甘くないお菓子の家
女性「ありがとうございました〜」
扉を開くと、可愛らしい鈴の音が私を見送ってくれた。
さっきまで着ていた服を袋に包んで貰い、新しく買った服を着込んでいる。
とてもメルヘンな、私の歳には似合わない服。
その中でも、落ち着いたものを選んだつもりだった。
兵士「チェシャ猫を見た者は、ただちに報告せよ!有力な情報を提供者は、報奨金を与える!」
ビラを撒き散らす兵士達。
私は赤い頭巾を深くかぶり、地面に落ちたビラを拾い上げた。
印刷された写真。
こちらに銃を向けた、レイルの姿。
兵士「チェシャ猫には仲間の女がいる!そいつを見た者、知る者も、ただちに報告するのだ!」
体が跳ねる。
なるべく身を小さくさせて、兵士達が通り過ぎるのを待っていた。
変装の甲斐あって、相手にバレずに素通り出来た。
海希「はぁ....」
溜息が漏れた。
どうして私がこそこそしなければならないのか。
これはきっとレイルのせいだ。
完全に巻き込まれている。
厄介ごとに巻き込まれるのが一番嫌いだ。
こんなに世界観溢れる場所なのに、ゆっくりショッピングも楽しめないなんて...
もの凄く損をしている。
私が城下町にいるのは、朝からあの猫の青年の姿がなかった事と、1人でいても暇だったからと言う理由だった。
レイルの置き手紙(「ちょっと出掛けてくる。心配はいらない」)と、少しばかりのお金が置いてあった。
それで私はここにいる。
ここに来て初めて1人で出歩いているのだ。
服を見たり、本屋へ行き立ち読みをしてみたり。
現実のように楽しんでいる。
ここが現実世界のように、人々が歩き、素敵な商品が並んでいるからだ。
海希「あれ?」
町中を歩いていると、見覚えのある少女が立っていた。
お客にマッチを売っている。
海希「ドロシー!」
私が呼ぶと、彼女はこちらに気が付いた。
ドロシー「アマキ」
海希「働いているの?大変ね」
ドロシー「これがお仕事だから。あなたは何をしているの?」
そう言うドロシーは、私の事を頭の先から足の先まで観察しているようだ。
ドロシー「とっても可愛い。似合ってるわ」
私なんかより、彼女の方が可愛い。
今の笑顔だって、とても愛らしくて眩しいのだから。
恥ずかしくなり、私はフードを脱いだ。
海希「ちょっとね。退屈してたから、遊びに来たの。あ、一つ買うわ」
前に後悔した事を、実行してみる。
まだ使い道は無さそうだが、友達の仕事の応援だ。
ドロシー「ありがとう。マッチで良いかしら」
商品を受け取り、ポケットにしまう。
海希「ねぇ、休憩とかないの?もし都合さえ良ければ、私と歩かない?」
ドロシー「ごめんなさい、これを売り切らないといけないの」
とても残念そうにする彼女。
きっと、それがノルマなのだろう。
仕事なら、仕方がない事だ。
ドロシー「でも、もう少しで終わりそうだから、あなたが迷惑じゃなかったら、待っていてくれる?」
海希「え?良いの?」
優しく微笑みながら、ドロシーは頷く。
ドロシー「そうね....私のお勧めのお菓子屋さんがあるの。そこで待っていてくれる?」
海希「うん!分かった」
ドロシーに地図で説明して貰い、そのお菓子屋へと向かう。
見た目で、とても分かりやすい場所だと言っていた。
賑やかな場所から、結構な距離を歩いた所にそれはあった。
それだけが、ポツンと取り残されたようにたたずんでいる。
そして、この落ち着いた雰囲気に似つかわしくない建物。
海希「....うわぁ...」
確かにここが、誰がどう見てもすぐにお菓子屋だと分かるだろう。
その美味しそうな見た目から、今にも甘い匂いが漂ってきそうだ。
何しろ、お菓子の家なのだから。
海希「これ...本物?」
ビスケットでできた扉。
レンガ調の壁は、チョコレートを積み上げている(セメント代わりなのは生クリーム?)。
所々に、金平糖の飾りが付いていた。
見事な事に、窓の枠までお菓子できていそうだ。
メルヘン過ぎる。
昔、こんな家があるなら住んでみたいと思っていたが、それは子供だった頃の話。
海希「って、なんだ、やっぱり偽物か」
ドアノブに手を掛けた質感。
本物にとことん似せたプラッチック素材。
変な趣味の店主だ、と少し呆れながら扉を開けた。
??「いらっしゃーい」
カウンターにいたのは、少女だ。
この世界では、子供までもが働いているのか。
少女はニコニコと、私に笑顔を振りまいている。
少女「今なら新商品が食べられますよ?ミックスベリーのチーズタルトや、ハーブティー風味のクッキー。どれも美味しいですよ」
ショーケースに並べられたお菓子たち。
どれもこれもキラキラ光っている。
ドロシーのお勧めだけあって、さすがだ。
海希「....美味しそう」
ゴクリと喉を鳴らす。
しかし、私は我慢した。
海希「ここで人を待たせて貰っても良い?」
少女「えぇ、どうぞ。お好きな席へ」
こじんまりとした店だ。
全体の造りが木でできていて、とても温かみを感じる。
他のお客はいないみたいだ。
私は、近くにあったカウンター席に腰を下ろした。
海希「とても良い店ね。お菓子も美味しそうだし、雰囲気も落ち着く」
外観は別だ。
けれど、中に入ってみれば良くあるお店の雰囲気。
女子トークをするのにはうってつけの店だと言える。
少女「ありがとう。うちの店の商品は、どれもよく売れているわ。お友達がやって来たら、ぜひ食べて行ってね」
海希「その子のお勧めでここに来たの。きっと、あなたも知っている子だと思うわ」
こんな可愛いお店なら、ドロシーも好きそうだ。
お勧めした気持ちも分かる。
少女「あら、どのお客様かしら」
海希「ドロシーよ」
あぁ、っと納得したように頷く少女。
少女「ドロシー....どっちのドロシーが勧めてくれたの?」
どっち?
