鏡の城の少女
少し真面目なお話が続きます、ごめんなさい汗
さっきまでまとわりつくように覆っていた濃霧が、何故かこの場所だけは晴れていた。
まるで、霧がこの城を覆い隠しているかのように、今でも湖の上を白いカーテンが覆っている。
日の光さえ遮ってしまう程の、厚くて濃い霧。
それが、とても奇妙に思えた。
その為、私がやって来た場所なんてものは見えない。
どの方向からやって来たのかも、判断出来ずにいた。
帰りはどうしたものかと、私は頭の隅で考えながら、目の前に建つお城を見上げる。
何度も追いかけ回された兵士たちが守るアルムヘイム城。
あの立派な城に比べれば、はるかに規模が違う事が分かる。
こじんまりとした可愛らしいお城。
どちらかというと、お屋敷に近い規模。
建物を守る外壁や城門も、なんなら柵の一つすらない。
鏡の城と呼ばれていたので、そこからイメージするものとはかけ離れたものだった。
それに、どうして"鏡"という言葉が使われているのか分からない。
考えれば考えるほど、疑問に思えてくる。
城の周りを生い茂った草木が囲む。
湖に囲まれたこんな孤島のような場所に、なぜこのような建物があるんだろう。
こんな場所に、誰が住んでいるのか。
食料や雑貨を調達するのに不便過ぎる。
そんな事を考えながら、私はアプローチ階段を上がり、大きな扉の前に立った。
少しだけ扉が開いている事に気が付いた。
その隙間から中を覗き、恐る恐る口を開いた。
海希「すみませ〜ん...」
中はとても薄暗く、人どころか室内の様子さえ確認出来ない。
しばらく待ってみても、返ってきたのは反響した私の声だけで、他人からの返事はない。
海希「あの〜!!入りますよ〜!!!?」
それでもしばらく待ってみる。
やはり、誰かの反応が返ってくる気配はない。
仕方なく、中へと足を踏み入れた。
開いたままの扉から差し込む明かりが、少しだけ室内を照らしてくれている。
床を踏みしめるたび、パキパキと音がした。
視線を下げると、ガラスの破片のようなものがその辺に散らかっていて、キラキラと光っているのが分かった。
高い天井を見上げても、窓は一つもない。
壁に備え付けられている照明も粉々に割れていた。
ここは玄関ホールだろうか。
それさえも分からない。
階段や他の部屋に繋がっている扉らしきものがなく、ただこの広い空間が広がっているだけだ。
足を止め、耳を澄ませる。
やはり誰の声も、物音すらしない。
私の息づかいの音が聞こえるだけ。
この静けさが、私を不安にさせていく。
ここには誰もいない。
誰1人、動物すらいない。
生活感のない、不気味なお城。
こんな所に、魔女などいる訳がない。
そう悟った瞬間、心臓がバクバクと激しく脈を打った。
海希「誰か...返事してよ...」
震える声を漏らした。
やっとの思いでここまでやって来た。
レイルの事を、何度思い出しただろう。
その度に、不安になる気持ちを抑えて、希望を信じたのに...
希望が絶望に変わる。
私は、がくりとその場に跪いた。
足に力が入らず、涙すら出てこない。
思い浮かぶのは、愛くるしい猫の姿。
海希「レイル...」
魔女なんて居ない。
ここは、ただの廃墟だ。
できる事はやった。
だが、それだけでは駄目なのだ。
それだけでは、レイルを助けてあげられない。
助けを求めるように、持っていた白黒銃を取り出す。
不安になれば、いつも彼の温もりを求めてしまっていた。
私は、それを静かに頬に当てた。
冷たい...
