豆の木男と狼男
ランタンの小さな明かりを頼りに、暗いトンネルの中を辿っていく。
迷いなくどんどん進んでいくジャックの広い背中を、私は一定の距離を保ちつつ追いかけた。
私とは違い、豪快に足音を響かせている。
ランタンが揺れるたびに、トンネルを照らす明かりも小さく揺らめいた。
外に出ても、やはり辺りは真っ暗で。
夜空には星が綺麗に浮かんでいる。
洞窟の中で見た鉱石のように、チカチカと輝いていた。
これが本物の星。
とてもはっきりと輝いている。
私の世界では、こんなに綺麗に星は見えない。
私は、大自然によって作り出されたプラネタリウムに目を奪われた。
ジャック「で?あんたはどうする?」
彼に声を掛けられ、我に返る。
ジャックの視線を浴びながら、彼に投げ掛けられた言葉の意味を考えた。
どうするも何も、私に選択肢はない。
海希「もう行くわ。私も急いでいるし」
ここに長く滞在し過ぎた。
それに目的地は、もう目に見えている。
ジャック「せめて、夜が明けてからにしたら?この辺りは物騒だし、狼だって出るんだ。女一人じゃ危ないと思うけど」
狼と言われると、あの可愛い縫いぐるみを思い出す。
人間の方は、だいぶ悪い奴だったが。
海希「心配してくれるの?」
ジャック「誰が心配するかよ...?!僕は、ただ忠告しただけだ」
冷たい奴。
そこは嘘でも"心配している"という言葉を使え。
私の中で、彼の株価がどんどん下がっていく。
やはり性格は捻じ曲がっているようだ。
海希「はいはい。あんたって、私を助けてくれたから優しい人だなって思ってたけど、そんな事なかったわね。それじゃ、お世話になりました」
私も私で、こんな所で油を売っている暇はなかった。
ジャックに素っ気なく別れの挨拶を告げると、迷いなく歩を進めた。
...が、すぐに足を止めた。
そば立つ山の向こうから、犬のような狼のような遠吠えが夜の森に響き渡り、吹いた風がザワザワと木々を揺らした。
私の中で、恐怖が芽吹く。
海希「......」
...縫いぐるみの狼さんだったら、可愛いものよね。
なんて、考えてみる。
私は、幾度となく銃撃戦を潜り抜けてきた。
それこそ、命を落としそうになった時だってある。
怖いものなんてない...筈だ。
ジャック「僕の家で良いなら、泊まっていけば?」
海希「え!?」
冷たい男から、思いもよらない台詞。
こいつは性格が捻くれている。
きっと、何か裏があるに決まっている。
ジャック「...そんなに怪しまなくても良いだろ!」
どうやら、私の感情が顔に出ていたようだ。
うっかりしていた。
だが、彼の突然の申し出に驚きを隠せる訳がない。
海希「あなた、本当に女の子に興味ないのよね?男が好きなのよね?」
ここは、やはり再確認するべきだろう。
何しろ、私の周りにはそんな奴ら(猫とウサギと緑男に前科がある。それに、バレッタのような少女にだって油断ならない)ばかりだった。
更に言えば、ヘンゼルとグレーテルやロイゼのような奴に殺されそうになった事もある。
他人は信じるな!と私の中では黄色のランプが点滅しているのだ。
ジャック「変な事を言うな、気持ちの悪い!嫌ならついて来るな!」
ぶっきらぼうに私に言い放ち、スタスタと歩いて行く。
私は迷ったが、確かにロイゼみたいな人間に襲われれば、次は本当に死んでしまうかもしれない。
そう考えれば、せめて明るい内に出歩いた方が良いだろう。
海希「ま、待って!」
急いで彼の後を追う。
やはりジャックは良い奴だ。
なんだかんだ言いながら、心配してくれているのが伝わった。
海希「うわぁっ....」
ジャックの家は、とても不思議な形をしていた。
まるで木だ。
木、そのもの。
大きな木の幹に穴を空け、窓やドアを取って付けた感じ。
まるで、動物が住んでいそうなメルヘンな家。
捻くれ者のくせに、どうしてこんな可愛らしい家に住んでいるのか分からない。
とにかく、彼のイメージに合わない。
ジャック「そんなとこに突っ立ってないで、入ったら?」
不思議な光景に挙動不審になっていると、中からジャックに声を掛けられる。
私は仕方なく中に入る事にした。
想像してたより、なかなか良い部屋だ。
男の一人暮らしには十分な広さ。
