加する奴って、大概そこしか見ていない」
海希「まぁ...進める道を探しているんだから、当たり前でしょ」
レイル「ところが、俺みたいな面倒臭がりはズルをするんだ。わざわざご丁寧に用意された道を歩く必要はない....ってね」
すると、レイルはニヤリと笑った。
悪戯な笑みを残したまま、持っていた拳銃をまっすぐに上へ向ける。
視線を上げると、高い天上には真っ白な空間が相変わらず広がっていた。
その先には、私が追いかけていたオレンジ色の光が浮かんでいる。
レイル「目の前に壁があるなら、乗り越えるしかないだろ?」
ドンッ!!!!
大きな銃声が響く。
狙っていたのか、レイルの放った魔法陣がオレンジ色の光にぶつかった。
その瞬間、強い光が迷路内を包む。
気付いた時には、魔法陣が激しく燃え上がっていた。
真ん中からジワジワと燃えていく。
まるで燃えていく写真のように、そこから穴が空き始めた。
炎は魔法陣を燃やし尽くすと、更に範囲を広げてどんどん火の手が回る。
天上にあった真っ白だった空間が、真っ黒な穴を空けていく。
さらには鏡に火が進行し始め、私達がいる迷路まで燃やし始めた。
海希「こ、これ、大丈夫なの!?」
火事だ。
目の前で火事が起きている。
私にまで火が飛んできたら最悪な事態になってしまう。
しかし、レイルはとても余裕そうに笑っているだけだ。
レイル「大丈夫だって!あれって、ドロシーの火だろ?」
海希「え?なんで分かったの?」
レイル「俺だって、あいつの特権は何回も見てるから分かるって。あいつの火は道標になるんだ」
そう言われてみれば、私が追い掛けた先にレイルがいた。
まるで、彼がいる場所まで連れて来てくれたかのように。
レイル「さて、遊びもこれで終わりだな」
燃えていく鏡の迷路。
大きくなっていく穴には、また別の景色があった。
その先に、王座に座る彼女の姿がある。
次第に鏡の迷路だった場所は燃え尽き、私達は鏡の城の中に戻って来ていた。
真っ暗な部屋。
しかしその真っ暗な部屋だった場所が鏡の迷路のように、今や炎に包まれている。
その光が、真っ暗だった部屋を明るく照らしていた。
アリス「幻想を燃やす灯火...か」
燃えていく部屋の中で、ポツリと少女は言った。
怖がる様子もなく、動揺も見られない。
とても冷静に言ったのだ。
レイル「次はどうするんだ?もう少し付き合ってやっても良いけど、こっちも飽きてるんだけど。まぁ、どっかに飛ばされる前に俺がお前を飛ばしてやるけどな」
レイルがまっすぐに彼女に銃を向けた。
身動き一つしないアリスは、まるで人形のようだった。
感情のない、可愛らしいフランス人形。
アリス「...ずっとここを出る事が出来なかった。永遠の知を手に入れれば叶うと思っていた。この世界だけじゃない。お前達のように、他の世界へ行く事も....」
燃え広がる炎は、鏡の城に穴を開けていく。
穴の先にあるのは、また別の何処か。
写真が燃えていくように、この場所が溶けていく。
アリス「どうやら私にとって、それも幻覚だったようだな...」
レイル「外に出たいなら俺が飛ばしてやるよ」
レイルが言うと、アリスはフッと笑った。
初めて見た彼女の笑み。
笑顔と言うより、悲しげに泣いているように見えた。
アリス「その必要はない」
ゆっくりと立ち上がる。
そして、大きなヒビが入った。
彼女自身に....
いや、彼女を映し出している等身大の鏡だ。
暗くて見えていなかった。
アリス自身がその場にいるのではない。
鏡の中に写るアリスがそこにいた。
まるで、鏡の中に閉じ込めれているように。
そこに、静かに鏡が立っているのだ。
パキパキと、彼女にヒビが入っていく。
亀裂だらけの彼女の姿は、すでに原型をとどめていなかった。
アリス「...私は既に、死んでいるのだからな」
大きな音を立てて、鏡が割れた。
その破片が飛び散り、彼女の姿が消えてしまう。
それと同時に、鏡の城だった場所は完全に燃え尽きてしまっていた。
私が初めてやって来た鏡の城。
扉が開けっぱなしになっており、そこから外の光が差し込んでいた。
床にはガラスの破片がたくさん散らばっている。
そこに、レイルと私は2人だけで立っていた。




