現実世界に毒を盛る
そろそろ、唯との事もケリを付けようと考えた。
もしも、彼女が本当に私の事を嫌いになったのなら、それはそれで構わないと思ったならだ。
人間とは複雑なのだ。
少しでもズレてしまうと、もう元には戻せない時だってある。
スマホから唯に連絡を入れる。
内容は"明日、少し話さない?"と、簡単な一文だけだ。
唯宛にそれだけ送ると、私はスーパーの袋に缶ビールやお菓子を詰め込み、そしてコロを連れて家を出た。
外は暗く、怪しい曇が広がっている。
なんだか今にも、雨が降りそうな感じだ。
電車に乗っても、コロは問題なく大人しくしてくれていた。
隣に座ったお婆ちゃんが、可愛いね、とコロを優しく撫ぜてくれた時も、珍しく大人しかったのだ(興味がなかっただけかもしれないが)。
コロを拾った始めの頃、私は実家に預けるつもりだった。
それが段々と愛着が湧き、今ではコロとの生活をかなり楽しんでいる。
けれど、両親からしてみればかなり自分勝手な事だっただろう。
いきなり電話で、猫を預かってくれなんて娘から言われ、しばらくしてからやっぱり自分で飼うと言わたのだから。
それに、母親には電話でついあたってしまったままだ。
今までに何度もあった事だが、気分が良いものではない。
そんな事を気にする関係でもないが、新しい住居人を紹介するついでに謝っておこうと思った。
目的の駅で電車を降り、改札を出た。
スマホで家に電話をしてみるが、誰も出ない。
今日は両親共々、仕事は休みのはずだ。
買い物にでも行っているのかもしれない。
仕方がないので、私は徒歩で実家に向かう事にした。
駅からそう遠い場所でもなかったので、億劫に思う事はなかった。
むしろ、久々の景色を懐かしく思いながら、コロに案内してあげる事が出来た。
実家に到着し、とりあえずインターホンを鳴らしてみる。
やはり反応はなく、持っていた家の鍵を使う事にした。
海希「あれ?」
開いている。
不思議に思い、ゆっくりと扉を開けた。
海希「ただいま〜」
返事はない。
やはり誰もいないのか。
なんて無防備な家なんだ。
母と父が帰って来たら、しっかり言ってやらねばならない。
開けたら閉める!
閉めたら鍵!
この二言だけだ。
先にコロを床に降ろしてやる。
今度は私が靴を脱ぎ、廊下に上がった。
先に行ってしまったコロの姿が見えなくなったが、気にせずリビングに向かう。
開けっ放しのドアから顔を覗かせると、カーテンを閉め切った薄暗い部屋があった。
私は荷物をソファの上に置き、カーテンを開いた。
それでも日差しは入ってこず、むしろ雨が降り始めていた。
海希「ギリギリ間に合って良かった」
もう少し家に着くのが遅れていれば、コロ共々ずぶ濡れになっていただろう。
雨が窓を叩く音を聞きながら、私は荷物を持ち、キッチンに向かった。
と、何か違和感を覚える。
何気なく立ち止まったのは、キッチンの向こう側に黒い影が見えたからだ。
コロ?と思いつつ、近付いてみる。
けれど私の想像以上に、そこには恐ろしいものがあった。
海希「!!!」
ショックのあまり、荷物を床に落としてしまった。
袋から飛び出した缶ビールが、ゴロゴロと転がっていく。
冷蔵庫内の前で、知らない男がしゃがみ込んでいた。
バリバリと、食べ物を必死に食べている。
散らかった空のペットボトル。
お菓子の袋や、アイスクリームのカップ。
私の体は、まるでスイッチが切れたように硬直していた。
この異様な光景。
むしゃむしゃと、男が口にする音に恐怖しか感じなかった。
海希「あっ....」
見た事もない男と目が合う。
いや、見た事がある顔だ。
最近のテレビでやっていたニュース。
そこに取り上げられていた事件。
季節外れのニット帽を深くかぶり、黒のTシャツにジーパン姿。
息を切らしながら、こちらをジッと見ている。
強盗だ。
警察が、今探している老人夫婦殺人の犯人。
一番に目に入ったのは、その男の右手元にあった包丁だ。
そこから目が離せない。
そして思った事は一つだ。
ニゲナケレバ
ウゴケ、ジブン
私は、咄嗟に玄関へと向かった。
けれど、その場で肩を掴まれ、乱暴に床に叩きつけられる。
頭が真っ白になり、がむしゃらに抵抗した。
包丁の先を向けられたが、なんとか男の腕を掴み、それを阻止する。
人間は、ピンチになればいつも以上の力を発揮するとはこの事だ。
火事場の馬鹿力で、脚で何度も男を蹴り上げる。
お腹に思いきり入ったのが効いたのか、少し隙を見せた。
素早く立ち上がり、キッチンを出る。
リビングを抜け、振り向く事もなく玄関に走った。
助けを呼ばなければ。
それで頭がいっぱいだった。
廊下で派手に転ぶ。
後ろで音がしたが、振り返っている暇もなく、私は立ち上がろうとした。
が、男の腕が首に回された。
締め付けられ、さらには包丁を突きつけられる。
ガッチリと固められた腕は、もがいても外れない。
そこで、私は初めて涙を流していた事に気付いた。
怖くて、本当に殺されるという恐怖から、涙はどんどん溢れてくる。
男「いでぇっ!!!!!」
男の叫び声と共に、私を捕まえていた男の腕が弱まる。
その腕からすり抜け、男を振り返る。
コロが刃物を持つ男の手に噛み付いたのだ。
急な出来事に驚いたのか、刃物を床に落とし、男はコロを床に投げ付けた。
海希「コロ!!!」
コロはすぐに立ち上がり、毛を逆立てながら男に威嚇する。
それに腹が立ったのか、男はコロに気を取られていた。
男「こいつ!!!」
刃物を拾い上げられる前に、私は急いでその包丁を手に取った。
それと同時に、男も包丁を掴む。
絶対に取られるものかと、私は必死になって抵抗した。
どんなに頭を殴られようと、その手を離しはしなかった。
この手を離せば、私もコロも殺されると確信していたからだ。
男ともみ合いになり、床に倒れこむ。
その時に、頭を強打した。
ガンガンと痛む頭。
相手の顔がよく見えない。
瞼が重い.....
私の視界にぼやけて映る映像。
見知らぬ男性の姿。
それは目の前にいる強盗犯ではなく、よく見る夢の中で出てきた人。
彼の背中が、揺らめいている。
乱雑に置かれた、たくさんの本。
何かの資料に囲まれ、肩を落としている。
私の中で、何かがプツンと切れる音がした。
頭がグラリとして意識が遠のき、私は気絶した。