ずっと御守りのように持ち歩いていたものが、今になって冷たく感じる。
持ち主の命の短さを、私に教えてくれているかのように。
海希「嫌だ..こんなの...」
諦めたくないのに、ただただ打ちひしがれていた。
夢があるはずのメルヘンな世界なのに、こんなバッドエンドは見たくない。
私は、まだあの猫に何もしてあげられていない。
レイルにもコロにも、いつも助けて貰っていた。
いつだって側にいて、慰めるように私に優しく擦り寄ってきていた猫。
...なのに、私は彼を助けてあげる事が出来ない。
悔しくてたまらない。
どうして私は、こんなに無力なんだろう。
頭に浮かぶレイルの姿。
彼の笑顔が朧げに見える。
もう、その笑顔も見られない。
私には優しかった猫の青年。
その声も、もう聞こえない。
私は、その場で体を震わせている事しか出来なかった。
バタンッ!!!!
急に視界が真っ暗になる。
開いていた扉が、何故か勝手に閉まってしまった。
私は顔を上げ、辺りを見回す。
もちろん何も見えない。
自然に、銃を握る手に力が入った。
海希「誰かいるの!?」
目が見えない分、他の五感をフルに使う。
誰からも返事はない。
物音さえ聞こえない暗闇。
この暗闇の空間に閉じ込められてしまった。
私の中で、恐怖心と警戒心が同時に生まれた。
海希「....!?」
暗闇の中で、白く光る物を見つけた。
とても淡く、儚げに光っている。
少し眩しく感じて、目を細めた。
それは、長方形の形をしていた。
私を導くように、それは白く光っている。
海希「?」
少しずつ近付いてみた。
目の前まで来ると、それが等身大サイズの鏡だという事が分かった。
暗闇の中に立つ私自身が映っている。
服は汚れて所々が破れており、怯えたように拳銃を握る私。
どうして、こんなところに鏡があるのだろう。
さっきまでは何もなかった筈なのに。
目の前にある鏡に少し触れながら、不思議に思った。
??「よく来たな、娘」
体が大きく飛び上がった。
私の視線が、声の方を辿っていく。
これもまた、いつの間にか存在していた。
私から少し離れた場所に玉座がある。
ガラス素材で出来ているのか、透明な物だった。
そこに、可愛らしい少女が座っている。
誰も居なかった筈の暗い空間の中に、不思議な少女が1人。
これは、確実にホラーだ。
海希「ゆ、ゆうれい...?」
少女「失礼な事を言うな。まぁ、あながち間違ってはいない」
やはり幽霊じゃないか。
と、私の顔が青ざめる。
背中まで流した長い髪に、大きなリボンのヘッドドレスを飾り、エプロンドレスを着ていた。
可愛らしい少女なのに、その口調はどこか堅い。
少女「そんな事はどちらでも良い。それで?今更私に何か用か?」
今更?
少し引っ掛かった所もあるが、私は気にせず答えた。
海希「ここに魔女がいるって聞いて...あなたが魔女?」
だとしたら、とてつもなく助かった。
誰もいなかった場所に、いきなり現れたのだ。
魔女だとしても、おかしくはない。
私の中に小さな光が宿る。
少女「...面白い事を言うな?」
そう言うわりには、無表情を保っている。
全く面白くなさそうに彼女は言った。
少女「私は魔女ではない。それに、ここに魔女はもう居ない」
言葉が胸に突き刺さる。
鋭利なもので、トドメを刺されたような感覚。
その言葉だけは聞きたくなかった。
海希「そんな...」
鏡に映る自分が、ヘナヘナと力無く沈んでいく。
宿した光が呆気なく萎んでいった。
勝手に期待した私が悪いのだが、それなら変なフラグを立てないで欲しい。
そんな私を、少女は目線を逸らさずジッと見つめていた。
少女「...ところで、マナの無い世界はどうだ?」
私の現実世界の事を言っているのだろうか。
どうして名前を教えていないのに、そこまで分かるのだろう。