香水のように、木の独特な香りがふわりと漂っている。
椅子もテーブルもベッドも、全てが手作り感満載の木目の目立つ家具。
飾ってある動物を象った木の彫刻も上手くできていた。
これは、本人の趣味なのだろうか。
キッチンには大小様々な鍋やフライパン。
最小限の数に留められている食器類。
仕事が休みの日に料理を楽しんでいるのは、どうやら本当らしい。
それに、部屋の中は綺麗に片付いている。
彼が几帳面な性格の持ち主だという事が、この部屋を見ただけで分かる。
ジャックは上着を脱ぐと、適当にその辺りに投げ捨てた。
そしてソファに座ると、ベッドを指差す。
ジャック「あんたはそこを使えばいいよ。僕はここで寝るから」
海希「一緒に寝なくて良いの?」
ジャック「はぁっ!?」
...しまった。
つい、レイルの癖が出てしまった。
いつの間にか、あの猫との生活が当たり前になっている事を実感してしまう。
私も落ちぶれたものだと、頭が痛くなった。
海希「ごめん、今の忘れて」
ジャック「心臓に悪い事を言うな!」
なんだか、とても悪い気がして来た。
本当に、ここにいても良いのだろうか。
それに、これが現実世界じゃなくとも、他人の男の家にお邪魔しているのだ。
そう考えれば、なんだかギクシャクしてしまう。
やはり、いつもレイルと一緒に寝ている事が裏目に出てしまった。
海希「...レイルと寝る事に慣れ過ぎたわ」
そこから間違っている。
コロだと言う事で気を許してしまっているところもあるが、彼を甘やかし過ぎた。
次からは、しっかり境界線を張らなくては。
海希「...あなた、優しいのね」
下心がないにしても、彼は優し過ぎる。
見ず知らずの女を助け、更には家に泊めているのだから。
私なんかより、彼の方が私を警戒するべきだ。
ジャック「今更かよ。僕だって良い人間でもないけど、そこまで悪い人間でもない」
呆れたように言われた。
素直じゃない人。
結局、彼は良い人間なのだ。
海希「海希」
ジャック「え?」
海希「私の名前、海希なの。稲川海希」
しばらく一緒にいたが、名前すら聞いてこないところを見ると、私の事に対してかなり無関心のようだ。
海希「私だけあなたの名前を知っているのも不公平でしょ。それにあなたとは友達だし...って言っても、私はここの人達みたいに、名前だけで相手がどんな人なのか、分かる訳じゃないけど」
ベッドに座り、荷物を床に置いた。
本当に不思議な力だ。
ここの人達が私の世界にやって来たら、全員占い師になれる。
ジャック「あんた、ここの人間じゃなかったのか?!どおりで変わってる奴だと思ったよ...!!!」
彼の言う"変わっている"と言うのはもともとだ。
私の個性だと言って欲しい。
海希「私からしてみれば、ここの人達もみんな変わってるわ」
ジャック「確かに言えてるな...そうだ、僕の名前もちゃんと教えてなかったな。ジャック・ビーンだ」
改めて、お互いに自己紹介をする。
なんだか、恥ずかしくなる。
あんなに言い争いをしていた仲なのに、まさかその相手の家に泊まりに来ているとは。
第一印象がとても最悪な男だったが、今もこうして一緒に居るのだから、気が合わない相手ではないという事だ。
ジャック「まぁ、こんな変な奴らだらけの世界に、あんも馴染めて良かったじゃないか」
海希「なんだかんだで、良い人達が多いもの」
ジャックとの会話を続けた後、私はシャワーを借りてから就寝した。
ジャックの言った通り、私は彼のベッドを使わせて貰った。
真っ白なシーツに、ゆっくりと体を沈める。
柔軟性のあるマットレスに、私は心地良さを感じた。
向こうにあるソファの上で、ジャックが寝転がっているのが分かった。
腕を乗せる個所に頭を乗せている為、彼のオレンジ色の髪がここからでも見えていた。
彼はとても静かだ。
寝息すら聞こえない。
まるで死体だ。
本当に死んでいないか確認してしまいたくなるレベル。
とても真面目で、頑固な人。
彼はしっかりと、私に寝床を譲ってくれた。
...いや、これが普通なのだ。
やはり私は、徐々にあの猫に侵されている。
少し前の私には、考えられない程に。
今頃、レイルはどうしているだろうか...
