裁判の赤い女王様
大理石で造られた床や壁。
ピッカピカに磨き上げられた広い空間に、とてもピリピリとした空気が漂っていた。
法廷だ。
目がチカチカするくらいに赤い。
きっと現実世界での法廷は、こんなに派手じゃない筈だ。
目に悪過ぎて、視線のやり場に困る。
初めて法廷という場所にやって来た。
ここに来るのに、どれだけの苦労をしたか。
隣にいるセリウスを睨む。
彼の方向音痴は、この建物内でも大いに発揮していた。
途中で会った彼の部下に道案内をさせ、どうにかここまで辿り着いたのだ。
彼は何枚かの書類に目を通している。
この方向音痴ウサギめ。
見た目はとても美形なのに、それに比例するくらいにがっかりさせられる。
それに、妙に艶っぽい。
いろんな意味で、なんだか腹の立つウサギだ。
法廷内を見渡せば、手すりの向こう側にたくさんの人が座っているのが見える。
この裁判を見に来た人々だ。
そこにいた緑の青年に目がいく。
やはり目立つ。
ピーターが、そこに座っているのだ。
私と目が合うと嬉しそうに笑い、手をヒラヒラと振っていた。
更に隣にはドロシーがいる。
彼女は恥ずかしそうに、体を小さくしていた。
助けに来てくれたのか。
それとも、友達として見届けに来たのか。
私には分からなかった。
そして、法壇に出てきた1人の女性。
真っ赤なドレスに身を包み、これまた真っ赤な口紅で唇を染めている。
彼女も、目をチカチカとさせる存在だった。
けれど、とても美しい女性だった。
権力があり、力があるような威厳を感じさせられる。
"優しい"や"可愛い"という言葉は彼女には似合わない。
凛とした横顔から伝わってくるのは、薔薇の棘のような鋭さ。
その冷たい眼差しは、この法廷を静かにさせた。
セリウス「只今より、被告人レイル・チェシャ・キャットの裁判を執り行います」
セリウスは立ち上がり、書類を読み上げる。
それが合図だったかのように、部屋の隅にある扉が開けられた。
そこに、全員の視線が集まる。
兵士に連れてこられたレイルは、まっすぐに前を見て歩き、証言台に立った。
私とは違い、両手には手錠をはめられている。
私にとって、とても目を向けていられない光景だった。
女性「チェシャ猫、お前が捕まるなどとはとても珍しい。これで、やっと溜まっていた仕事が一つ減る事になる。感謝するぞ」
ただ1人の裁判長であろう女性は、無表情のまま口にした。
感謝すると言ったが、全く心にこもっていない。
レイル「はっ!!仕事って言っても、あんたらの仕事は死刑を宣告するだけの事だろ?こんなの、何の意味もないだろ」
レイルらしい言葉だった。
もっと落ちこんでいると思っていたが、その辺は心配なさそうだ。
セリウス「言葉を慎みなさい!裁判長の前ですよ!」
セリウスの注意が飛ぶ。
しかし、あの女性は気にしていない様子で続けた。
女性「一理あるな。わらわも、面倒だと思っておった。お前の意見、きっちり受け取っておこう」
待っていた杖をくるりと回す。
そして、それで軽く机を叩くと、どこからともなく兵士が現れた。
彼は、何かを持っている。
それを、女性に渡した。
女性「お前の能力には興味があった。好きな場所へ飛べる能力。面倒な事が多いに減るだろう」
見覚えのある白黒銃。
二つあるその一つを、空いている手で撫ぜる。
それを手に持つと、その銃口をレイルに向けた。
私はその光景を見て、冷やっとした。
まさか、レイルを撃つつもりなのだろうか。
女性「これはどう言う仕掛けだ?」
すると、レイルは鼻で笑った。
レイル「それは俺とリンクしている。マーキングをつけた場所なら、俺が気を送る事でどこにでも飛べる代物だ。あんたには使えねぇもんだよ」
女性「....だろうな」
カチッと引き金を引く音がした。
しかし不発。
これはレイルの能力だ。
魔法陣など出る筈もなかった。
机の上に拳銃を戻す彼女に、私は安堵した。
女性「さて、お前の犯した罪は確か....」
セリウス「この世界の禁忌、黄金の林檎を口にし、さらには異世界に逃亡。これは何人もの目撃者がいます」
女性「ふむ、そうだったな。ならば、やはりこの裁判は無意味だったようだ」
赤い裁判長は、レイルから一瞬たりとも目を逸らさない。
私の心臓は、バクバクと音を立てている。
結果は分かっている筈なのに、それでも願わずにいられない。
女性「チェシャ猫よ、お前の判決は決まったぞ...いや、決まっておったのだ。お前が、どこで手に入れたものか分からないあの林檎を口にした瞬間から全てがな」
女性は立ち上がり、杖の先をレイルに向ける。
そして、大きな声で言い放った。
女性「死刑だ。この猫は斬首刑。こやつの首を刎ねよ!」
傍聴席からザワザワと声がした。
やっぱり。
思った通りだ。
可哀想に。
