白い雪のような少女
とうとう、私は折り返し地点にたどり着く事が出来たようだった。
下った道の先に、大きな湖が見える。
そこに浮かんでいるように見える、小さなお城。
お城とは言っても、尖った屋根の先端が見えているだけだが、やっとの思いでその姿を拝める事が出来たのだ。
けれど、距離的にはまだまだ遠そうだ。
あとはこの道を下っていくだけだが、既に私の体は悲鳴を上げていた。
上げる脚は重く、体の節々が痛い。
腕にはいくつもの痣や傷があり、顔は汚れていた。
頭が重く、視界がクラクラとしてくる。
海希「わっ...!」
何もない所で躓いてしまった。
地面に強く体を打ってしまったが、その痛みさえ感じない身体になっていた。
その場にうつ伏せの状態で倒れていた。
両手を着いて体を起こそうとしたが、その重さに耐えきれず、すぐに頬を地面につける。
もう、腕が上がらない。
体が、言う事を聞いてくれない。
海希「レイル....」
瞼が重い。
このまま目を閉じてしまったら、どうなるのだろう。
...これが夢なら、もう覚めて欲しい。
こんなのは悪夢だ。
嫌な夢は見たくない。
夢なのだから、せめていい夢を見させて欲しい。
目が覚めれば、目の前にレイルの寝顔があって。
また危ない事に巻き込まれて、楽しそうに逃げ回る彼に手を引かれる。
ピーターが空を飛びながら私達をからかい、ドロシーが優しく笑いかけてくれる。
けたたましく鳴り響く銃声に耳を塞ぎながら怯え、それでも嫌いにはなれない世界。
あれ...?
私の夢は、どっちだった?
どうして私は、ここにいるの?
私の現実ってなに?
夢と現実の違いは?
私の現実はどこにあるの?
私の帰る場所は....どこ?
水の流れる音がする。
目の前には、1枚の免許証が落ちていた。
そこに並べられた、''稲川海希"の字。
私の名前。
免許証という物を手にした。
そこに使われていた写真は、私の姿。
私の写真。
私の....写真?
海希「.....!」
目が覚める。
いつの間にか、また眠っていた。
いや、気を失っていたのだ。
頭が痛い。
視界がぼやけ、クラクラとする。
??「〜〜♪」
どこからか、歌声が聴こえてくる。
とても綺麗な声だった。
綺麗で繊細で、とても美しい。
思わず、聴き耳を立ててしまっていた。
それに、良い匂いが私の鼻をくすぐっている。
上半身をゆっくりと起こす。
気が付けば、傷の手当てが施されていた。
私が眠っていたベッド。
周りを見ても、誰の家なのかも分からない。
ここはどこだろう。
綺麗な花が花瓶に飾られ、小さな机が置いてある。
無駄な物がない綺麗な部屋。
決して広くはない部屋だが、しっかりと整理整頓してある為か、とても奥行きがあるように感じる。
私は、ベッドから降りた。
部屋を出て、短い階段を降りていく。
階段下から覗き込めば、キッチンで鍋の中のスープをかき混ぜながら、1人の少女が気持ち良さそうに歌っている姿があった。
少女「〜〜〜〜♪♪」
何の歌だろう。
彼女の声を聴いていると、何だか心地良くなってくる。
優しくて、ふわふわした気持ち。
とても幸せな気分に包まれる。
意識が宙に浮かぶ。
魔女、鏡の城、黄金の林檎
私の頭の中をグルグルと回っていた言葉達が、風船のようにふわふわと浮き、どこかへ漂っていく。
どうでも良い。
重い枷から解放されたように、体が徐々に軽くなっていく。
少女「.....あら?」
歌が止む。
その瞬間、私はハッと我に返った。
再びキッチンを覗き込むと、彼女と目が合う。
とても可愛い少女だった。
雪のような滑らかな白い肌。
肩まで流している黒い髪に、ヘッドアクセサリーの赤いリボンが良く似合っていた。
少女「目が覚めたのね。良かったら、こちらへどうぞ」
にっこりと笑いかけられる。
少し戸惑ったが、彼女の笑顔に誘われるように、私はキッチンに降りた。
8人掛けの大きなテーブルが、ドカンと部屋の真ん中を陣取っていた。
ここは、大家族の家なのだろうか。
少女「暖かいものを食べると良いわ。お口に合うか分からないけれど」
目の前に出された、枝豆のスープ。
私は再度、彼女に目をやった。
海希「あの.....」