他人のベッドの中で、しみじみと考える。
あれだけ辛そうにしていた。
ベッドの中で、今でも苦しんでいるだろう。
考えただけで、胸が張り裂けそうになる。
どうして林檎なんかで、レイルがあんな思いをしなけれならないのだ。
何度考えたって、私からすればとても馬鹿らしい事だ。
いつだって笑顔を私に向けては、甘い言葉を囁いてくる猫の青年。
もう、コロだとは思えないくらいの存在感。
鬱陶しいと思っていたのに...
私はいつから、彼を失ってしまう事に恐怖を抱くようになったのだろう。
....本当に魔女なんているのだろうか
頭の中で並ぶ、嫌な言葉。
それだけが頼りだった、私の希望。
考えるだけで、震えが止まらない。
魔女狩り。
一体、彼女達に何があったのか。
この世界にも、神隠しなどが存在するのだろうか。
海希「.....?」
窓の方に目をやる。
何かを引っ掻くような、微かな音。
とても小さな音だった。
私は上半身を起こし、目の前のカーテンを少し開けてみた。
海希「...ロイゼ?」
そこにいたのは、あの可愛らしい姿の狼だった。
木箱のような物を土台にして、それでも足りない高さは背伸びをして、懸命に窓ガラスを引っ掻いているのだ。
私はジャックを起こさないように、静かに窓を開けた。
夜風と共に、夜の生き物達の綺麗な歌声が部屋に流れ込んでくる。
海希「何してるの?」
ロイゼ「俺を元に戻せ!」
彼も、声を潜めて言った。
海希「元に...戻す?」
唐突な彼の言葉。
言っている意味が分からない。
私が理解出来ないままでいると、彼は続けた。
ロイゼ「お前のせいだろうが!良いから、元に戻せ!」
ひたすらその言葉を繰り返す。
そんな事を言われても、混乱するだけだ。
もう少し冷静に説明出来ないのか。
何故、私のせいなのかも疑問である。
海希「あなたが勝手に変身したんでしょ?って言うか、そのままの方が良い」
彼は怒っているようだったが、全然怖くない。
猟銃を乱射するような男だったとは思えない程の愛くるしい姿。
出来れば、このままの姿で真っ当な人生を歩んで欲しい。
ロイゼ「馬鹿か!こんな姿じゃ他の狼共に舐められるだろ!見た目で判断してんじゃねぇ!」
海希「でも、そっちの方が可愛いわ」
ロイゼ「かっ、かわっ!!?変な事言ってんじゃねぇよ!」
照れている。
そんな姿で照れられると、ギュッと抱きしめたくなる。
なんなら、一緒に寝てやっても良いぐらいだ。
いや、抱き枕にさせてくれとこちらから申し出たい。
海希「あなた、私をつけてきたの?」
ロイゼ「当たり前だ!ずっと様子を伺ってたんだ!今がチャンスなんだよ!」
一体、何のチャンスなのだろう。
彼の言っている事は、さっきから理解できない。
そして、ストーカーされている事に全く気が付かなかった。
やはり私は、ストーカーされる側だったようだ。
海希「...って言うか、元に戻ったらまた私を殺そうとするでしょ?」
肝心なところはそこだ。
いくら見た目が可愛くても、所詮中身は猟銃を乱射する狼男。
そうやすやすと戻してやる義理はない。
ロイゼ「んな訳ねぇだろ!?お前みたいなちんちくりん女、殺す価値もねぇよ!」
なんだよ、それ。
誰がちんちくりんだ。
私のどこがちんちくりんだと言いたいんだ。
胸か?
