追い掛けてくる白ウサギ
冷たいコンクリートの地面。
唯一の小さな窓には、鉄格子がはめられていた。
そこから差し込んでくる明かりだけが、この薄暗い空間を照らしてくれている。
海希「寒い....」
ひんやりとする。
ジメジメとして、とても嫌な気持ちになった。
レイル「大丈夫か?」
心配そうに、私を見つめるレイル。
その言葉は、とても優しい。
私の心配をしている場合ではないのに。
海希「....焦ってないの?」
私が訊くと、レイルはキョトンとした表情を浮かべていた。
レイル「俺が怖いのはアマキが傷つく事だけだ。まぁ、俺の拳銃も気になるところだけど」
何よりも私が優先。
その気持ちが、とても痛い。
海希「自分の心配をしたらどうなの」
それでも冷たく言ってしまうのは私の悪い癖だ。
本当は感謝している。
それに、レイルの事が心配なのだ。
レイル「俺は良いんだ。どうせ、いつかは裁かれないと、って思ってたから」
海希「え?」
そんな風に見えなかった。
それよりも、裁かれるとは何に対してなのか。
海希「あんなに逃げ回ってたのに?」
レイル「あんたの事幸せにしたくて、罪を償う為にここに帰って来たんだ。でも、アマキとここで過ごす内に、なんだか楽しくなっちゃって。罪を償うことが怖くなってたんだ」
海希「でも、レイルは誰も殺してないんでしょ?」
私は見た。
あの暗い部屋で、レオナードさんと思われる男性が首を吊っていたのを。
視界は悪かったが、なんとなく分かる。
レイル「それはね。でも、林檎は食べた」
ハッとしてしまう。
金色に輝く林檎。
それを口にすれば永遠の知を手に入れる事が出来る。
そんな事は、くだらなさ過ぎる話だと思い、忘れていた。
今思い出してもくだらない。
くだらない話であって欲しい。
海希「なんで....そんなの、くだらないわよ」
一緒に謝ってあげるからと、私は口にした。
けれどレイルは、彼らしくもない苦笑を浮かべ、首を横に振った。
レイル「駄目なんだ。これは俺の問題で...それに....」
それに...
レイルはそう言うと、深く考え込んでいた。
記憶を思い返し、何かを探し出すような感じ。
レイル「...食れば...分かる気がしたから」
海希「何をよ?」
レイル「食べれば答えが見えそうな気がして....あぁ、もう!とにかく、謝って済む話じゃない」
まだ納得がいかない。
たとえこの世界で禁忌だったとしても、たかが林檎を食べた。
それだけの事だ。
どうして、それだけの事でレイルが...
コロが死刑になるのだろう。
兵士「おい、女!立て!」
檻の扉が開けられる。
そこから入ってきた兵士達に、乱暴に腕を掴まれ立たされる。
海希「痛っ!」
私のその一言で、レイルの表情が変わった。
レイル「お前ら!その子は関係ないだろ!」
檻から出され、何処かへ連れて行かれる。
後ろを振り向き、鉄格子の向こうからこちらを覗く彼の姿に、私は涙が出そうになった。
私のせいだ。
私のせいで、レイルが捕まってしまった。
私のせいでコロは....
だいぶ歩かされた。
通って来た道は、地下。
エレベーターに乗り込まされ、二階のボタンを押される。
扉が開くとさっきまでとは違い、真っ赤な空間の廊下が続いていた。
絵画や銅像が飾ってある。
赤いハートマークが、あちこちにあるのが目に入った。
しばらくその廊下を進むと、とある一室に連れてこられた。
1人の兵士が、そのドアをノックする。
??「はーい、どうぞ」
兵士「失礼します」
扉を開けると、そこは執務室。
立派なソファやテーブルが並び、優雅な紅茶の香りまで漂っていた。
そこに座る、ウサギ耳の男。
彼の顔は、死んでも忘れられない顔だ。
兵士「女を連れて来ました!」
セリウス「ご苦労様です。じゃぁ、もう良いですよ。あとは裁判で....」
兵士達がビシッと頭を下げ、部屋から出て行く。
セリウスは、持っていたティーカップを置き、立ち上がった。
セリウス「お久しぶりですね。貴女に会いたかったんですよ」
海希「私は会いたくなかったわ」
これはあえて冷たく言ったのではなく、本音だ。
だが、彼は全く気にしていない様子だった。
セリウス「そんな冷たい事を仰らずに。まぁ、座って下さい」
セリウスが私にそう促した。
けれど、私は両手を縛られたままだ。
海希「だったら、これ解いてよ」
と、セリウスを睨む。
両手の動きを封じているこのロープ。
これ見よがしに、縛られた手首を前に出す。
セリウス「えー?両手が不自由でも、座る事は出来ますよ?それに、それを解いてあげたら私が襲われそうですしね」
海希「そんな事する訳ないでしょ」
襲うだなんて、そんな事はしない。
隙を見て逃げる気はある。
彼の能力は時間を止める事。