少女「遠慮しないで。どうぞ、召し上がれ」
ニコニコと、私に優しく微笑んでいる。
彼女に言われるがまま、私は目の前のスープを口にした。
久々に、暖かいものを口にした気がする。
冷たい体が温まっていく。
じーんっと、染み渡っていく感覚だった。
海希「美味しい....」
少女「良かった」
彼女はずっと笑っている。
とても優しい笑顔。
なんだか、こちらが照れてしまう。
少女「私はビアンカ・ネージュ。ここの居候なの」
海希「え?」
急に名乗られ、私は驚いた。
名前を名乗る事は、自分の一部を教える事。
それは、この世界では良くない事の筈だ。
海希「....私の事、警戒しないの?」
逆に、こちらが警戒してしまう。
何しろ、私は占い師ではないので名前だけで相手の事など悟れない。
ビアンカ「ふふっ、警戒なんてしない。あなたの目を見ていれば、分かるもの」
私は、そんな良い人間ではない。
腹も黒いし、冷たい事だって平気で言ったりする。
私の何が分かるのか。
そう思っている時点で、私はやはり性格の良い人間ではないのだ。
ビアンカ「あなたのお名前、教えて貰って良いかしら?」
こうやってスープまでご馳走になり、何故か相手にはかなりの信頼をされている。
断る気になんてなれなかった。
海希「稲川海希よ」
ビアンカ「アマキね、覚えたわ」
私の名前を知って、嬉しそうに笑っている。
とても純粋な人。
彼女には、そんな言葉が似合う。
ビアンカ「あなたは道で倒れていたの。それを、ジャックが見つけたのよ」
海希「ジャック?」
初耳の名前。
私が訊き返すと、彼女は頷いた。
ビアンカ「そうよ、ここに近い場所だったから。それに私がここにいるから、面倒をみてやれるだろって」
海希「それは...とても迷惑をかけたわね」
ビアンカ「いいえ、迷惑だなんて思っていないわ。むしろ、ここに住んでくれても良いくらいよ」
それは大袈裟だ。
いくら信頼しているからと言って、すぐに他人をルームシェアさせるなんて危険過ぎる。
せめて、私が毒林檎を隠し持っていないかどうか確かめてから誘うべきだ。
ビアンカ「きっと、兄弟達も喜ぶと思う。何しろ、彼らは働き者だから家事は全くの任せっきりで。私とあなたで上手くやれば、問題ないわ」
何故か、話が勝手に進んでいる。
私は戸惑いながら、彼女にストップをかけた。
海希「ちょっと待って。ごめんなさい、それは無理だわ」
いろんな意味で。
それに、私は先を急いでいる。
海希「助けてくれた事にはとても感謝してる。でも、やらなくちゃいけない事があって」
ビアンカ「そうなの?じゃぁ、変に話を進めちゃったわね。ごめんなさい」
うん、本人の意見もなしに、かなり進めちゃっていたね。
報連相は、きっちり行っていただきたい。
と、私は心の中で呟く。
とても申し訳なさそうに、彼女は私に謝った。
海希「ううん、気にしないで。助けてくれてありがとう。それから、スープもご馳走様でした」
ビアンカ「スープなんて、いつでも作れるもの。そうだ、あなたの荷物は確か....」
ゴソゴソとテーブルの下から、私のリュックが出て来る。
私は、彼女からそれを受け取った。
海希「そうだ、そのジャックって人、今どこにいるの?その人にも、お礼が言いたいんだけど」
どんな相手なんだろう。
道端に倒れている怪しい私を助けてくれたのだから、なかなか良い人だ。
...今思えば、私もエリックの事を悪く言う資格はない。
笛吹きの陽気なおじさん。
今も何処かで行き倒れているかもしれない。
ビアンカ「あぁ、彼ならこの近くの....」
相手の居場所を教えて貰い、私はビアンカにお礼を言ってから家を出た。
教えて貰った山道を辿り、進んでいく。
しばらく歩いていくと、広い場所に出た。
たくさんのロープが張り巡らされ、これ以上は立ち入り禁止と言わんばかりだった。
私は気にせず、そこを潜り奥へと進む。
着いた先は採石場だった。
砂利で覆い尽くされ、大きな岩がゴロゴロと転がっているだけの殺風景な場所。
目の前には、トンネル状に掘られた穴。
大きくて、とても深そうなのが分かる。
私は、真っ暗なその穴をゆっくりと覗き込んだ。