そんな事を思ったが、今はどうでも良い事だった。
頭の中が真っ白で、何も考えられない。
いや、何も考えたくない。
少女「永遠の知を持ってしても、やはり効果はなかったようだな。やはり、本物でないと効かないという事か」
容赦無く耳に入ってくる彼女の声。
今はそっとしておいて欲しいのに、私に言葉を投げ掛けてくる。
しかも、何の話をしているのかさっぱりだった。
私は顔を上げ、少女を見つめる。
海希「なんの話をしてるの?」
少女「向こうの世界の話だ。マナの無い世界に居続ければ、マナを受け付けない体になる。そうなれば能力も失い、この世界の時間枠から弾かれるのだろう。しかし、あのチェシャ猫はそうじゃなかったようだな」
淡々と話を続けている。
何が言いたいのか、やはりさっぱりだった。
そして目の前の少女を眺めていて、ふと思い出す。
エリックが言っていた言葉だ。
海希「あなたが、魔女をここに集めたの?」
目の前には、見た目では私とあまり変わらない少女がいる。
エリックの話だと、私のような女がここで目撃されていた。
それに彼女は、さっきは"もう居ない"と言った。
という事は、昔は魔女がここに居たという事になる。
少女「違う。しかし、違うと言えば嘘になる」
なんて、ややこしい答えなんだ。
とても遠回しだ。
そんな言葉遊びに付き合うつもりはない。
海希「その魔女達はどうしたの?」
ここに居なければ、他の場所に居るのかもしれない。
藁をもすがる思いで、私は少女に訊いた。
日数を考えれば、もう間に合わないかもしれない。
だから、なんとしてでも急がなければならないのだ。
少女「もう居ない」
顔色一つ変えず、少女は言った。
何の感情もなく、とても静かに言葉を並べる。
少女「魔女達は魔力だけを残し、魂となった」
海希「...え?」
魂になったとは、どう言う意味なんだろう。
...いや、意味は分かる。
とても恐ろしい言葉が、頭の中に浮かぶ。
少女「理解出来ないか?奴らの血は、知となり力となったのだ」
彼女の視線が、妙に冷たく感じた。
私はゆっくりと立ち上がり、彼女との距離を取った。
なんとなく分かる。
彼女は、危険だ。
少女「...そう言えば、この事を伝えたのもニ回目だったな」
感情がまるでない。
表情を変えず、ロボットのように言葉を続ける。
少女「前に教えてやった時も、そうやって青ざめていた。いや、今よりショックを受けていたな」
海希「...誰の話をしているのよ」
じわじわと溢れてくる恐怖心に、ゆっくりと後退る。
私と同じように、誰かがここに来てこの少女に同じ事を言われた人物がいるようだ。
ただ、私が気になるのはその人がこの後どうなったかと言う事だ。
ここから逃げなければ...
私の中で、騒がしい程にサイレンが鳴り響いていた。
少女「まだ分からないのか?」
その瞬間、ドンっと背中に何かが当たる。
振り向くと、そこには鏡があった。
鏡が壁のように、ずらりと並んでいたのだ。
こんなもの、ついさっきまでなかった筈だった。
そこに映る何人もの私が、目を見開きながら私自身に振り返っている。
少女「お前の話をしているんだ」
海希「!」
私は耳を疑った。
彼女は何を言っているんだ。
全く理解出来ない。
どうして私の話をしているのか。
海希「何言ってるの?私はここに初めて来たのよ?」
知らない世界で、知らない場所。
この世界に来た時から考えても、こんな場所には見覚えがない。
それに、彼女とは初対面だ。
彼女がどんな人で、名前すら知らない。
少女「私はお前をよく知っているぞ」
海希「なら、人違いよ」
そうに決まっている。
私は彼女を知らないのだから。
そうでなければ、私のストーカーだ。
少女「お前は本当に賢い娘だな。賢くて、誰からも愛され、そして惨めで弱い」
海希「...よく言われるわ」