ドロシーと言う名の少女が、2人いるのだろうか。
少女「あなたを見たところ....きっと泣き虫のドロシーね。あの子ならお菓子を勧めるだろうし」
海希「??」
お菓子屋に来て、お菓子以外に何を勧めるのだろう。
頭にクエッションが浮かんだが、その疑問は次にやって来た人物のおかげで掻き消えた。
ピーター「やぁ。どうも、グレーテル」
またしても見覚えのある青年。
相変わらず目に優しい、緑色まみれの男。
グレーテル「いらっしゃい、ピーター」
そして、グレーテルと呼ばれた少女。
まさしく、お菓子の家に相応しい。
ピーター「....あれ?君は何しているの?」
こちらに気付いたピーターは、私を見て驚いていた。
こんな可愛いお店でピーターに会えるとは、なんだか変な気分になる。
海希「どうも」
軽く返事をする。
ピーターもお菓子が好きなのだろうか。
ピーター「君とこんな所で会うなんて、思ってなかったよ。レイルと一緒?」
海希「1人よ。ドロシーと待ち合わせ」
ピーター「へぇ、ドロシーと...レイルが知ったら嫌がりそうだな」
ドロシーの事をそこまで嫌うレイルも不思議なものだ。
見た目からしていじめっ子なレイルと、いじめられっ子なドロシー。
相性が良いのか悪いのか、よく分からない。
グレーテル「あなた達、知り合い?」
私達の会話を、不思議そうに聞いていたグレーテル。
首を傾げながら、私とピーターを交互に見ている。
ピーター「そう。俺の友達なんだ」
なんて響きの良い言葉。
勝手に恋人呼ばわりされる事のない、理想とした紹介だった。
グレーテル「へぇ...レイルとも知り合いなの?」
ピーター「レイルの恋人...で良かったんだっけ?」
わざわざ私に確認をとるところが、ピーターの人間の良さを感じる事が出来る。
海希「違うわよ」
きっぱりと答えた。
それが本当の答えだ。
ピーター「まぁ、彼女もレイルの友達だよ」
ピーターは、グレーテルに再度言い直していた。
ピーター「えっと、塩キャラメルのバームクーヘンが1つと、かぼちゃプリンを3つ。それから、生チョコケーキを1つと、レモンのパイを7つ。あと、ポテトのゲベックを忘れないでね」
そんなに食べるのか!?