そんな言葉がチラチラと耳に入る。
他の人間に、レイルの何が分かるのだ。
彼ら、あるいは彼女らは何も知らない。
それでも、私の方が知らない事は多いだろう。
私の体は震えていた。
恐怖もあったが、それ以上に怒りの方が上回っていた。
海希「異議あぁぁぁりっ!!!!!」
気付けば、バンッと勢い良く立ち上がっていた。
みんなの視線が、私に集中する。
女性「....なんだ、お前は?」
女性の冷たい視線。
その視線を感じた瞬間、私は少し後悔をした。
けれど、もう後には引けない。
引き下がる気も無かった。
セリウス「貴女....!!!」
隣にいたウサギ男は無視する事にする。
海希「私はレイルの友人よ!こんなのおかしいわ!たかが林檎を食べただけで死刑だなんて!こんな事で裁判をするなんて、国の税金の無駄遣いもいいところよ!」
この国がどんなシステムで成り立っているのかは分からないが、とりあえずそれっぽい事を言っておく。
女性「たかが林檎?お前は本気で言っておるのか?」
無表情を続ける女性に、私は更に言い返す。
海希「えぇ、そうよ!神話か何か知らないけど、そんな昔の話を信じて法律にするなんて馬鹿だわ!メルヘン過ぎる!って言うか、もっと他に裁かなくちゃならないものなんてたくさんあるじゃない!」
例えば、銃刀法違反。
更に無免許運転。
そして、バイク盗難疑惑や公然猥褻行為。
私が今まで見てきた犯罪の数々。
林檎よりも、そちらを優先して欲しい。
けれど、口には出来ない。
それは、友人達を売ってしまう事になるからだ。
レイル「アマキ、もう良いって....」
海希「あんたは黙ってて!!!」
噛み付く勢いで、ぴしゃりと遮った。
誰の為に異議を唱えたと思っているんだ。
これが無意味になった場合、私の経歴に一生残ってしまうだろう。
いや、もう残ってしまう。
そんな事は覚悟の上だった。
海希「それに、私には彼が必要なの!」
レイルが頬を赤くし、ポカンと口を開けた。
海希「言っとくけど、そう言う意味じゃないからね!」
と、一応レイルに釘を刺しておく。
こんな大勢の目の前で勘違いされては困る。
過ちは犯してはならない。
女性「なるほど、そなたが異世界から来た人間か。チェシャ猫に連れて来られ、こやつに連れて帰って貰わなければならない...そんなところか」
レイル「え!?あんた、帰るつもりだったの?!」
海希「あんたは黙っててって言ってるでしょ!」
完全に考えを読まれている。
そう、私はレイルに連れて来られた。
この不思議なおとぎの国に。
しかし、いつまでもここには居られない。
もし本当に帰れるのであれば、連れて来たレイルがキーだ。
行く事が出来たのなら、帰る事も可能だと考えた。
でなければ、私はここで無理やり猫のお嫁さんにさせられてしまう。
それはなんとしてでも回避しなければならない事だ。
海希「ついでに、そこのレイルも連れて帰るわ!彼は私の家族なの!親にもまだ紹介してないし...だからそう言う意味じゃないからね!」
と、レイルに再び釘を刺しておく。
レイルと女性を交互に見ていると、なんだか疲れてくる。
派手な運動はしていない筈なのに、何故か息切れが激しくなっていた。
女性「ほう...お前の言いたい事は分かった。だが、それを叶えてやる義務はわらわにない」
冷たい視線が、私を刺す。
まるで、蛇に睨まれたカエルだ。
身動きが取れなくなった。
女性「何より、とても不愉快だ。他所の者に...この世界の在り方も分からない娘が、わらわに楯突いた事がな」
ギロリと睨まれた。
そして、口元に薄っすらと笑みを浮かべている。
それが、とても不気味に見えた。
女性「この法廷にて、わらわに指図できる者など誰もいない」
レイル「おい!あの子は関係ないだろ!手を出すな!」
杖の先を向けられる。
その瞬間、恐怖を感じた。
この人にも、きっと権力だけではなく能力がある。
その事を、今思い出した。
女性「関係ない?笑わせるな」
せせら笑う女の表情。
ここにいる誰もを見下したような目。
女性「この世界に来た時から、すでにこの娘もわらわに裁かれる者。わらわに指図など出来る訳がないのだ...ここにいる全員がな」
そして、その杖を床にドンッ!と突き立てた。
その瞬間、私の体が重たくなり地面に崩れる。
背中に掛かる強い重圧で、這いつくばるように倒れていた。
女性「わらわの名はイザベラ・デクニティ!この赤き裁判所の女王!全員、わらわに跪け!!!誰もわらわに逆らえないのだ!!!」
低い音が、耳をこだまする。
動けない。
重たい何かにのしかかれているように、私の体はその場に押さえつけられていた。
それは私だけではなく、隣にいたセリウスも同じだった。
セリウス「まったく、貴女って人は...!!!」
痛い...動けない....
