塔からの脱出
大きな窓を静かに開けた。
そこからふわりと入り込んできた冷たい空気。
思わず両腕を摩りながら、身震いした。
昼間は眠気を誘ってくるような暖かさなのに、夜になれば冬をまじかにしたような秋の気温。
この世界に、四季なんてものはあるのだろうか。
いつだって、春のような陽だまりに包まれている。
なのに、季節物の野菜や果物は城下町にある店にいつも顔を並べていた。
人だけじゃなくて、ここは季節も食べ物もおかしいのか。
いや、この世界では私の方がおかしいのだろうと、ふと考え直す。
どこからか聴こてくるフクロウの声は一つではなく、いくつもの声が重なり輪になって響いていた。
夜にだけ聴ける演奏会。
綺麗なハーモニーに耳を傾ける。
本当に自然が豊かな世界。
周りの人間の個性も豊かだが、この緑の豊かさだけは魅力的に感じていた。
真っ暗な空に浮かぶ半分に欠けた月が、朧げな明かりで私に催促する。
早く、ここから脱出しなければ。
私だって、早くここから出たかった。
だから、こうやって夜が来るのを待っていた。
結局、狙った獲物は逃がさない凄腕スナイパー姫から逃げる事は不可能だと悟った。
彼女の目が光っている内は、何をしても無駄。
帰して欲しいとお願いしてみても綺麗に流されてしまうし、外で遊ぼうと誘い出してみても、その銃口が火を吹こうとするだけ。
なので、バレッタと夜を共にした。
無論、変な過ちは犯していない。
所詮は少女なのだ。
力だけなら、私の方が上。
抵抗するのは容易い事。
眠れずにいた私は(眠れば彼女とのピンクの世界が待っているから)、バレッタが眠るのを待ってから、塔を脱出する決意をした。
隣で眠る少女は私が逃げないようにと、ご丁寧に長い髪で私を拘束していた。
けれど、彼女が眠れば、その呪縛から容易く抜け出る事が出来た。
どうやら、長い髪を操る事が彼女の能力らしい。
長い髪のお姫様らしい能力だ。
リュックを背負いながら、塔の下を見下ろす。
地面が、どこもかしこも大きくえぐれている。
大きなシャベルで深く掘り起こされたように、いつくもの大きな穴が空いていた。
緑が大幅にはげ散らかしている。
たくさんの木々の残骸と、焦げたような臭いが今も漂っている。
戦の深い傷跡を見つめながら、私はもう一度身震いした。
...だからか。
ここに来る時に、ヘンゼルが私にした誘導。
あれがなければ、私は完全に灰になっていた。
...いや、あいつのせいで私はここにいる。
この世界の子供は、みんな狂っている。
このままだと、子供が嫌いになってしまいそうだ。
そんな事はさて置き、私はここから降りる方法を考えた。
気持良さそうに眠っているバレッタの髪は使えそうにない。
そんな事をすれば、このチャンスは先送りになってしまう。
仕方なく、窓に付けられたカーテンを静かに外していく。
それを繋ぎ合わせ、部屋の柱に巻きつける。
窓から垂らしてみるが、地面からニメートル程の距離が空いていた。
仕方がない、なんとかあそこから飛び降りよう。
そんな決意を胸に抱きながら、私はベッドの上で眠っている少女に視線を移した。
少女らしい可愛い寝顔。
銃を使いこなす子供には見えない。
海希「バレッタ、ごめんね」
私がここにいては、彼女にとって毒にしかならない。
それに、私の身がもたない。
...純粋な少女に育って欲しい。
そう願いながら、私はカーテンに掴まりながら徐々に下へと降りていった。
地面から足りない部分は、痛い思いを覚悟し、カーテンから手を離す。
なんとか足で踏ん張り、小さな声を漏らした。
窓を見上げ、彼女が起きていない事を確認すると、私はすぐさま走り出した。
無意味に身をかがめ、戦場になった無残な地を走り抜ける。
バレッタに蜂の巣にされた、客人と呼ばれる刺客に感謝しなければならない。
でなければ、私はここから1人で逃げ出せなかった。
闇夜に紛れ、忍者になりきったように爽快に駆け抜けて行く。
足を止める事なく、木々の中を突き抜けた。
今の私は風より早く、猫より俊敏に動いている筈だ。
海希「ここまで来れば平気ね」
塔が見えなくなった所で、ふぅっと息を吐いた。
こんなメルヘンな世界で、いつまでも百合色を残していては駄目なのだ。
しかも、相手は少女...
彼女は引きこもりだ。
あんな場所に引きこもっているから、私のような変な女に惚れてしまうのだ。
もっと外に出れば、素敵な男性などたくさんいる。
たとえ女性が好きだとしても、私なんかより可愛い女性だっている。
彼女が言う可愛いの基準が分からない。
私を可愛いだなんて、趣味が悪すぎる。
だいたい、私に惚れていた日向先輩やレイルでさえ、好きになった理由に"可愛い"は入っていなかった(決して言われたい訳ではない)。
それに、私にちょっかいを出してきたあの葉緑体は、惚れていると言うより燃えているらしいし、あのウサギ男に至っては、もはや何がしたいのか分からない。
なにせ、可愛いなどという言葉は私には似合わない。
なんだか、変な体験をしてしまったがきっぱり忘れるしかない。
無駄に1日を使ってしまった。
自分で忘れそうになっていたが、私は時間に追われているのだ。
こんな事をしている場合ではない。
夜空にはまだ月が浮かんでいるが、夜明けを待っている気もなかったので、私は辿るべき道を歩いていった。
軌道修正しなければ。
私の目的も話の流れも逸れ過ぎている。
痛くなる頭を押さえながら、私は躊躇なく前に進んだ。