私にはなんの効果もない事は分かっている。
セリウス「言い方を変えましょう。貴女が縛られたままで居てくれた方が、いろいろと良くしてあげられます。いろいろと...ね」
ゾゾっと悪寒がした。
嫌な事を思い出す。
その笑みが怖過ぎる。
セリウス「まぁ、とりあえず座って下さいよ!貴女が来ると思って早めに出勤したんですからね!少し迷いましたが、間に合って良かったです」
この方向音痴め。
それなら、ずっと迷っていれば良かったものを。
と、心の中で毒吐いた。
けれど、このまま言い合っている気にもならなかったので、相手の言う事に渋々従った。
目立つ赤色のソファー。
とても目がチカチカする。
セリウス「いやー、まさか貴女をここにお迎えできる日が来るなんて夢のようです!さぁ、紅茶でもどうぞ」
前に出されたティーカップ。
可愛らしいハート柄のソーサーの上に乗っている。
私は、隣に座るセリウスに目を向けた。
海希「縛られてるんだけど」
お茶も飲めやしない。
それはさっき話したつもりだ。
セリウス「おっと、失敬。うっかりしていました」
絶対にわざとだ。
そうとしか思えないうっかりさ。
セリウス「じゃぁ、私が口移しで飲ませてあげましょう。私の中で冷まして、飲みやすいようにしてあげますからね」
海希「やめて!いらない!」
なんて男なんだ。
到底ウサギとは思えない発言だ。
ウサギは可愛くなくてはならない。
これは、可愛い発言ではない。
セリウス「ふふっ。冗談ですよ、冗談。貴女って本当に可愛い反応を見せてくれますよね」
そんな事を言いながら、彼の手は私の膝の上に乗せらている。
海希「あなたが言う事は、冗談に聞こえないのよ!」
本当に焦る。
なにせ、既に前科がある男だ。
私の中で、要注意人物になっているのだから。
セリウス「貴女は面白いですね...そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ。危害を加えるつもりはありませんからね。少し、お喋りしたかっただけです。私、珍しいものって大好きなんですよね」
海希「仕事しなさいよ、仕事」
山積みになっている書類。
明らかに、何かを溜め込んでいる。
セリウス「それはそれ、これはこれですよ。メリハリはきっちりつけないと」
どこでメリハリをつけているんだ。
こいつは仕事をサボりたいがだけではないか。
セリウス「仕事が溜まっているのは事実ですが、ほとんどが軽いものです。放って置いても構わないくらいに。あとは未解決のものですから、私が動いたところでどうにかなるものではないんですよ」
優雅に紅茶に口を付けている。
見た目だけだと、やはりサボっているようにしか見えない。
セリウス「とくにこの魔女狩り事件は全く手掛かりがなくて、困ってるんです。もう、誰かに罪を擦りつけて早く片付けたいぐらいですよ」
それは確実に冤罪だ。
そんな事を軽く口にしてしまう辺り、彼はいい人間ではない。
海希「最低ね。そうやってレイルも裁くつもり?」
セリウス「チェシャ猫はしっかりと罪を犯していますよ。私が本当にそんな事をするように見えます?」
見える。
とても胡散臭い。
こいつならいつかしそうだ。
いや、もうしているかもしれない。
セリウス「彼の罪に貴女は何の関係もない人ですから釈放です。良かったですね、もう自由ですよ!」
どこが自由なのか。
私の両手は、未だに自由を奪われている。
海希「だったら解放してよ。私に用は無いんでしょ?」
セリウス「えぇ、ありません。でも、気になるでしょ?」
海希「何が?」
クイッと顎を持ち上げられる。
片眼鏡の丸いレンズ越しにある赤い瞳に、私が映っているのが見えるくらいに近い。
こいつ自身だと言ったら、蹴りをお見舞いしてやる。
私は密かに構えていた。
セリウス「もうすぐ、チェシャ猫の裁判が始まります。貴女を特等席にお連れしようと思いましてね」
優しいでしょ?と、自惚れた一言がとてもウザい。
けれど、レイルの裁判は気になる。
いや、気になるどころではない。
海希「裁判って...禁忌を犯したら死刑なんでしょ?」
裁判をする意味はあるのだろうか。
そこが疑問だ。
セリウス「えぇ、形だけですよ。一応、そう言う事はしているんです」
顎から手が離され、懐から取り出された懐中時計を見たあと、彼はスクッと立ち上がった。
そして、私の肩を優しく支え立ち上がらせると、にっこりと笑う。
セリウス「もう少し話していたいところなのですが、そろそろ行きましょうか。私が案内しますよ」
言葉と口調はとても優しい。
けれど、腹では何を考えているのか分からない。
それでも、私はレイルに会いたくて、方向音痴である彼の後ろをついて行った。