何度立とうとしても、この強い力には勝てない。
涙が出そうだった。
こんな結果になるなんて。
レイルは無事だろうか...
ここからでは、彼の姿が見えない。
その事が、更に私の不安をあおった。
パキパキパキ.....
何か、小さな音が聞こえる。
傍聴席にいた全員が床に張り付け状態だった。
その中に、一際目立つ緑の青年。
彼は苦しそうに表情を歪ませていたが、奇妙な音を立てていた。
綺麗な大理石の床に両手を突いている。
そこから、パキパキと音がするのだ。
徐々に床が変色し、ヒビが入っていく。
そのヒビは加速し、柱や壁を走っていく。
イザベラ「なんだ...?」
パラパラと天井から剥がれていく。
もろくなっていく建物に更に重圧がかかっている事で、この建物自体が悲鳴を上げていた。
イザベラ「...まずい!」
能力が解ける。
その瞬間、体から力が抜けた。
休んでいる暇もなく、続けて事件が起きた。
銃声が響いた。
その銃撃は、天井の明かりを一つずつ壊していく。
一瞬にして辺りは真っ暗。
とても視界が悪い。
ドロシー「法廷パーティーの始まりだぜ!全員あたいが裁いてやるよぉぉぉお!!!!」
ダダダダダダッ!!!っと連続で発砲される音が響く。
ドロシーが、いつの間にか狂乱している。
それしか分からない。
セリウス「ちっ...!!!」
セリウスが体を起こしたのが分かった。
懐から懐中時計を取り出す。
私はすかさず、彼に体当たりをした。
セリウス「!」
懐中時計が派手に飛んだ。
大理石の床の上を軽やかに滑っていく。
彼の能力は、あの懐中時計を使って時間を止める事。
そんな事をされては、ピーターやドロシーの行動が無駄になる。
海希「わっ!!!?」
急に腕を掴まれ引っ張られた。
暗くてよく分からなかったが、この手はレイルのものだとすぐに分かった。
海希「れ、レイル!?」
レイル「俺から離れるなよ」
縄が解ける。
レイルは一体、どうやって手錠を外したのか謎だ。
猫は夜目が利く。
この暗闇の中で動け回れるのは納得がいった。
レイルに抱き上げられ、机の上を飛び回る。
レイル「これは返して貰うぜ」
その言葉に、今いる場所が法壇だと分かった。
二丁あった拳銃の一つを懐にしまい、一つを口に咥える。
そして、私を抱き抱えたまま去ろうとした時だ。
イザベラ「待て、チェシャ猫」
裁判長、イザベラの毒々しい声が聞こえる。
透けるような真っ白い手が、レイルの輪郭に触れた。
イザベラ「ここから逃げてもお前は助からない。お前はあの林檎の正体を知らない」
私からは、彼女の顔がはっきりと見えない。
ただ、イザベラの声が聞こえる。
イザベラ「...これは、彼女達の恨みだ。彼女達の魂を口にしたお前が、責任を取れ」
暗闇にうっすらと、レイルとイザベラの顔が浮かんでいる。
そして、私は目を疑った。
レイル「なっ...!!!?」
レイルの頬に、イザベラが口付けしていたのだ。
衝撃過ぎて、私は声も出なかった。
まさか、こんなところを目撃してしまうとは...
レイル「こんにゃろ〜っ!!!」
レイルは銃を口に咥えたまま、咄嗟にその場から離れた。
けれど、私は聞き逃さなかった。
レイルの腕の中で、彼女がクスリと笑いながら言った言葉を。
イザベラ「これは呪い...魔女だけに与えられた特権。そして、呪いは術者の自分をも呪う。わらわは後悔などしない....」
意味が分からなかった。
魔女だけに与えられた特権、それが呪い。
レイル「逃げるぞ!」
銃を持ち、ドンッと天井に発砲した瞬間だった。
レイルに支えられていた私は、落ちるように勢い良く地面に倒れた。
海希「いたっ!!!」
側で倒れているレイル。
私は彼の名を呼んだ。
海希「レイル?!ちょっと、レイルってば!!!」
とても苦しそうに唸っている。
とても嫌な予感がした。
イザベラ「こやつの命はあと7日」
何処からか、イザベラの声がする。
私はハッとなった。
海希「なんなの?!レイルに何をしたの?!」
イザベラ「もう呪いは始まっている。そして、わらわにもその見返りが来る....」
それから、イザベラの声が聞こえなくなった。
私は一生懸命レイルを呼び続けるが、彼は苦しそうにのたうち回っている。
怖い。
レイルが何かされた。
レイルが死んでしまう。
そんな事しか考えられなくなっていた。
ピーター「行くよ!」
私の体が小さくなる。
そして、暴れるレイルもだ。
咄嗟に落ちていたレイルの白黒銃を拾い上げる。
ピーターに抱えられ、天井に青く光っていた魔法陣に飛び込んだ。




