王子様より猫王子
海希「はぁ.....」
気分転換に、久々に自炊した。
手の込んだ物ではない。
ただのオムライスとサラダ。
見た目も、ごく普通のオムライスとサラダ。
その為か、食欲も出ない。
誰かが作ってくれたものなら、まだ口にできたかもしれない。
一人暮らしのデメリットが、今まさに私を襲っている。
ありさに電話してみようか。
広く浅くの人間関係の中でも、信頼できる友達の1人。
いや、ありさは知っているかもしれない。
信頼出来るもう1人の友達。
その友達に、嫌われてしまったのかもしれない。
考えれば考えるほど、悲しくなってくる。
何も考えたくない。
考えるから、悩んでしまう。
ややこしい事に巻込まれるのは嫌いだ。
このややこしい立場から、今すぐ逃げ出したい気分だ。
こんな魔のトライアングルは、求めていなかった。
ゴロンと床の上に寝転がった。
自然に、部屋の隅で毛繕いをしていたコロと目が合う。
海希「猫は良いわね...」
ポツリと口にした。
相変わらずマイペースで、愛想のないコロ。
ジッとこちらの様子を伺っている。
海希「難しい事なんて、考えなくて済むもんね」
おいで、っと手を出してみる。
けれど、やっぱりコロは来ない。
伸ばした腕を、くたりと力なく床に倒した。
海希「こんなに簡単に壊れるんだね。本当馬鹿みたい...」
どこにでもありふれている話。
そんな話の登場人物になるなんて、思いもよらなかった。
本当に馬鹿らしくて、つまらない話だ。
時が経てば、あの時は馬鹿だったよねーっと、語らいたくなる話題になりそうな。
明日からどのような顔をして、唯に会えば良いのだろう。
会うと言っても、相手が避けているのだから、あまり悩まなくてもいい問題なのだが。
海希「あっ」
いつの間にか歩み寄って来ていたコロが、私の手の指先をペロリと舐めていた。
あのふてぶてしい態度の猫が、初めて私にしたスキンシップ。
するりと腕をまたぎ、少しずつ私の顔に近づいて来る。
そこに座り込み、私の唇にキスをしてくれたのだ。
海希「ははっ、慰めてくれているの?」
嬉しい。
やっと心を通わせてくれたのかと思うと、感動ものだ。
軽く頭を撫でてやる。
すると、小さな声でにゃーっと鳴いた。
まるで、私に返事をくれたような気がした。
すりすりと、頭を擦り寄せる。
柔らかい毛が、私の頬をくすぐった。
海希「ありがとう。あんたって、優しいのね」
夢の中の空は、やはり曇っている。
友達に避けられたあの日から、ずっと嫌な曇が覆っている。
そして、やはりあの男性の姿はもう見えない。
暗くて、悲しくなってしまう。
ここから逃げ出したい気持ちに駆られる。
夢から覚め、戻りたい。
現実の世界でも私は逃げ出したい気持ちだったのに、どうしてこんなに矛盾した感情が生まれるのか。
いつもと違う違和感。
重たい瞼を開け、自分の胸元を見てみる。
その温かい何かを感じていた理由は、猫だった。
黒に白のメッシュが入ったような、奇妙な柄の猫。
私のよく知る可愛い猫だ。
海希「そっか、コロだったのね」
私の胸のあたりで、小さくなって眠っている。
とても気持ち良さそうに。
前に見た夢の中で、猫の声が聞こえた。
きっと、それもコロだったのだろう。
夢にまで出て来てくれるとは、飼い主としては嬉しい事だ。
本当に優しい子。
夢の中でも、私を慰めてくれる。
ゆっくりと瞼を閉じる。
このまま、のんびりと時間を過ごせれば良いのにと願う。
夢だと分かっていても、だ。
この日から、コロとの距離は縮まっていった。
休みの日などは、一緒に遊んでやると喉を鳴らしながら甘えて来る。
昼間のポカポカした日は、一緒にお昼寝をしたり。
お風呂に連れて行こうとすると、嫌がって言う事を聞かない事もある。
そんな姿も可愛いく思えてしまう。
私は、相当の猫馬鹿になっていた。
ありさが前に言っていた事を思い出す。
猫は冷たくて愛想が悪い。
そんな相手に好かれれば可愛く思える。
それは本当の事だった。
それとは裏腹に、唯との距離は縮まらないままだった。
自分から話掛け辛くなり、自然に日向先輩とも距離をとった。
日常生活が崩れてきている事もあってか、アルバイトで失敗する事も多々あった。
それのせいで、いつもの金曜日の電話で母親にあたった事すらあった。
いつも聞いている愚痴や、必要以上に心配される事が、なんだか鬱陶しく感じたのだ。
少しずつ、自分が堕ちていく。
それがなんとなく分かった。
気分転換に、コロを連れだし外へと出る。
私の腕の中で大人しくしているコロ。