私の胸がちんちくりんだと言いたいのか?
なんだか腹が立つ。
しかも、それが本当だとも限らない。
海希「それ、嘘じゃないって保証ある訳?」
ロイゼ「!」
ジッと彼を睨む。
焦ったように、タジタジとしている姿も可愛い。
私は猫派だが、犬(彼は狼だが)も可愛く見えてくる。
ロイゼ「頼むって!もうお前を殺すのは諦めるからさ...約束は守るよ!!!」
丸い両手を顔の前に合わせ、私に頭を下げていた。
可愛いが、それ以上に疑わしい。
そんなに頼むなら、レイルのように猫撫で声を使えば、私は迷いなくきいてあげていた。
しかも、この愛くるしい縫いぐるみの姿...
そんなダブルコンボを使われたら、鼻血が出てしまうかもしれない。
けれど、彼は猫ではない。
狼は、他人に甘える術を知らない。
海希「...分かったわよ」
小さな体で頼み込む姿も、それはそれで可哀想になってくる。
私に出来る事があればしてあげよう。
ロイゼ「ほ、本当か?!」
海希「えぇ。で?何をすれば良いの?」
元に戻す方法。
つまり、人間の姿に戻すという事だ。
何度も言うが、私はそのままでいてくれた方が良いのだけれど。
だが、本人が嫌がるならしょうがない。
所詮、私が口を出して良い問題ではないのだ。
ロイゼ「俺とキスしろ」
......。
..............。
海希「...おやすみ」
パタンっと窓を閉めた。
どれだけ考えても、私がしてあげられる事などなかった。
やはり、あの可愛い姿で真っ当な人生を送るべきだ。
そう願う事しか出来ない。
ロイゼ「待てっ!待ってくれっ!頼む、開けてくれ!」
カリカリと、また窓ガラスを引っ掻く音。
私は溜息を漏らしながら、閉めたばかりの窓を開けてやった。
海希「...それ、私じゃないと駄目なの?」
呆れた。
何が嬉しくて、殺人未遂の男にキスをしなけらばならないのだ。
そんな事が親にバレたら、きっと泣かせてしまう。
ロイゼ「いや、お前じゃなくても良いんだ。っつうか、誰でも良い」
海希「なら他を当たりなさいよ!」
誰でも良い事なら私を選ばないで欲しい。
このチャラ狼め。
私は好きでもない奴にキスをする程、軽い女ではない。
そう見ているなら、とても失礼な奴だ。
ロイゼ「お前しかいないんだって!この辺りは人通りも少ないし...!」
海希「なら、ジャックを起こすわ」
ロイゼ「野郎とキスして何が楽しいんだよ!?」
海希「私とキスをしても楽しくないわよ!!」
相手を選んでいる時点で、とてもおこがましい奴だ。
こいつはなんて恐ろしい狼なんだ。
海希「それなら、ビアンカがいるわ!私よりも、ものす〜〜っごく綺麗で優しいから、彼女に頼んだらきいてくれるわよ!たぶん!」
などと、ビアンカを売ってしまった。
私は実に悪い人間だ。
ロイゼ「あいつは駄目だ!前にあいつを襲った事があったが、あのジジィ共に返り討ちにあった!」
こいつは、本当に最低な奴だ。
やはり、女なら見境なく襲うチャラい狼ではないか。
あの7つ子、どうして彼の息の根を止めてくれなかったのだろうと心底思う。
ロイゼ「頼む!軽いやつで良いから!すぐ済むだろ!?」
軽いやつ以外に、どんなキスをせがむつもりだ。
この変態狼め。
もはや、頭を抱えるしかない。
海希「...あなた、実は王子様とかなの?カエルにもなれる?」
ロイゼ「はぁ?!くだらねぇ事言ってんじゃねぇよ!俺を、あんな両生類と一緒にするな!」