負けずに言い返す。
そうしなければ、恐怖でどうにかなってしまいそうだったからだ。
海希「でも人違い。私はあなたを知らない!」
少女「本当にそう言い切れるか?」
どうして彼女の言葉に、私は恐怖を感じるのだろう。
知らない相手の筈なのに、彼女の言う事が理解出来ないのに、自分の言葉に自信が持て無くなる。
少女「賢いお前は、別の世界で生きる事を選んだ。お前自身の能力は、とても役に立った筈だ」
彼女の言っている事は、本当に意味不明だ。
私は能力なんて使えない。
それではまるで、私がここの世界の住人だったようではないか。
それは絶対に有り得ない。
有り得る筈がない。
海希「私は能力なんて使えない!それに、ここの住人でもないわ!」
少女「お前が能力を使えた事は、今のお前が証明している」
言っている事が無茶苦茶だ。
頭が混乱する。
私は私の現実世界で、普通の大学生活を送ってきた。
両親もいたし、昔からの友達だっている。
華のない生活だったが、それなりに楽しんでいた。
ここに来たのはレイルのせいだ。
初めてやって来た世界。
それのどこに証拠があるのか。
私の体からは、ジワジワと冷たい汗が噴き出していた。
信じられない言葉を私に言い放つ少女。
彼女の言葉一つ一つが、私の体を凍りつかせていく。
その時、何処からともなく現れたたくさんの鏡達。
私の目の前に綺麗に整列し、淡い光を放っている。
そこに映るのは、少女に怯えている私の姿だった。
少女「この鏡は真実を映し出す。お前には何が見える?」
海希「何って...」
私自身だ。
顔も体も、全てが私。
どの鏡にも、私自身が映っている。
鏡なのだから、私以外の人間が映っていればホラーだ(既に今の状況がホラーだが)。
少女「そこに映るお前は、お前の現実なのか?」
海希「...?」
赤い頭巾は引きちぎれ、着ている服はボロボロだ。
さっき見た自分自身と、なんら変わりない。
もともと髪の色素が薄い茶色掛かった黒髪。
短いショートカットの髪型は、昔からのマイブームだった。
可愛いとも綺麗だとも言えない顔に、なんの特徴もない黒い瞳。
これが、いつもの私だった。
けれど、少女に言われた言葉に、私は違和感を覚えた。
海希「私の...現実...?」
私の現実はここではない。
と言うより、ここにはない。
これは夢。
夢ではないと分かったが、それでもここは私の現実ではないのだ。
なのに...
海希「...どうして、こんな格好なの?」
私がよく着る服などではない。
家着でもなければ、お洒落着でもない。
この世界で初めて買った服。
今の姿が映っているのが当たり前な筈なのに、私は急に怖くなった。
この姿は、私の現実とは明らかに違うのだ。
海希「違う...違う!これは、ただの鏡...!!」
当たり前なのだ。
当たり前なのに、体が震える。
冷たい汗が、額から流れ落ちる。
頭が痛い。
キーンっと、頭の中で何かが響いているような痛み。
たまに感じていた痛みが、今私を襲っている。
海希「これはただの鏡...!!現実なんかじゃない!!!」
自分に言い聞かせるように、何度も叫んだ。
どうしてこんなに怖いのか。
何に怯えているのかも分からない。
ただの鏡に映る私は、痛みに苦しみながら声を張り上げていた。
頭が酷く痛む。
ぐらりと視界が揺らぎ、私はその場に蹲った。
海希「い...っ!!!」
まともに立つ事も出来ず、痛みに耐える。
クラクラとする意識。
現実という言葉が、呪いのように私に付きまとう。
もう、なにも考えられない。
少女「なら、お前にいいものを見せてやろう」
少女の声だけが、暗闇に響く。
その声と共に、目の前にあった鏡が一斉に光り始めた。
目の前が真っ白になる。
眩しすぎて、目も開けられない。
私はその光を遮るため、両手で目を覆った。