すりすりと、胸に頬を擦り寄せて来る。
ポカポカとした暖かい午後。
近くの公園へやって来ると、ベンチに腰掛けた。
膝の上にコロを乗せる。
すると、するりと膝から地面に降り立った。
何かを嗅いでいるのか、鼻をヒクヒクとさせている。
飛んできた蝶々を追いかけている姿は、今までの愛想のなかった猫には見えない。
可愛い。
可愛すぎるわ、コロ。
持っていたスマホで、パシャパシャと容赦なく写真を撮りまくる。
連写音が、誰もいない公園内に響く。
ふふっ、うちの子は本当に可愛い猫だ。
これで、日替わりカレンダーを作ってみよう。
ほっこりしながらその光景を眺めていると、私がよく知る人物を目にする。
海希「あれ、日向先輩?」
公園の前を歩いて行く日向先輩。
声を掛けると、こちらに気が付いたようだった。
日向「稲川さん、何してるの?」
不思議そうに私を見ている。
私は、目の前で雑草にじゃれついている猫を指差した。
海希「気分転換にお散歩ですよ。私の飼い猫なんです」
日向「猫飼ってたんだ!初耳!」
教えていないのだから当たり前だ。
そこまで知っていたら、彼はストーカーか探偵になってしまう。
日向先輩は、私の隣に腰を下ろした。
先輩とは最近あまり話していないせいか、懐かしく感じる。
日向「可愛いね!名前、なんて言うの?」
海希「コロです。本当に可愛いんですよね。最近、猫馬鹿になっちゃって、本当に困る」
私の携帯電話の中には、コロの画像がたくさんある。
それが猫馬鹿の証拠だ。
日向「俺も、犬より猫派なんだよね〜。ほら、おいで」
こちらにやって来たコロは、定位置だと言わんばかりに私の膝の上に戻ってくる。
隣にいる日向先輩には、全くの無関心のようだ。
海希「この子、人見知りみたいで。私も最初はこんな感じでした」
この冷たい態度も、他人相手にだと気持ちが良いものだ。
自分にしか懐かない。
そこが良い。
なんだかニヤニヤしてしまう。
日向「そっか。なら、しょうがないな」
困ったように笑った日向先輩。
コロを惹き付けるのを諦めたみたいだ。
諦めた事をきっかけに、話題は変わる。
日向「この前の返事だけど...」
胸がどきりと跳ねた。
忘れていたようで忘れていた訳ではない。
忘れていた振りをしていた。
でも、上手く忘れた振りも出来ず、こうしてズルズルきていた。
日向先輩に、失礼な事をしていたのだ。
日向「答え、聞かせてくれる?」
膝の上に大人しく座っていたコロが、急に先輩を睨み、小さく唸っている。
私が安心させるように頭を撫でてやると、甘えたように小さく鳴いていた。
海希「あの....日向先輩の事はそんな風に見てなかったって言うか...」
私なりに、頭の中で言葉を選びながら、少しずつ紡いでいく。
海希「あ、でも、嬉しかったです!そんな風に思ってくれているのは。でも...」
これは唯を気遣っている訳ではない。
日向先輩は、本当に王子様のような人だ。
でも、それは私の王子様ではない。
それに、私はお姫様でもないのだ。
シンデレラが運命の人である王子様に、硝子の靴を履かせてもらう。
その光景を遠くで見ている野次馬の一人くらいの存在。
ステーキに付いてくるサラダ。
トンカツ定食に付いてくる味噌汁。
それと同じなのかもしれない。
唯は昔から、いつも男の子に囲まれて、お洒落でとても可愛らしい存在だった。
女友達も多く、その中でもありさと私は唯の大親友だった。
大親友だからこそいつも一緒にいて、なんでも言い合える仲だった。
大人っぽく、サバサバしたありさ。
どんな相談にものってくれる。
頼りになる存在だ。
それに対して、私はなんの魅力もない。
強いて言うならやはり彼の言う通り、真面目なところだろうか。
海希「その...ごめんなさい」
最後にポツリと言った言葉が、公園内の静けさを際立たせた。
もともと人の気配が少ない場所。
2人と1匹しかいない空間。
日向「そっか」
静かに呟いた日向先輩に、なんだか申し訳なくなった。
こんな私が日向先輩のような男性に好かれる事は、この先一生ないだろう。
日向「返事が聞けて良かった。じゃぁ、今まで通り良き先輩後輩でいようか」
日向先輩は優しく笑ってくれた。
そのおかげで、私も自然に言葉を返す事が出来る。
海希「...はい」
膝の上で大人しくしていたコロは、日向先輩との話が終わると安心したように瞼を閉じた。
まるで、私達の会話を聞いていたみたいだった。
もしかすると、猫も人間の言葉が分かるかもしれない。
私は、そんな可愛いコロの背中を撫ぜていた。