一応...一応訊いてみただけだ。
カエルにキスをするより、可愛らしい犬の縫いぐるみにキスをする方が、よっぽどマシだ。
私は何度吐いたか分からない溜息を、もう一度吐いた。
海希「...分かったわよ。キスね、キスをすれば良いのね?マウストゥマウスよね?」
とうとう折れてしまった。
これだけ懇願されれば、折れるしかない。
と言うか、こちらが頷くまで彼は帰らなさそうな気がする。
軽くチュッとするだけだ。
挨拶の一環だと思えば、そう嫌に感じない...ような気がする。
ロイゼ「よしっ。じゃぁ、頼む!」
フサフサな赤い尻尾をパタパタと振っている。
クリクリしたつぶらな青い瞳が、まだかまだかとジッと私を見上げていた。
...なんだか照れる。
縫いぐるみにキスなんて...
私はこの歳で何をしているんだろう。
なんだか頭が痛くなってくる。
窓に体を寄せ、私はロイゼに近付いた。
縫いぐるみのような、その大きな口に唇を寄せる。
海希「!」
ボワンっ!!っと、効果音がついても良いくらいだった。
縫いぐるみの姿が、一瞬にして人間の姿に変わった。
ウルフカットの燃えるような赤い長髪。
筋肉質な胸板と、程よく割れた腹筋。
肩から腕にかけては、目立つタトゥーが彫り込まれていた。
更に視線を下げる。
そして、私は悲鳴を上げた。
ロイゼ「馬鹿っ!!!大声出すな!」
海希「〜〜〜っ!!!」
口を手で押さえられ、声が出ない。
彼は焦っている。
しかし、私だって焦っているのだ。
私が言いたいのは一言だけだ。
海希「ななななな、なんで裸なのよ!?」
やっと彼の手から解放される。
私はすぐに彼から顔を背けた。
見てはいけない。
いや、既に見てしまった。
不意打ち過ぎて、顔が一気に熱くなる。
ロイゼ「男の裸くらいで、一々大声出すな!」
くらいとはなんだ!
私をなんだと思っているんだ!
男の裸なんて、なかなか見れるようなものではない。
とてもベタな状況だが、こんなのに慣れる程、私は世間を知っている訳ではない。
純真だとも言えない私だが、見たくないものには目を塞ぎたくなる。
それが、好きでもない男の裸なら尚更だ。
セクハラだ。
公然猥褻だ。
露出魔だ。
手元に武器があったなら、ひたすら彼を殴っていた。
海希「良いから、早くそれしまってよ!!!」
ロイゼ「それってなんだよ!!!っつうか、お前が俺の服持ってったんだろ!?さっさとよこせ!」
そう言われ、私は荷物の中から彼の服を出してやった。
窓の外で、彼はいそいそと着替えている。
海希「悪夢だわ...悪夢...本当に最悪だわ...」
頭が痛い。
これが夢でなく、現実で良かったと初めて思ってしまった。
これが私の夢だったら、私の思考回路はとんだピンクの世界だと言う事になる。
ロイゼ「よしっ、これでとりあえず目的は達成したな。あとは...」
グイッと、腕を引っ張られる。
一瞬、自分の体がどのような状態になっているのか分からなかった。
視界がグルリと一回転し、気付いた時にはロイゼに担ぎ上げられていた。
簡単に持ち上げられてしまい、そのまま部屋から外へと運び出されている。
海希「ちょ、ちょっと!何するのよ!?」
ロイゼ「何って...お前を攫うんだよ」
こいつは何を言っているんだ。
私は耳を疑った。
海希「これじゃぁ、話が違う!」
ロイゼ「違わねぇだろ?俺は殺さねぇとは言ったが、攫わねぇとは言ってねぇ」
こいつ...!!!!