と、ツッコミを入れたくなった。
ピーターは大のお菓子好きだったようだ。
いや、もしかすると、誰かへプレゼントするものなのかもしれない。
ピーター「ねぇ、アマキ。俺の買い物が済んだらさ、俺とも付き合ってよ」
海希「え?あぁ...別に構わないけど」
俺の買い物ってなんだ。
さらにお菓子を買い付けるつもりなのか。
さすが常連。
ショーケースに並べられているお菓子を、半分以上買い上げてしまうかもしれない。
ピーター「グレーテル、トイレ借りるよ」
グレーテル「えぇ、どうぞ」
店の奥へと入っていくピーター。
きっと、この店を大いに支えている事だろう。
グレーテル「ねぇ。レイルがここに戻って来てるって本当なの?」
急にレイルの名前を出され、体がピクリと反応してしまった。
海希「え?あぁ...そうね」
答えに迷ったが、彼女もピーターと仲の良さそうな雰囲気だった。
きっと、レイルとも友達だろう。
それなら、教えてあげても良い気がした。
グレーテル「へぇ...あの兵士さん達が言っていたのは本当だったんだ」
ショーケースから少し身を乗り出し、とても興味津々な様子なグレーテル。
グレーテル「じゃぁ、あなたがレイルと一緒にいたって言う女性?」
やけに訊いてくる。
そんなに気になる事なのだろうか。
海希「う〜ん...たぶん、そう...かな?」
私だとは言い切れない。
レイルに本当の恋人がいて、その彼女の事を示しているのかもしれないし、ドロシーのような女友達と歩いていた所を目撃されたのかもしれない。
けれど、高い確率で私だと思う。
グレーテル「そう....そうだ、今ちょうど試食用のお菓子があるんだけど、食べない?」
カウンターの向こうからやって来たグレーテルの手には、ドーナツの乗ったお皿があった。
チョコレートソースがふんだんに掛けられ、ホイップクリームと苺が挟んである。
とても美味しそうだ。
海希「いいの?」
丸々一個で出てきたドーナツ。
試食用にしてはとても贅沢だ。
グレーテル「えぇ、試食用だから。試食用だから、一口食べれば味は分かるわ」
やたらと、試食用という言葉を口にする。
まるで、それをやけに強調するかのように。
一口で分かるなら、一口分だけ切り分けても良さそうな物だが、せっかくなので頂くことにする。
海希「じゃぁ、せっかくだし頂こうかな」
美味しそうなドーナツ。
口に生クリームがつかないように、少し遠慮がちにかじってみる。
とろけそうなほど甘いクリームと、濃厚なチョコレートソース。
そして、苺の酸味が口の中で広がる。
グレーテル「ねぇあなた、名前は何て言うの?」
海希「海希よ。稲川海希」
口をもぐもぐさせながら、私は答えた。
普通に名乗ったのだ。
私の世界では、普通の事なのだから。
美味しそうに食べる私を、グレーテルはジッと眺めていた。
目線を少しも変える事なく、ただ眺めている。
海希「あなたは...」
グレーテルって名前なのね。
その言葉を口にしたつもりだった。
...声が出ない。
何度声を発しようとしても、声が出ないのだ。
グレーテル「...あなた、ここの住人じゃないのね」
手が震え、持っていたドーナツを落としてしまった。
食べかけたドーナツは、無残にも床にべチャッと崩れる。
そのドーナツのように、私も床に転げ落ちた。
海希「??!!」
金縛りにでもあったかのように、体が言う事を利かない。
全身が痺れ、動けないのだ。
グレーテル「眠らせても良かったんだけど。レイルの事も聞き出さないといけないから....あ、でも喋れないんじゃ、一緒か」
私を見下ろすグレーテルの顔。
少女の表情は、とても冷たい。
さっきまで可愛らしさはなく、恐怖に満ちている。
グレーテルは、私の両脇に腕を入れズルズルと床を引きずっていく。
体が動けない以上、なんの抵抗もできないまま、私はただ引きずられていた。
ピーター....!!!!
彼の名前を何度も呼ぼうとした。
それも虚しく、口をパクパクとさせるだけで終わってしまう。
トイレに向かったピーターは、戻って来る気配がしない。
グレーテル「恨まないでね。これも、お金の為なんだから」
兵士達が町中で、レイルと私の情報を渡せば、報奨金が出ると言っていた。
その事を、ズルズルと引きずられながら思い出す。
そこで、やっと理解出来た。
この子は、お金目的で私を使いレイルを見つけ、私達を兵士達に売ってしまうつもりなのだ、と。
レイルやピーター、そしてドロシー。
心を開いてくれた人は、必ず名前を名乗ってくれる。
けれど、彼女の名前を私はまだ聞いていない。
なのに、どうして名乗ってしまったんだろう。
レイルに忠告された事をすっかり忘れていた。
いや、忘れていた訳ではない。
初対面の相手なのに、ピーターに会った事で警戒心が緩んでしまったのだ。
ドロシー「こんにちは〜」
何ていいタイミングなんだろう。
店の扉を開く音。
そこにドロシーが入ってきた。
相変わらず可愛らしい少女。
私と目が合うと、彼女は悲鳴を上げた。
ドロシー「アマキ!」