ニンマリと笑うロイゼは、私を担ぎながらスタスタと歩いて行く。
私の顔は先程の熱を冷ますかのように、どんどん青ざめていった。
海希「この嘘吐き!最低!変態狼!!!!」
考え付いただけの悪口を言った。
けれど、彼はとても愉快そうに笑っているだけだ。
私は馬鹿だ。
なんて馬鹿なんだ。
キスまでしたのに...
好きでもない男の裸まで見たのに...
と、目に涙を浮かべたその時だ。
ロイゼ「なっ!!?」
ロイゼの真横を猛スピードで何が横切る。
ブォンブォンっと風を切るような音を立てながら、斧が飛んできた。
ロイゼは、それを間一髪で避ける。
斧はブーメランのように一周し、またこちらへ飛んで来る。
グルグルと回る斧が向かう先は、窓の前に立っていたジャックの手元だった。
それを片手で受け止めると、彼はロイゼを睨んだ。
海希「ジャック....!」
ジャックは片手を地面に着いた。
すると、そこからメキメキと植物が生えてくる。
その植物は地面を這うように、こちらへ勢い良く向かってきた。
ロイゼはすかさず猟銃を構える。
大きな銃声が、夜の山に響き渡った。
植物に空いた穴から、ジャックの姿が見える。
ロイゼがすかさず、持っていた猟銃を撃った。
すると、更にジャックが植物を放つ。
今度は大きな木が、彼を守るように壁のように何本もそびえ立つ。
更に横から触覚のように何本も伸びた茎が、ロイゼを追うように迫って来た。
ロイゼ「ちっ!!」
ロイゼが逃げ回りながら、それを撃ち落とす。
植物に当たるたびそれは枯れていくが、新しいものがどんどん生えてくる。
ロイゼ「なんだ、なんだ?そんなにこいつがお気に入りなのか!?」
冷やかすように、ロイゼがふんっと鼻で笑う。
しばらくして、私を乱暴に地面に落とすと弾を素早く補充した。
ジャック「お前が嫌いなだけだ!」
たたみ掛けるように、ジャックが植物ごとロイゼを斧でぶった斬ろうとした。
それを避け、更にロイゼが撃つ。
しかし、ジャックがまた植物で壁を作る。
その繰り返しだった。
ジャック「まさか、あんたが狼と知り合いだったとはな!本当、面倒な事に巻き込まれたもんだよ!」
何も言えまい。
私自身、面倒だと思っているのだから。
ロイゼの猟銃とジャックの斧がぶつかり合う音を聞きながら、2人の修羅場を呆然と見ている事しか出来ない。
ロイゼ「俺は、欲しいと思ったもんは何がなんでも手に入れる!!それが女なら尚更だ!」
...意味深に聞こえるからやめて欲しい。
彼は私を攫い、その手の闇ルートで売り飛ばすつもりなだけだ。
真面目なジャックの誤解を解くなら、この補足が必要だ。
ジャック「そうかよ!なら、世間はそんなに甘くないって事を教えてやるよ!」
何なんだ、この地獄は。
どうしてこの2人は、こんな夜遅くにエキサイティングしているんだ。
まるでデジャヴだ。
私は、似たような光景を前に見た事がある。
...って、冷静に見ている場合ではない。
今回は、友達の喧嘩ではない。
ただの殺し合いだ(私のせいだが)。
けれど、止めるのも何か違う気がする。
ジャック「おい、あんた!」
海希「え?」
突然呼ばれて、私はすかさず顔を上げた。
ジャック「何でもいい!何か丸い物を持って来い!」
海希「ま、まるいもの?」
急にそんな事を言われても...
と、辺りを見回す。
海希「丸い物って何よ!?」
ジャック「だから何でも良いんだよ!」
変な植物が、どんどん増えていく。
このままだと、ここがジャングルになってしまいそうだ。
海希「丸い物って...」
ふと、思い出す。
狼に丸い物。
誰もが想像するだろう。
月を見て、人間が恐ろしい狼男になる姿を。
だとしたら、あの縫いぐるみになったのも...
そうなのかもしれない。
海希「ロイゼ!」
ロイゼ「!」
ポケットから取り出した、旅の御守り。
これが御守り代わりだと言って、私にくれたエリックの気持ちがようやく分かった。
ロイゼに私の豪速球をお見舞いする。
それを見てしまったロイゼは、焦ったように目を覆うが、既に遅かった。
ボワンッ!!っと、またもや効果音があってもおかしくないくらい、ロイゼの姿が消える。
残された物は、彼の持っていた猟銃と、着ていた服。
そして、縫いぐるみのような可愛さを持つ犬のような狼だった。
ロイゼ「くっそ〜!せっかく戻ったのに!!!!」
悔しそうに叫んでいる。
彼の首根っこを掴み上げ、ジャックが冷たく鼻で笑った。
ジャック「嫌な能力だな。本当、同情するよ」
海希「え、それ、能力だったの?」
レイルがワープできるように。
ドロシーが四次元バスケットを使えるように。
ピーターが年齢を偽装(悪い言い方だが)できるように。
それらと同じ、あの能力の事だろうか。
ジャック「こいつは丸い物を見ると、こう言う姿になるんだ。まぁ、能力と言うより弱点だな」
やはり、悪い奴にはそれなりの能力しか神は与えてくれないのだ。
ロイゼ「離しやがれ、この豆野郎!」
バタバタと暴れている。
その姿も、なんだか愛くるしい。
ジャック「さて、どうするかな。このまま保存食にしといても良いけど」
ロイゼ「な!?」
食べても美味しくなさそうだ。
それはお勧めしない。
海希「逃がしてあげたら?」
ジャック「はっ!?」
私の発言に、ジャックは目を見開いた。
ジャック「こいつに攫われそうになったんだぞ?!自分が何言ってるのか分かってるのか!?」
海希「私は動物が好きなの!殺すのも可哀想だし、飼うにしても狼だしね...」
確かに、私は優し過ぎるかもしれない。
それも、ロイゼか可愛い縫いぐるみの姿をしているのが悪いのだ。
それに、食用だと言って目の前で彼を屠殺されたらかなわない。
うちには既に猫がいる。
狼なんて飼う事になれば、親が反対するだろう。
と言うか、狼の飼い方は犬と同じで良いのかも疑問だ。
せめて、”お手”と”まて”さえ覚えてくれたら、親も許してくれるかもしれない。
本屋に行って、"狼のキモチ"を探さなければならない。
ジャック「あんたって奴は...」
ジャックは呆れていた。
呆れながら、ロイゼを離す。
すると、ロイゼは一目散に逃げて行った。
小さい体で四つん這いになって駆けていく姿はやはり愛くるしい。
ジャック「...本当、心配になるぐらい変わっているよ」
褒められてはいない。
私は苦笑を浮かべる事しか出来なかった。
ジャックと私は、何事も無かったかのように家に戻る。
面倒事に彼を巻き込んでしまった事を、とても申し訳なく思った。
今度こそ、あの狼には真っ当な人生を歩んで欲しいものだ。
もう一度ベッドに入り直しながら、私はしっかりと窓に鍵を掛けたのだった。