駆け寄る彼女を無視し、グレーテルはなおも私を引きずっていく。
奥の扉を体で押し開け、外へと出た。
ドロシー「グレーテル!あなた、彼女に何をしたの?!」
グレーテル「ドロシーのおかげよ。これで、新商品がたくさん増える」
裏庭に出たようだ。
とても殺風景で、所々には怪し気な木箱が置いてある。
ここまで連れてくると、グレーテルは乱暴に私を離した。
まるで荷物のように、私は地面に転がる。
ドロシー「彼女はあたしの友達よ!酷い事はしないで!」
グレーテル「安心して。報奨金が出たら、あなたと私で折半しましょう。私は欲張りじゃないから、あなたにもお礼として分けてあげる」
ドロシー「そう言う問題じゃないわ!」
ドロシーは、今にも泣き出しそうだった。
大きな瞳には、うっすらと涙を浮かべている。
何も出来ない私は、二人のやりとりを見ているだけしか出来ない。
グレーテル「なら、こう言う問題なのかしら?」
ドロシー「!!!!」
ガチャリと構えた銃。
レイルが持っているものより大きな物だ。
グレーテル「威力は低いけど、こんなに近いんじゃぁ、当たれば死ぬわよね」
ドロシー「あなた...!!!」
グレーテル「あぁ....あなたは確か、このタイプのサブマシンガンは好きじゃなかったわね。せっかく入荷したてのマシンガンを見せてあげようって、兄さんが楽しみにしていたのに」
ドロシー「こんな...こんなのって...酷い....」
泣き出してしまうドロシー。
そんな彼女を、グレーテルは無情にも冷たい眼差しを向けている。
グレーテル「だったら黙っててくれる?あなたはこの人と友達なんでしょうけど、私にとっては友達の友達。それって、もうなんの関係もない他人よね」
私の両手をロープで縛り始める。
ドロシーは悲しそうに、ただ泣いていた。
ポロポロと流れる涙は、私の頬に落ちる。
海希「....な....いで...」
泣かないで。
人の心配をしている場合ではないのは分かっている。
しかし、彼女の泣いている姿は見ていてとても悲しい。
グレーテル「無駄よ。この子は泣き虫ドロシー。泣く事しか能がないの」
酷い言い草だ。
泣かせてしまったのは、私のせいでもある。
こんな少女に騙されてしまい、悔しい気持ちでいっぱいだ。
レイル....
レイルがいれば、なんとか逃げだせたのに。
最近の記憶が、まるで遠い記憶のようだ。
空から落ちたあの感覚が、今なら怖くないかもしれない。
思い浮かぶ、猫の青年。
もう少し優しく接してあげるべきだったと、心から後悔した。
キンッ!!!
グレーテル「...っ!!!!」
グレーテルの手から、銃が落ちる。
その先にあった木箱に突き刺さった小型のナイフ。
扉の前に立っていたのは、ピーターだった。
ピーター「女の子3人で、楽しくお喋り?なら、俺も混ぜてよ」
呆れたような表情を浮かべた緑色の青年。
本当にそんな風に見えているのなら、彼は空気が読めない人間だ。
ピーター「....で?アマキを縛り上げて、おまけにドロシーまで泣かせて、君はいつからそんなガキ大将になったんだ?」
グレーテル「....ちっ」
少女らしからぬ舌打ち。
ピーターを睨みつている。
??「何をしているんだ、グレーテル?」
ピーター「!!!」
救世主が現れ、ホッとしたのも束の間だった。
ピーターの背後にいた少年は、彼の頭に銃を突きつけていた。
グレーテル「兄さん」
グレーテルのお兄さん。
つまり、彼の名は...
ピーター「おいおい、ヘンゼル。さっきまで俺と仲良くナイフの話で盛り上がってたろ?」
ヘンゼル「それはそれだよ、ピーター。可愛い妹の危機だ」
出た!出ました!
と、こんな状況なのに感動してしまう私はとても馬鹿だ。
グレーテル「彼女は、お城の人が探している女よ」
ヘンゼル「なるほどね、それでこんな事をしていたのか。なら、僕を呼んでくれれば良いのに」
まるで、悪い事だと思っていないような言い方だ。
いや、私の方が悪者なのか。
なにせ、指名手配犯の知り合いなのだから。
ピーター「ヘンゼル、邪魔しないでくれるか?彼女は俺の友達なんだ。乱暴な事はよせ」
ヘンゼル「君の友達だろうけど、僕の友達じゃないから止める理由はない。そっちこそ、僕達の邪魔をしないでよ」
とても穏やかな口調だが、内容とやっている事はとても穏やかじゃない。
ヘンゼル「君は大事な客だ。怪我はさせたくない」
カチャリと音がする。
少年は、ピーターを脅しているのだ。
ピーター「...なら、客にはもっと優しくするべきだ」
ヘンゼル「!!!!?」
ピーターが素早く振り返り、向けられた銃の銃身を掴む。
途端に、その銃は奇妙な音を立てながら色褪せていく。
最終的には形が保てなくなり、分解されたように、ポロポロと破片が剥がれていく。
一体、何がどうなっているのか分からないが、銃がボロボロになっていくのだ。
ヘンゼルはピーターに向けて撃ったが、軽い音を立てただけで不発だった。
宙を飛び回るピーターを、ヘンゼルは他の銃を引っ掴み、銃声を響かせた。




